第47話 魔女との一戦
ある夜。一人の少女が山奥へ分け入った。人里離れたその山は、人の入山を拒む独特の雰囲気を持っていた。しかし少女は一人、臆することなくどんどんと進んで行く。
近くの村でその少女を見た住人は、危ないから行くなと注意した。しかし彼女は、笑って首を横に振るだけだった。その笑みは氷のような表情で、村人はそれ以上何も言えなかった。
その少女は、今も近くの村を訪れない。他の場所に行くならば、必ずこの村を通る。村人達は、餓死したのではと噂した。
ところが、少女は死んでなどいなかった。灰色の髪を振り乱し、山登りに似つかわしくない白いワンピースで軽快に登って行った。目的地に着くと、少女はその動かない表情をわずかに崩した。
石ころが散乱する山の頂上。古代の人々が祭りを行った祭祀場跡。少女を囲むようにして、十数人の女性達が手を合わせて膝をつき、祈りを捧げている。彼女らがいつこの山に入り込んだのかは、誰も知らない。
少女――晶穂の体に宿った魔女――は祭祀場の中央、女性達の真ん中に立ち、両手を天に掲げた。何やら呪文を唱える少女を崇拝するように、女性達はとろんとした目で仰ぎ見ている。
「……はじまる。取り戻す。この血で」
―――もしも、この体を滅したとしても。
その瞬間、天から光が弾け、少女を襲った。
同じ頃。リドアスの祠が光った気がした。
「何っ!?」
駆け付けた一香は祠を覗き込んだが、何も変わった様子はない。後から来たシンに聞いても、分からないと言われてしまった。一香は警戒を強めることにして、箒を持つ手に力を込めた。
「……何か分かったら、団長達に知らせなくちゃ」
事態は急変した。リンは町を疾走する。
その理由は、数分前に遡る。
リドアスにはアラストの住人が遊びに来ることがある。今日もそうだった。
「ちょっと、これ見てくれよ!」
ある県のローカルニュースを見ていた一人が、声を上げた。この犬人の趣味は、地球のニュースを見ることだ。珍しい趣味だとよく言われる。しかしその趣味がこの時ばかりは味方した。
「あれ、この姿……」
リドアス内にいたジェイスが呼び出され、その映像を見せられた。それを確認したジェイスは目を見開いた。
「よくやったね! リンに知らせて来るよ!」
「あ、はい!」
ジェイスは自室に取って返し、唯一地球へつながる電話を手にした。リンのスマートフォンに向けて電波を送る。
「はい。……ああ、ジェイスさん。…………え?」
「……だから、リンは出来るだけすぐにそこへ。わたし達もすぐ向かうから」
「わかりました。……今すぐに!」
そして、現在に至る。
犬人が見たニュース映像の中に、見慣れた少女らしき姿が映ったのだという。映像を確かめたジェイスが「間違いない」と太鼓判を押した。リンは扉を継ぎ、晶穂の姿が映った場所へとたどり着いた。それは電話を受けてから一時間後のことだった。
扉の連続使用は魔力を消費する。もともと多くは持っていないリンだったが魔力の回復を待つことはせず、息を整えるだけにして目的地を見上げた。
ニュース映像が記録されたのは昨日の昼。泥や草を衣服につけたまま山の近くを歩く少女と数人の女性の姿は、全く関係のないテーマを扱う映像の端に映っていたのだ。
「まだそこにいるかは正直わからない。けれど少しでも手がかりが欲しい」
ジェイスの言葉に頷き、リンは通話を切った。
灰色の髪を持つ少女の姿を見た人を探しにかかったが、それほど難しいことではなかった。リンが訪れた村は、魔女が横切った村だったのだ。
村人によれば、少女がこの村を通ったのは四日前。まだこちらには戻って来ていない。禁足地に入り、神の怒りを受けたのだろう、と村に住む老爺は目を伏せた。
リンは焦った。焦ったところでどうしようもないことは分かっているが、それでも焦燥は止められない。村人が止めるのも聞かず、山へと足を踏み入れた。
