第40話 ともだちごっこ

 翌朝は快晴だった。

 陽がようやく昇り始める中、リドアスの中庭に刃の閃きがあった。

 ヒュンヒュン

 空気を斬る音が響き、風圧でわずかに花が揺れた。

 建物の中からそれを見ていたジェイスは、音を立てないように戸を開いた。それから中庭の岩に腰を下ろした。気配でそれを感じただろうが、斬音は止まない。

 五分後、汗をぬぐった青年に向かい、ジェイスは微笑みかけた。

「朝から精が出るね、リン」

「ジェイスさん、おはようございます。……実はよく眠れなくて、時間を持て余したんです」

 頭をかき、そっぽを向いてリンは呟いた。

「へえ、眠れなかったんだ。珍しいな」

 何故眠れなかったのか、とは問わない。少年の顔を残した青年になり切れぬその横顔で見当がついてしまったからだ。ジェイスは「微笑ましいなあ」と可笑しくなった。

「それはそれとして、ジェイスさんも早いですね。何か用事でもあったんですか?」

 リンは誤魔化すように話柄を変えた。それに乗ってやることにしたジェイスは、空を見上げた。

「特に何かあるわけじゃないよ。わたしも目が覚めたから、朝の涼しい空気を感じておきたくてね」

「確かに、九月とは言えまだまだ暑いですからね……」

 と、リンは同意した。

 ユラフへの旅の途中は夢中だったからかそれとも気を張っていたからか、はたまた気候の気まぐれか、それほど暑さを感じなかった。しかし今は違う。昼間になれば日本同様に暑いのだ。

「そういえば、夏休みの課題は終わったのかい?」

「……流石に大学生ですから。レポートが一つあったので、前半には終わらせました」

「そうか。……晶穂は中盤までかかったようだったけど、レポートを手伝ってあげたって?」

「そ……何故それを」

「ふふ。サラから聞いたんだ。サラは晶穂から聞いたと言っていたけどね」

 リンはばつが悪いという顔でいたが、気を取り直した。こほん、と咳払いを一つした。

「……そういえば、書類を読みました。元狩人達のこと」

「早いね」

「眠れなかったんで、昨夜のうちにほとんどの書類には目を通して、必要なら判を押してあります。元狩人の一部が盗賊や山賊化しているそうですね」

「そう。拠点があった南の大陸での目撃例と被害が多い。彼らは獣人や吸血鬼が多く住む地区を狙って犯行を繰り返しているようだ。そんなことをしては彼らのためにもならない。これ以上の凶悪な罪を犯させないためにも、何人か派遣した方が良いのでは、という依頼だよ」

「それ、依頼と言うより要請ですよね。というか、命令?」

「確かにね」

 リンはその場で数名を地元の自警団に合流させることを決断した。リクトとサクに頼もうと思い、それをジェイスに頼んだ。

「わかった、任せて。……それはそうと、リン」

「? 何ですか」

「……遅れるよ?」

 ジェイスが腕時計をリンの目の前に見せた。その針は、八時前を指している。リンはまだ朝食を摂っていない。その他の準備をして扉を通って大学近くに移動する時間も必要だ。

 講義開始は九時。あと、一時間だ。

「まずっ」

 リンは踵を返し、戸を蹴破るように開けて走っていった。その姿を目で追い、ジェイスは目を細めた。


 食堂に走り込むと、見慣れた数人がこちらを見つけて手を振った。

「団長! おはようございます」

「ああ、ユーギ。おはよう………あ」

 リンは目を見開いた。その先にいた少女は、わずかに視線を右にやり、こちらを直視はしない。

「お、おはようございます……」

「あ、ああ……」

 微妙な空気が流れる。ユーギは意味が分からず首を傾げていたが、思い出したように隣にいた小さな肩に手をかけた。

「そうだ、団長。ユキくんが一緒なんだよ!」

「おはようございます、団長さん」

「おはよう、ユキ。よく眠れたか?」

 晶穂はリンの瞳に一瞬だけ過った寂しげな感情を見た。それは瞬時に消えたが、

(やっぱり、寂しいんだ)

 と思わせる笑みだ。その顔を見ると、晶穂の胸の奥が軽く痛む。

「俺もこれから飯なんだ。朝から講義だってのに、別のことしててな」

「じゃあ、ユーギやユキくんと一緒に食べてはどうですか? ……わたしは、先に戻りますけど」

 晶穂の盆上の皿は空っぽだ。今朝はサンドイッチとサラダにした。昼食は前期と同様に学食で食べるつもりだ。

「あ、ああ。そうだな」

「ぼくらは歓迎だよ!」

「うん、ぼくもです」

「悪いな。ユーギ、ユキ」

 リンは食事を取りに行くため、席を離れた。すぐに戻って来ると、その手に持った盆には玄米のご飯と味噌汁、焼き魚に煮物という純和食がそろっていた。彼はカレーライスや唐揚げなども大好物だが、朝食は米かパンと決めていた。そしてどちらかに決めた場合、米なら和食、パンなら洋食にするのである。

