第18話 神殿にいるもの
リンたちが宿屋に到着した頃、トースの神殿では人数が増えていた。
入り口すぐの広間でアイナはその人物と初対面を果たし、警戒を
「お前が期待の新人、アイナか?」
「……期待の、かどうかは知りませんが。アイナは私です。……あなたは?」
「ハキ。お前の上司ソイルさんの後輩だよ」
ハキは黒いパーカーのフードを取り、白髪をさらした。
「よく来てくれたね、ハキ」
神殿の奥から、ソイルが姿を見せる。彼が微笑みかけると、ハキは舌打ちをした。
「ソイルさん。確かにやつら、アルジャに来てますよ。まだ、殺しに行っちゃいけないですか?」
「そう焦るな。やつらはすぐ、自らの首を差し出すようにここへ来ざるを得ない。やつらは我らを北から追い出したいのだから。そのためにも、準備を怠ってはいけないよ」
「あの方のため、ですか」
「そう。あの御方が求める世界を作り上げるため、再起不能なくらいには痛めつけなければ」
暗い笑みを浮かべる上司を横目に見て、アイナは軽い寒気を覚えた。狩人が何処へ向かうのか、わからなくなりそうだ。
(……いえ。ソイル様は間違いない。私はこの人について行けばいい)
わからない、などと考えることは罪だ。そんなことを一瞬でも表情に出せば、彼女は終わる。文字通りに。アイナは努めて無表情を通した。
アイナの目の前では、ソイルとハキが何やら相談中だ。
狩人の本拠地は南の大陸にある。北での勢力拡大のために出たのは、アイナとソイル、そして彼らの下に二十人ほど。彼らはあの御方の命に従い、応えなければならない。期待されているかは別にして。
アイナも実働部隊の一人だ。二人の男の会話に入ろうと一歩足を前に進める。そんな彼女の存在を思い出し、ハキは彼女を見下ろした。十センチ以上の差は埋まらないが、アイナも彼を見上げた。
「……お前は、この神殿が俺たち狩人にとってどんな意味を持つのか知っているのか?」
「……いえ。浅学で申し訳ありません」
アイナはソイルに連れられて、ここを拠点として認識しているだけだ。この場所が神殿であることはわかっていたが、ハキのいうようなことは、何も知らない。素直に頭を下げると、ハキは軽く頭を振った。
「これは、狩人でも一部の人間しか知らないことだ。アイナが知らずとも無理はない。……ソイルさん、いいですよね?」
ハキは階段に腰を下ろし、立ったままのソイルに問うた。
「ああ、構わない。アイナは、知っておくべきだから」
ソイルの許可を得て、ハキは話し始めた。
それは、もう五百年以上昔の話だ。
大昔、ダクトという少年がいた。
彼はとある町で、両親や妹と共に、平和に暮らしていた。何処にでもいそうな四人家族。ダクトは幼いながらも、漠然と、大人になるのだと信じていた。
しかしある夜、少年の形を持たない夢は砕かれた。
遅くまで友人たちと遊び帰って来たダクトが見たのは、大量の血で染まった居間だった。床には、力なく倒れている両親がいた。
近くで倒れていた母親を助け起こしたが、既に息絶えていた。それは、よろよろと近付いた父親も同じ。
どうして、とダクトは呻いた。母の手が首元にあてられている。そこは、何かに食い破られたように裂けていた。
父親の手には、剣があった。その刃には大量の血がこびりついている。どうやら、何者かと激戦を繰り広げた後、敗北したらしい。その父も、首を狙われていた。
何故。それを考える前に、ダクトは両親と共にいたはずの妹を探した。生きているのかもわからない妹を。
ほどなくして、探し人は見つかった。妹は寝室の物置の中に隠されていた。息を殺して震えていた妹は、戸を開けたのが兄だとわかると、火が付いたように泣き出した。その激しさが、我慢し続けていた悲しみを決壊させた。
どれほどの時間、二人で泣き続けたのだろう。夜が明けて、二人の名を呼ぶ声が聞こえてきた。
よかった、無事だったか。そう言って二人を迎えたのは、彼らの父の兄だった。
彼の話によれば、ダクトの両親は吸血鬼に襲われたのだという。
当時、吸血鬼はその特異な能力で大陸を支配していた。血を吸う彼らにとって、何の力も持たない人間は、餌であった。
ダクトの両親が狙われた理由は、彼らの敵であったからだ。吸血鬼を滅亡させ、支配権を人間が奪い取るために活動する組織の長が、ダクトの父であった。
