第49話 近付く足音

 呼ばれる声に答えるように、男は振り仰いだ。

 しわがれひび割れた声を紡ぐ。

 それは願いや祈りではなく。呪詛のようだ。


 ワガツカイ、ワガシモベ

 ワレヲヨミガエラセヨ

 サスレバ、ヨハオモイノママトナロウ

 ワレニチカラヲアタエヨ

 ワレハイキ、スベテヲノミコモウ


 黒く暗い水底のような場所で、呻く。

 低く吠え、崩れそうな手を伸ばしかけた。


 あともう少し。

 そのところで、極寒の風が吹き付けてきた。


 


 封珠は光を失った。それは、唐突だった。

 ほっと息を吐き出し、リンは祠に歩み寄った。中を覗き込んでも、そこにあるのは鎮座する黄色がかった一つの珠だけだ。

「……復活はしなかったな」

「ええ。もしやと思ってぞわりとしましたが、悪夢は現実にはなりませんでしたね」

「……けど、力はつながった」

 ジェイスの静かな指摘に、リンと克臣は振り返った。

「恐らく、魔女と名のる女の元に、より巨大な何かが伝わったんだろう。これ以上時間をかければ、晶穂の命が危ないぞ、リン」

「分かってます。……痛いほどに」

 リンはシャツの胸元を掴み、目を伏せた。

「しっかし、封印出来たと思った次の瞬間には、もう解放のための行動かよ。息つく暇もありゃしねえ」

「ぼやいても仕方ないだろ、克臣。ダクトがこんなに早く復活の兆しを表すなんて、誰も思っちゃいなかったんだ。やつがコンタクトを取っているのは、魔女だ。だが、それさえわかれば、対策も立てられる」

「対策?」

「そう。ダクトが外界に助けを求めている。では、その協力者が失われれば、どうなる?」

「……復活は、なくなる」

 少し考えたリンがそう言うと、ジェイスは人の悪い笑みを浮かべて頷いた。

「そうだ。ダクトは伝手を失くす。そして、わたし達がダクトを封じ、存在を洩らすことがなければ、やつの復活の可能性を、著しく下げることは可能だ」

「……そのためには、魔女を晶穂から引き剥がさなければ」

「理解が早くて助かるよ、リン」

 朗らかに笑い、ジェイスは首肯した。克臣が俄然やる気を出した声で言う。

「そうと決まりゃ、さっさと魔女の行方を掴んで引っぺがそうぜ!」

「克臣さん、真夜中です!」

 リンに小声ながらも厳しい声色で注意され、克臣は慌てて手で口を押えた。


 真夜中、ユキは目を覚ました。何故か、ひどく寒さと温かさを感じた。

「……夢?」

 何の夢を見ていたのかは覚えていない。しかし、誰かが自分を呼んでいた気がする。しかも、自分はその声に応えるべきではない。応えれば最後、自分は消える。それだけが直感的に分かっていた。

 背中が汗でぐっしょりと濡れている。ユキはTシャツを脱ぎ、クローゼットから代わりのシャツを取り出した。

 時計を見れば、時刻は午前一時をまわったくらい。いくら何でも早過ぎるが、目が冴えて直ぐには眠れそうにない。ぐるりと部屋を見回したユキは、窓の外に光を見た。

「誰か、いるの……?」

 ユキの部屋からは中庭が見える。そこには彼から離されたダクトが封印されている。ユキにはその頃の記憶はないが、祠には近付けない。近付きたいとはどうしても思えない。

 しかし、今は中庭の光が気になる。一瞬、侵入者ではと思ったが、四六時中誰かが監視の目を光らせているリドアスに好んで入り込む者などいるはずもない。そう考え直し、ユキは窓枠に手をかけた。

「うわ……」

 眩しさに耐えられず、ユキは窓を背にして座り込んだ。初め白かった光は徐々に灰色になり、やがて黒に染まった。

 ユキは、自分に伸ばされる手を感じた。リンや晶穂が伸ばす温かな手とは対極を成す、冷たく寂しい手だ。少年は嫌々をするように激しく首を振り、両手をばたつかせた。

 やがて気配は去り、ユキは金縛りのような状態から脱した。

 窓の外からは人の話し声がした。聞き覚えのある声だ。ユキは体を伸ばして覗き込み、正体を知ると部屋の戸へ向かって駆け出した。


 戸が開けられる音がし、振り返ったリン達に向かって走る影があった。

「リン団長、ジェイスさん、克臣さんっ」

「え……ユキ?」

「克臣の大声で目が覚めたのかい?」

「おい。そりゃ、どういう意味だ」

 目を丸くするリンの目の前で急停車したユキは、荒い息を整えながら三人を見上げた。

「ぼく、祠の光を見たんです。白から黒になって。……夢だったけど、ぼく、引きずられそうになりました」

「……何に、引きずられたんだ?」

「……分からないけど、冷たい手、です」

 ぶるっと身震いしたユキの肩を抱き、リンはその小さな体を温めてやった。季節は晩夏を過ぎ、夜中になれば少し冷えてくる。ユキの震えには恐怖もあったのだろうが、慣れない寒さも理由の一つだろう。

 兄弟の様子を見ながら、ジェイスは腕を組んだ。

(ユキが見たのは本当に夢だったのか? もしかしたら、奴がユキとコンタクトを取って、再びその体を手に入れようとしているんじゃないか? ……もしそんなことになれば、リンは壊れてしまうだろうな。どちらも大切だから)

