第22話 神殿崩壊

「克臣さん! ジェイスさんっ!」

 神殿の前に立ったリンは、二人の名を叫んだ。その声をかき消すような轟音が、空気を揺らす。立て続けに起こる爆発にリンは耳を塞ぎ、爆風に飛ばされないよう足に力を入れた。

「……魔力の爆発か」

 風の中、吹き荒れる魔力の気配に、リンはもう一度二人の名を呼んだ。これ以上爆発が続けば、石造りの神殿は壊れてしまいかねない。

 背後の森の木々は、その枝を激しく揺らしている。鳥や獣の声はない。もはや、逃げおおせたのだろう。

 どうにかして、神殿の中に入りたい。克臣とジェイスの無事を確認したい。そんなリンの気持ちを、現実は許さなかった。

 ドッ

 爆発音。それに呼応するかのように、巨大な建造物が崩落を始める。

 パラパラと落ちてくる石の破片から身を守ろうと、リンは素早く木の影に身を寄せた。

「くそっ……」

 大きな音をたてて崩れ落ちる神殿。砂煙が上がる中、リンは兄貴分二人を探して近寄った。煙を吸わないよう、手を口元にあてながら。

「何処にいますか? ジェイスさん、克臣さんっ!」

 こんなところで死ぬはずがない。そう信じてはいるが、姿を見るまでは安心出来ない。

 何度目の叫びだっただろうか。そろそろ喉が限界だ。けほけほと咳をしつつも言葉を紡ごうとした、その時だった。

「……ちだ、リン……」

「ジェイスさん!」

 唐突に、慣れ親しんだ魔力の波動が感じられた。それと共に届いた声を頼りに、リンは石積の残骸を退かせ始めた。すると中から、透明な空気の盾に守られたジェイスが姿を見せる。

 ジェイスはリンと目を合わせると、微苦笑を浮かべて立ち上がった。こめかみから一筋の血が流れている。

「助かったよ、リン」

「無事で本当によかったです……。でも、なんで神殿が崩れたんです?」

「ああ……。ちょっと、力が入りすぎたらしくてね……」

 砂まみれのジェイスが語ったところによると、リンたちが去った後も克臣とソイルの戦闘は続いていた。ジェイスもリンたちの戦線離脱を確かめると、自ら克臣の援護にまわった。

 激しく繰り返される攻防に、先に業を煮やしたのはソイルだった。擦り傷程度しか克臣に与えられず、自分は左腕が折れているのを自覚したせいもあるだろう。突然、拳銃に『魔弾まだん』を込めて撃ってきたのだ。

 魔弾とは、簡単に言えば、魔力が込められた銃用の弾である。自分の魔力でなくても魔弾に込められていさえすれば使えるため、魔力の少ない者でも使い勝手が良い。ただし強力な魔弾は使い方を誤れば暴走する可能性があるため、積極的な使用は薦められていない。

 どうやらソイルの魔弾も、誰かの魔力が込められた弾であったらしい。威力を倍以上に増大させ、克臣とジェイスの怪我も擦り傷では済まなくなった。自在に飛び回る弾を切り捨てなければ、致命傷となりかねない。

 克臣は大剣で真っ正面から魔弾を真っ二つに割り、ジェイスは気を矢の形に変えて魔弾ごと地面に突き刺した。

 ソイルはそれでも飽き足らず、とうとう自分でも制御不可能なほど強大な魔弾を取り出し、発砲した。それは案の定暴走し、その力が神殿を内側から破壊したのだ。

「わたしたちは、身を守ることしか出来なかったよ」

 リンの肩を借り、ジェイスは歩き出した。魔弾のためか崩壊のためか、どちらかが原因で左足を痛めたのだと言う。

「あまり、無理しないでくださいよ……?」

「これくらい、自分の魔力でなんとでもするよ。そんなことより、克臣を探そう。わたしの盾で守れてはいるが、その辺りに埋まってるはずだ」

「……はい。克臣さん!」

 ジェイスの言葉に頷き、リンはもう一人の兄貴分を呼んだ。

「……あの辺りだ」

 気配を探していたジェイスが指差したのは、二人がいる場所から十数メートル離れた瓦礫の下。リンはジェイスをその場に残し、急いでその瓦礫を退かせた。ジェイスも足を引きずりながら近付く。

