第24話 その名の由来

 南の大陸へ行くことが決まり、詳細は明日にということになった。

 皆が夕食を終えた頃、克臣はスーツ姿でリドアスに現れた。

「お疲れ、リン。順調に決まったか?」

「お仕事お疲れ様です、克臣さん。とりあえずはってところですかね」

 食堂で向かい合った二人は、緑茶の入った湯飲みを前に置いた。

「それはそうと、足はもういいんですか?」

 ちらり、とリンは克臣の右足に目をやった。机に隠れて見えないが、そこは捻挫しているはずだ。リドアスに入って来た時は普通に歩いていたが、虚勢を張られるとわからない。

「そんなに心配そうな顔すんなって」

 克臣は笑う。ズボンの下には包帯が巻いてあるのだと言った。

「ここに来る前に、医者の所に行ってきた。あと数日もあれば、普段通りに動かせるようになるだろうってさ」

「……そうですか」

「ま、それまでは安静にしろってきつく言われたけどな」

「克臣の場合は、たとえ数日であっても無理をする危険性があるって、あそこの先生は知ってるからね」

「……ジェイス」

 突然頭上から降ってきた声に、克臣は頭を抱えた。

 ジェイスは、くすくす笑いながら克臣の隣に腰を下ろす。

「俺がいつ無茶したよ?」

「例には事欠かないけど、披露しても良いのかい?」

「……やっぱやめてくれ」

 幼い頃からの付き合いである克臣とジェイスは、お互いのことをよく知っている。知られたくないこともまたしかり。何を言われるかわからない、と苦言を呟いた克臣をスルーし、ジェイスはリンに目を向けた。

「そういえば、さっき晶穂が私のところに来たよ。武術を教えてほしいと言ってね」

「確か、文里さんに習っていたって聞きましたけど」

 リンは昨晩の会話を思い出しながら、そう口にした。すると、ジェイスが頷く。

「そう。昨日の夜に私も文里さんから聞いていたんだ。『晶穂が武術を習いたがっているから、少しだけ指導した。あとは本式のジェイスに教えを請えと言ったからよろしくな』ってね」

 だから了承したよ、と微笑んだ。

「文里さんに教えてもらった後も自主練してるって聞いたから、昨日も少しその様子を勝手に見てたんだけど……」

「……もしかして」

 意味ありげな視線を向けられ、リンの背中を冷たい汗が伝う。しかしジェイスはそれ以上のことは言わず、別のことを言った。

「だから早いかと思ったけど、明日から見ようと思ってるんだ。南の大陸に行くのは少なくとも近日中。彼女はそれまでにある程度の力をつけておきたいらしいからね」

「……見習わないとですね」

「おや? リンは『俺がいるんだからそんなことはしなくていいのに』くらいのことを言うかと思っていたけど?」

「くっ……」

 墓穴を掘ったと気付いたが、後の祭りだ。ジェイスと克臣のニヤニヤ顔から逃れるように、リンは席を立った。

「――自主練、してきます」




「晶穂さん、一緒にご飯食べよう!」

 午後七時を過ぎ、晶穂が食堂に向かって歩いていると、後ろからユーギが走って来た。

「勿論、いいよ」

「やった」

 にこにことしたユーギの笑顔につられ、晶穂も笑顔になる。北の大陸に行く前の涙にぬれた表情とは、比べ物にならない。

 食堂はそれ程混んでいなかった。二人はそれぞれにトレイを持ち、おかずを選んでいく。晶穂はご飯と味噌汁、竜田揚げを選んだ。ユーギはしばらく悩んでいたが、唐揚げを取り、おにぎりとサラダをチョイスした。

 向かい合って座り、同時に「いただきます」と手を合わせる。

 ユーギは食事をしながら、北でのことを聞かせてくれた。

「……で、団長と一緒に鍵を開けたんだ。そうしたら、妹が飛び出してきてね」

「妹さんは幾つなの?」

「五歳。まさか連れ去られてるなんて思いもしなかったよ」

 妹たちとホライ村へ戻ったところ、起きていた彼らの母に迎えられたのだという。子供二人を同時に抱き締め「おかえり」と呟いた母に、ユーギは抱き締め返すことしか出来なかった。

「もう少しここにいたらいいのにって言われたけど、ぼくにはまだやらなきゃいけないことがあるから、里帰りはまだ先かな」

 ぱくん、とユーギは唐揚げを口に放り込む。晶穂も味噌汁の豆腐を口に運んだ。

「そっか。じゃあわたしも、ユーギが早めに里帰り出来るように頑張るね」

「晶穂さんは文里さんに武術を習ったんだよね? 続けてるの?」

「うん。明日からはジェイスさんに教えてもらうことになるけど……。みんなの力になりたいから」

「ぼくも負けないよ」

 二人で笑い合っていると、そこに克臣やジェイス、サラとエルハまでもが加わって来る。ワイワイと賑やかな食事になったのだが、晶穂はリンの姿が見えないことを気にしていた。


