第43話 神子という可能性

 夕食後、リンは廊下でジェイスに声をかけられた。

 男性としては長めの黒髪を後ろで縛り、ワイシャツ姿が爽やかだ。彼が街中で女性に声をかけられるのも肯ける。ジェイスは黄色い目を細めた。

「ユキくんの様子はどうだい?」

「相変わらずですよ。今日は『時間忘れの森』に行きましたが、何か思い出した様子はないです。……まあ、楽しそうではありましたが」

 わずかに歯噛みするリンに頷き、

「リン、書物の方は?」

 リンは首を横に振った。ゆっくりとした動作だ。

「そう。……じゃあ、これを読んでみると良いよ」

「……この本は?」

 ジェイスに手渡されたのは、和綴じの本だ。表装は薄汚れ、相当古い書物であることが分かる。和綴じはこの世界では珍しい綴じ方だが、全くないわけではない。昔は一部の書物に使われたと聞いたことがある。リドアスの図書館にも十数冊はあったはずだ。

「これは、何処で?」

「図書館の奥……と言いたい所だけど、我が家の書庫だよ。先祖の誰かが古文書の蒐集家だったようでね。蔵になってるんだ。先日整理をしていた時、偶然見つけたんだよ」

 ジェイスは幼い頃ぎんの銀の華に引き取られて育った。引き取られた際、彼の先祖のものだという蔵書も共にやって来たという。ジェイスにはその頃の記憶はほとんどないため、又聞きでしかないが。

「……ジェイスさんちって、何者なんですか?」

「それはわたしも知りたいね」

 底なしな気がするリンである。ジェイスは手を顎に乗せて笑った。

「この本の名は『古神事ふるかみのこと』」

「……ふるかみのこと……?」

「そう。古い時代の、言うなれば物語集だ。だけど、真実も多いらしい。そういう部分は、古事記や日本書紀と似ているね」

「へえ……」

 リンは紙を破かないよう、慎重にページをめくった。

 最初に出てきたのは、序文だ。これを制作した著者の詞書ことばがきである。今回欲しい情報がここにあるとは思えない。気にはなるが、読むのはまたの機会としよう。

「え、と。目次があるな……」

 古い字体のオンパレードだ。古語を読むのはあまり得意ではないリンだが、廊下に置かれた椅子にジェイスと座り、解読にかかった。

 目次を指で追う。幾つもの面白そうな物語が並ぶ。リンは読みたい衝動に駆られつつもそれを抑え込んだ。

 ある題名の箇所で指が止まった。

「『神子のこと』……?」

「かみこ、じゃない。それは『みこ』と読むんだ」

 そこを読んでみるよう薦められ、リンは該当ページを開いた。




 ある時、女がいた。

 女は村に住み、家族がいた。

 女には、理解し難い力があった。触れるだけで人の怪我を治癒し、動物さえ治療した。

 女は敬われ、また恐れられた。家族さえ、女を敬遠した。

 女は孤立し、神に救いを求めるようになった。

 いつしか村人には忘れられ、女は森で彷徨うようになった。


 ある時、女は男に出会った。

 男は言った。わたしはあなたと同じだ、と。

 男は語った。自分にも治癒の力がある。そして、その力は、神に与えられたものなのだ、と。

 女は微笑んだ。男という同志を得たのだ。自分が一人ではないと分かった。

 それから、二人は話した。

 いつしか恋し、二人は結ばれた。


 ある時、女の生まれた村に魔がやってきた。

 魔は村人を食い荒らし、魔を振りまいた。

 女は村を救おうとした。

 男は止めた。危険過ぎた。娘と息子が生まれ、この幸せを手放したくはなかった。それを女もわかっていた。けれど。

 女は振り切った。

 そして……。


 


「……『そして、女は自らの血を用い、矛を創り出した』?」

「そう。そして、『女は魔を浄化し、村を救った』」

 リンの後を引き継ぎ、ジェイスが文章を読み上げた。

「……これとユキの記憶喪失と、何の関係があるんですか?」

「大有りなんだ」

 そう言って、ジェイスは一文を指した。リンが読み上げる。

「『矛を振るい、魔を浄化したのだ』……え、まさか……」

「そのまさかだ」

 リンはジェイスの言わんとすることが分かった。

「……この神子を探し出して、ダクトを浄化してもらおうって言うんですか? 確かにダクトがユキの記憶を奪ったのは間違いないですけど、居もしない伝説上の神子を探せなんて、それこそ荒唐無稽ですよ!」