 ガラガラと音をたてる小石を移動させていくと、その下で仰向けに倒れている克臣を見つけた。彼の上には守るように防御壁が浮いている。

 ジェイスの意思でシャボン玉のように消えた壁。リンは克臣の傍にしゃがみこみ、気を失っている克臣を助け起こして頬を叩いた。

「う……っ」

「克臣さん、しっかりしてください」

「ん……? あれ、リンとジェイス……っ」

 克臣は気が付くと同時に顔をしかめた。右足に痛みが走ったからだ。ジェイスが足を確かめると、赤く腫れていた。どうやら捻挫しているようだ。

「骨が折れなかっただけよかったが……。もしものこともある。無理に動かそうとするなよ」

「ああ……助かる。リン、ジェイス」

 克臣は二人の肩を借り、何とか立ち上がった。

「すまんな、リン。あいつ単独の攻撃なら、怪我も負わなかったんだが」

「いえ。お二人が無事でしたから……」

 こんなところでうしなうなんてごめんだった。

 そんなリンの心情を察してか、克臣はいつものように茶化しはしなかった。

「……まあな」

 面目ない、と克臣は殊勝だ。リンもジェイスも彼がどう戦ったかは知っているつもりだ。だから、同様にいじることはしなかった。

 崩れて瓦礫と化した神殿の全体が見える位置まで移動し、改めてそれを見回した。

 嘆息し、克臣は呟いた。

「しっかし、でかい神殿だったんだな」

「ああ。わたしたちがさっきまでいた場所とは思えないね

「……ここまでなると、ソイルも命はない、かな」

 帰るか。そう言う克臣の提案を受け入れて歩き出した時、三人の頭上から「待て」という声が降ってきた。見上げると、瓦礫の上に少女が立っている。その手つかんでいたのは、気を失ったソイルの襟首であった。

 ツインテールの小柄な少女に見覚えがあり、リンは自ら声をかけた。

「アイナ、だな」

「そうだ。お前たち、ソイル様を下したくらいで良い気にならないことだ。こちらには、まだ戦力がある」

「……そうだろうが、その失神男は俺たちと約束した。北から撤退する、と。それは、当然果たしてもらおうか」

「ぐ……」

 挑むような目でアイナを睨み付けたリンは、彼女の返答を待った。アイナは一瞬の逡巡を見せた後、きっぱりと宣言した。

「約定は約定。私たちは北から去ろう。……しかし、次はこうはいかない!」

 お前たち、拠点へ戻るぞ。

 背後にいるのであろう狩人の仲間たちにそう告げると、アイナは気を失ったソイルをつかんだまま、残骸の向こうへと姿を消した。

「……」

 狩人の戻る気配がないことを確かめると、リンたちは誰からともなくその場を後にした。

 克臣はリンの身長では歩きにくいと言って、彼の体を離した。代わりにジェイスへ体重をかける。

「……克臣、自分で歩く努力はしてくれよ?」

「努力はするよ」

 ジェイスと克臣の後を追おうとしたリンは、足下に転がっていたものに目を止めた。拾い上げ、月の光に透かすようにして見る。

「黄色い、たま?」

 正しくは、黄金色でビー玉サイズの珠である。わずかな月光の下でも輝いて見え、リンにはそれが重要なもののように思えた。

(まあ、持ってて重いものでもないしな)

