第46話 焦る心

 目を覚ますと、そこは良く知る自室だった。天井の板の木目に見覚えがある。ベッドの感触も知っている。リンは安堵し、それと同時に記憶が戻って来た。

(そうだ、晶穂!)

 がばっと上半身を起こすと、ベッドの横にある椅子に座った人物が驚きの声を上げた。

「うわっ、びっくりした。……大丈夫か、リン?」

「……克臣さん」

 目を見張っていた克臣は、安堵の表情を浮かべた。とそこへ、水差しを手にしたジェイスが戸を開けた。

「おお、ジェイス。リンが目覚めたぞ」

「見たらわかる」

「……バッサリだな」

 不平を言う克臣を捨て置き、ジェイスはコップに水を注いでリンに手渡した。それを受け取り、口に運ぶ。爽やかな冷たさがリンの喉を駆け抜けて行った。

「ありがとうございます、ジェイスさん」

「それはいいよ。……それより、昨日は何があったんだい?」

「……昨日。一日寝てたんですか、俺」

 リンが呆然と呟くと、克臣は窓の外を指差した。確かに、赤く燃える西日がこちらを照らしている。夕焼け色に染まった室内は、会話内容とは正反対に淡く明るい。

「もう夕方だからそうなるかな。……それより俺にも聞かせろ、リン。サラもここにはいないが心配してる。後で話してやるつもりだがな」

「ええ。……実は」

 促され、リンは重い口を開いた。晶穂が最後に見かけられた商店街の占い屋。そこで出会った魔女と名のる女。彼女が晶穂の姿をしていたと知った時、克臣が「なんだって!」と叫んだ。彼にデコピンしたジェイスが冷静にツッコミを入れる。

「克臣、五月蠅い」

「だ、だってさ、ジェイス。それって、禁じられた秘術の類じゃねえか?」

 克臣が焦るのももっともだ。他人の体を乗っ取り操るという術は、古くからその存在は知られていた。自分の精神を他人に同調させ、その意識を奪う。自分の体は空っぽになるが、安全な場所に横たえておけば問題はない。タイムリミットは存在するが。他人の体を利用するために昔の魔術師が使っていた。しかし、それは乗り移られた他人の精神などに影響を及ぼすことが発覚し、禁じられた魔術となった。

 それを聞き、今度はリンの顔に焦燥が浮かんだ。乗っ取られた側に影響が出るのであれば、ユキのように記憶を失くしたり、もしかしたら命まで失くしたりするかもしれないということではないか。そう言うリンに、ジェイスは真顔で頷いた。

「……最悪、そんな事態も考えられる」

「おい、ジェイス」

 言い過ぎだといさめる克臣に、ジェイスは首を横に振った。

「いいんだ、克臣。リンに上っ面の安心感を与えても仕方がないよ。そうだろ、リン?」

「……はい。だけどその可能性を出来るだけ減らしたい。そのためにも、早く晶穂から魔女を引き剥がさないと」

 身を起こしたリンがふらりと上半身を揺らした。それを支え、克臣が苦笑する。

「焦るなよ、リン。まずは体を回復させることが大事だ」

 でも、と食い下がる年下の団長を宥め、克臣は、

「安心しろ。どうせあの占い屋に行っても魔女はいない。もう逃亡してるさ。やつの所在を探す役目は俺達が担う。その間に体を休めとくんだな」

 と笑った。克臣はそのまま、ジェイスと共に部屋を辞してしまう。

 彼らを見送り、リンは横に首を振った。今は何かを考え想像で焦っても仕方がない。分かってはいるのだが、気持ちは逸る。

「……何で俺は、こんなに焦ってるんだ?」

 自分でも名をつけられない感情に苛まれながら、リンは体を横にした。


 その頃、克臣とジェイスは食堂にやって来ていた。中に入ると奥の席に陣取っていたサラが顔を上げた。

「克臣さん! ジェイスさん!」

 眉を八の字にしたサラの横に、恋人であるエルハの姿もあった。

 エルハは日本で雑貨店『アレス』を営む人間だ。銀の華の構成員の中で純粋な人間は少ない。多くの人間の意見では、吸血鬼と獣人は人間ではないらしい。

 エルハは肩にかかる長さの黒髪を後ろで束ね、垂れ目がちな茶色の目を二人に向けた。

「お久しぶりですね、二人とも。サラがメールと電話を繰り返すもんで、こっちに来ちゃいました」

 そう言って微笑むのは口元のみだ。目は笑っていない。僕の恋人にどんな顔をさせてるんだ、と目で言っている。克臣とジェイスの方が年上なため、口では何も言わない。けれど、その感情を二人はひしひしと感じた。

