第52話 それぞれの場所で待つ

 キーンコーンカーンコーン

「終わったぁ……」

 テキストを閉じ、サラは机に突っ伏した。大学生生活を始めて一週間以上経つが、なかなか慣れない。周りには自分が晶穂に見えるよう、特殊な膜を張ってある。ジェイスの知り合いの吸血鬼による力だ。

 文学部ということで、晶穂の時間割には文学や歴史、語学の文字が並ぶ。その中に時折混ざる経済の文字は、リンの影響だろうか。

 今終わったのは、歴史学概論の講義。論文とにらめっこするのは、サラにはきつかった。あくびは噛み殺して最後まで寝なかったのだから、誰か褒めてほしい。

(次は……ご飯! 何食べようかな~)

 ボストンバックにシャープペンシルやノートを入れて教室を出ようかと腰を浮かせた瞬間だった。

「三咲さん」

「え? ……あ、あたしか」

 数秒考えてから振り返ったサラに、声をかけてきた女子学生は軽く眉を寄せた。

「どうしたの、そんなにびっくりするようなことしたかしら?」

「いえ、何でもないです。で、ご用ですか?」

 笑顔で先を促したサラに、少女は顔を寄せてきた。

 彼女の名をサラは知らない。ただ晶穂からたまに絡まれると聞いたことがある、リンのファンらしい。長身でスレンダーな女子でモテそうなのだが、今はリンにしか興味がない残念系美女なのだ。

「……最近、リンくんって講義が終わるとすぐに帰っちゃうのよね。結構講義がある日にいないこともあって。何か知らない?」

 鋭い人だ、とサラは内心舌を巻いた。ただのファンというだけではなく、きちんと観察もしているらしい。それがストーカーに発展しないことを祈るばかりだが。

 サラは思考を相手に読まれないように微笑を浮かべたまま、頭を振った。

「いえ、特には。何か用事でもあるんじゃないですか? 先輩、聞いてみたら良いんですよ。あ……わたしなんて、知り合いの一人でしかないんですから」

「は、何言ってるの?」

 距離をより詰められ、サラは目を丸くした。

「あなた、私達より断然彼に近いじゃない。憎らしいほどに。だからあなたに恥を忍んで訊いてるってのに……。いいわ、リンくんを捕まえて聞いてやる!」

 邪魔したわね。そう捨て台詞を残し、先輩学生は去って行った。周りの学生達はサラと同様ぽかんとその後を見送っていたが、やがて各々の予定に合わせて動き始めた。

 彼女がリンの熱烈なファンのグループリーダーであることは、大学構内では周知である。そして、晶穂がその嫌がらせの標的でもあることもまた同じ。サラは晶穂を心配して声をかけに来た同級生に笑いかけて一緒に教室を出ると、昼食を摂るために食堂へ向かった。




 魔女を追っていたリンは、その姿を見失って足を止めた。荒くなった息を鎮め、周りを見渡した。

「何処だ……」

 ふと気配を感じ、横っ飛びに退しりぞいた。その場所に勢いよく落ちてきた刃物が地面を裂く。土埃に視界を奪われ、リンは防御のために杖を差し出してバリアを張った。リンの魔力は吸血鬼の中では弱い方だが一瞬守れれば良いバリアであれば、問題ない。

(一秒でも防げれば、次の対策を立てられる)

 リンの予想は当たった。真正面から突っ込んで来た魔女の矛をやり過ごし、バリアが割れた直後、杖を剣に転じて矛に向き合った。

 勢いよくぶつかった二つの得物。火花が散り、小石が舞う。

 一度距離を置き、再び刃と刃を合せる。

「くっ」

 リンは二の腕に痛みを感じた。ふっと見ると血の筋が通っている。

「どうしたのです? わたくしは無傷ですよ」

「……わかってるさ」

 魔女の余裕の笑みに、リンは自嘲の言葉を返した。

 リンは本気でやっていた。だが、魔女の肌に剣が届く瞬間、躊躇する。

 目の前にある体は、晶穂のものなのだ。決して、魔女のものではない。それが、躊躇いの許だ。

 その境界線に踏み込めない。もし、怪我を負わせた途端に晶穂が戻って来たらどうする? 彼女の心が傷つかないと言い切れるか。きっと晶穂は「大丈夫です」と笑って言うだろうが、その瞳に恐れが浮かばないと断言出来ない。

(……俺は、いつからこんなに臆病になったんだろう?)

 魔女の猛攻に耐えながら、リンは頭の片隅で考えた。数年前までは、少なくとも自分を優先していた気がする。ジェイスや克臣に笑われ呆れられつつも、ある程度の枷なしで。それが変わってしまったのは……。

 はたと気付き、コンマ一秒だけ矛を避ける行動が遅れた。完璧に避けることは出来なかったが、収穫はある。

「……そうか」

 一言だけ呟き、口元だけに笑みを浮かべた。薄く、頬に赤みが増した。その変化は、傍から見た者でも気付くのは難しいだろう。そんな些細な変化だ。

 避けるのに時間がかかった分、数センチだけ髪が切られてしまった。

 諦めにも似た、確かな気持ち。いや、諦めではない。それは、諦めを知らない。

 気付かなかった頃には、もう戻れはしない。

「死になさいっ!」

 リンが気をそらすほどに余裕があると勘違いしたのか、魔女の猛攻は激しさを増した。矛の刃が顔の左右を攻めてくる。それをすんでのところで躱しながら、リンは攻めに転ずる機会を窺う。

