第44話 行方不明再び
狩人との決戦を終えてから、数週間が経過した。秋の色彩は濃くなる一方だ。
晶穂は未だ答えを出せぬまま、大学からの帰り道に商店街をぶらぶらと歩いていた。
「答えは、焦らなくていいよ」
ジェイスはそう締めくくった。彼の話は荒唐無稽なようにも思えたが、それは事実なのだと瞳が語っていた。
迷いがなかったはずの晶穂の心に、波をたてる程度には。
幾つかの店舗を通り過ぎた。どの店も学校帰りか会社帰りの人々がいる。客を引く呼子の声が耳を抜けていく。
「先輩に相談したいけど、困らせるだけだろうしな……」
それどころか、きっと反対される。
晶穂は小さく息をついた。
リンとは毎日顔を合わせる。学科も専攻も異なるリンとは、大学構内では見かける程度だ。気さくに話しかければ、いつかの頃のように彼のファンに詰め寄られるだろう。
数日前の昼休み。晶穂は図書館に調べ物をしに行った。その時、偶然和綴じの本を前にしているリンを見かけた。壁際の机に向かって大学ノートを開き、シャープペンシルを手にしていた。真剣に読むそれは『古神事』に違いない。
晶穂はリンに声をかけることなく、自分のレポート作成に必要な本を数冊借りてその場を後にした。
その時のことを思い出し、晶穂は無意識に下を向く。
「どうかされましたか?」
顔を上げると、気遣わしげにこちらを見つめる女性がいた。長い髪を背中に伸ばし、買い物バッグを下げている。女性の瞳に視線が吸い寄せられる。
「……何処かで、お会いしましたか?」
「……いえ。宜しければ、うちにいらっしゃいませんか?」
「……はあ」
女性は柔和な笑みで晶穂を誘った。何故かぼおっとする頭を抱えたまま、晶穂は緩慢に首肯した。
一方のリンは『古神事』という手がかりは手に入れたものの、神子の存在を現世で見つけられるか分からずに苦悩していた。
「……こんな力を持つやつなんて、この世にいるのか?」
銀の華という組織をまとめる者として、ソディールという世界にはある程度精通しているつもりだ。だが、治癒の力は貴重だ。そんなものがあれば医者はいらない。これまでに出会ったことがあるのは、村の長老や術師をしているという数人のみだ。その者達に神子のように血で魔と対峙する力があるとは思えない。
「じゃあ、地球か?」
この世界では、リンは新参者だ。これから日本全国を巡り、世界に出るとしても広過ぎる。ソディールは一つの大陸で事足りるが、地球はそうもいかない。
それに、そんな特殊能力のある人間がいたとして、このご時世にネットで騒がれない方がおかしかろう。
「……しかしな。この神子の特徴を示したらしい文章……」
リンはページをめくった。「神子というものは」で始まるその一文を指でなぞった。
「まさか、な」
リンは一息つき、仮定を振り払った。シャープペンシルを構え、ノートに内容をまとめていく。
―――神子というものは、青い光を宿す者。男女を問わず。
神に愛でられし力を得たもの。自らの血で矛を創り出せるもの。
矛を用い、魔と渡りあう者。
ただし、矛は、神子の玉を奪うものなり。
―――玉、とは、
帰宅後、リンは焦った顔のサラに出迎えられた。出迎えられたというより、玄関を開けたら鉢合わせしたという感じだ。
「どうしたんだ、サラ」
「あっ、リン団長!」
探しに行こうと思ってたんです。そう言われ、リンは胸騒ぎを感じつつ彼女を落ち着かせようと玄関ホールの椅子に座らせた。
「で、どうした?」
「はい。……実は」
次の言葉を聞いた瞬間、リンは扉を力任せに開けた。その姿は瞬時に向こうの世界へと消えた。
「実は、晶穂がまだ戻って来ないんです」
走りながら腕時計を見る。針は二十一時を示している。図書館は二十時半まで開いている。三限以降何もなかったため、閉館ぎりぎりまでそこにいて、リンはリドアスに帰って来た。そういえば、今日は昼過ぎから晶穂を見ていない。
「くそっ……。何処だ、晶穂!」
扉をつなげたのは大学近くの商店街だ。リンは夜の町で名を呼びながら、駆けまわった。
しかし、彼の悲痛な叫びに応える者はいない。ひっそりと静まり返った商店街は、冷風が吹くのみである。
息を荒げ、リンは傍にあった電柱に手をかけた。
「マジで何処行った。……あいつ、何度いなくなれば気が済む……」
そこで言葉を飲み込んだ。
真っ暗な商店街で一つだけ、明かりのつく場所があったのだ。
「……こんな店、あったか?」
人気もない商店街で店を開ける意味もないだろう、と勝手な心配をしてしまう。しかし、ここなら消えた晶穂を見つける手がかりを得られるかもしれない。リンはその店舗の戸をたたいた。
その店の名は『魔女の園』。どうやら店構えから占い師だと見当をつけた。
コンコン
「夜分遅くにすみません。ちょっと伺いたいことがあるのですが……」
「はい。お待ちください」
ガチャリと戸を開けたのは、目深に濃紺のフードを被った正統派占い師といった体の女性だ。髪もフードの中に隠れているため、声で性別を判断した。落ち着いた透明感のある声音から、彼女は年若いのだろうと思う。
