第50話 望まぬ目覚め

 目撃者は、案外早く見つかった。事件現場の近所に住む男性が、それ家の中から見ていたのだ。ソイ湖は普段、散歩をする人々がいるくらいのどちらかと言えば閑散とした湖だ。その周辺は整備され、大きな木々が植えられている。

「――ああ、見たよ。地元の自警団にも言ったけど、二十歳前後の女の子が巨大な矛を持って、襲いかかっていたんだ。人相? 暗くてよく分からなかったよ。その場に何人か人はいたけど、ニュースには出てないだろ? きっと届け出をせずにいるんだろうよ」

「……二十歳前後の女の子。巨大な矛」

「リンさん、これはやはり……」

 男性が去った後、リンとエルハは顔を見合わせた。ジェイスは難しい顔をして黙り込んでいる。リンの脳内で、最悪の未来が予想され始めていた。

 エルハは、無言で真っ青になるリンの肩を掴んで揺さぶった。

「落ち着いて、団長。まだ、晶穂さんが消えたと決まったわけではないでしょう?」

「だ、だけど、『古神事』には……っ」

「落ち着くんだ、リン」

 動揺を隠せないリンに、ジェイスは冷静に話しかけた。

「まだ、きっと大丈夫。二人の融合は完全ではない、そう信じずにどうする?」

「そう、ですね……」

 深呼吸を繰り返して落ち着きを取り戻したリンの耳に、鞄に入れていたスマートフォンの着信音が響いた。画面を見ると「ユーギ」の名がある。

「もしもし、ユーギか。どうし……」

「大変です、団長!」

 食い気味に慌てた様子で話し出すユーギを落ち着かせ、リンは問い直した。

「すみません。実は、昨晩テラフという町で男性が二人大怪我をしたそうで。まだニュースにはなっていませんが、テラフ出身のアラストの人が知らせてくれたんです。そこには、女の子の姿が目撃されています!」

「……年の頃は」

「二十歳なるかならないか、です」

「わかった。すぐに向かう」

 電話を切り、リンは二人に素早く事情を話した。彼らの了解を取って汽車に乗り込む。テラフはアラストからアルジャに向かう途中にある。山際の小さな町だ。

 駅に降り立ち、急いで事件現場へ向かう。町に着き、早速町長の家を訪ねた。事前に行くことと理由を伝えていたためか、迎えの者が来ていた。

 町長は五十代の男性で、ふくよかな体を揺らしつつもその顔には不安が漂っていた。

「よく、来てくれましたね。銀の華の方々。アラストのウェルガが知らせたのでしょう」

「ええ。彼が急いで知らせてくれたと連絡をもらいました。……襲われたという方々どちらに?」

「邸の奥に寝かせています。そこで証言を聞けるでしょう」

 町長は銀の華を知っているらしく、リン達をすぐに案内してくれた。木製の扉を開き、失礼します、とゆっくりと入室した。

「……あなた方が被害者?」

 横並びになった二台のベッドの上に、大柄な男性がそれぞれ寝かされていた。二十代後半位に見える彼らは、地元で有名な体力・力自慢だという。

「―――俺達は、最近裏の森に出るっていうとんでもない力を持った女に興味を持ってな。昨日、二人してそいつに挑みに行ったんだ」

「そうそう。で、会ってみりゃ、か弱い女の子じゃねえか。勿論得物は矛だから危険だが、こっちが二手に分かれて追い詰めりゃ余裕だと思ってたんだけど……」

「……やられた、ということですね」

 一方のベッドの傍にあった椅子に座り、リンは事情を聞いていた。リンの問いかけに頷いた男は、包帯が巻かれた右足を上げて見せた。

「見ろよ、この足。斬られなくて良かったぜ。矛の柄で殴られたんだが、女の子にあんな力があるなんてな……」

「そういえば先程、『最近森に出るようになった』とおっしゃいましたよね。今も?」

「ああ、らしいな。俺達がやられたことで森に入ろうって酔狂なやつはいない。けど昨日の今日で早いが、そろそろ森の恵みを採りに行きたいって声もあってな。どうしたもんかと話してたところだったんだ」

 身を乗り出したジェイスの問いに答えた男は、わずかに期待を込めた目で相手を見た。

「……銀の華が出張ってきたってことは、あいつを追い出してくれるのか?」

「……」

 ジェイスは声に出して答えることはせず、薄微笑で座るリンを見下ろした。克臣も無言でジェイスの視線を追う。

 リンは窓の外に目を移し、見える森を眉の間にしわを寄せて見つめた。

「……俺達は、取り戻すだけです」


 数分後、リン達の姿はテフラの裏の森へとやって来た。さわさわと揺れる木々の葉は、その穏やかさの中に潜む気配を彼らに運んでいる。森の入口に立ち、リンは五感を研ぎ澄ませた。

「気配はある。……いますかね、魔女は」

「さあ。……でも、昨日森にいたんだからいるだろうね。獲物は近場で調達したいものだろう?」

「俺に聞くな」

 克臣はぐるりと森を見回し、奥を指差した。

「ま、ここで立ち止まっていても仕方ない。行こうぜ」

「ええ」

 克臣の号令で歩き始めたものの、数十分経っても何にも出会わなかった。しかし、鳥の声も獣の気配もせず、その奇妙さを自覚し始めた頃。

「……何か、いる」

 遠くで人の声がしている。立ち止まって忍び足になったリン達は、その声の方向へと進んだ。声はゆっくりと近付き、それが女のソプラノであると分かってくる。しかも歌っているようだ。

