第23話 リドアスへ

 気持ちよく晴れた朝。早朝に受けた連絡を携え、サラはある場所へと向かった。

「おはよう。せいが出るねえ、晶穂」

「あ。おはよう、サラ。こんな朝早くにどうしたの?」

 現在、午前六時半。晶穂は一人で棒を振っていた。ハーフパンツに薄手のティーシャツ姿。そして長く伸びた髪はゴムでひとまとめにしている。薄く汗の光る額を拭い、晶穂は首を傾げた。

「ふふっ。実はね、北から連絡があったの!」

 ソディールには携帯電話もスマートフォンも存在しない。代わりに『水鏡すいきょう』と呼ばれる鏡のようなもので連絡を取る。これは魔力を持たない者でも使うことが出来、大陸中で普及していた。お互いの姿を鏡に映し、会話が出来る。テレビ電話のようなものだ。

「北って……。もしかして」

「そう! 今日の夕方にはこちらに着くって」

「そっか……よかった……」

 ほっと安堵の笑みを浮かべる晶穂。その彼女に、サラは「無傷とはいかなかったみたいだけどねー」と苦笑する。

「えっ?」

「克臣さんが捻挫したみたい。ジェイスさんも負傷したけど、自己治癒で何ともないって聞いたよ。団長については特に言ってなかったから大丈夫と思うし、ユーギもね」

 水属性や氷属性の魔力を持つ吸血鬼がいなかったため、氷水で冷やすなどの処置しか出来なかったとか。少しリドアスで治療した後に、克臣は帰宅するつもりだという。

「奥さんに叱られるって、向こうで怯えてた」

「あはは……」

 頭を抱える克臣の姿を簡単に想像出来てしまい、晶穂は苦笑いしかない。

 二人は木陰のベンチに並んで座った。朝日は背後にあって、眩しくない。早起きの鳥のさえずりが耳を楽しませてくれる。

 サラがひょいっと晶穂の手元に目をやった。そこには細身の木の棒がある。

「晶穂が稽古してるって知ったら、団長驚くだろうなあ」

「秘密にしたわけじゃなかったけど、伝える暇もなかったから」

 向こうは向こうで基本的に動き回っており、連絡を取るような暇を持ち合わせていなかっただろう。こちらもそんなリンたちを邪魔するようなことはしなかった。

 これは自己満足だから。そう言って、晶穂は棒を両手で掲げる。

「少しでも足手まといになりたくなくて、文里さんにわがまま言ったから……。あっ、リンさんたちが帰って来るのなら、短期レッスンは終わりになるのかな?」

「文里さんなら、仕事前に食堂にいること多いよね。朝食食べる時に会えるんじゃない?」

「うん、だといいな」

 ただ、何も出来ずに待つだけの少女は、きっともういない。

 晶穂とサラは連れ立って、食堂へと足を運んだ。

 リンたちが今日帰ってくることを知っていた文里は、晶穂にレッスンの終了を告げた。

「明日からとは言わんが、私からもジェイスに話を通しておこう。頼んでみるといい」

「はい。ありがとうございます、文里さん」

「ははっ。改めて礼を言われるようなことはしていない。私は自分の息子を剣の道でも育てなければならないからね。……いつか、リンの傍に立ちたいという、あいつの願いを叶えるためにも」

「……文里さん、それ、わたしに言っちゃって良いんですか?」

 唯文の願いは、彼が秘めていることではないのか。晶穂の指摘に、はた、と文里は停止した。そして「あ~……息子に殺されるな」と苦笑する。

「この件は、あいつには内密に頼む」

「ふふっ。わかりました、誰にも言いません」

 この場に唯文がいなくてよかった。そう言う文里を見送り、晶穂は朝食の席に着いた。




 思いの外、帰りには時間がかかってしまった。西日が落ちかけている。汽車を降りてしばらく行くと、リドアスの建物が見えてきた。ユーギの足は自然と速くなり、その軽やかな足取りのまま、勢いよく戸を開いた。