「何をお知りになりたいのですか?」
「この辺で俺と同じくらいの歳の女子を見ませんでしたか? 身長はこれくらい。髪は灰色で、確か今日は白いシャツにブラウンのスカートをはいていたはずで……」
「……よく見ておられるんですね」
「は?」
口元に指を当てて笑う占い師に、意味が分からないといった目で問い直したがはぐらかされた。占い師は笑いを収め、記憶を辿るように細い指を顎につけた。
「そうですね……。申し訳ないです。ここは大学生が多い商店街ですので、似たような子はよく見ます。貴方が探す子もいたかもしれませんが、営業中に外に出ること自体が稀ですので……」
「そうですか。……いえ、いいんです。ありがとうございました」
「お役に立てず、ごめんなさい」
戸が閉まり、リンは息を吐いた。このまま夜の町を探し回っても見つかる気はしない。一度リドアスに戻って出直そうと決めた。
扉を占いの店近くの店舗跡に創り、リドアスへの道を開く。
扉をくぐる直前、「そういえば」とリンは思った。
「あの占い師の声、何処となく、あいつに似ていた……」
女の声は男よりも高いことが多い。そういうこともあるだろうと結論付け、リンはさほど疑問視せずに商店街を後にした。
声が聞こえた。わたしを呼ぶ声。
けれど、目は開けず、その声の主を確かめることは出来ない。
それどころか、体の自由がない。
まるで、鎖のようなものに拘束されているような感覚だ。
―――あなたを、探していた。
ひんやりとした指が頬に触れた気がした。
ああ。わたしを呼ぶ声が、彼のものであったら良いのに、と。
上手く動かない頭で、願った。
消息を絶った晶穂は、翌日になってもリドアスに帰って来なかった。大学にもおらず、リンは焦燥を募らせていた。
「わたし達も伝手を頼ってるけど、まだ良い返事は得られてないよ」
「俺も同じだ。念のため、会社帰りにあの子が行きそうな場所を巡ってみたが、形跡は見つけられなかった」
「もう、晶穂は何処に行ったの!?」
「……サラさん、それはみんな言いたいことだよ」
「わかってるよ、ユーギくん。でも、叫ばずにはいられないのっ」
無言で焦るリンの横で、わいのわいのとジェイス達が報告し合っている。トントントンと無意識に机を指でたたいていたリンは、それを止め、据わった目で全員を見渡した。
「……明日、もう一度大学で聞き込みをしてくる。サラはあいつがふらっと戻って来ないとも限らないから、ここで待機」
「わかりました」
「克臣さんは仕事に行ってください。平日ですし。何か分かればスマホに連絡します。ジェイスさんにも」
「ああ」
「わかったよ」
「ユーギはユキを頼む。面倒見てやってくれ」
「任せてよ!」
それぞれに指示を出し終え、皆が去った会議室の椅子の背に体を預けた。意識せずに「はあ」と息が漏れる。一人残った克臣が苦笑した。
「大丈夫か、リン?」
「ぜんっぜん。狩人の件は解決したはずなのに、何であいつがまた消えるんです? ダクトは封印しましたし、主だった元狩人は別の道を進んでいると分かっています。……まさか、下っ端が狩人復活を企んでるんじゃ……!」
「はい、そこまで」
「痛っ」
ぺしん、とリンの頭に丸めた紙がたたくように置かれた。見れば、克臣がこちらを見て困った顔をしている。リンは無性に恥ずかしくなり、下を向いた。
「……こんなに焦るリンを見る日が来るとはな」
「は?」
「いや、こっちの話」
しみじみとした口調に異議を唱えかけたリンに、にやりと口端を吊り上げた克臣が目線を合わせた。
「まずは落ち着け」
「……はい」
「ま、お前が焦る気持ちも分かる。大事な人が消えたんだ。そりゃ、そんな風になるよな」
うんうんと頷く克臣に、呆然とさせられたリンは、慌ててその発言を撤回させにかかった。
「……大事な? いえ、そんなんじゃないです。あいつは、俺達の仲間です。それ以上でも以下でもないです!」
「照れるなって」
「照れてません! 話を元に戻しますよ!」
やや食い気味に克臣の発言を否定すると、リンは姿勢を改めた。
「……俺は明日、大学で晶穂の知り合いをあたります。克臣さんはいつも通りにお願いします。家族がいるんですから、そちらを優先してください。勿論、何かあった時はお願いします」
「わかった。ま、前回怪我した時は奥さんに怒られたからな」
「……怒られたんですか。心配されたとかではなく?」
目を瞬かせ、リンは疑問符を頭に浮かべた。克臣は苦笑し、続けた。
「……泣きながら怒られたよ。『何であなたは、私たちの知らない所でいつも怪我して帰って来るのよ!』ってな」
「……」
「ああ、心配かけてんな、て思ったわ」
お前も、お互いにそうなんだろうよ。そう締めくくり、克臣もリンの前から去って行った。置いて行かれたリンは、無言で腕を組んだ。
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