第41話 今できるかもしれないこと

「様子はどうだい、一香」

「ジェイスさん、克臣さんも」

「あ~、ふたりとも」

 ジェイスと克臣は、夕時に祠を訪れた。西日に照らされた巫女の一香はシンを胸の前で抱えて二人を迎えた。

「よう、シン。元気そうじゃねえか」

「うん! 毎日ユーギ達と遊べるし、一香も優しいし、楽しいよ」

「ええ。シンはよくやってくれています」

 克臣の周りを飛び回って笑うシンの様子に安堵し、ジェイスは祠の中を覗き込んだ。

 木製の櫓のような祠には注連縄が張られ、奥にビー玉のような珠が置かれている。転ばぬようにヒノキの小箱に入れられたそれは、封珠であった。

 ジェイスの傍に寄り、一香が言う。

「封珠の様子に変わりはありません。静かに、その役目を果たしてくれています」

「ああ。シンの魔力も効いているんだろう。……これを封印するのではなく消滅させることが出来れば一番だけど、今はそんなことは出来ないから」

「そうだな、ジェイス。でも封珠に封印され続ける中で魔力が摩耗して、自滅するかもしれないじゃねえか」

「そうなれば良いけど。……克臣も知ってるだろ。ダクトが生身で死んだのはいつだ?」

「…………何百年か前、だな」

「五百年以上は前だ。それほどの魔力を持つ存在が、わたし達が生きている間に消えると、本気で思ってるのか?」

 ずいっと詰め寄られ、克臣は顔の前で手を振り、苦笑いをした。

「そ、そんなに簡単じゃないのは分かってるって。お前は心配性だな~あはっは」

「全く……」

 ダクトの封印は、きっと何年も何十年も、もしかしたら何百年もかかることになるかもしれない。自分の代で確実な方法を見つけられれば良いが、とジェイスは案じていた。

 険しい顔のジェイスを見かねた一香が微笑んだ。

「いつかのことを今考えても仕方ないです。それよりも、今どうにか出来るかもしれないことを考えては如何ですか?」

「今出来るかもしれないこと、か」

 丁度学校から帰って来た子ども達の騒がしい声が聞こえてきた。遠くからこちらへ向かって来る小さな影がある。逆光で見えなかったが、声で分かった。背中のリュックを弾ませて走って来る。

「おーい、シン!」

「あ、ユーギ!」

「お帰り、ユーギ」

「ただいまジェイスさん、一香さん、あと克臣さんも」

「おい、ユーギ。なんで俺が『あと』なんだよ!?」

「だって、克臣さんだし」

「扱い酷くないか?」

「日頃の行いのせいだろ」

「あ、ジェイスまで酷い!」

 そんなふざけを楽しんだ後、ジェイスはリドアスへ、克臣は日本の自宅へと帰ることにした。

 日本へつながる扉の前で、克臣は足を止めた。不思議に思ったジェイスがどうしたのかといいかけた時、

「ジェイス。リンのやつ、ここ最近元気ないよな」

 と、克臣が先に発した。ジェイスは頷く。

「ユキくんがあの状況だからな。無理もない」

「まあそうなんだけど」

 克臣はジェイスに体ごと向き直り、破顔した。

「俺達、何か出来ることを探そうぜ! 今回の狩人崩壊に俺は関われなかったからな、暴れてえんだよ」

「……お前らしいな」

「それに、あの小さいユキに忘れられてることが、俺自身も結構な傷なんだ」

「確かに、な」

 ジェイスと克臣はリンの幼い頃のことを知っている。それは、弟であるユキのことも知っているということだ。それこそ生まれて間もない頃から成長を見てきた。

「だからさ」

 克臣は泣きそうな顔で笑った。

「俺も、ユキに思い出してもらいたいな。この人見たことある、程度には。それがきっと、『今出来るかもしれないこと』だろ?」

「ああ」

「じゃ、明日な」

「また明日」

 克臣の姿が扉の向こうに消えた。いつも忘れそうになるが、克臣は日本に住むサラリーマンだ。妻と生まれて間もない子どもがいる。以前、子どもが生まれてから、リンに対する思いが少し変わったと話していた。ジェイスにはまだよく分からないが、いつか理解出来るだろうか。

「まあ、出来ることをしようか」

 ジェイスも克臣と同じだ。リンのつらそうな顔は見たくないし、無邪気なユキに自分を思い出してもらいたい。そのために、まずは資料集めだ。

 祠の方から子供達の笑い声がする。ユーギと共に学校に通い始めたユキもそこに交じっているのだろうか。ジェイスは自身の書庫へと向かうため、足を速めた。




 美里と出会った次の日は休日だった。晶穂はリドアス内の図書館に来ていた。

 リドアスから離れ、敷地の奥まった場所にある図書館は、所蔵冊数でソディール一の規模だと言われている。それだけに広大な敷地を持ち、地下二階に地上五階という高さもあった。

 晶穂は受付を済ませて館内を歩きながら、きょろきょろと視線を彷徨わせた。手に持った小型鞄が揺れる。薄オレンジのそれの中には何かが入っているようだ。

「えっと、ましょう、ましょう……」

 『魔障』とは、魔力によって生じた怪我や病気全般を指す言葉だ。護身術の稽古の際、ジェイスが教えてくれた。ユキの記憶喪失もそれに該当するだろう、と言うのだ。それが分かったのは昨日のことで、その名称を冠する書籍をあさっているはずだから、リンを呼んで来てほしいと頼まれた。彼は朝食も摂らずに図書館に籠っている。もう昼過ぎだ。

