第37話 因縁と帰還

 洞窟を抜け、森へと戻って来た。誰もが無言だった。疲労と達成感がない交ぜになり、どんな言葉を口にしたら良いのかが分からなかったのだ。リドアスに戻れば克臣やサラが待っている。彼らと再会すれば、また違う感慨も生まれよう。

 ユラフの森に一歩踏み出したリンの前に、人影が降り立った。

「……ハキ」

「よう、リン。決着つけようぜ」

 大剣の柄を肩に乗せ、ハキが立っていた。白髪をさらし、赤黒い目を光らせている。

 正直言って、リンは満身創痍だ。だが、ここで引くわけにはいかない。ユキを再びジェイスに預け、一歩踏み出しかけた。

「……晶穂?」

 袖に違和感があり、リンは振り返った。引き留める風を見せる晶穂の手を引かせ、リンは微笑んだ。隣を見ればユーギも心配そうな顔をしている。リンは苦笑し、二人の頭をグリグリと撫で回した。

「大丈夫。……勝ってくる」

「……必ず」

 晶穂の手に己のそれを一瞬重ね、リンはハキに向き直った。もう、振り返る必要はない。

 晶穂が手のひらを見ると、封珠を入れた守り袋があった。闘いの中で落とさないように、自分に預けたのだろうと察した。

 リンは杖を出現させ、すぐさま使い慣れた細身の剣に変えた。ハキも大剣を一振りし、構える。森が、決闘場へと変化した。

 二人は睨み合い、互いの動きを注視した。

 一瞬か数分か。晶穂にはとても長い時間に思えた。

 木の葉がひとひら舞った。それが合図だ。二人が同時に動き出す。

 先に間合いを詰めたのはハキだ。剣を軽々と振り上げ、リンの脳天に振り落とした。

 リンはそれをうまく払い、間合いを取った。魔力をまとわせているとは言え、細い剣だ。長い戦闘は負担が大き過ぎる。そう考えたリンは、長い腕を活かしてハキの懐には入らず、少し距離を取って闘う選択をした。

「はっ」

 剣を舞わせ、ハキに斬りかかる。それは弾かれた。

 何度も何度も互いの剣を交わらせる。それは終わらない闘いに思えた。

 リンは息を切らせ、目の前の敵を睨みつけた。ハキも肩から息をしている。

「……次で決まる」

 ジェイスがぼそりと呟いた。それが聞こえたかは定かではない。しかし彼の言葉を受けたかのようなタイミングで二人の青年が飛び出した。

 うおおぉぉぉっ

 獣のように雄叫びをあげ、晶穂達の目の前で二振りの剣が交差する。

 時間が止まった。否、止まったと感じた。

「……ふ」

 息をつき、倒れたのはハキだった。

「リンさん!」

 晶穂はリンに駆け寄った。リンは剣を杖に変え、それも元のペンダントサイズに戻した。胸元に収まった瞬間、ガクリと膝をついた。ユーギとジェイスも駆け寄って来る。

「あはは……。勝ったぜ、晶穂」

「あははじゃないですよ。もう……」

 安堵の息をつき、晶穂は改めてリンの全身を見た。擦り傷切り傷が腕や脚、顔に走っている。幾つかの傷からは血が流れている。晶穂は慌ててハンカチを出し、血を止めようと押さえた。

「さんきゅ」

 わずかにリンの耳元が赤らんでいる気がしたが、朝日のせいだと晶穂は思った。

 がさりと物音がして、はっとした四人は振り返った。

「……ハキ」

「もう、終わりだ。狩人も、オレも」

 ゆらりと立ち上がったハキの身体中にも傷が幾つも走っている。その瞳には先程までの荒々しい光がない。何と声をかけて良いのか分からず黙ってしまったリンに対して鼻で笑い、ハキは踵を返した。