何も証拠はない。しかし、リンは勘を頼って山頂を目指した。
時折翼を駆使しつつ駆け登って数十分後。
リンは古代の祭祀場跡に辿り着いた。そこだけ土が表面に出ている。大小の石が散乱し、祭器であったと思われる土器が割れていた。
誰もいないと思ったその時、リンの右頬そばを何かが横切った。それを感知したと同時にリンは跳んで後退した。カッと音を立てて彼の背後の木の幹にそれは突き刺さった。振り返らずとも分かった。それは、木の矢である。鋭くした細枝は、リンの頬に赤い筋を残した。
「誰だ」
と問わずとも、相手はリンの目の前に並び立っていた。矢を
リンは彼女らの背後に気配を感じ、目をやった。
「……あ……いや、魔女、か」
「よく来ましたね、異形の人」
魔女は微笑んだ。晶穂の姿のまま、赤い石の装飾があしらわれた白いワンピースを身に着けている。足は裸足だ。晶穂自身の温かな笑顔とは対極を成す、冷たい笑みだ。リンは戦闘態勢を取り、問いかけた。
「ここで、何をしている?」
「……。答える義務はないが、折角だし、教えてやりましょう」
魔女は女達に弓矢を構えさせたまま、前髪をかき上げた。
「わたくしは、尊い方の御力を受けていたのです」
「……ダクトの、だと?」
「ええ。名を呼ぶことも恐れ多いことです。あの御方は、わたくしの呼びかけに応え、力をくださいました。……お前達を滅するために」
そう言うが早いか、魔女は両手を振り上げた。手のひらと手のひらの間に眩い光が生じた。それは鴉よりも黒く、禍々しさを放つ光だ。リンは目を細めつつも、いつでも避けられるよう足を動かした。勿論、敵に悟られないように。
「お前は忌々しい邪魔者だ。わたくしは、この者の血を使い、必ずあの方を解放する。……そのための犠牲になってもらおう」
「……断る、と言ったら?」
虚勢を張り、リンは唇を曲げた。冷や汗が背を伝っているが、それに甘んじてはいられない。弓矢の殺気も消えてはいない。今、リンは独りだ。ジェイスや克臣がここに辿り着くには時間がかかるだろう。出来るだけ、時間を稼ぎたかった。
魔女は笑った。声もなく。
「そんな回答は、知ったことではない!」
魔女は両手を振り下ろし、前に突き出した。闇をまとめたような塊が放たれた。風を巻き込み、木の葉を巻き込み、暗闇が迫って来る。リンは己の魔力を動員して迎え撃った。杖を差し出し、青い光を放った。
二つはぶつかり、押し押された。互角と見えたそれは、急激に一方の力が強まった。
「我が主の御力は……こんなものではないっ」
叫び声を上げた魔女の瞳の色が変化した。黒い瞳は深紅へと変貌する。何だ、とリンが思う間もない。魔女の髪が風に激しく遊ばれる。
ゴオッという大きな音をたて、魔女の力がリンに急迫した。リンの力は打ち消され、魔の力がリンを飲み込もうとした。
「くっ」
無謀にも剣を構えて迎え撃とうとしたリンは、自身の目の前に大きな影が現れたのを見た。
スパッ
大剣がモーゼのように風を両断し、リンの両側を黒風が散って行く。リンはもう一つの影にかばわれ、風の影響を受けずに済んだ。普段縛られている黒髪が、風の刃で広がった。
「よかった。間に合ったね」
「ったく、いっつも危ない場面にいるな、お前は」
近くで微笑む青年と、大剣を肩に担いでニヤリと笑う青年。呆然としていたリンは、安堵の息を吐いて呟くように彼らの名を呼びかけた。
「ジェイスさん、克臣さん……」
「さ。座り込んでたら、何も出来ないよ?」
「はい」
ジェイスの手を頼りに、リンは立ち上がった。その様子を見た克臣は、楽しそうに笑うと表情を改めた。魔女を見据え、大剣を構える。
「……邪魔者が増えた」
魔女は舌打ちし、壁となっている女達に命じた。女達は無言で弓を番え、一斉に放った。それらは矢の勢いが乏しく、ほとんどが克臣に叩き落とされてしまった。
