第28話 大樹の森

 その場所には、明かりがなかった。深い深い森が広がり、少女は息を呑んだ。

「ここは……」

 晶穂に見覚えはない。自分はシアドの宿で寝ていたのではないのか。

 一度目を閉じ、再び開いた。

 しかし、景色は変わらない。

「仕方ない。歩いてみよう……」

 晶穂は足を踏み出した。だが、行けども行けども出口は見えない。鳥や獣の鳴き声もない。晶穂は不安になったが、前に進むしかなかった。

 ここは夢の中だ。そんな確信があった。

 しばらく進むと、目の前に大きな口を開けた洞窟が姿を現した。洞窟の壁は石灰質の岩で出来ていて、わずかに差し込む月光に照らされて光った。

「ここに、入れってことかな」

 晶穂は覚悟を決め、洞窟に入り込んだ。入り口で立ち止まっていても、恐らく目覚められない。

 洞窟内も暗く、視界はないに等しい。晶穂は壁に手をつきながら、一心に進んだ。

 その時、聞き慣れない声が響いた。

『た・す・け・て……』

「誰っ?」

 身をすくませて振り返るが、暗い道が続くだけで生き物の気配すらない。

「誰か、いるの?」

 再び問いかけるが、応えはない。

 悲しげな声だった。寂しさをはらんでいた。

 何故か、晶穂は泣きたくなった。

『お願い。ボクを、助けて』

「誰?ねえ、何処にいるの!?」




「――何処にいるの!?」

「……晶穂さん?」

 自分の叫び声で跳ね起きた晶穂は、驚いて戸を開けたユーギと視線を合わせ、目を瞬かせた。

「あれ?」

「どうしたんですか、大声出して」

「いや……何でもないよ」

 あははと乾いた笑いで誤魔化され、ユーギは「ご飯、一緒に食べませんか」と不審がりながらも提案した。頷く晶穂の様子を確認し、戸を閉めた。

 晶穂は頭を左右に振り、ベッドを下りた。顔を洗おうと洗面所に向かって鏡を覗くと、目が赤く充血しているのが分かった。夢の中の感情が、そのまま現実に反映されているようだ。

「目の充血だけは取って行かないと……」

 三人に余計な心配をかけてもいけない。晶穂は温水も使って顔を洗った。

 同じ頃、リンとジェイスは台所を借りて朝食を作っていた。ソディール特有の硬めのパンを焼き、サラダと野菜スープを作っていた。そこへ起き抜けに晶穂を起こしてきたユーギが加わった。