「ただいま!」

「お帰り~、ユーギ」

「皆さんも、お帰りなさい」

 サラとエルハを始め、その場に居合わせた何人かがリンたちを迎えた。リンはメンバーを代表して頭を下げる。

「エルハさん、文里さんも。留守の間ありがとうございました」

「いやいや。こちらは何事もなかったからね」

「うん。負傷はしたようだけど、無事に帰ってきてくれてよかった」

 それぞれの挨拶が終わったところで、克臣をソファーに座らせたジェイスが、文里を呼んだ。

「文里さん、とりあえず克臣を治療してやりたいんですが……」

「わかった一緒に医者に診てもらいに行くぞ。……しっかし、久し振りだな。お前の負傷姿は」

「言わないでくださいよ、文里さん」

 銀の華のかかりつけ医は、アラストの町医者の一人だ。彼は文里やリンの父の旧友で、何だかんだと怪我をする銀の華のメンバーの治療を一手に引き受けてくれていた。

 その医院へ向かった克臣たちを見送り、リンはその場をぐるりと見回した。いの一番に出てくると思っていた少女の姿がない。

「団長、誰かお探しですか?」

「いや……」

 口ごもるリンを楽しそうに見ていたサラは、中庭の方角を指差した。

「晶穂なら、中庭ですよ」

「中庭? 何でまた……」

「行けばわかりますって」

 笑いながら、サラはリンの背中を押す。助けを求めてエルハを見るが、彼も笑っていて何も言わない。そのまま玄関ホールを追い出された。

「後のことは任せて!」

 サラに耳打ちされていたユーギも笑顔でこちらに手を振ってくる。これはもう、戻れない。

「仕方ない。……行くか」

 書類などの作成はサディアたちに投げよう。

 共にリドアスへと戻ってきた遠方調査員たちがやってくれるだろうことに期待し、リンはそのまま足を建物の奥に進めた。

 中庭に通じる戸の前に立つと、外から激しい呼吸音のような声が聞こえてきた。それから、何かを振るヒュンという音も。

「……?」

 首を傾げながら戸を開けると、満天の星空がリンを迎えた。庭に下りると、確かに晶穂がいた。

 しかし、座ってはいない。細長い棒を持って体を動かしている。月光がその身を照らしているように見えた。

「はっ……はっ……」

 両手で持った棒を回転させ、次いで前に突く。姿勢を戻すと、今度は後ろへと振り切った。その真剣な目つきが、リンに声をかけることを躊躇させた。

「……何してんだ、お前」

「あれっ、リンさん?」

 リンの呟きを聞き取ったのか、晶穂は息を弾ませながら駆け寄った。ポニーテールが左右に揺れる。

「お帰りなさい、お疲れ様でした」

「お……おお。ただいま」

 ぺこりと頭を下げ、笑顔でリンを見上げる晶穂は「サラの言う通りだった」と呟く。その表情にリンの心臓が驚いたが、彼自身はそれを見て見ないふりをした。

「……それで?」

「あ、これのことですよね」

 晶穂は持っていた棒を見て、微笑んだ。

「実は、文里さんに武術を教えてもらったんです。短期レッスンでしたけど」

「武術? ……なるほど、だからか」

 晶穂の動きは、棒術のそれだ。現在銀の華には、棒状の武器を専門に扱う者はいない。彼女が気負うことのないよう、誰かと自分を比べぬよう、文里が考慮した結果と思えた。また槍や薙刀は、女子が扱いやすい武器でもある。