 食事の後、晶穂は呼び止められた。

「リンはまだ自主練をしているんだと思う。夜食でも持って行ってあげてくれるかな?」

 そうジェイスに頼まれた晶穂は頷き、食堂で残ったおにぎりを貰って中庭に向かった。わかめご飯のおにぎりと鮭おにぎりの二つが皿の上に載っている。

 廊下にある窓から中庭が見えた。そこは銀の華のメンバーの憩いの場にもなっており、昼間はそこで昼寝をしたり遊んだりしている姿を見かける。それらが出来る雰囲気を作り出しているのが、植えられた季節の花々だ。夏の今も、夜にだけ咲く花が可憐な姿を見せている。月光花げっこうかという。濃紺の花びらに囲まれて、黄色いめしべとおしべの塊がある。まるで、闇夜の月のようだ。

 そんな花々の咲く先に、探し人の姿があった。

 晶穂は速足になって、静かに戸を開けた。一心不乱に剣を振る、リンがいた。目の前に敵がいることをし、時折格闘術を混ぜながら立ち回っている。

 剣は空気を斬る。気迫のこもった「はっ」という声と共に、仮想の敵を斬り伏せていく。

「……」

 晶穂は声をかけることも忘れ、その姿に魅入っていた。

 不意にリンは動きを止めた。剣を親指くらいの大きさまで縮め、紐を通して首にかける。そして、晶穂の方を振り返った。

「どうした?」

「あ……えっと、ジェイスさんに夜食を持って行ってくれって頼まれたんです」

「そうか、もうそんな時間だったのか」

 どうやら、食事の時間だということを忘れていたらしい。ベンチに置いていたスポーツタオルで汗をぬぐい、リンはそこに腰を下ろした。促され、晶穂もその隣に座る。タオルと共に置いていた水筒から水を飲み、リンは晶穂の膝の上にあるおにぎりを指差した。

「……それ、貰ってもいいか?」

「勿論です。……どうぞ」

「ありがとう」

「……」

「……」

 しばし、二人は黙っていた。リンはすぐにおにぎり二つを食べ終え、パンッと手を合わせた。それでも、穏やかで静かな時間は続く。リンも晶穂もそれを悪いものだとは認識していなかった。さわさわと夜風に揺れる月光花が、二人の目を楽しませる。

「……なあ、知ってるか?」

 沈黙を破り、先に声を出したのはリンだった。何を知っているのか問われているのかわからず、晶穂は首を傾げる。

「リドアスは、ソディールの古い言葉で『護るべきもの』って意味があるんだと」

「護るべき、もの……」

「父さんが……昔言っていたらしい。初めて聞いた時はぴったりだと思ったよ」

 それは、リドアスに集う誰もが護りたい何かを持ち、そのために戦っているからだと、リンは言った。

「確かに……。うん、ぴったりです」

 晶穂も同意し、リンは頷く。それから、と言葉を続けた。

「銀の華っていう組織名も、父さんが願いを込めてつけたと聞いてる。……銀の華は、ソディールに伝わる幻の花なんだ」

「そうなんですか?」

 晶穂は目を丸くした。銀色の花など見たことがない。それはどんな花なのだろう。想像が膨らむ。

「父さんは、その花を手に入れようとしていたらしい。伝説によれば、その花を手に入れた者は、一つだけ願いを叶えられるんだと」

 古い文献に書いてある。リンはそう言った。昔からその伝説を信じた者たちによって探し求められてきたが、未だに見つかったという話は聞かない。そんな何処にあるかも存在さえもわからない花の名を、リンの父は組織の名にしたのだ。

 その名が持つ力が、メンバーの願いを叶えてくれるように。護ってくれるように。

 しかし、願いを叶えてくれるというのだから、今も探し続けているトレジャーハンターもいるらしい。

「願い事を?」

「ああ。……でも、もう何を願おうとしていたのかを知る術はないけどな」

 父さんの願いは父さんにしかわからない。リンはそう言って苦笑した。そんなとり残された思いを、組織の名は抱き続けている。

 夜空には数え切れないほどの星が瞬いている。リンはその中でひと際存在感を放つ三日月に向かって、手を伸ばした。晶穂もそれを追うように視線を上にあげる。

「俺には、名付けた時の父さんの気持ちはわからない。あの人じゃないからな。……だけど、今俺がすべきことは、護りたいと思うものを、護るために戦うことだけだ」

「……わたしは、そのお手伝いがしたいです。いつでも、隣に立てるように」

「ああ」

 リンの紅い瞳に、白い月が映り込んだ。リンは目を細め、次いであげた拳を握り締めた。

「必ず、狩人を叩きのめす。そして……弟と父さん、母さんの行方をつかんでみせる」

「……」

 ゆっくりと拳を下げ、リンは少しだけ目を細めた。その目が切なく見え、晶穂は奥歯を噛み締めた。

「行かなくちゃな、南に」

「はい」

 絶対、この人の力になりたい。晶穂の胸に、そんな淡い願いが刻まれた。

 二人は帰宅する克臣を見送ったついでに様子を見に来たジェイスに見つかるまで、並んで夜風に身を任せていた。すぐにこの日常を離れなくてはならない。そのことを知っていたから。


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