「これで終りょ……」
「っ、克臣!」
「え?」
ジェイスの警告に振り返った克臣の目の前に、黒い風があった。避ける間もなく、巻き込まれて弾き出された。地面に叩きつけられる直前、大剣を土に刺して体を回転させ、ふわりと着地した。
「ちっ。油断した」
「大丈夫ですか、克臣さん!」
「ああ、問題ない」
駆け寄りかけたリンを制し、克臣は魔女に視線を移した。苦々しい顔の魔女は、ぽつりと言った。
「……氷山リン。お前が死ねば、この身体は完璧にわたくしの物になるのに」
「……え……」
リンは思わず訊き返したが、魔女は、当然答えはしなかった。リンはその解を頭の端に追いやり、現在の状況の解決に専念することにした。
晶穂の体を傷つけることは正直したくない。では、どうするか。何とかして、拘束しなければ始まらない。リンは剣を正面に構えた。
走り、跳んだ。翼を駆使し、弓矢を持つ女達の上を越え、魔女に斬りかかった。
魔女は片手でそれを止めた。指ではなく、出現させたバリアで。跳ね返され、リンは一閃、二閃と繰り返した。全てを止め、魔女は微笑んだ。
「わたくしを捕まえようなんて、お前達には出来ない」
「そんなことっ」
「……そうかもな。けど、これはどうだ?」
克臣の声がリンの反論を遮った。全員が振り返った。
「……っ」
魔女は絶句した。克臣の腕に捕らえられていたのが、彼女を崇拝していた女達の一人だったのだ。女はぼんやりとした光のない瞳のまま、力なく克臣に背を預けている。電池の切れた人形のようだ、とジェイス思った。いつの間にか短剣に持ち替えた克臣は、それを女の首筋に近付けた。傷つけるつもりは毛頭ないが、魔女の動きを制限する効果はあるはずだ。
魔女は目を閉じた後、カッと見開いて叫んだ。
「構わぬ。……やれ」
「……マジかよ」
思わず、克臣は声を出していた。魔女の仲間を捕らえれば、魔女の攻撃は防げると踏んでいたのに裏切られたのだ。
矢の軍勢がリン達を襲った。雨のように降り注ぐそれらを避けようと、木の裏や岩陰に隠れた。その隙に乗じ、魔女は眷属を率いて姿を消した。
「待て、晶穂を返せ!」
木陰からリンが走り出た時、魔女の姿は既になかった。
「……また、逃がした」
そう意気消沈するリンの肩を、ジェイスがたたいた。
「そうでもないさ」
見てごらんよ。と促され、指された先を見た。そこには克臣がいたのだが、胡坐をかく彼にリンは目をむいた。
「……何してんですか、克臣さん」
「は?」
「そんな人だとは思いませんでしたよ! お……女の子をこんな所で! 奥さん泣きますよ!」
「は……はぁ!? リン、お前、何を勘違いしてんだ……」
克臣は眠る少女の頭を膝に乗せていたのだ。普段とは別の意味で赤面するリンをいなし、肩を落とした克臣は笑うジェイスに視線を送った。
「笑ってんじゃねえぞ、ジェイス」
「ごめん、ごめん。勘違いが面白過ぎてついつい……。リン、克臣の訂正をさせてくれ」
ジェイスはリンに話した。魔女が去った直後、その場に残っていた者がいたのだ。ほとんどは魔女と共に去ったようだったが、克臣の膝に体を預けている少女は気を失ったのか倒れていたのだ。ちなみに、残った少女は克臣が捕らえて魔女を脅した際の女ではない。彼女は魔女に操られるように、ふらりと去ったようだ。
リンは少女を見下ろした。ボブヘアの黒髪が数本顔にかかっている。他の女達とおそろいの白い羽織の下は、若い女性らしい藍色基調のワンピースである。
「とりあえず、ここに残して行くわけにもいかないし、一度人里に下りようか」
ジェイスの提案に賛成し、克臣は少女を背負った。
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