 ユーギとユキの前にはご飯とオムレツがあった。野菜も食べろよ、と笑いつつ、リンは茶碗を手に取った。

 晶穂は食堂を離れ、自室へ戻った。茶色のショルダーバッグにテキストやノートを詰めていたが、ふと手が止まった。

「……だめだ。思い出したら効率が下がる……! 何か、別のことを考えよう」

 ぶんぶんと首を横に振り、頭を切り替えた。まずは講義のことを考える。今朝は基礎演習から始まるはずだ。それから語学だ。英語が苦手な晶穂だが、これは必修なため避けられない。

「あ……」

 大学のことを考えていた彼女は、一人の友人のことを思い出した。その友人とは入学直後に仲良くなったはずだったが、狩人との争いを通じ、彼女の別の顔を見てしまった。それをきっかけに、関係性は変わった。

「……美里。もう、会えないのかな」

 ツインテールを揺らす少女。高崎美里ことアイナ。彼女の無邪気な笑みと狡猾そうな笑み。そのどちらが本当の彼女だったのか、今では分からない。

 晶穂は鞄の口を閉じ、肩にかけた。

 そろそろ時間だ。出かけなければ。

 玄関に行くと、朝食と準備を終えたリンが所在なさげに立っていた。こちらに気付き、軽く右手を挙げた。

「……行くぞ」

「はい」

 ぶっきらぼうなその仕草と正反対の、言葉に隠された穏やかさと優しさ。それが晶穂に落ち着きをくれる。

 二人は並んで、扉をくぐった。


 大学は前期と変わりなかった。変わったことといえば、学生や教授の服装や植木の葉の色、売店や食堂のメニューくらいのものだろうか。

 しかし晶穂にとって、特別に変わったことがある。

「……美里、はいないよね」

 高崎美里の存在だ。前期には毎日のように目にした彼女の姿がない。同じ講義を受けていたはずなのに、その講義に姿を見せない。同じ教室にいた顔見知りに美里のことを尋ねると、

「そういえば、あたしも見てないよ、高崎さん」

 と言う。忘れられたというわけではないようだ。その点は安心したが、別の女子学生の言葉が晶穂の目を見開かせた。

「そういえば……高崎さん、大学辞めたらしいよ」

「え……」

 ダイガクヲヤメタ?

 どういうことかとその学生を問い詰めたが、それ以上は知らないと言うだけだ。

 学生課に問い合わせたところ、その学生の話が正しいと分かった。退学理由は、

「一身上の都合」

 便利な言葉である。それで本当に退学出来たのかは教えてもらえなかった。

 もやもやした気持ちを抱えたまま、晶穂は一日を過ごした。

 放課後、晶穂は久し振りに大学近くのショッピングモールへとやって来た。賑やかな笑い声や話し声が、晶穂の気持ちを明るくしてくれた。

 ウィンドーショッピングをしつつ歩いていた時、ふと曲がり角を曲がるツインテールが見えた気がした。

 晶穂はもしやと思い、慌てて角を曲がった。確かに、見慣れた背中が数メートル先に見えた。晶穂は思わず叫んだ。周囲の人が振り返るくらいの声量で。

「美里っ!」

 ツインテールの少女は振り返らなかった。しかし人違いではないという証拠がある。呼んだ途端に速足になったのだ。晶穂は走って彼女の前に回り込み、通せん坊をした。

「……何?」

「何、じゃないでしょ。行方を絶って、どんだけ心配したと思ってるの? 大学に行ってもいないし、退学したっていうし……もうびっくりしたよ」

「……」

 ふいっとそっぽを向き、美里は「どいてよ」と晶穂の肩を掴んだ。その握力に屈しかけたが、晶穂は置かれた右手首を反対に掴んだ。

「……これで、逃がさない」

「くっ」

 晶穂はにやりと微笑んで美里の腕を肩から離すと、その手を取って引いた。美里は特に抵抗することなく、無言でついて来た。

 近くのベンチに誘い、美里を座らせた。自分もその隣に腰を下ろす。

「さ、今まで何処にいたのか、話してもらうよ?」

「はあ」

 美里は首を緩く横に振り、息をついた。

「……狩人がなくなってからどうしてたなんて、あんたに話すとでも思ってんの? 仕方ないからこれからのことだけ教えてあげる。私、義父と一緒にこっちに住むことにしたから」

「え……それ、ほんと?」

「あんた相手に嘘言ってどうする訳?」

 美里は一切晶穂を見ず、前を向いて言葉を紡いだ。

「でも、もう大学には行かない。星丘以外には行くかもしれないけど、それにしたって当分はない。……こちらで、二人で生きる術を探し、生きて行く」

 喜びかけた晶穂の顔が曇る。それは、暗にもう会えないことを指すのではないか。どこか遠い目をした美里は、おもむろに立ち上がった。晶穂を見下ろす形で口角を数ミリ上げた。

「……じゃあね、晶穂。あんたとの友達ごっこ、楽しかった」

 それだけ言うと、美里は今度こそ晶穂が何度呼んでも振り返らず、人ごみの中に去って行った。

「……友達ごっこ?」

 再びベンチに座り込み、晶穂は呆然と呟いた。

「嘘つき。ごっこなんて言って。……ほんとの友達だったよ、わたし達」

 雑踏が晶穂の言葉に被さり、消して行く。少女はしばし、その場で美里が去った方向を見つめていた。

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