 彼は一度も振り返ることなく、森の中に姿を消した。

 気が付けば、空は白んでいる。朝が来たのだ。リンはポケットから珠を取り出して、その存在を確かめた。

「……帰るぞ。リドアスに」

 旅立って六日目。リンの掌にある封珠が、日を受けて輝いた。




 アイナは唇を噛み締めた。がれきに囲まれた中、彼女は立ち尽くしていた。

「また、負けた」

 呟いて、言うのではなかったと瞑目した。眉をひそめる。

 隣には足を投げ出したソイルがいた。その横顔は数時間前よりも老けたようだ。

「どうしますか、ソイル様?」

「さて、どうしますかね」

 もう狩人はない。ボスであったダクトは封印され、その仮身であったユキはリン達の許へ戻った。正直、アイナには残されたものがない。これからどうやって生きて行けば良いのかわからない。ソイルもわからないのだろう。茫洋とした表情から窺えた。

 ここは、数時間前まで狩人であるアイナ達の城であった。名実共にそうだった。しかし、現在ここにあるものは、ない。あるとするならば、漠然とした不安と絶望。

 アイナは、いつかはこうなるのではないかと心の奥底で思っていた。狩人に入ったのは生みの親が殺されたからに他ならない。しかし、狩人の在り方に一抹の不安を抱えていたのもまた事実だ。相反する感情の中、彼女は新たな状況で足を踏み出せないでいた。

 拳を握り締める。それが震えるほどに。

 恨みがないと言えば嘘になる。心底悔しいし、腹立たしい。アイナたちの居場所であった狩人を奪い壊した者共に対し、殴りかかっていかない自分自身も。

 それでも立ち止まっていては、何も出来ない。アイナはくすんだ空気を吸わないよう努力しつつ深呼吸した。ソイルの前に回り込み、努めて明るい声を出した。

「行きましょう、ソイル様。ここにはもういられません。ならば、行く場所を作りましょう」

「行く場所、か」

「そうです。もう狩人はありません。兵達もほとんどが逃げて行ってしまいました。ここには、私たちくらいしかいません。幸い、私は日本に居場所を求められます」

「ほう、日本に行こうと言うのかな?」

 ソイルはこの状況になって初めて面白そうに笑った。アイナは「ええ」と頷く。

「あちらでやり直しましょう。ね、お養父さん」

「ふ……。おとうさん、か」

 養女に手を引かれ、ソイルは体を持ち上げた。


 


 リドアスから旅立って七日目。

 リン達一行は一人と一匹を加えて無事に出発地点へと戻って来た。

 海路で。

 何故海路か、という問題への答えは簡単だ。狩人が事実上壊滅したと知ったファルスの漁師がお礼に、と船でアラストまで送り届けることを買って出てくれたのだ。

 南の大陸にて狩人を壊滅させたことにより、地元で石でも投げられるのではないかと戦々恐々としていたリンたちは、拍子抜けした。時折こちらを攻撃的な目で見てくる人もいたが、そうではない人もいるということだ。

 その漁師は陸では人の良い笑顔で応対してくれたが、流石は海の男だ。水門を出港した途端、荒々しい性格へと急変した。荒いながらも猛スピードで船は進み、お蔭で一昼夜かからず到着してしまった。

 出迎えた克臣やサラ等と再会を喜び合い、一週間の報告を成した。報告会はリドアスの大きな会議室で行われた。リンは今リドアスに在籍しているメンバーを集めた。

「……そうか、大変だったな、リン」

「そういう通り一遍な言葉しか出ないよな、お前」

「五月蠅いな、ジェイス。これでもこっちは無事に帰って来るかとやきもきしてたんだからな」

「わかってるよ、そうむくれるな」

 軽くいなされ、克臣は小さな溜め息をついた。リン達の出発前に引きずっていた脚は、もう普段通りに動かせるようだ。大怪我じゃなかったのかと訝しむ一同に笑ってごまかす返答しかしなかった克臣だが、実は長ズボンに隠された脚には固定のための板が添えられている。それを感じさせない体運びは俳優もかくやというものだろう。それもあと数日の辛抱だ。

