第31話 空き地の戦闘

 晩ご飯には、町のベーカリーで買ったパンとあり合わせで作ったサラダ類を並べた。その席で、リンは町で聞いた話と感じていた視線について明かした。

「成程。確かにわたしも視線は感じていたよ。でもその話は初耳だな」

「はい。俺も単なる噂であってほしいと思いますが、そうもいかないでしょうね」

「……リンさん、ぼくらどうしたら良い?」

「あちらの本拠地に着く前に、一回顔を合わせないと駄目だろうな」

 サラダパンをかじりつつ、リンは言った。サラダパンの中身は獅子肉と野菜だ。甘辛く煮られた肉が良い味を出している。

「では、迎え撃つってことですか?」

 そう尋ねたのは晶穂だ。彼女の手にはあんぱんがある。日本のあんぱんよりも甘くなく、食事用としても食べやすい。あんは昔、日本出身者が持ち込んだという。

「そう。それも早い方が良い。……ジェイスさん、お願い出来ますか?」

「君に頼まれたら、嫌とは言えないね」

 ソーセージパンを喉に押し込み、ジェイスは二つ返事で了承した。シンが彼らの傍で眠っている。サラダを食べてお腹いっぱいになったらしい。

 今夜にでも一戦やりかねないリンとジェイスの様子を見、晶穂は「行かないで」という言葉を飲み込んだ。

 どちらにしろ。遅かれ早かれ激突は免れない。

「分かりました。二人とも、どうか気をつけて」

「そう、だね。僕が二人の代わりに晶穂さんとシンを護るよ!」

「ああ。頼りにしてるぞ、ユーギ」

 クリームを頬につけ、ユーギは胸を叩いた。リンはふっと表情を和らげ、

「俺達が帰るまで、宿を出ないこと。心配ない。夜明けまでには片を付けてくる」

「そうだね。待っていて、二人とも」

「はい」

 晶穂とユーギの返事を聞き、リンとジェイスは真夜中のイーダへ出て行った。

 二人の後ろ姿を見送り、晶穂はユーギと片付けを始めた。片付けると言ってもパンが入っていた箱を潰し、皿を共有キッチンで洗うくらいのものですぐに終わった。

 自主練に行こうと立ち上がった晶穂に、ユーギが尋ねた。

「晶穂さん、シンが長く飛べないのは、きっと魔力が回復し切っていないからだよね?」

「そうだと思うけど、何で?」

「だ……リンさんとジェイスさんが留守の間に、シンの訓練を少しでも始めたいと思ったんです。何をするにもまずは体力だから」

「……結構な暴論だね」

「そうですか? でも本当だと思います。疲れてる時、ジェイスさんもリンさんも魔力の出が悪いって言ってたので」

 それが本当なら、ユーギの論も乱暴なものではないだろう。考え直し、晶穂はユーギの提案に乗った。

「じゃあ、シンを起こさなきゃ。……おーい、シン。起きて」

「ん~……。朝あ?」

「違うよ、訓練しようよ」

 気持ちよく眠っていたところを起こされ、シンは少し不機嫌そうに額にしわを作った。人間ならば眉をひそめているのだろう。しかしユーギの提案を聞き、しっぽをパタパタと動かした。

「そうだね! ボクも早くみんなの役に立ちたいよ。早く訓練、しよう!」

「よーし、まずは腹筋だ!」

 何故腹筋。内心ツッコミを入れた晶穂だったが、二人が仲良く腹筋を始めたのに笑いを堪え、自分の練習に専念することで紛らわせた。笑いそうになったのは他でもない。手足があるとはいえ竜であるシンが、懸命にユーギを真似しているのが可笑しかったのだ。

 晶穂の自主練は、型だ。ジェイスに教わっている護身術と応戦術をユーギ達相手にかけるわけにはいかないため、目の前に相手がいると仮定して型を練習する。

 彼らが泊まった部屋は大部屋だ。部屋が空いていなかったため、四人と一匹で雑魚寝の予定だ。

 平屋の宿は階下に苦情を言われる心配はないが、大きな音を立てれば隣室の迷惑になりかねない。ユーギもそれを分かっているから、腹筋などのトレーニングを選択したのだろう。今は腕立て伏せをしている。