「……だからジェイスが言っただろ? 『真実も多い』ってさ」

「……克臣さん、いつの間に」

 会社帰りだと言う克臣が目の前に立っていた。いつから話を聞いていたのか、無邪気な光を放つ黒目を細めている。

「……ってか、真実?」

「そ」

 克臣はジェイスに詰めてもらい、椅子に腰かけた。

「いるんだよ、その神子は。数百年に一度、この世に生まれ落ちるんだと。そして、今世もいる。特別な力を持つ、吸血鬼とは異なる人物が」

 ごくり、と喉を鳴らしたリンに、克臣は勿体つけて「その人物は……」と前置きをした。その上で、

「わからん」

 がくっ

 リンは盛大にずっこけた。体勢を立て直し、克臣に詰め寄る。

「分からないんですか!?」

「ああ」

「そうなんだよ。神子だと一目でわかる目印でもあればいいけど、そんなものは聞いたことないし」

 がくりと項垂れたリンを慰めるように、克臣が彼の肩をたたいた。

「ま、手がかりは掴めたんだ。むやみにユキを連れ回すよりはいいじゃないか」

「……手がかりって言っても、雲を掴むような話ですよ……」

「それでも、何もわからないよりはいい」

 ジェイスにもそう言われ、リンは不承不承の体でその場を辞した。自室に帰るためだ。その手には『古神事』がたずさえられている。

 廊下の奥へ姿を消したリンを見送り、克臣は幼馴染を振り返った。

「……で、心当たりはあるんだろ?」

「ああ。それも、とても身近な子だ」

どすん、とジェイスの隣に腰を下ろし、克臣は腕を組んだ。

「俺とお前、考えてる名前は同じだな。多分」

「……だが、確証はない」

「まあな」

 そんな会話が交わされてるとは露知らず、リンはその頃『古神事』を読むことに没頭していた。


 晶穂は同じ頃、一香とシンのいる祠に来ていた。

 祠の前に腰を下ろし、じっと中を見つめた。

「どうなさったんですか、晶穂さん」

「一香さん。いえ、様子を見に来たんです。ダクト――封印されたものがそこにいるのかを」

 立ち上がった晶穂はそう答え、胸に飛び込んできたシンを抱きしめた。シンは気持ち良さそうに喉を鳴らすと、大人しく身を晶穂にゆだねた。シンのおなかを指で撫でてやる。

「お掃除ですか?」

 一香は竹ぼうきを手にしている。その様子から尋ねると、一香はそうです、と答えた。

「やはり、掃除は必要なので。秋に差し掛かり、落ち葉も多くて」

「もうそんな季節なんですよね……」

確かに紅葉した美しい葉が落ち葉となって降り積もっている。中庭には巨木があるため、掃き掃除も骨が折れそうだ。

「晶穂は、もうやることは終わったのか?」

「うん、そうだよ、シン。……あ、護身術の稽古がまだか」

 腕時計を確認すると、もう針が七時半を示していた。そろそろ行かなければ、ジェイスを待たせてしまう。

せわしなくてごめんなさい。また明日」

「ええ、頑張ってくださいね」

「明日ね~」

 一人と一匹に見送られ、晶穂は稽古場所である裏庭を目指して走り出した。


 シュンシュン、と勢いよく拳が繰り出され、足を回すのも板についてきた。

「はい、そこまで」

 ジェイスの合図で動きを止め、晶穂は姿勢を真っ直ぐに直した。息が上がり、肩で息をしている。

 晶穂の動きを注視していたジェイスは、真面目な表情から破顔した。

「うん、前よりも切れが良くなってる。自主練の成果かな?」

「本当ですか! よかった、ありがとうございます」

 休憩とし、二人は並んでベンチに腰かけた。持参した水筒の蓋を取りお茶をあおった晶穂は、隣で同じく水筒から紅茶を飲むジェイスを見た。

「どうした?」

「……いえ。ジェイスさんや克臣さんは、ユキくんの記憶を戻す方法を見つけたのかな、って思っただけです」

「そのことか。……そういえば、今日はリンとユーギも一緒にユキの記憶を戻すために森へ行ったんだって? リンに聞いたよ」

「はい。何かのきっかけになればと思ったんですが、効果はなかったみたいです」

 苦笑いする晶穂に、「そんなことはないよ」とジェイスは微笑みかけた。

「ユキが楽しんだのなら、それでいい。楽しめるということは心の余裕があるってことだし、小さな一歩だよ」

「それならいいんですけど。……根本的解決にはなってないので」

「晶穂……」

「わたしにも、何か出来ることがあればいいんですけどね」

 遠くにある月を見上げて、諦めたように晶穂は微笑んだ。その横顔を見つめていたジェイスは、一時考え込んだ。

「……ジェイスさん?」

「いや……」

 何か、思い悩んでいる顔だ。そう晶穂は思った。自分に対して言うべきか否か、考えているのだ。あと一歩を背中から押すのは、晶穂自身でなくてはならない。

「……ジェイスさん、何かあるのなら教えて下さい。わたしに出来ることがあるのなら。……先輩に笑ってほしいんです。ユキくんにも心から。だから、お願いします!」

「晶穂……」

 虚を突かれたジェイスは、まじまじと頭を下げる晶穂を見つめた。しばらく頭を下げていた晶穂は、頭上に溜め息を聞いて顔を上げた。

「……確かに、わたしが思っている方法がある。けれどそれは、君を傷つけるだろう。――それでも、聞くかい?」

 傷つくと聞き、晶穂は一瞬怯んだ。しかし、意を決して頷いた。

「―――はい。きっと、それが唯一の方法です。わたしに出来ることなら、全力で。大切な人たちの笑顔が見たいんです」

「分かった」

 この子の決意は固いようだ。ジェイスはその思いを受け、リンにも話した物語を晶穂にも話すことにした。そして、もう一つの可能性も。

 ジェイスの語り出した物語に、晶穂は目を見開いた。

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