「おはよう、ユーギ。よく眠れたかい?」

「ジェイスさん、団長もおはようございます。ぐっすり寝ました、けど……」

「けど、何だよ」

 リンに問われ、言い難そうにユーギが口を開いた。

「晶穂さん、うなされてたみたいです。叫び声をあげて起きてましたし」

「……来たら、詳しく聞いてみるか」

 本人が来ないことにはどうしようもない。そう結論付けた時。

「遅くなりました」

 晶穂が走ってやって来た。髪が跳ねているところを見る限り、寝癖を直す余裕もなかったのだろう。ジェイスがにこりと微笑み、水の入ったグラスを差し出した。

「あ、ありがとうございます」

「走らなくても大丈夫だよ。これから部屋に運ぼうと思ってたところだから」

 水を飲み、晶穂は机の上にあった彼女の分の朝食を手に取った。大きな皿に盛られたトーストとサラダ、スープが食欲をそそる。

「じゃ、行くか」

 四人は男子陣の部屋に集まり、朝食を摂った。パリっとした食感のパンは堅めで、晶穂にとっては新食感だ。

 食事をしながらとりとめもない話に花を咲かせた。ユーギはいち早く食事を終え、コップにジュースを注いだ。

「で、何の夢見てたんだ?」

 ごほっ

 突然リンに問われ、晶穂はスープが気管に入りかけた。咳を繰り返し涙目になった。

「ど、どうして」

「それをって? ユーギが心配してたんだよ」

 ぶっきらぼうな口調の中に潜む優しさを感じ、晶穂は昨夜から自分が見た夢を白状した。知らない森の中で見つけた洞窟。その中で聞こえた、幼く悲しげな助けを呼ぶ声。

「結局その正体は分からずじまい?」

「はい、ジェイスさん。声だけで、いくら呼んでも姿はありませんでした」

 ふーん、と腕を組んでいたジェイスは、

「今は分からないな。でも、きっと意味があることだと思うよ」

「そうですね。後々分かればいいんだ。晶穂、気になるだろうがあまり気にするな」

「ちょっと滅茶苦茶な言い方ですよ?」

 苦笑したが、気分は軽くなった。晶穂は感謝の気持ちを込めて微笑むと、三人の皿を率先して片付けた。


 二日目。四人は宿を出て、一路南へ向かった。

 たっぷりと睡眠と取ったためか、皆足取りが軽かった。そのおかげで次の目的地には予定よりも早く着いた。『大樹の森』である。

 午前中であったためか、森の道に数人の通行人がいた。彼らは商人や旅人の格好をしており、シアド方面に進む者もあれば、リン達を追い越して行く者もいた。

「この森は深いけど、昨日も言った通り外れなければ問題ない」

 ユーギに裾を引かれ、ジェイスは苦笑した。この少年は田舎の村出身なのに、深い森が苦手らしい。

 森の入り口には『大樹の森』と書かれた立札がある。そこには、決して道を外れてはいけないという注意書きもあった。四人は森に入り込む。

 広葉樹林が続く。大きな葉が日光を隠し、昼間なのに夕方と思い違いをしそうだ。薄暗い森の中を、一本の道が真っ直ぐに通っている。

 森を見回しながら歩いていた晶穂は、既視感を覚えた。

(この森を知ってる? ……でも、来たことなんてないのに)

 鳥の鳴き声が聞こえ、さわさわと風が吹く。日本にこんな場所はない。あったとしても、彼女は訪問した覚えがなかった。

「晶穂?」

 眉間にしわを寄せながら歩いていた少女を不思議に思い、リンが声をかけた。

 それに何でもないと答えようとした晶穂の耳に、幼い声が聞こえた。

『助けて』

 足を止めた晶穂の肩に、リンが触れる。どうしたんだと言いかけた時、少女の口元がわずかに動いた。

「……呼んでる」

「え?」

 晶穂以外の三人が声をそろえて頭に疑問符を浮かべた。晶穂はそれに答えることなく、不意に駆け出した。リンが止める間もない。

「晶穂!」

「晶穂さん!」

「待ちなさい、晶穂!」

 制止の声も聞こえないようで、晶穂の姿は林道を外れて森の中に消えた。

 追おうと地を蹴ったリンの腕をジェイスが掴む。

「離してください。早く追わなきゃ」

「……あれは、常人の走り方じゃない。何かに操られてるみたいに見えた」

 ジェイスの言葉を受け、リンは大人しくその場に留まった。

 ジェイスには、晶穂の変化が見えていた。「呼んでる」と彼女が呟く直前、瞳の光が消えたのだ。あれは、人ならざるものに意識を奪われた証拠だ。

 そう説明され、リンはぐっと拳を握り締める。自分がついていながら、と後悔の念が頭をよぎった。

「では、どうしろと言うんですか?」

「まずは彼女が向かった所を推測して―――」

 リンの焦りを抑えようとジェイスが今後の行動を提案しかけた時、

「団長、ジェイスさん。何か来ます」

 ユーギが警戒の声を上げた。確かに、彼らの近くの草むらが激しく揺れた。




 リン達が南を目指してリドアスを発った頃、ユラフの奥地。

 ユラフは無人島だと言われる。しかしその実は、狩人の本拠点だ。

 アイナは奥地に位置する岩で造られた宮殿のような巨大建造物にいた。自室に引き籠り、ぼおっと外を眺めていた。外と言っても森だ。青々とした葉が茂っているだけである。

 彼女の上司・ソイルは克臣・ジェイスとの闘いで重傷を負い、未だに入院中だ。ソディールの民間病院ではなく、狩人の息がかかった病院である。部下であるアイナは迂闊に動くことが出来ないでいた。

「おい。何籠ってんだよ」

「……ハキさん」

 ノックしてください。というアイナの声を聞き流し、ハキは無遠慮に部屋の椅子に腰を下ろした。

「何か用ですか?」

「不機嫌だな。……それとも養父が怪我して心配なのか?」

「五月蠅いですね」

「図星か」

 食い気味の返答に、ハキは笑った。

「お前の本当の両親、獣人に殺されたんだって?」

「……そうですよ」

 苦々しく頷き、アイナはハキに茶を差し出した。狩人加入時期は自分が先だが、彼は年上である。年長者には丁寧に接するべきだろう。

 アイナの両親は、彼女が十歳の時に亡くなった。両親はアルジャ近郊の町で酒場を経営していた。ある日、町のならず者が何人も店に押し入り、その場にいた客数人と経営者夫婦が殴り殺された。アイナはその時裏の倉庫に匿われて難を脱した。殺人犯は捕まり刑に処されたが、それで両親が戻って来るわけではない。

 ならず者は、獣人の集まりだった。人間を同じ人だと思ってもいないようだった。

 身寄りもなく泣いていたアイナを拾い育てたのが、三十歳くらいだったソイルだ。彼は厳しかったが、彼女を獣人に対抗出来る武力を授けてくれた。

 そして十五歳の年、狩人の戦士として働くようになった。

「……オレは、昔リンに負けた」

 自分の過去を思い出していたアイナは、グラスを握りつぶしそうなハキの様子に驚いた。

 しかし、敢えてハキの発言を遮ることはしなかった。アイナ自身、ハキが何故狩人となったのかは知らなかったのだ。

「五年前まで、オレは連戦無敗だった。なのに、あいつは……」

 奥歯を噛みしめ、ハキは呻った。

 ハキは最初から狩人の関係者ではなかった。彼が加入するきっかけとなったのは、まさに五年前に遡る。

 ハキは以前、一匹狼で各地の武術大会を荒らし回っていた。誰もが彼と闘うことを恐れた。

 何百勝もの勝利を収めていたハキは、この日も大きな武術大会に参加した。武器として使えるのは剣のみの大会だった。

 圧倒的な力で対戦相手をねじ伏せ、順調に決勝へ進出した。ハキの剣は血で塗られていた。しかし大会ルールにより、人を殺すことはなかった。そんな力を持つハキは、優勝確実だと言われていた。