「そういえば、シンは飛ぶ以外に何が出来るの?」

 ユーギは実年齢はともあれ小さく幼い物言いのシンを弟のように扱っていた。シンもそれを許しているため、異種だが本当の兄弟のようだ。

 ユーギの問いを少し考えたシンは、小さな指を広げて数え始めた。

「飛ぶこと以外なら、火をはくこと、冷気をはくこと……くらいだよ」

「すごいな。僕ら獣人は血を分けた獣が出来ることは全て出来るけど、魔力はないから羨ましいよ」

「そうだったね。ボクは元の姿に戻った方が強いんだけどな~」

 元の姿とは、晶穂達を運んだ時の姿だろう。巨大な白銀の竜は、とても神々しかった。

 そうやって自主練習をしていたところ、真夜中にもかかわらず部屋の明かりが煌々と灯っていたのを気にしたのだろう。誰かが部屋の戸を叩いた。

 ユーギにシンを隠すよう合図し、晶穂はそろりと戸を開けた。

 そこに立っていたのは、宿屋の主人であった。

「お前ら、もう深夜だぞ。何やってんだ?」

「あ、ルファさん。すみません、話してたらこんな時間になっちゃって」

「そんなことは良いけどよ。……何だ、男二人は外出か?」

「あ、はい」

 明確な答えを出すわけにはいかず、晶穂は苦笑いで済ませた。それに深い追及はせず、

「まあ、あの年頃じゃ夜遊びも仕方ないか。俺も若い頃は相当遊んだ口だしな」

 と主人は鷹揚に笑った。夜遊びではないのだが、それは言えない。晶穂も倣って微笑んだ。

 じゃあ仕方ない。そう言って、ルファは晶穂とユーギを交互に見た。

「お前ら、まだ眠くないか?」

「え、はい……」

「僕も大丈夫です」

 二人の答えを聞き、ルファはニカッと歯を見せた。

「じゃ、ちょっと手伝ってくれ。バイト代は宿泊費から引いてやる」

 晶穂とユーギは顔を見合わせ、首を傾げた。


 宿屋を出たリンとユーギは、明かりの消えた住宅街を密やかに走り過ぎた。宿を出た時点で何者かの気配があったため、それを空き地に誘導する。

 空き地は、ジェイスが知っていた。夕方の買出し中、子供達が空き地に遊びに行くと母親に話しているのを聞いたのだ。その中の一人に場所を訊き出しておいた。食事場所にでもなればと考えていただけに、この展開は想定外だ。

 リンは広大な空き地の中心で足を止めた。以前は大きなショッピングモールでも建てようかという話があった場所だと言うが、今は公園代わりになっている。住宅地からは離れた場所であり、住民に迷惑をかける心配は少ない。

 リンとジェイスは背合わせで立ち、四方に睨みを利かせた。それぞれに得物を構える。リンは杖を、ジェイスは陣を展開して円に並んだ矢を構えた。

 暗闇には人の気配はない。しかし確実に誰かがいる。そう思い杖を構え直した時、二人の頭上で魔力が弾けた。

 ドオォン

 リンとジェイスは紙一重で横っ飛びに避け、空を見上げた。すると舌打ちが聞こえ、人間が二人降って来た。

「んだよ。避けやがった」

「二人とも、ここにいるというのは本当だったんだな」

「……ハキ、アイナ」

 リンは眉をひそめ、襲撃者の名を呼んだ。ハキは大振りの剣を肩にかけ、アイナはナイフを両手に持っている。アイナの手に魔力の痕跡を感じたリンは、彼女が爆発を起こした張本人だと悟った。

「……お前ら、やられにわざわざここまで来たのかよ? 暇なんだな」

「その言葉、そっくりそのままお前に返すよ、ハキ」

「……へぇ? 調子こいてんじゃねえぞ、リン」

 ぶった切ってやる。そう宣言するやいなや、ハキはリンに向かって大剣を振り下ろした。

「リン!」

 助太刀しようと駆け出しかけたジェイスの足下に、ナイフが鋭く刺さる。

「お前の相手はわたしだ」

「ふうん……」

 キラリと目を光らせ、ジェイスは手のひらをアイナに向かって開いた。

「それを選んだこと、後悔させよう」

 一方のリンは、ハキの剣撃を受け止めていた。杖に魔力を込め、防御力を倍増させたのだ。

 リンの魔力は決して強いわけではない。杖などを使って増幅しなければならないほどだ。しかし彼の父は「お前の魔力はいつか花開く」と言っていた。それがどういう意味なのか、未だに分からない。

「くっ」

 リンは必死にハキに対抗した。いつもならばとうに弾き飛ばしているはずだが、ハキは余裕の笑みを浮かべた。

「オレの魔力属性は闇。夜が更ければ更けるほど、オレの力は強くなる。光を力にするお前が勝てる見込みはないぜ、リン」

「そうとは、限らない、さ……」

「負け惜しみを…………っ!?」

 ハキは信じられないという顔でリンを見た。組み敷かれたリンが、動けないはずの身体を少しずつ上へと動かし始めていたのだ。ハキは押さえ込むのを断念し、ひらりと近場の屋根に飛び移った。