「さて、どうするかな……」

 真正面に魔女を見据え、言葉とは裏腹にリンは笑った。




 ユーギはユキに本を読み聞かせていた。それはユーギが幼児の頃に、今は離れて暮らす母か読んでくれていたものだ。ゾウが主人公の絵本である。

 ゾウは広い草原に暮らしていたが、ある時、仲間たちと離れ離れになってしまうのだ。それでもゾウは、二度と戻れない故郷を思って、前を向く。諦めと希望を持って、生きる選択をする。

 十歳のユーギの六歳年下のユキは、本当の弟よりも年下だ。その彼が隣でうつらうつらしているのを見て、ユーギは絵本を閉じた。

「ぼくも寝ようかな……」

 布団を胸の上まで上げ、目を閉じた。

 しかしすぐには眠れず、ユーギは寝返りをうった。しばらく眠ろうと必死になっていたが、羊を千匹数えたところで諦めた。代わりに考え事を始める。

「団長たち、どうしてるかな?」

 リン達がリドアスを出て一日が過ぎようとしていた。魔女のことを電話で知らせたのはユーギだが、これほど時間がかかるとは思っていなかった。

「学校から帰ったら、晶穂さんと会えると思ってたのにな」

 頭の中で呟き、ユーギは一週間以上姿を見ていない年上の仲間を思った。

「……お姉ちゃん、早く帰って来て」

 本人の前では言えない呼び方で呟き、気恥ずかしくなって掛け布団を額まで上げた。

 ユーギの隣では、穏やかな寝息をたてるユキの寝顔があった。




 リンと魔女の攻防は続いていた。現在何時かも把握出来ない。それほど、リンは集中していた。というよりも、時間を気にする余裕がなかった。

 夕闇が迫り来ている。ジェイスはつと顔を上げた。東の空に白い月が浮かんでいる。

「ジェイス、よそ見してんじゃねえぞ」

「してないよ、克臣」

 苦笑しつつ向かって来た棍棒をいなし、ジェイスは拳を突き出した。それを背にして克臣は微笑む。大剣を構えて女達に向き合った。

 魔女に仕える形の女達は、一向にあたらない攻撃に苛立っているようだ。ジェイスと克臣は本気で攻撃することはなく、全ての攻撃を回避している。女達は魔女に操られているだけだ。それが分かっているから、罪なき人を傷つけるわけにはいかない。

「しっかし」

 克臣は大剣を肩に担いだ。

「いつまでこれを続けりゃいいんだ?」

「リンが大切なあの子を取り戻すまで、だよ」

「ま、わかっちゃいるけどな。魔女をどうにかしなきゃ、こいつらは止まらない」

 森里鈴花もまた、エルハが見張っている。未だ魔女とのつながりが完全に切れたわけではないからだ。昼間はサラが声をかけ、夜は外からエルハが何となく見張る。

「眠らせられれば、楽なんだがな」

 そう愚痴る克臣に、

「出来れば苦労はないよ。わたしにはそんな魔力はないから」

「俺もない」

 苦笑いをし、克臣はリンが消えた森の奥を顧みた。

「リン、早く決着をつけろ」

 その呟きが届いたのかどうかは分からない。

 魔女は矛を遠慮なく振るい、リンの命を狙っている。リンは剣で防御しつつ、攻撃の隙を探していた。しかし、それに完璧な集中をすることは出来ていなかった。

 動揺が、ゆっくりと体の中に広がっていた。

 一度気付き、笑い飛ばしたはずの感情だ。

 唐突に自覚した想い。混乱を持て余し、リンは半ば闇雲に剣を振るった。

 それは全てかわし、魔女は微笑した。森の外を振り返る。

「お前も、お前の仲間達も、他愛無い。……遊びは、これまで、だ」

 魔女は矛をリンの胸に向け、魔性の笑みを浮かべた。

 リンの息は上がっている。対する魔女は平然とリンを殺そうとしている。しかし器である晶穂の体が悲鳴を上げているのか、動きがややぎこちなくなってきている。

 この現象は、ダクトの時と同じだ。心と体の持ち主が違うと、そこにひずみが生まれる。

 リンはにやりと口元だけ歪めた。少しでも心に余裕を持たせるために。

「さあ? 遊びだと思ってるのは、お前だけじゃないかもな」

「負け惜しみを……」

 鼻で笑い、魔女は正面から突っ込んだ。しかし先程までの俊敏さはない。もしかしたら、中の晶穂が抵抗しているのかもしれない。そのリンの予想を肯定するように、魔女は舌を打った。

「くっ。……消えぞこないめが」

 その言葉が、魔女の中で晶穂が抵抗している証となった。彼女はまだ、諦めていない。

「……晶穂」

 どくん、と心臓が鳴る。もう疑いようもなかった。

 リンは目を閉じ、魔女の軌跡を掴もうとした。

(もう、なるようになれ、だ!)

 内心でやけ気味に叫び、リンは集中力を研ぎ澄ました。

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