 ハキが勝ち上がったグループとは別に、もう一つグループが存在した。そこで破竹の勢いを見せていたのが、リンだった。初出場で初優勝もあり得るともてはやされていた少年の存在に、ハキは苛立ちを感じていた。

 ハキの感情に拍車をかけたのが、リンの勝ち方にあった。リンは決して相手を傷つけず、剣を折ったり飛ばしたりすることで勝ちを得ていたのだ。それが、相手に怪我をさせることも厭わないハキには腹立たしかった。

「……くそっ。何なんだよ、あいつ」

 リンが順調に勝ち進んでいることを知り、ハキは決勝で相手を叩きのめすことを決めた。このままでは、落ち着かなかった。

 そして、好機はやって来た。

 決勝の舞台。所狭しと観客が見守る中、二人は対峙した。

「おい、お前。初参加らしいな」

「……そうだけど、何?」

 ハキは大きな舌打ちをした。冷静にこちらを見つめてくるリンが気に入らなかった。こちらが挑発しているのが馬鹿らしくなるではないか。

「……うるせえ! お前はオレが倒す!」

 そう言い放ち、ハキは「うおおっ」という呻り声と共にリンに躍りかかった。剣を上段に構え、振り下ろした。

 しかし、リンは全く動じなかった。すらりとした細身の剣を構えると、キンという金属音を響かせてハキの一閃を防いだ。

「!?」

 まさか、自分の剣撃が防がれるとは思わなかった。いつもなら、この一撃でエンドだ。それが、通じない。ハキは休まずもう一閃を放った。

 リンも負けてはいない。ハキの再攻撃を紙一重で躱すと、風のように剣で薙ぎ払った。

 それが、合図だった。

 リンの剣はハキのそれを跳ね飛ばし、彼を地面に叩きつけた。

(……何が、起きた?)

 現状を把握出来ない。ただ、自分の顔の前に砂が敷き詰められていることは分かる。

 ハキが混乱の直中にあった時、会場は一瞬の静寂の後、一気に爆発した。

「すげー!」

「なんだあれ!」

「あのハキを倒すなんて……」

 歓声の渦だ。リンはその声に答えることなく、静かにその場を後にした。

「おい……待てよ」

 ハキはどうにか体を起こし、ふらつく自分を支えながら立ち上がった。ハキは、自分の状況を把握していなかった。

 否、把握など、したくなかった。

 負けたなど。敗北など、認めたくない。

 ハキの呼びかけに、リンは振り向いた。その目を見て、ハキはぎょっとした。

 リンの目に、喜びの色はなかった。それどころか、何の感情も浮かんでいないように見えたのだ。

「……」

 何の言葉も発せられなかったハキに背を向け、リンは再び歩き出した。

 それから、ハキの名声は地に落ちた。初出場の戦士に負けたのだ。それも一方的に。

 ハキは悔しかった。はらわたが煮えくり返りそうだった。

 だから、調べた。リンのことを。

 リンが『銀の華』団長であることを突き止めた。それと敵対する組織が『狩人』であることも。

 あれから、リンは一度も大会には出場しなかった。あの参加が気まぐれだったのか、何か理由があったのかは分からない。

 実はリンにも理由はあった。銀の華団長として皆をまとめていたつもりだったが、こじれてしまったのだ。それに関して、克臣とジェイスにこっぴどく叱られた。お前は自分が常に正しいと勘違いしている、と。まだ十四歳だったリンは癇癪を起こし、アラストから離れた町で行われた武術大会に参加した。自分がここで優勝すれば、また認めてもらえると思ったのだ。

 人に怪我を負わせることは恐かった。だから、全ての試合で相手の剣を落とすことに集中した。結果優勝したが、身勝手な行いを再び叱られた。勝ったが、すっきりはしなかった。諭されたリンは時間をかけて団員との関係を作り、今に至っている。

 それを、ハキは知らない。冷静なのはリンの性格だが、余計に無口だったのは気が立っていたからだ。

 ハキはリンと再戦して斃すため、狩人に入ったのだ。

「……思ったよりも長くなっちまった」

 ハキはばつの悪い顔を背け、アイナの部屋を出て行った。グラスの茶は飲み干されていた。

 アイナはグラスを片付けようとそれを手に取った。その時、ガチャリと戸が開いた。顔を見せたのは、先程出て行ったはずの男だ。

「アイナ、暇だろ?」

「……私の上司はソイル様です」

「返答早すぎ。ソイルの許可は下りてる。行くぞ」

「何処へ……」

 行くのか。と問う前に、ハキはアイナの腕を取って引いた。


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