「待て!」

 リンは起き様に剣で薙ぎ払おうと思っていたため当てが外れたが、ジェイスにその場は任せて自らも飛んだ。翼を広げ、ハキの上に立つ。

「ハキ、今日で終わりにしないか?」

「今日で終わりだぁ? 寝言は寝てから言えよ。お前はオレが斃す。それが今日なら今日で終わりだろうさ」

 切っ先を空中のリンの喉へ向け、ハキはせせら笑った。リンも杖から形を変えた剣を構え、呼吸を整えた。

 同じ頃、ジェイスはアイナの攻撃を避けながら、反撃の機会を窺っていた。

 アイナは矢継ぎ早にナイフを投じ、尽きることのないように思われた。

「……いや、これは魔力」

「今頃気付いたか」

 飛んで来たナイフを掴んだジェイスが呟くと、アイナは勝ち誇ったように笑った。

 アイナのナイフには実体がなかった。刃に触れれば切れるのだが、それに触れても触れた実感がない。成程、アイナの魔力が続く限り、ナイフは無尽蔵というわけだ。

(これは、悠長に構えていられないね)

 ジェイスは長期戦から短期戦に切り替えることを余儀なくされた。アイナの体力を奪い、ハキに加勢出来なくするのを目的としていたが、撤回だ。

 ヒュン

「何っ!?」

 ジェイスは音もなくアイナに接近した。アイナが慌ててナイフを構えるのを待たず、無駄のない動きで彼女の鳩尾に拳を叩きつけた。

「がっ……」

 アイナはガクリと身体の力を抜いた。地面に倒れる寸前でジェイスが支え、肩に担ぎ上げた。

「ここで倒れられたら、ご近所に迷惑だからな」

 もう少し本気で闘っても良かっただろうが、そうすれば少女の生命を絶ちかねない。アイナを斃す必要性を感じなかった自分の甘さに苦笑しつつ、ジェイスは夜空を見上げた。これほどの魔力を得た人間の少女だ。狩人なき後も生きていけるだろう。

 ハキに押し付けるつもりで、ジェイスはリンの許へ向かうために屋根へ跳んだ。

 キン

 二つの剣が交わった。つき、離れ、再び金属音を響かせる。リンとハキの力は互角のように見えた。しかし。

「くっ」

 リンの剣撃を躱しきれず、ハキの衣服に線が走った。リンとて無傷ではない。頬に血がにじんでいる。

 荒い息を呑み込み、二人は剣を交わす。二人が踏ん張る度に瓦が数枚剥がれ、地上へ落ちていった。

 大剣を構え、肩で息をするハキが呟いた。

「はっ、はっ。……何故、オレの剣が効かない」

「俺だって、ここでやられるわけにはいかないんでね」

 リンは無理矢理余裕の笑みを浮かべた。自分には守らなければならない場所と人がいる。狩人に明け渡してやる義理などない。

 ジェイスが近くまで来ている気配を感じた。次で終わらせなければ。リンは今ある限りの力を籠め、剣に乗せた。

 力は白い光となって、夜の闇を裂いた。眩しさに目がくらんだハキの足下が危うくなる。

(行くぞ)

 リンは剣を振り上げた。力が切っ先に集中するのを感じ、一気に振り下ろす。

「はっ!」

 力は光の竜となり、ハキを飲み込んだ。

 う……わああああぁぁっ!

 ハキは踏ん張っていたものの力に勝てず、数軒先の屋根まで飛ばされた。

 動かない様子を確かめ、リンは息を吐いた。少し息が上がっている。

 杖を剣に変化させて使うことはよくやるが、まさかこんな剣技を放てるとは夢にも思わなかった。少し呆然とする。

「凄いじゃないか、リン」

「ジェイスさん……」

 自分の傍に移動して来たジェイスに会釈し、リンは彼の背を見て瞠目した。

「そいつ……」

「ああ、手っ取り早く気絶させたんだよ。リンの加勢に行こうと思ってね。必要なかったけど」

 この子はハキに連れ帰ってもらおう。そう言って笑うジェイスに、リンは内心冷や汗をかいた。穏やかな気性のジェイスだが、一度敵として認識すれば容赦などしない。それが気絶で済んでいるのだから、アイナには感謝してもらわなくてはならないだろう。

 ジェイスはアイナを屋根の平らな場所に下ろす。

「さて、帰ろうか」

 そう、リンに言った。気付けば真夜中を過ぎ、腕の時計は午前二時をさしていた。まさか晶穂達が起きていることはないだろうと思いつつ、リンはジェイスに同意した。


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