第53話 帰ってこい
「「リンッ!」」
克臣とジェイスが森の奥に分け入った時、リンは真面に矛を胸に受けたように見えた。二人は、思わず悲鳴に近い声を上げた。
二人はここに至る前に、女たちに囲まれていた。そこから動けないはずだったのだが、隙を無理矢理作り出して走り出たのだ。
克臣が目くらましに大剣を地面に叩きつけて土埃を舞わせ、それに咳き込む女達を尻目に逃げたのだ。
その彼らの目の前で、リンは痛みを堪える顔をした。
左手は矛の刃を掴み、強く握り締めているからか、指の間からは血が流れる。その先が体に突き刺さっているのか否かは、克臣達には見えない。
(だが、これを待っていた……)
全て想定通り。矛の刃が食い込む手のひらは激しい痛みを訴えているが、今はそれどころではない。今から自分が実行しようとしていることを思い、リンの心臓は激しく鼓動する。その痛みが、手の怪我を凌駕する。
それでも、やらなければ。それが、リンの下した決断だった。
リンは顔を歪めたまま、間近の少女の頬に右手を添えた。敵意むき出しの魔女に微笑みかける。その笑みは、切なさもたたえていた。
「晶穂……目を覚ませ……」
そう囁くと、少女の唇に自分のそれを押し付けた。すぐに離れたが、威力は十分だったらしい。
「!?」
魔女は目を見張り、硬直した。魔女の手の力が失われたことを感じ、リンも左手を放す。
カシャン、と魔女の手から矛が落ちる。その寸前でリンが受け止め、その手に触れさせた。しかし魔女はつかみはしない。だから、リンは矛と晶穂の手を両方握った。決して、離れないように。
内側にいる晶穂も、仰天して目を丸くした。息が詰まり、胸の奥が疾走している。その音の主が自分なのか魔女なのか、分からないほどに。
――でも。……これはチャンス。
今、魔女の意識はリンに向けられ、離せなくなっている。晶穂は外に出ることを強く願い、大きく息を吸い込んだ。魂だけの存在だから、比喩的だが。めいっぱいに気持ちを込め、解放する。
――わたしから、出て行けぇぇぇ!
少女の心の叫びは、魔女の魂を体から追い出す精神力につながった。
「そんなことするものか!」
魔女も即座に我に返り、抵抗を試みる。しかしリンの行為に対する動揺が残っており、力を存分に発揮することは出来なかった。
晶穂の目の前に光が弾け、思わず目を閉じた。
「晶穂っ!?」
立っていた少女の鬼のような形相は力を唐突に失い、くたりと土の上に崩れ落ちかけた。
リンはその場に片膝をつき、間一髪のところで抱きとめる。傍には克臣とジェイスもやって来た。
晶穂の体から黒い靄のようなものが溢れ出し、見る間に人の形に変わっていく。
「あれは……」
息を呑むジェイスの言葉に応えるように、靄は髪の長い女性の形をとった。目の部分が特に黒く、ギラギラとした強い意志を感じさせた。それはすぐに歪み、苦し気に形を変えた。
「おのれ……」
そんな、誰かを呪うような女の声が聞こえた気がした。それが魔女の声であるかは定かではない。確かめる暇もなく、黒煙のように霧散した。
「……消えた」
「あっけないもんだな……」
ぽかんと空を見上げた克臣に、ジェイスが笑って見せる。
「確かに。でも、この世から消えたのではないかな。生者の気配はないよ、リン」
「……はい」
頷き、リンはどさりという複数の音を聞いた。振り返ると、克臣とジェイスが相手をしていた女達が倒れているのが見えた。魔女が消えたことにより、彼女らを操る力がなくなったのだろう。
「おい、あの子達は日本人だよな?……連れて帰らなきゃな。ここ、ソディールだし」
「……その役割は、わたしが引き受けよう」
くくっと笑いを堪えながら、ジェイスが手を挙げた。手のひらを広げ、周りの空気を集める。それをボート状に複数用意し、女達の下に滑り込ませる。浮上させ、にこりと口端を上げた。
「じゃ、後は任せて。……リンは晶穂を頼むよ。克臣は、ユキに何か起こってないか見て来てくれ」
「ああ」
「……」
「リン?」
無言で晶穂の体を支えたまま、下を向いているリンにジェイスは声をかけた。克臣はにやにやしたままリンの顔を覗き込んだ。
「真っ赤だな……当たり前だが。矛で刺された、わけではないな。手の力で押し留めたか」
「し……しょうがないじゃないですか! 魔女の意識を晶穂の体への執着から逸らすには、あれしか思いつかなかったんです!」