 顔を引きつらせながらも、克臣は敢えてそれをスルーした。ジェイスと共に彼女らの向かい側に腰を下ろす。

「えーっと、リンによれば、サラが行った魔女の園で、晶穂の行方の手がかりを見つけられたらしい」

「本当ですか!? よかった……。でも、リン団長は気を失ってましたよね? あたしがお二人に連絡した後に何があったんです?」

 身を乗り出すサラを落ち着かせて席に座るように促し、ジェイスが話の後を引き取った。

「それのことだけど、大変なことがあったんだ……」

「大変なこと……」

「それは?」

 ずいっとこちらに身を乗り出すサラの瞳を見つめ、ジェイスは静かに告げる。

「うん。実は、晶穂が身体を魔女と名のる女に乗っ取られたようなんだ」

「乗っ取られた!」

「……ジェイスさん、それは秘術ですよね。しかも相手に与えるダメージが大きい部類の」

「エルハ、その通りだよ」

 ジェイスは二人にリンから聞いた出来事を全て話した。聞き終わった時、サラとエルハは口を閉ざし、眉間にしわを寄せている。突然ガタリと音を立てて立ち上がったサラは、猫耳をぴょこんと立てて叫んだ。

「本当に、大変じゃないですか! ここでのんびりしてる暇はないです! 早く、早く晶穂を助けないと……」

「何処に行くつもり、サラ?」

 慌てて食堂を出ようとするサラを冷静に呼び止めたのはエルハだ。何か言いかける彼女を遮り、

「ジェイスさん達だって、これから何もしないわけないよ。その魔女っていう女の行方を探すことから始めるんじゃないかな。ね、お二人とも」

「その通りだよ、エルハ」

 ジェイスは苦笑して答えた。克臣も隣で頷いた。彼らは手分けをして、ソディールと日本の両方で晶穂の行方を捜していた。その甲斐もなく、行方は掴めていない。占い師は何処へ行ったのか、全く分からないのが現状だった。

 その場の雰囲気を変えるためか、エルハが口を開いた。

「そういえば、昨日晶穂さんあてに電話がありましたよ」

「電話? 誰から」

「彼女が以前いた、孤児院の園長ですよ」

 晶穂はリンと出会って銀の華に入った後、女子大学生用のマンションを引き払ってエルハが家主を務めるアパートに住所を移していた。銀の華の地球部署、という位置づけになる。そこに実際に住んでいるわけではないが、役所や大学への届け出もこのアパートだ。

 店の休みだったため自宅兼管理事務所にいたエルハは、突然の電話の呼び出し音に慌てて受話器を取った。

「もしもし。アパートシルバーの管理事務所です」

「……もしもし。そちらに三咲晶穂という子がいるはずなのですが」

 六十代くらいの女性の声だった。落ち着いた聞きやすいアルトで、彼女は孤児院の園長を名のった。しかし晶穂は家に戻ってはいない。行方不明だと恋人から聞いていた。エルハは異常事態を察せられないよう、声色を落ち着かせた。

「ああ、三咲さんですね。……すみません、彼女は今、外出中のようです。帰宅したら園長先生からお電話があったと伝えておきますね」

「そうですか。落ち着いたら連絡すると言っていたのに、一向にくれないから心配していると伝えてください」

 そう聞いて、エルハは内心さもありなんと苦笑した。春から夏にかけて、晶穂が落ち着ける時はなかったはずだ。そんな彼女に落ち着いて連絡を遣せとは言えない。エルハは「わかりました」と答えて挨拶とした。

「……というわけです。まあ、この件は晶穂さんが帰って来てからのことですがね」

「そうだな。リンも疲労してる。あの子は休ませて、わたし達で動いているところだ」

「僕も気を付けておきます」

 エルハとサラは退室し、ジェイスと克臣は残った。広い食堂に二人分の吐息が響いた。


 それから一週間が過ぎた。リンは大学に通いつつ、晶穂の体を奪った魔女の行方を捜索していた。しかし『魔女の園』はあの日を境に閉店し、商店街の組合長に尋ねても、何処へ行ったかは不明だった。克臣達も探したが、見つからない。

 たった一人の娘を探すために何故こんなにも必死になるのか、と思うものもいるかもしれない。だが銀の華にとって晶穂は大事な仲間だ。仲間が消えたのに日常生活を送れるか、というのが言い分である。

 ……更に魔女は、銀の華にとって敵であるという認識もある。どうしてそう考えるのかと問われても、直感だとしかリンには答えられない。

「……何処に行ったんだ、晶穂」

 大学構内は、いつもと何も変わらない。学生たちが数人グループで歩いていたり、一人で資料を抱えて急いでいたりする。更にカフェテリアでは、近所の女性たちがお茶を飲む姿もあった。

 学生一人が一週間も姿を見せない。それは異常事態だが、多くのその存在を知らない人々にとっては気付きもしない事柄だ。騒ぎになっても煩わしいため、リンはエルハから大学に連絡を入れてもらっていた。病気療養のため、しばらく休学すると。

 晶穂は単位もきちんと取っていたし、まだ卒業まで時間がある。いつ戻って来るかわからない以上、そうするしかなかった。

 胸騒ぎは収まらない。リンは大学構内を移動しながら、奥歯を噛み締めた。




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