第33話 ユラフへ

 ノイス村を出てまた数時間後。人の賑わいが増え、四人とすれ違う人数が増えていく。波の音を捉えたユーギの耳がピクリと動いた。

「着いた、海!」

 ユーギは目を輝かせ、大海を指差した。ファルスは港町だ。この町に近付く度、海の匂いも近付いてきた。ファルスに面した海を『南海』と呼ぶ。別名『嵐の海』。始終波が荒く、時々渦潮も発生することから名付けられた。

 南の大陸は南下するほど気温が高くなる。アラストでは七分袖くらいが丁度良かったが、ここまで来ると半袖が普通になる。

 海を見て興奮したユーギはピョンピョンと跳ね、被っているフードが脱げそうになった。それをリンが軽く押さえてやる。ファルスの南部にあるユラフは狩人の本拠地である。そこに最も近いファルスでも今までと同様用心に越したことはない。ユーギも気付いたのか、自分でフードを押さえて耳を隠した。

 一行は市場の一角にある貸し船受付所で、船を借りるための手続きをした。応対した漁師の妻らしき女性は、書類とペンをこちらに差し出した。女性の手は荒れているが、それは長年仕事をしてきたという証だろう。ジェイスが代表してサインした。

「さあ、まずは腹ごしらえだ」

 初夏のような少し汗ばむ風が頬を撫でて行く。既に九月に突入しようかという時期だ。日本はこの時期でもじとつく暑さだが、ソディールはましだ。

 リン達は昼食を簡単に済ませ、ファルスのとある港へ足を向けた。

「あんたらかい、船を借りたいってのは?」

 船着き場の受付をしていた老人は、胡乱げな視線を一行へ向けた。漁師をしていたという男の肌は浅黒く、引き締まった体つきをしている。

「はい。ぼくはヴァースといいます」

 リンはにこりと微笑み、そう告げた。

 海と島はつながっている。漁師は特に狩人との結びつきが強い可能性がある。ファルス内でさえ、リン達を不審がる視線も見張る気配も感じた。リンは偽名を使い、ユラフへ行くための船を借りることにしたのだ。

 老人はリンの名のりに頷き、一枚の書類を取り出した。

「じゃ、ここにサインをくれ。……そう。これで、成立だ」

 あんたらの船は五番だ。そうしわがれ声で告げ、港を指差した。確かに指す先に、小型船舶が止まっている。船を動かす免許はジェイスが持っているから心配はない。

 礼を言い、リン達は船へ向かおうとした。その背中に老人が言いかける。

「そういえば、狩人の連中が話してた。……獲物がかかる、とな。きっと海が荒れる。何処に行くのも勝手だが、気をつけて行け」

「……はい。ありがとうございます」

 もしかしたら、この老人は狩人かもしれない。その反対の立場かもしれない。この瞬間に判断するのは不可能だ。リンは動揺を見せぬよう平静を装い、一礼をした。その傍で、晶穂達もそれに倣った。

「いやあ、あのご老人の言葉には驚かされたよ」

「なんか、僕らのことを知ってるんじゃないかって疑っちゃった」

「ボクも動かないように必死だったよ」

 ジェイス達がめいめいに言い合った。

 船を海に出し、しばらく経ってからのことだ。ここまで来れば少々大声を出しても岸に聞こえることはない。

 遠くにユラフを臨みつつ、晶穂はリンの傍に立った。

「どうした、晶穂」

「さっきのおじいさんの『きっと海が荒れる』って言葉が気になって。……狩人は、海も操れるんですか?」

「さあな。まあ、実際に南海は荒れやすい。今は静かなもんだけど、ユラフに俺達が近付けば、荒れ始めるかもしれないな」

 リンは薄く笑い、海に目をやった。穏やかな波間に水中を泳ぐ魚の群れが見えた。晶穂も覗き込み、柔らかく微笑んだ。少女の顔を盗み見ていた自分に気付き、リンは慌てて目を逸らした。