「報告した通り、一応狩人はなくなりました。一応というのは、残党がいるからですが、彼らも下手に出てくることはないでしょう」

「……どうして、そう言い切れる?」

 淡々とした報告に異を唱えたのは文里だ。彼は妻子を持つ一家の長だ。狩人の残党に生活を脅かされはしないかと不安視するのは当然だろう。その疑問が出ることを予想していたリンは文里に向き直った。

「理由はあります。まず、狩人の長たるダクトが封印されたこと。仮身となっていた俺の弟は保護して、今は救護室にいます。そして、主たるメンバーが城を離れたこと。ソイルとアイナ、ハキは島を出たと報告があります。ザードは身一つで操る上司がいなければ何も出来ないと俺は踏んでいます。他の下級メンバーもめいめいの命が大切ですから、早々に立ち去るはずです。それに彼らには一つの組織を新たに作り上げる気概はないと思われます」

 そう話しながら、リンは机上に封珠を置いた。今やそれはシンの魔力が結晶化した透明な箱に閉じ込められている。ビー玉サイズのそれからは何の動きも感じられない。完全に封印されていると見て間違いないだろう、と晶穂は思った。

 それならよかった、と文里は安堵の顔で背中を椅子に預けた。彼の様子を確認し、リンが本筋へと話を戻す。

「……まあ、もし万が一復活したとしても、必ず潰しますけどね。さて、そういうわけで狩人壊滅には成功しました。次の問題はこれです」

 リンは封珠を指差した。後を引き取り、ジェイスが封珠について簡単に説明する。封珠がダクトを封印していたと考えられる物であり、今回もこれを使って封印に成功したということをだ。

「……そうやって封印は完了したわけですが、再び何者かに解除されたら元も子もない。そこで、守役を設けたいのです。その役は銀の華の団員が望ましい。守り役には、日に何度か見回りをお願いしたい。基本的な守護はシンがやると言ってくれている。彼の魔力は鍵だから。しかしそれだけでは十分とは言えない。シンと封珠を見守る人が必要です。……そこで」

 す、と視線を正面から外したジェイスは、一人の団員に定めた。ストレートの黒髪を下ろした団員は、自分を指差した。

「え。私、ですか?」

「そう。一香いちかに頼みたい。君は吸血鬼の中でも魔力には定評があるし、その魔力は守りに特化している。勿論攻撃も申し分ない。更に一香の家系は巫女の血筋でもある。……どうだろう、引き受けてはくれないかな?」

「俺からも頼みたい」

「え、ちょ。頭を上げてください、団長、ジェイスさん」

 少し考えるように瞑目した一香は、次に目を開けた時、真っ直ぐにリンを見返した。

「その役目、私にやらせてください。私は目立つことはやってきませんでしたが、そんな風に評価して下さっているなんて、思いませんでした。だから、その評価と期待に応えたいんです」

 一香は紫色の瞳を輝かせ、きっぱりと言った。彼女の様子を見て周りが自然と手を叩きだした。晶穂やユーギも感謝を乗せて拍手した。シンが一香の傍に寄り、よろしくと言い頬ずりをした。顔を赤らめた一香が顔を伏せてしまい、温かな笑い声が響く。

 その後の話し合いの結果、一香とシンが封珠を封印するための祠をリドアスの中庭に作ることになった。それは会議解散の後すぐに作られた。小さな木製の祠である。日本式で注連縄がかけられ、その奥の扉の向こうに封珠が置かれた。シンが屋根の上に座り、魔力を蓄えるために眠った。一香はそれを確かめ、微笑んだ。

 一香を中庭に送り出した後、会議は散会した。それぞれ休息を取り、普段通り過ごすことになった。克臣はジェイスに脚が完治していないことを見破られたものの、笑って明日も出社すると宣言した。ユーギは同年代の子供達とおしゃべりに興じた後、舟を漕ぎ始めたために自室に連れて行かれた。リンは報告書を作成すると言って会議室を出て行った。晶穂は自室のベッドに倒れ込んだ。

「……長い一週間だったな」

 考えるまでもなく、色々なことがあり過ぎた。頭がついて行かない。それは睡魔のせいでもあると自分で気付く前に、晶穂の瞼は限界を通り過ぎた。



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