 ジェイスはふっと微笑し、隣に立つ克臣に目をやった。

「どうした、ジェイス」

「いや。……ただ、早くこれを解決しないとな、と思っただけだ」

「そうだな。そうしないと、ユキも晶穂も安心して暮らせない」

「……よく分かってるじゃないか」

 克臣も分かっているようだ。それを理解し、ジェイスは内心ほっとしていた。

 落ち着いたユキから仔細を聞き出していたリンは眉間にしわを作り、二人の年長者に向かい合った。

「ジェイスさん、克臣さん。ユキを寝かせて俺達も休んだら、出発しましょう」

「何処か、あてはあるのかい?」

 ジェイスの問いに対して首を横に振り、「いいえ」とリンは答えた。

「あてはありません。でも、ユキにも影響が出て来ています。きっと、晶穂の身も危ないんでしょう。……これだけ派手に敵方は動き出しました。奴らの目的が達せられつつある、ということでしょう。早ければ明日にでも新たな動きがあるはずです。それを追います」

「……わかった。俺はリンに乗るぜ」

「……わたしも、右に同じだ。魔女の掌で転がされる時間はもうたくさんだし、ね」

「ぼくにも、出来ることはないですか?」

「ユキは、リドアスを頼む。魔女が出て来次第、すぐに決着をつけるから、それまでの短い間だ。決してお前を渡したりしない。だから安心して、ユーギ達と学校へ行っておいで」

「……わかりました」

 撫でられた頭に自分の手を乗せ、ユキは笑って首肯した。それを皮切りに、リン達は動き出した。リンはユーギを部屋に連れて行き、ベッドに入れて、彼が眠るまでいてやった。

弟が寝入った直後、リンは視界の端に白い光を見た。

「雪? ……こんな時期に、こんな室内で?」

 それは、確かに雪だった。白く、ちらちらと舞う粉雪。

 リンはしばらく考えに耽った後、「ああ」と納得した。

「そうか。……目覚め始めてるのか……」

 ふわりと淡雪のような髪を撫でてやり、リンはユキの部屋のドアを静かに閉じた。

その後自室へ戻り、着替えてベッドに突っ伏した。ジェイスと克臣も似たようなものだ。

 明日から動き出す。そう占ったリンの勘は、間違っていなかった。


「じゃ、行ってきまーす」

 かわいらしい耳を帽子の中に隠し、しっぽもワンピースの下に隠した。その肩にボストンバックを引っ掛け、サラは手を振った。

「晶穂の代わり、今日もしっかり務めてきます」

「ああ、頼むよ」

「帰りに僕の店に寄りなよ、サラ。待っててあげるから」

「うんっ」

 恋人達の甘い雰囲気にあてられ顔を背けるリンに微笑みかけ、サラは顔を寄せてきた。

「団長」

「な、何だよ」

「……団長も、頑張ってください」

「……は……はっ!?」

 くすくすと笑い、サラはそれ以上何も言わず、扉をくぐっていった。呆然と見送り、リンは傍にいたエルハに顔を向けた。

「団長、顔赤いですよ?」

「……そんなことないですよ」

 怒ったような照れたような微妙な顔をして、リンは首を振った。エルハは声をたてずに笑い、リンを居間に誘った。素直について行ったリンは、テレビをつけるエルハの様子を何とはなしに見ていた。

「団長は、最近……今朝早くに、ニュース見ました?」

「ニュース? ……そうですね、何か気忙しくて、見てなかったかも。なんでです?」

 直接はその問いに応えず、エルハはチャンネルをまわした。朝のバラエティ番組から、ニュースへと切り替える。よく見るアナウンサーが真剣な眼差しで原稿を読んでいる。最近散髪したのか、男性アナウンサーの髪は短く、好ましい長さになっている。

 しかし、そんなことは今、どうでもよかった。リンの目と耳は、釘付けになっていた。

『最新ニュースをお伝えします。昨夜午後十一時頃、ソイ湖近くで猫人の女性が刃物のようなもので切られ、血を流して倒れているのが見つかりました。女性はすぐに病院に運ばれましたが、意識不明の重体です。次のニュー……』

「……と、いうことだ」

 エルハはテレビを消し、リンに向き直った。リンは困惑顔で見返す。

「ということ、とは?」

 はあ。

 エルハは息をついた。説明口調で続ける。

「団長。ソディールでは、滅多に殺人事件など起こりません。何故なら、僕ら銀の華を始め、自警団があるからです。それに加えて、殺人をせずとも互いが認めた闘いならば、事件として扱われません」

「それぐらい、俺も知ってる」

「ええ。対して、日本を始め地球では、殺人事件はよく起こる。それに関してとやかくは言わないよ。今大事なのは、同じ様に『刃物のようなもので切られた』遺体が日本の星丘大学近くで見つかっていること」

「――何ですって?」

「そして、その刃物は何か、どちらも分かっていない。――くさいとは思わない?」

「よし、目撃者探しだ」

 リンは今日授業がないことをいいことに、ジェイスとエルハを供にソイ湖へ向かった。克臣は仕事で会社にいる。仕事帰りにアレスに寄り、サラと合流することにしてもらった。

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