「リン、こっちに来てくれ」

 ジェイスに呼ばれ、リンは運転室に入った。彼を呼んだ本人は様々な機械に囲まれて、眉をひそめていた。

「どうしたんですか?」

「……リン」

 ジェイスはモニターの一つをリンに見せた。覗き込むと、海の状況を示す画面である。ユラフと見られる大きな島に周辺に、赤い渦が表示されていた。

「渦潮だ」

「渦潮?」

 訊き返すと、ジェイスは頷いた。

「出港時にはなかった表示だ。……これが、あの老人が言っていたことかもしれないね」

「『きっと海が荒れる』……か」

 本当に狩人が海を操るんだろうか。それが本当なら、もはや人間業ではない。

「ふっ。……あいつら、俺らを化け物なんて言ってられんのかよ」

 リンが鼻で笑った時、船が大きく揺れた。外に出ていた晶穂とユーギの悲鳴が聞こえる。

「晶穂、ユーギ。こっちに来い!」

 シンがいち早く運転室に飛び込んできた。竜であるシンは飛び続けている。地面に降りるのは食事と睡眠の時くらいだ。だからこそ、船の揺れに左右されない。

「リン、ジェイス。海の向こうにおっきな島が見える!」

 敵地へ赴くというのに、シンはピクニック気分だ。そういう天真爛漫さは長所だが、少しその気分を落ち着かせてほしいところだ。

 シンの後から晶穂とユーギが揺れに耐えながら壁につかまって入室して来た。

「リンさん、島から何か出てます」

「は?」

 晶穂の言葉が理解出来ず、リンは思わず訊き返した。壁に手をついて立ち上がった晶穂は、息を整えて口を開いた。

「ですから、ユラフから円状に青い光が波紋みたいに出てるんですっ」

「……確かに、何かの力が出てるみたいだ。モニターにも巨大な魔力の波動が映ってる」

 ジェイスが指すモニターを見、リンは揺れる甲板に飛び出して空を見上げた。

 晶穂達の言う通り、空に青い波紋が幾重にも描かれては消えている。その中心はユラフの中央にそびえる山だ。島まではまだ距離があるが、

「俺らは招かれざる客ってことか」

 とリンは呟いた。

 波紋が届く範囲の海が荒れている。外側は穏やかだとモニターを見ていたユーギが教えてくれた。

 室内に戻ったリンは、荒れる波に濡れた髪をかき上げた。

「ジェイスさん、この船を持ち上げられますか?」

「持ち上げるって…………そうか」

 目を見開いたジェイスだったが、すぐにリンの言葉の意味に気付いた。一つ頷くと、舵をリンに渡して意識を集中させた。

 船の揺れが止まる。晶穂は外に出て目を見張った。

 彼女らが乗る船の下に透明な板がある。それが船を押し上げ、荒波から遠ざけているのだ。

「そっか、ジェイスさんです」

「……ジェイスさん?」

 後から出てきたユーギがしきりに頷くのを見て、晶穂は首を傾げた。ユーギはニヤリと口端を上げ、

「ジェイスさんの魔力で、空気を固めて、船の下に敷いたんです。そうすれば、波の影響は受けないから」

「なるほど……」

 晶穂も納得した。狩人側は、この状況を見てどう思うだろうか。見ているかも定かではないが、もし見ているならば、海で消してしまおうとしていたのにと悔しがるかもしれない。それともそれすら織り込み済みで、次の策を練っているのだろうか。

「よし。このままユラフまで飛ぶぞ!」

 リンのかけ声でこちらに引き戻された晶穂は、声の主の許へ向かった。

 海は荒れ模様だが、もう関係はない。


 


 狩人の城。適切な名称を誰にも与えられず、便宜的にそう呼ばれている。

 ここは謁見の間。壁際に置かれた燭台の蝋燭だけが明かりの役割を果している。

 しん、と静まり返った室内で、アイナ・ソイル・ハキは片膝をつき首を垂れていた。ある人物を待つためだ。

 ソイルは一時期克臣らとの闘いで負った傷がもとで伏せっていたが、傷口は既に塞がっている。万全とは言えないが、これ以上引き延ばすことは出来なかった。

 彼らが入室して十数分後。突如として気配が生じた。玉座を模した椅子に何者かが腰かけた。

「……よく来た。と主はおっしゃっている」

 椅子の傍に直立する男・ザードが三人を睥睨へいげいした。五、六段上にいる彼は、ソイル達を見下ろす形だ。薄明るい蝋燭の火が、黒衣のザードを怪しく照らし出す。

 その隣に座る人物は、完全に闇に沈んでいる。アイナは頭を下げながら何とかして顔を覗き見ようとしたが、暗過ぎて出来なかった。

「はっ」

 ソイルの返事に応じ、アイナとハキもより深く頭を下げた。それに反応せず、ザードは再び椅子に顔を寄せた。

「……お前達に、城を守る役目をやる。無謀にもこちらへやって来ようとする者達がいる。それを殲滅せよ。……手段は問わん」

「……畏まりました」

 頭を下げたまま一礼し、ソイルは謁見の間を後にした。それをアイナとハキが追った。ザードも退出し、影は一人となった。

 影の片手が、空を掴むように上げられ、握り締められた。

「……さぬ。ワレは、二度と―――」

 初めて発された声は、轟くような低い男の声……とは縁遠い幼い少年の静かな声であった。


 アイナはソイルに付き従い、ユラフの森の中に足を踏み入れた。ハキとは城内で別れた。彼も自分達とはまた別の場所で迎え撃つのだろう。

 二人の後ろには、二十数人の兵がいる。狩人の主が創り出したモノもいれば、狩人に共鳴して自ら兵となった者もいる。それらを駒とし、この戦いに勝たなくてはならない。

「……きっと、これが最後だ」

「最後……」

 こちらを見ない義父の顔を前から覗き込み、アイナは復唱した。ソイルの左目は、前回の闘いで潰してしまったという。目があったはずの場所には、今は黒い眼帯がある。

 どんな言葉をかけたら良いのか分からず、アイナは逡巡した。

 眼が左右に動いていたのだろう。ソイルは養女を見下ろし、口元だけで微笑んだ。

「アイナ。お前は、何があっても生き延びろ。生き延びて、別の道を行け」

「……父さん?」

 アイナが「どういう意味ですか」と訊いても、ソイルはそれ以上何も言わなかった。何故かこの時、養父であるソイルを「父さん」と無意識に呼んでいた。

 問い続けるのを諦め、アイナは前を向いた。

 これからのことなど、今は分からない。

 今分かるのは、狩人にとって、この戦いが分かれ目だということ。

 それ以上のことは、頭が受け付けなかった。

 何故か流れ続ける涙をそのままに、アイナはソイルの後を追い、出陣した。

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