 入口で見つけたパンフレットによれば、図書館の本は分類され、その中で五十音順に並んでいるらしい。晶穂はまだソディールの書き文字全てを覚えたわけではないが、『魔力』の文字は読めた。一階から三階へと階段を上がり、大きな本棚が並び立つ一角を覗いた。

「リ……」

 黒髪の青年がいた。声をかけかけたが、彼の眉間にしわが寄っているのを見て、思い留まった。分厚い本を抱えて文章を目で追っている。

 リンがこの一角にいる理由は一つだ。ユキの記憶をもとに戻す方法を探すためだ。それ以外、彼の頭にはないだろう。

 ユキ自身は多少の不便さや違和感があるようだが、日々平穏に暮らしている。リドアスで生活にも慣れ、同年代や少し年上の子供達とも打ち解けている。

 彼が自分について疑問を持ち思い悩むことのないように何かしてやりたい、という思いは、晶穂も同じだ。

以前、ユキに訊いたことがある。

「忘れてること、思い出したい?」

 と。

 その問いにユキは首肯した。

「頭の中がもやもやして、気持ち悪いんです。何か大事なことを忘れてるみたい」

 それが本心なのだろう。きっと。

 晶穂は呼吸を整え、ゆっくりとリンに近付いた。トントン、と肩をたたく。

「なん……何だよ」

 振り向いたリンの頬に晶穂の人差し指が突かれている。晶穂はにこりと微笑み、手に持った鞄を指差した。

「お昼、食べません?」

 その時、館内の掛け時計がゴーンと時を知らせた。


 図書館内は飲食厳禁だが、テラスは違う。書籍を持ち込み、食事をすることも可能だ。時計の針は午後一時を指している。そのせいか、食事をする人は少ない。

 椅子に向かい合って座ったリンの目の前に、晶穂は鞄の中身を広げた。

 野菜と卵のサンドイッチだ。ジェイスには図書館から戻って来させるよう言われたが、晶穂はサラの助言を受け、食堂にあるものですぐに食べられるものを持って行くことにした。それがサンドイッチだ。

「リンさん、朝から何も食べてないって聞きました。休日とはいえ、三食は食べてください。いざという時、動けませんよ?」

「……これ、お前が作ったのか?」

 目を瞬かせるリンに、晶穂は微笑んで見せた。

「作ったって言える大層なものじゃないですけど。これならすぐに食べて館内に戻れますから」

「……ああ。さんきゅ」

「っ……」

 あまり見せないリンの微笑に赤面する晶穂を尻目に、リンは「いただきます」と手を合わせると、猛然とサンドイッチを食べ始めた。余程お腹が空いていたのか。十個はあったものが数分でなくなった。

「うまかった。……じゃ、俺は戻るわ」

「……あまり、根を詰めないでくださいね?」

 晶穂の心配に片手を挙げて返したリンは、再び図書館内に戻って行った。

「―――全く、鈍いわね」

「わっ! ……サラ……」

 思わず声を上げた晶穂は周りに小声で謝ると、背後に突然現れた声の主を振り返った。

 そこにいたのは、猫耳をうごめかすサラだ、顎に手をやり、何かを考える仕草をしている。

「もう。びっくりしたよ」

「ごめんね。晶穂のことが気になって、ついてきちゃった」

 悪びれないサラの様子に軽く息をつき、晶穂は図書館を出ようと彼女を誘った。ここは図書館だ。本を読む場所であれ、話す場所ではない。

 帰り際、魔障の本が多くあると思われる一角を覗いた。リンが先程とほぼ同じ姿勢で別の本を読んでいるところだった。声はかけず、黙って館外に出る。

 出て数十メートル歩いたところで、先を行っていたサラがぐるんと体を回転させて晶穂に向かい合った。

「……見たところ、何の進展もなさそうだね」

「し、進展!?」

「声が裏返るところを見ると、何かあったの? ユラフに行く中で、押し倒されでもした!?」

「お、押し倒っ……ちょっと落ち着いて!」

 一人きゃあきゃあと盛り上がるサラをなだめ、晶穂は言い添えた。

「言っとくけど、何もないから! ユーギくんもジェイスさんもいる中で、一体何があったと!?」

「え~……つまんない」

「……つまんないって……サラ、何を期待してるの?」

 げんなりと肩を落とす晶穂の前で、「だってさ」とサラは目を輝かせた。

「リドアスを離れて遠方に行ったんだよ? 気分も変わろうってもんじゃない。ここじゃ団長としての責務が優先されるけど、離れちゃえば一人の男なんだしさ。何かなかったのかなあ~って思ったの」

「……エルハさんとラブラブだもんね、サラ」

 うん、とサラは微笑んだ。エルハは日本で雑貨店を経営している。そこを新たな晶穂の下宿先として市役所に届け出ているが、実際に住んでいるのはエルハのみだ。日本における銀の華の拠点のようなものである。

 エルハとサラは恋人同士なのだ。少し羨ましく思っているのは秘密だ。

 そのためか、サラの思考回路は少女マンガ的になりやすい。

 晶穂は深呼吸をして気持ちを落ち着かせた。

「―――とにかく、リンさんとは何にもないから! それに今はユキくんの記憶復活が優先だから!」

「むきになっちゃってまあ」

 にやにやと笑うサラの背を押し、晶穂はリドアスに戻るべく歩き出した。

 真夏を過ぎた秋の空が、爽やかな昼下がりの光を投げかけていた。

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