「リン?」

「どうした? 行くぞー」

「はい。すぐ行きます」

 リンはそれをズボンのポケットに仕舞い、自分を呼ぶ先輩たちに応えた。


 宿屋に三人が戻ると、まだそこにいたサディアとキンによって浴場に追い立てられた。体を清め、傷口の汚れを洗い流すと、応急処置を施す。

 救急セットの中にあった包帯や消毒液を使い、キンが克臣の怪我や捻挫を処置する。氷水を持ってきて、そこに浸けたタオルで患部を冷やす。

「……本当なら、この街の医者に連れていって治療してあげたいところだけど」

 現在、狩人が幅を利かせるアルジャの街には、満足な医療施設がない。全て、狩人によって壊されてしまったのだとか。

 申し訳ない、と眉を寄せるキンに、克臣は手をひらひらと振った。

「ここまでしてもらえれば十分ですよ。明日の朝一でリドアスに戻って、治療を受けます」

「……それまでに、奥さんへの言い訳を考えとけよ?」

 冷静な突っ込みを受け、克臣は動きを止めた。そして、カクカクとロボットのように首を動かす。

「う……。今回は折ってないから……まだ、誤魔化せる……かも?」

「無理だろうな。……明日帰宅する前までに、ある程度落ち着かせておくしかないだろ。わたしも手伝おう」

「助かるぜ、ジェイス」

 キンに貰った痛み止めを患部に塗りながら、克臣は苦く笑った。

 その傍ではユーギがジェイスとリンの怪我に消毒薬を塗っていた。見える部分はまだしも、背中などは自分で塗れない。そこを担当していた。

 ジェイスの足の痛みはもうほとんどないらしい。吸血鬼は他の種族よりも自己治癒能力が高いが、ジェイスは別格の早さだ。

「では、みなさん明日にはここを出るのね?」

「はい。お騒がせ続きで申し訳ありません」

 素直に頭を下げるリンに、キンは「いえいえ」と手を顔の前で横に振った。

「お騒がせなんて滅相もない。任せて、朝食を腕によりをかけて作るからね」

 笑って言うと、キンはラナクのもとへ行くと言って部屋を辞した。サディアやリンたちの帰りを待っていたというラナクは、腰痛を起こして安静にしているという。

「ふぁぁ」

 ユーギがあくびをした。もう夜更けで、日が改まっている。眠いのも仕方がない。

「みんなに報告をしてから休もうと思ったけど……限界みたいだな」

 リンは苦笑した。隣では、ユーギが船をこいでいる。彼を布団に運んだリンに、サディアが微笑んだ。

「神殿で起こったこと、ユーギが見たことに関してはもう眠ってしまった彼から聞いてるよ。なんで克臣さんとジェイスさんが怪我してるのかは……明日の朝食の時にでもゆっくり聞かせてもらおう」

「ユーギは、みんなを村まで送り届けて……?」

「そう。宿に走り込んできた時は驚いたけど、しっかり役目は果たしたようだよ」

「そうですか……」

 ちらりとユーギの寝顔を見ると、安心しているのがよくわかった。アルキによると、母親にも挨拶できたとか。

「村にも街にも、狩人の姿はなかったぜ」

 周辺を見てきたというサクがそう報告し、一同はとりあえず休むことにした。

 サディアたちにあてがわれたのとは違う部屋に布団を並べ、リンは兄貴分二人と三人で横になった。ユーギはアルキたちと同じ部屋にいる。

「……色々落ち着いたら、一度ユーギを里帰りさせたいですね」

 リンの呟きに、ジェイスが頷く。

「今回の功労者は彼だ。……いつの間にか、頼れる仲間に成長していたようだね」

「なんだよ、ジェイス。何処目線なんだよ」

 くくっと笑い、克臣が茶々をいれた。右足にはまだ痛みはあるのだろうが、彼も人並外れた精神力を持ち合わせている。

「わたしは、思ったことを口にしてるだけだ」

 明かりを消すよ。穏やかなジェイスの声と共に部屋が暗くなる。

 その闇の中で、リンはふと、リドアスに残っている彼女らのことを考えていた。

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