第36話 悲しい攻防

「……?」

 そおっと、晶穂は目を開けた。覚悟していた衝撃がない。本来ならば、魔弾に吹き飛ばされているべきなのだが、そんな展開にはなっていない。

 晶穂達の目の前に、先程までなかった壁が築かれている。白い。真珠のような白さだ。それに傷痕が幾つかついている。見上げると、夜空色の翼がある。一対のそれが、ばさりと羽ばたかれた。それは、壁ではない。

 その正体に晶穂が気付くよりも早く、ユーギが大きな目を更に大きくして叫んだ。

「シン!?」

「うん」

 少年の声に巨体が振り返り、ニヤリと笑った。同時に拳で握りつぶした魔弾が掻き消える。シンの背にまたがったジェイスが飛び降り、音もなく三人の前に立ち上がった。

「ジェイスさん……」

「遅くなってごめんね。リン、晶穂、ユーギ」

「ボクらが来たから、もう大丈夫!」

 よく見れば、ジェイスの黒髪が所々焦げている。通常は縛っている髪がばらけ、風に遊ばれている。上着の裾が破れてしまっている。あの戦闘は激しいものだったのだろう。それでも笑みを崩さず、彼はダクトを振り返った。シンも合わせた四人には見えないが、ジェイスのダクトを見る目は厳しい。

「……あれが、ダクトだね」

 誰とはなしに尋ねるジェイスに、リンが頷いて見せた。

「来てくれて、ありがとうっ」

「おっと」

 ユーギはジェイスに向かって駆けだし、その体にしがみつく。ジェイスは震えるユーギを抱きとめ、口端を上げた。

「……さあ、ここからが本番だよ」

 表情を改め、リンは再びダクトに向き直った。姿はユキだが、その心は少なくも表には出て来ていないようだ。そうジェイスに言うと、彼は眉をひそめた。ダクトを見据えたまま、ジェイスは隣のリンに声を潜めた。

「あれがリンの弟、か。彼がダクトにいつ乗っ取られたのかは分からないけど、早ければ行方不明になってすぐだろうな。……リンが七歳の時だから、もう十年以上前だね。そこから成長せず、ずっとこのままとなると……」

 ユキくんの意識が残されている可能性は、かなり低い。

 ジェイスの厳しい言葉に、リンは唇を噛んだ。しかし額のしわはすぐに緩み、諦念の笑みが浮かぶ。

「……もとより、承知です。ダクトを倒さなければ、俺たちに安寧はないですから」

「なら、良いけど。……無理だけは、するな」

 気遣わしげなジェイスを敢えて見ず、リンは無言でダクトへ向かって跳び出した。

「ダクトおおおおっ!」

 杖を出現させ、魔力を込めて振り上げる。晶穂の目には、リンの体全体に白いオーラが沸き上がっているように見えた。

「……」

 その攻撃を無表情で受け止めたのはダクトだ。幼い少年の力とは思えない力で杖を掴み、後方に振り回し、飛ばした。

「ぐっ……」

 その衝撃を受け身で受け流し、リンはすぐさま体勢を立て直した。杖から放射される白い光が、ダクトに迫る。ダクトは眩し気に目を細め、両手で暗雲のような盾を向けた。それは光を跳ね返し、ダクトには傷を負わせない。

 リンは手を緩めない。杖を剣に切り替え、その雲を断ち切った。ためらうことなくそのままダクトを斬り伏せんとするが、ダクトは素早く陣を展開し、巨大な氷柱を放出する。

「ユキの魔力を使うんじゃねえ!」

 氷柱に囲まれたリンは、そう叫んで全てを切り刻んだ。晶穂たちのいる場所にも氷柱は飛んできたが、ジェイスが矢で射落とす。

 リンの凄まじい気迫に、晶穂は身をすくませた。

「……リンさん」

 口以上に手が挟めない。リンの叫びが悲しく響き、晶穂は胸がつぶれそうだ。

 何か手助けは出来ないかと周りを見渡した。リンの相手は一人だ。そして体は子どもだ。正直、あの激しい攻防に少年の身体が耐えられるとは思えない。今までは祀られるだけの存在だったダクトが、今は戦闘の最前線にいる。

「あのままじゃ、あの体がもたない……」

 晶穂の危惧は、現実のものになりつつあった。魔力を放つ度に体の動きの滑らかさが欠けていく。リンも不審に思いながらも、攻撃の手は緩めない。否、緩められない。もし緩めれば、攻撃の矛先は晶穂たちに向くだろう。シンやジェイスがいるとはいえ、この魔力の大きさの攻撃を防ぎ切るのは難しい。リンはジェイスほどの魔力は持ち合わせていないが、翼がある分素早さには自信がある。その彼でさえ、生傷が多く刻まれている。

 そんな思考に囚われた瞬間を狙われた。

「ぐはっ」

「リンっ」

 ジェイスの叫びが掻き消えるほどの音をたて、リンが壁に叩きつけられた。ジェイスの後から晶穂とユーギ、そしてシンも駆け出す。リンの傍に膝をつき、ジェイスは彼を抱き起こした。