パッと顔を上げて必死の形相で弁解を試みるリンの様子が可笑しく、克臣とジェイスは笑い出した。
しばらく笑い続けた後、涙目を拭きながら克臣は口端を吊り上げた。リンの左手は、ジェイスが持っていた救急セットで手当てした。
「……何ですか」
「お前、あの責任、どう取るんだ?」
「……っつ」
「あれは、許可も得ずに女の子にすることじゃあ、ないよなぁ~」
「わ、分かってます。後で、ちゃんと謝りますよ!」
「克臣、あんまりリンをいじめてやるなよ」
真っ赤になって更にしどろもどろで受け答えするリンを哀れに思ったのか、ジェイスが克臣の茶々を注意した。
「分かってるよ。―――じゃ、彼女は頼むぜ。俺はユキを見に行く」
「……はい」
去って行く二人を見送り、リンはほっと息をついた。
あんなに騒ぎ立てたにもかかわらず、晶穂は目を覚ます気配がない。死んでいるのではと危ぶんだが、少女の規則正しい寝息と温かな体温を感じて安堵した。
リンは穏やかな微笑を浮かべ、晶穂を見下ろした。腕に少しだけ力を入れる。
「……よかった、晶穂」
左手の血は止まり、疼きを感じる程度になっている。リンは包帯を巻いた手で、矛を晶穂の手にきちんと握らせた。これがないことで彼女の命が左右されては敵わない。
座り込むリンの髪を、夜風が弄んで行く。リンは眠る晶穂の耳元に、何かを囁いた。しかしその声は、森のざわめきにかき消された。
暗黒の海。その水面に揺られ、女は薄く目を開けた。
腕を上げたいのに、その感覚がない。
月の光が、嫌に眩しい。
女は瞬きを一つした。目の端から、一筋流れ落ちる。
―――ひどく、疲れてしまった。
何をしていたのか、どんな感情を抱いていたのか、思い出せない。
それすら、もうどうでもよかった。
再び目を閉じた時、自分を呼ぶ声を聞いた気がした。
―――フェリツ・リーツ。我が手足となれ。我が僕となりて、我の復活に汝を捧げよ……
その声を聞いたのを最後に、女は意識を手放した。
キィ
足音を忍ばせ、一足先にリドアスへ戻って来た克臣はユキとユーギが眠る部屋を覗いた。戸を数センチ開けて、奥にあるベッドに目を凝らす。そこにいるべき少年の寝姿を確認し、ほっと息をついた。彼の様子には特に変わったところはない。起きていたメンバーにも尋ねたが、何もなかったようだ。
「これで一安心、かな」
パタンと戸を閉め、克臣は踵を返した。
本当なら、何かしらの変化があっても良いのだ。ユキの記憶を封じに関係するかと思われたダクトの
しかし、考えを改めた。突然記憶が大量に戻ってきたところで、あの小さな男の子の中で処理しきれないだろう。混乱し、パニックを起こすかもしれない。
「少しずつ、これをきっかけに戻ってくれるといいんだがな……」
寝具の横に備え付けられた淡いオレンジの照明の光に照らされた寝顔を思い出し、克臣は微笑した。
克臣がリドアスでの自室の前にやって来た時、丁度向こうから先程別れた青年がやって来た。
彼の黒髪は電灯に照らされ、サラリと光った。
「よお、お疲れだったな。ジェイス」
「克臣。そっちも疲れただろ」
「ああ。若い頃みたいにはいかねえわ」
「……って、まだ二十三だろう。それで自分を年寄り扱いしてたら、この先自分を何て言うつもりだ?」
「そうだな……。大老人、かな。ははっ」
全く。と息を吐き、ジェイスはこの不毛な会話を終わらせた。
「で、ユキは?」
「心配ない。ぐっすり寝てたよ」
「魔女の消滅で何かしらの影響があるかもしれない。それが良いものか悪いものかは分からないし、一応シンに見守りを頼んである。あとはユーギにも」
「手早いやつ。……それはそうと、王子様はどうした?」
「王子様?」
首をひねったジェイスは、直後に克臣の意図を察し、忍び笑いを洩らした。
「ああ、彼か。……大丈夫、帰って来てる。今は、お姫様を部屋に運んだ頃じゃないかな?」
「そっちの見張りは良いのかよ?」
「乗り込む気満々だな、お前……。そんな無粋なことはやめとけ。ここは温かく見守るのが、大人ってものだろう?」
「わかってるよ」
音をさせずにハイタッチをすると、二人はそれぞれの部屋へと帰って行った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます