第19話 トースの神殿

 ドスッ

「今、何人目ですか?」

 目の前に振るわれた拳を拳で返し、リンは尋ねた。

 ジェイスと克臣も、襲って来る狩人を背負い投げたり蹴り飛ばしたりしている。ジェイスはともかく克臣は日本人だが、幼い頃から剣道を習い、銀の華に入ってからは柔道も始めた。それら二つの腕前は折り紙付きである。

「ん~、各五人目かな」

 一人締め上げて悲鳴を無視しながら、ジェイスがリンの問いに答えた。その時背後から迫って来た男に対し、空気を固めた盾で防御し、腕の中の男を離すと同時に後ろを振り向いてあごに蹴りを食らわせる。

 ここは、トースの町の外れにある森へと続く唯一の道。この奥が神殿なのだが、そこに行かせまいとたくさんの刺客が放たれていた。現在、それらを蹴散らしている最中である。

「こっちだこっち!」

 ユーギはといえば、リンたちのような戦闘力はないものの、持ち前のすばしっこさがある。狼人の跳躍力も活かし、刺客たちの頭上を跳び回る。森は木に困らない。枝から枝へ、襲撃者を撹乱する。その間を縫うようにして、リンが蹴りで地面に倒していった。

「こいつら、神殿に近付けたくないって感じだな」

「つまり、そこにわたしたちの目的があるってことだろう?」

 ジェイスの言葉に頷き、克臣は「ハッ」という気合と共にナイフで切り付けてきた相手の手首に手刀を落とし、動きが止まったのを見計らって投げ飛ばした。

 ジェイスは一人の男と向き合う。彼はこの襲撃メンバーの中心人物らしい。先程まで他の刺客の後ろで指図する様子を見せていたが、ほとんどのメンバーがジェイスたちに倒された今、自らが出て来る他なくなったのだ。

 筋骨隆々とした男は、ジェイスを憎しみの満ちた目で睨みつけた。ジェイスはそれを真正面から受け止める。

「きみ、わたしのような吸血鬼や獣人が嫌いそうだね? 狩人の教育の賜物かな……」

「……」

「だんまりを決め込むつもり、か。……克臣」

「あんだよ?」

 最後の一人を伸した克臣が、頬についた泥を手で拭った。その彼に、いつもの笑みを浮かべて言う。

「ちょっと時間がかかりそうだ。二人を連れて先へ進んでくれ。サクはその辺に潜んでるだろうから、忘れずに」

「了解。……行くぞ。リン、ユーギ」

「はい」

「ジェイスさん、待ってます!」

「すぐ行くよ」

 親友と後輩たちを見送り、ジェイスは再び男に向き直った。気が付くと、彼の周りには先程倒した数の倍近い人数が集結していた。この短時間で呼び寄せたらしい。

「これで、わたしは終わりだと思ったかい? ――甘いよ」

 普段の温厚な笑みからは想像も出来ない冷酷な目で、ジェイスは微笑んだ。


 森に入り、獣道を進む。サクの後ろを走るユーギは、置いてきてしまったジェイスを気にしていた。

「団長、ジェイスさんを何処かで待たなくてもいいんですか?」

「……大丈夫、絶対」

「団長?」

 視線を外すリンを不思議そうに見つめたユーギに、克臣は前に進みながら忍び笑った。

「リンは昔、ボッコボコにされたもんなあ!」

「えっ、そうなんですか?」

「……!」

 サクが驚きの声を上げた。ユーギも驚いてリンの背中を見つめる。リンは最後尾で笑っている克臣を振り返って睨み、当時を思い出したのか顔をゆがめた。

「……五月蠅いですよ」

 けけっと笑い声を上げ、克臣は好奇心に駆られたユーギとサクに昔話を始めた。リンはそれに口を挟むこともなく、無言で走り続けている。

「あの二人、実は師弟関係なんだ」

「ってことは、リン団長の師匠がジェイスさん?」

「そういうことだな、ユーギ。リンの親父さんがいなくなった後、リンが強く生きられるように。ジェイスが師となって武術を教え込んだんだ。その中で、リンは数え切れないほどジェイスと勝負して、負かされてる。勝ったのは数回あるかないか……いや、あったか?」