 尊き君よ

 永遠に

 我らのもとに

 呼び覚まし

 願い叶えん

 この世をば

 汝のものとて……

 がさり。

 リンが枯葉を踏んでしまい、女達の酔った声は止まった。お揃いの黒いワンピースに身を包んだ彼女らに一斉に振り返られて三人は身構えたが、彼女らの顔に生気を感じられず、頭の中で首を傾げた。

「よく来たものね、邪魔者たち。わざわざ殺されに来てくれるとは」

 女達の奥に匿われるように座り込んでいた影が、ゆっくりと立ち上がった。

「……魔女」

 リンの呟きに微笑み、魔女はゆったりとした動作で手のひらを空に開いた。そこに光が生じたと思うと、次の瞬間には銀色の矛が握られている。

「……血?」

 リンには見えた。彼女の右手のひらに赤い筋があるのを。それが何を示すのか思い当たり、顔面蒼白になった。

「神子の血を、目覚めさせたのか……?」

「……」

 魔女はにやりと嗤い、軽い身のこなしで飛んだ。

「リンッ!」

「避けろ!」

 ジェイスと克臣の叫び声が遠くに聞こえた。リンの目は、どんどん近付いて来る魔女の両目に釘付けだった。

(―――目が、赤い)

 それは血の赤だ。晶穂が持つ本来の瞳の色とは違う。

 時折、わずかにサファイア色に輝く。

 ドンッ

 勢いに任せて振り下ろされた矛。克臣は刃に貫かれたかと危ぶんだ。慌てて駆け寄ろうとする彼を、後ろから肩を押さえて止める者がいた。

「待て、克臣」

「……ジェイス」

「大丈夫、見てみろ」

 指す先には、もうもうと噴き上げる土煙が見えた。その中から立ち上がった魔女の矛は地に突き刺さっている。その傍で、立ち上がろうとする影がある。

「リン……」

 ほっと安堵の息を吐いた同行者に苦笑いを返し、リンは立ち上がった。間近に見た魔女の瞳には、楽しむ感情が見える。その歪んだ笑みに、リンは悪寒を覚えた。

(晶穂……)

 再び抜き構えた矛を振り回す魔女の攻撃を避けながら、リンは呼びかけた。駄目もとであるのは分かっていたが、何もしないでいることには我慢出来なかった。

「いるんだろ、晶穂! そいつに閉じ込められて。……くっ。目を、目を覚ませ!」

「無駄よ」

 冷たく、魔女は言葉を被せた。胸元を指し、嗤う。

「お前が求める娘は確かにここにいる。けれど、今もここにいるかは分からないな」

「……何だ、と?」

 ひび割れる声を自覚しながらも、リンは魔女を凝視した。その背を見つめながら、ジェイスは呟いた。

「……神子の血、か」

「おい、それはどういうことだ」

 克臣が小さな声で食って掛かった。ジェイスはそれを押さえ、返答した。

「神子の矛―――聖血せいけつの矛は、神子の血から創られるんだ。古文書によれば、矛は神子の血全てを犠牲にするらしい。……矛を失うことは、今の魔女と体の主である晶穂にとっては命を失うことと同意だ」

「……分かるように説明しろ」

「つまり矛は、神子の命を握っているんだ。通常、生き物は血液を体の中に循環させている。血を失えば、出血多量で死んでしまう。その血液の役割を、矛は担う」

「……だから、矛を失うと死んでしまう、のか?」

 ―――矛は、神子の玉を奪うものなり。

 『古神事』の一文を思い出し、リンは呻った。

「しかも魔女は、晶穂の体を乗っ取っている。彼女が体を奪われてずいぶん経つ。……晶穂の意識が魔女のそれに呑み込まれていても不思議はないよ」

「その通り。そこの吸血鬼はよく知っているようだ。……だから諦めて、絶望したままわたくしの目的のために死になさい!」

 ザンッ

 空気を切り裂く音が響く。静寂の森に。

 リンは杖を召喚し、剣に変えた。それで矛をいなし、防ぐ。何度も何度も打ち合ううち、自分の剣の刃が欠けているのに気付いた。女の力とも思えぬ剛力に、リンは喉を鳴らした。

「わたくしは、神の力を手に入れた。この神の矛により多くの血を吸わせ、穢し、あの御方の偉大な力の糧とするのよ!」

 壊れかけたラジオのように、甲高い声がより上擦る。

 咆哮を繰り返す魔女に気を取られ、リンは場の変化に気付かなかった。

「うわっ」

 よく知る声を聞きつけ、リンは攻防の合間に振り返った。

「ジェイスさん、克臣さんっ」

「来るな、リンっ」

 駆け寄ろうとする後輩を厳しい表情と声で押し留め、克臣は笑った。

 二人を囲んでいたのは、魔女を守っていたはずの女達だった。手にはそれぞれ棍棒やナイフを持ち、一歩ずつ距離を詰めていく。

「はは……。そういや、何処に行ったのかと探すの忘れてたな」

「わたしもだ。お互い、このおとしまえはつけないとな」

 互いに背を守るように立ち、二人は構えた。克臣は大剣の刃を返し、ジェイスは手のひらを向けた。その手には魔力の集中が見られる。

「克臣、傷つけるなよ? 彼女らは、きっとあの森里さんと同じだ」

「ああ、わかってる。だから、嶺を返してんだ」

 女達が、一斉に動き出した。それを合図に、克臣とジェイスも同時に息を合わせて駆け出した。

 しかし、それをリンは見ていない。その余裕がなかった。

「待て!」

 魔女が森の奥へと駆け出した。リンはその場をジェイス達に任せる形でその後を追った。


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