「リン、大丈夫かい?」

「リンさん……」

「団長っ」

「リン!」

「……ああ、大丈夫」

 背中に痛みを訴えながらも、リンはゆっくりと体を起こした。その拍子に、ポケットから何かがこぼれ落ちた。それを拾い上げた晶穂が首を傾げた。

「これ、何ですか。……ビー玉?」

 黄色い珠だ。中をよく見れば、わずかにオレンジ色の線のような模様がある。リンが「ああ」と反応を示し、それを受け取った。

「前に神殿が崩壊したことがあっただろ? その時拾ったんだ。何に使うのか、意味があるのかはわからんが、使えるかと思って持ってたんだ」

 今まで忘れてたな。とリンは少し笑った。

 リンの手元をじっと見ていたジェイスが「あ」と声を上げた。リンから珠を受け取り、微笑む。

「これ、使えるぞ」

「え?」

「へ?」

「えっ?」

 三人がぽかんと口を開けたのに構わず、ジェイスは話し出した。

「……以前、ダクトが封印されたという話をしただろ?」

 四人と一匹の周りで魔風まふうが渦巻く。ダクトの攻撃は矢継ぎ早に放たれているが、リンとジェイスが作ったシールドによって彼らは守られている。それもいつまでも保てるものではない。その証拠にシールドの一部に傷が生じていた。

 ジェイスはその傷をちらりと見、やや早口になった。

「その封印に使われた珠があったんだ。……それは、黄色い珠だと言われている」

「黄色い珠。……これ、だと言いたいんですか?」

「そう。リン、それはダクトが封印されていた神殿の崩壊後に手に入れたと言ったね? 恐らく狩人がダクトを解き放った後、残していったんだろう。まさか再び封印しようとは思わなかっただろうし、彼を利用したいのなら不要なものだしね」

 封珠ふうじゅというんだそうだ。ジェイスはそう言った。

「では、封珠を使い、ダクトを再封印すれば……」

「そう。狩人を壊滅させられるね」

 パリン

 リン達が話している間にシールドのヒビが大きくなり、遂に破壊した。リンは瞬時に策を巡らせた。攻撃の合間を縫い、ダクトを封珠で封印しようと決めたのだ。

「ジェイスさん、晶穂、ユーギ、シン! 頼んだ!」

「分かった」

「任せてください」

「承知したよ!」

「いっくよ~!」

 リンの意図をこちらも素早く理解し、行動に移った。

 ジェイスは空気弾を発し、晶穂とユーギはがれきの中から手頃な大きさのものを選び出して投げつけた。シンはその大きな体躯を活かし、空中をくねってダクトの注意を引きつつ攻撃を仕掛けた。

 彼らがダクトの攻撃を凌いでいる間に、リンは素早く動いて部屋の奥へと移動した。玉座だった椅子の生地は破れ、所々から綿が飛び出してしまっている。その前にユキの身体を仮身としたダクトが立っている。その体の動きはぎこちなく、先程よりも軋んでいるようだった。

(……急がないと)

 ユキの身体の崩壊は時間の問題だ。だからこそ、チャンスでもあった。動きを止めた瞬間が勝負だ。動き回る晶穂と目が合った。顔を赤くして息を上げながらも、こちらに向かって頷いた。

 その時だった。それまでの猛攻が嘘のように、一瞬だけダクトが動きを止めたのだ。

(今だ!)

 渾身の力を籠め、リンは封珠を投げつけた。

「封珠よ。――その力で神と呼ばれし者を封じろ!」

 ギャアアアアアァッ

 奇声を響かせ、ユキの身体を宿としていたダクトの魂が苦しみだした。小さなユキの身体がくの字に折れ曲がる。

 次第にユキの身体から黒い煙のようなものが涌き出し、彼の身体を離れた。

「おっと」

 体が傾ぎ、ユキが倒れかけた。それを支え、抱きとめたのはジェイスだ。リンはほっと息をつきかけたが、それを素早く呑み込んだ。まだダクトを封印し終えたわけではない。晶穂やユーギも息を呑み、空中に浮く封珠を見守った。

 封珠の魔力は凄まじいらしく、抗うダクトを強制的に吸い込んでしまった。

 しかし、それでは終わらない。ダクトはどうにかして封珠から脱出せんと、強大な魔力を迸らせた。何処からかパリ、パリという何かにヒビが入る音がわずかにした。

 このままでは、再びダクトが解き放たれてしまう。

 戦慄したリン達が迷いを見せる中、シンが体をくねらせて下りてきた。

「ボクに任せて」

 そう言うが早いか、シンは体を白銀に輝かせた。その眩しさに目を閉じた晶穂達が次に目を開けた時、負の気を漂わせていた封珠は静かさを取り戻していた。

「シン、これ、どうやって……シン?」

 目を見張った晶穂がシンの巨大な体を探したが、見当たらない。ユーギがいち早く見つけ、晶穂の袖を引いた。彼が指し示す先にいたのは、小さな竜に姿を変えたシンだった。

 彼は力なく、えへへと笑った。

「ボクの魔力を使って、結界を創ったんだ。これで封珠の封印はより強くなったはずだよ。まあ、その代わりに魔力は使い果たしちゃったけど」

 短期間での魔力増幅じゃ、付け焼き刃だったね。シンは言った。その竜の頭を撫でて褒めてやり、リンは床に落ちた封珠を拾い上げた。もう触れても何も感じない。熱も冷たさも。

 ポケットから小さな守り袋を取り出し、りんはその中に封珠を放り込んだ。元々封珠を入れていた袋だったが、口の縛りが緩く中身が出易い。一時凌ぎの策だ。リドアスに帰宅後、きちんと仕舞わなければなるまい。

「行くか」

 リンはジェイスからユキを受け取り、背負い直した。体は冷えていたが、わずかに生きている者の温かみが感じられる。ユキはまだ、生きている。

 四人と一匹にユキを加え、一行は城を出た。その背を、目を覚ましたザード達が半ば呆然と見送った。敢えて声をかけてくることもなかった。彼らは彼らで、これからどうにかして生きていくだろう。それに口出しをする気は、もはやリンにはない。狩人が壊滅し、銀の華や他の仲間達に厄介事を吹っかけて来なければ良いのだから。


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