「……それはもういいでしょう? 行きますよ!」

 いつの間にか数十メートル先を走っているリンが叫び、克臣たち三人を呼ぶ。慌ててリンを追ってスピードを上げたユーギとサクを一時見送り、克臣は振り返った。

「……あいつ、軽く本気を出してないといいけどな」

 その時、何かが爆発する音が響いた。「あ~」と克臣は苦笑いする。

 本気でジェイスが相手を潰そうと思えば、相手にそれ以上の人生はない。

「本気はこの後に取っとけよ、ジェイス」

「克臣さん!」

「今行く」

 リンの呼ぶ声を受け、克臣は手を軽く挙げて答えた。ジェイスはすぐに追いつくとの確信を胸に、駆け出す。


「ここです。トースの神殿は」

 サクが指差す先にあったのは、石造りの建物。洞窟にはめ込まれたように見えるそれは、瘴気を噴き出していりように感じられる。黒い岩や絡み付いた蔓性植物の枯れた姿がそう見せるのか。

 リンは神殿の前に立ち、ここまで案内してくれたサクに礼を言った。その上で、一つ頼み事をする。

「俺たちがここに着いたことを、サディアに伝えてください。そうすれば、リドアスにも伝わりますから」

「わかったよ。……気を付けて」

「そちらも」

 サクを見送り、リンはユーギと克臣と共に神殿に足を踏み入れた。

 日の光が十分に届かない神殿内は、薄暗い。その暗さに目が慣れた頃、彼らの目の前に十人ほどの男女が立ちはだかった。

「あらら。そう簡単には行かせてくれないか」

 苦笑気味の克臣が構えをとる。その瞬間、目の前にいたはずの女がいなくなった。何処に行った、と見回した時、天井から殺気を感じ取る。

「そっちかぁ!」

 克臣が腕を振り上げると、上から突っ込んで来た女とまともにぶつかった。

「……!」

 女は克臣の拳を紙一重でかわし、蹴りではなく手に持ったナイフを振りかざした。もう一人、女が別の方向から克臣に襲いかかる。この局面での強敵は、この二人のようだ。

「日本で言うところの、くノ一だな」

 克臣は余裕の笑みを浮かべ、ユーギに躍りかかった男を蹴り飛ばしたリンと頷き合った。そしてすぐに女らの攻撃を受け流し、反撃に転ずる。

「それ、寄越せ!」

 克臣は並び立つ男たちの一人から太い木刀を奪い取ると、それを頭上でぐるぐると回した。そして、襲撃者を相手取るリンとユーギに向かって叫ぶ。

「リン、ユーギ、行け! 俺が突破口を開く」

「はいっ」

「わかったっ」

 一つ頷くと、克臣は木刀を正眼に構えた。にやりと笑い、呟くように言った。

「勿体ねぇが、見せてやるよ。俺の腕前をな!」

 ――竜閃りゅうせん

 克臣の木刀が、真剣のように光を放った。襲撃者たちは驚いたのか、何人かは半歩下がっている。くノ一たちの動きも止まった。既に気迫で克臣に負けている彼らに、次のターンは用意されていなかった。

「行くぜ」

 克臣はまっすぐに走り出す。襲撃者たちの背後には神殿の奥につながる通路がある。リンとユーギがそこに飛び込めるよう、道を開かなければ。

 青空のような色の光をまとった木刀が振り下ろされる。光は竜のように進み、爆発した。

「うわわああっ?!」

 悲鳴が煙の中でこだまする。リンとユーギはその隙間を掻い潜り、シンデンの更に奥へと走り込んだ。

 石塀で囲まれた廊下をしばらく走り、ようやく二人は速度を緩めた。隣に並んだユーギに対し、リンは口を開いた。

「克臣さんの『竜閃』は、人を傷付ける技じゃない。煙は目眩ましだし、光の竜は幻覚みたいなもんだ。安心していい」

「でも、かなり効くみたいだね」

 ユーギは振り返って苦笑した。背後ではもうもうと煙が立ち込め、その中では襲撃者と克臣の戦いが再び行われているようだ。

 リンもユーギと同じように振り返り、少し遠い目をした。

「……あの人も、本気を出されたら怖い」

 過去に痛い目にあったのだろう。

 地下水だろうか。神殿の壁の隙間から流れ出ている。二人はその脇を歩く。

 無機質な空間が続く。何処から敵が襲ってくるかわからない。リンもユーギも、緊張感を保持したまま進み続ける。

 しばらく行くと、廊下の左右に部屋が配されるようになった。石の戸に空いた穴から中を覗くと、昔の武器や装飾品、神像が置かれている。神像は、ソディールの神話に関するものだろう。