「だがそんなことをしなくても、俺たちが護ると言わなかったか?」

「言われましたよ。とても嬉しかったので、よく覚えてます。……でも」

 きゅっと棒を握り締め、晶穂は言った。護ってもらってばかりでは、嫌なのだと。その言葉に、リンは虚を突かれた。

「確かにわたしは、親が後天性吸血鬼というだけの、ただの人間です。わたし自身には何の力もない。……少女漫画の主人公なら、それでいいんです。でも私は……」

 か弱いだけでは、隣には立てません。

 晶穂は、はっきりとそう言った。その真摯な瞳は、目を見開くリンの姿を鮮明に映す。

 リンは一度目を閉じ、息を吐いた。

「全くお前は……」

「リンさ……わっ」

 リンの温かな手が、晶穂の頭に乗せられる。そのまま少し乱暴に撫でられ、晶穂は顔を赤くした。

「……俺も、このままじゃだめだな」

「え……?」

 リンの呟きは、心臓の音が聴覚を邪魔した晶穂には聞き取れなかった。問い返しても、リンは苦笑するだけだ。

「北でのことは、明日にでも話す。今日はもう遅いからな」

 気付けば、とっぷりと夜は更けていた。そろそろ眠らないと、明日に支障をきたしかねない。

「……夏とはいえ、夜は冷える。ちゃんと汗を流してから寝ろよ? おやすみ、晶穂」

「はい……。おやすみなさい」

 最後にぽんぽんと晶穂の頭を撫で、リンは中庭を後にした。

 リンに触れられた場所が熱を持つ。晶穂はその場にへたり込んだ。

 晶穂自身、リンの姿をいつも探している自分には気付いていない。名前も付けられない感情が何処へ向かうのかもわからず、持て余す。

「……もう少しだけ、ここにいよう」

 晶穂は棒を握り締め、ヒュンと振った。


 バタン。リンは自室の戸を閉めると、そのまま背中を預けて座り込んだ。はああああ、という盛大なため息と共に。

「……何かっこいいこと言ってくれてんだよ、あいつ」

 リンは呟き、天井を仰いだ。

 晶穂は月夜のもと、長い髪を束ねて垂らし、動きやすい半袖短パン姿で鍛錬をしていた。その姿をきれいだと思い、見惚れていた自分を自覚し、リンは呻いた。

 彼女の前では気を張っていたが、次も出来るかと問われれば、正直わからない。

「『か弱いだけでは、隣には立てません』か……」

 リンは自分の右手を目の前まで挙げた。あの言葉を聞いた瞬間、自分が無意識に晶穂に伸ばしかけた手だ。――何をしようとしたのか、自分でもわからない。

「……あいつに背負わせてなんて、いられるかよ」

 何があっても、必ず、晶穂は俺が護る。

 新たな誓いを胸に、リンは立ち上がった。




 翌日も、よく晴れたいい天気の日だった。昼過ぎから会議室にて、リンたちによる報告会と次にやるべきことを決める会議が行われた。その場には、銀の華の構成員のほとんどがいた。

「……ということで、狩人を南に戻すことには成功したわけですけど、俺たちにはまだやるべきことがあります」

「ああ。南の大陸に行かなければな」

 リンの言葉に、ジェイスが頷く。

 ちなみに克臣は、朝から自宅に帰っている。氷属性の魔力で傷を冷やし、落ち着いたためだ。先程ジェイスに連絡が入り、何処で何をしたらそうなるのかと妻に問い詰められたと話していたという。さもありなん。

 それでも会社には出社し、克臣は夕方に顔を見せに来ることになった。今日は大人しく、社内でたまった事務仕事を片付ける予定らしい。

 机の上に広げられたソディールの地図の南側を指差し、その最も南側にある島が狩人の本拠地だとリンは言った。

「孤島です。まずは、そこまで徒歩でいかなければなりません」

「汽車は通ってないんですか?」

 晶穂の問いに、頷く。

「ああ。汽車はアラストとアルジャをつなぐ線路しかない。巨大な森があって、敷くに敷けなかったらしい」

 確かに、地図上にもたくさんの木の絵が記されている。その森は、中央と南の真ん中に位置し、大陸を横断するような広さがあるようだ。

「……出来るなら、この夏休みの間に叩きたいと思っています。休みが明けてしまえば、みんな自由に動ける時間が限られてしまいますから」

「となると、期限はあと二週間といったところかな」

 エルハは、ユーギのことも考慮してそう推量をつけた。その言葉に、ユーギが抗議の声を上げる。

「ぼく、いつだって行きます。……家族や仲間を傷つけられて、楽しく学校になんて行けません」

「だからって、学業を疎かにさせるわけにもいかないだろう? ユーギのことも考えて、早急に動こうとしているんだ」

 ジェイスの取り成しを聞いて頷いたユーギは、大人しく席に着いた。

「では、今後のことですが……」

 外はもう夕方を迎えようとしていた。それでも、会議は続いていく。

 散会したのは、太陽と月が交代してからのことだった。

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