「よう」

 何処に通路があったのだろうか。その男は、道を曲がるようにして突然現れた。黒いフードを目深に被り、リンに対して軽く片手を挙げる。

「……誰だ? お前」

「おいおい。……昔、負かした相手のことなんて、忘れちまったか?」

 そうほくそ笑むと、男はフードを脱ぐ。その下に隠されていた白髪が現れ、赤黒い瞳がまっすぐににリンを射抜いた。

「……ハキ」

「覚えていてくれたか、リン。光栄だっ、ぜ!」

「くっ」

 リンはハキの剣先をかわし、後ろへ飛び退く。「やるじゃねぇか」と剣を肩に担いだハキは、再びそれを振り下ろした。その斬擊は、リンへの攻撃ではない。

「ユーギ、跳べ!」

「うはぁっ」

 突然始まった戦いを傍観していたユーギは、慌てて横っ跳びで剣を避けた。ハキは当てるつもりもなかったらしく、すぐに剣を引っ込めた。

「ククク。よく訓練された狼だな、リン」

「……ユーギ、あの部屋に隠れててくれるか?」

 リンが指差したのは、すぐ傍にあったとびらのない部屋。ユーギが素直にそこへ入ったことを見届け、リンは杖を展開した。

「――あいつは、俺が倒す」

「前みたいにはいかねぇぜ!」

 リンの呟きに呼応するように、ハキが躍りかかる。そのやいばを杖で受け止め、押し返した。

 キンッ キンッ

 何度も空中に火花が飛ぶ。一撃一閃のスピードは目にも止まらず、隠れて様子を窺うユーギには追えない。

 戦う様子を見る限り、ハキは吸血鬼や獣人ではない。しかし、ただの人間の戦闘力はゆうに越えており、よほどの訓練を経てきたことだけはわかる。

 リンは翼を広げ、空中からハキに襲いかかった。しかし、杖と大振りの剣の差は歴然としている。一撃が振るわれる度、リンの頬や腕に小さな傷ができる。対してリンの魔力は、相手の懐に届いていない。

 ハキは高笑いと共に、リンを煽った。

「どうした、リン! お前はその程度か?」

「黙れ!」

 リンはハキの攻撃可能範囲内から離脱した。そして、杖を一度振る。

 十字架を模した杖は、瞬時に姿を変えた。先端から刃が現れ、杖部分が柄となって縮む。細身の剣となった武器を構え直し、リンは飛び上がった。

 二人の剣がぶつかる、その瞬間だった。

「リン!」

「ユーギ!」

「ジェイスさん! 克臣さん!」

 ユーギが声の方に体を向けると、二人の青年がこちらへと駆けてきているのが見えた。

 ジェイスと克臣に気付いたハキは剣を引き、リンも地上に降りる。ハキは部の悪さを肌で感じたのか、チッと舌打ちをした。

「……次はないぞ、リン」

 捨て台詞を残し、ハキは踵を返して消えた。

「助かりました。ジェイスさん、克臣さん」

 剣を杖に戻しながら、リンは礼を言った。気にするなと言う風に手を振った克臣が、ハキの消えた方向を睨み付けた。

「おい、リン。あいつは……」

「はい。……やつらの側にいたようです」

 ユーギはリンとハキの関係性に少なくない興味を持っていたが、今はそれを尋ねられる雰囲気ではなかった。リンもそれ以上は語ろうとしない。

 見れば、克臣もジェイスもかすり傷程度の怪我しかしていない。リンは己を顧み、その差に頭を抱えたくなった。

「……今は、考える時じゃない。まずやるべきことをやってからだ」

 リンはそう呟き、三人と共に、神殿の更に奥へと進んだ。

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