吸血鬼に血を吸われた人間は、吸血鬼となる。そうなってしまえば、父のたくらみは頓挫すると思われたのかもしれない。
しかし、思いの外両親は抵抗した。あの血の量を見る限り、吸血鬼側にも負傷者は出たのだろう。それでも最後には吸血鬼が勝り、両親は殺された。
ダクトは、悔しくて悲しくて仕方がなかった。伯父は二人が無事でよかったと言ったが、ダクトは全員で助かりたかった。あのまま、四人で幸せに生活していたかった。
だから歯を食いしばり、いつか復讐すると決めた。
姉妹は伯父夫婦に引き取られた。妹は一時、事件のショックで精神を病んだが、当時二歳だったこともあり、やがて病気を克服した。子のいない夫婦は実の子のように二人を愛し、慈しんでくれた。
それでも、ダクトの復讐の念は消えなかった。
吸血鬼による支配が強まる中、ただの人間であるダクトたちの暮らしは厳しくなっていった。
両親を喪った時に四歳だったダクトは、十歳になっていた。そしていつしか、大人と呼ばれる年を迎えた。
青年期から父の昔の仲間と共に活動を始めていたダクトは、ある年の冬、原因不明の病に侵され、治療の甲斐なく命を落とした。
しかし、それでは終わらなかった。
ダクトの魂は冥界に逝くことなく、この世に留まった。
何がそうさせたのか、今となってはもうわからない。いつしかダクトの魂は、一部の人間たちによって崇められるようになった。
神と名付けられ、神殿に祀られた。
ダクトは意識を保ち、自分を崇める人々を組織化した。
――それを現在、『狩人』という。
「……そして、あの御方ことダクト様が祀られていた神殿が、ここだ」
ハキは息をつき、長い話を終えた。アイナは、愕然とするしかなかった。
狩人が、吸血鬼や獣人を絶滅させるために動く組織であることは知っていた。だからこそ、アイナも入ったのだから。
「ですが、初代がそんなに昔の方だとは知りませんでした」
「初代? おかしなことを言う」
ソイルは微笑み、アイナの顔を覗き込んだ。
「アイナ、お前は本拠地で見たことがあるだろう? 謁見の間で玉座に座るあの御方を」
「直視したことはありませんが、黒いベールに包まれたような影ならば。――まさか!」
「そういうことだ」
階段から降りてきたハキが、頷く。
ダクトの意識は、今日まで続いて
「我ら、狩人の
吸血鬼に協力する獣人も人間でさえも、同じ末路だ。冷たい薄笑いを浮かべて言い切る上司の顔を、アイナは無表情に見つめていた。
「……確かに、吸血鬼がソディールを支配していたのは歴史的事実だ。しかし、血を吸う吸血鬼は歴史の表舞台から消えて久しい。彼らは歴史の中で居場所を失い、現在は獣人や現在の吸血鬼、それに人間が暮らす世の中になっている」
これは、歴史を学ぶ人しか知らないだろうね。そうジェイスは言った。
名前だけが残った吸血鬼。その名は今や、人間と同じような外見ながらも魔力という圧倒的な力を持つ人々を指す名となった。
そんな話があったとは。その場にいる全員が黙り込む。しかしその思い沈黙を割いた声があった。
「……昔はそうだったかもしれない。だけどぼくは団長も好きだし、ジェイスさんも好きだよ。ぼくは狼人だけど、そんなことは関係ない」
「お前は優しいな、ユーギ」
はっきりと言い放つ少年の目は、曇りない。柄にもなく、リンはユーギの頭を撫でた。ふわふわとした感触の耳がぴくんと立った後、気持ちよさそうにぺたんと寝てしまった。その様子を、他のメンバーが温かく見守っている。
克臣はジェイスと顔を見合わせ、頷き合った。胡坐を解き、立ち上がる。
「あちらさんにも、同じように思ってもらえたらよかったんだけどな。サク、案内頼むわ」
「はいっ」
慌てて立ち上がったサクの案内で、リンたち四人はトースの神殿へと歩き出した。
町中を抜け、森に入る。その頃には夕闇が迫っていた。
「……少しだけ、寄り道してもいいですか?」
「いいぞ。……行きたいんだろ?」
ユーギの遠慮がちの言葉を快諾し、リンたちはホライ村へと方向を変えた。
彼らが村近くに着いた時、湧水があった。そこで水筒の水を補給していると、村の方から足音が近付いて来る。慌てて五人が草むらや木の影に姿を隠すと、湧水の傍に女性がしゃがみ込んだ。大きな桶を抱え、その中に水を汲み入れる。
リンはその女性の横顔に見覚えがあるように感じた。誰だ? と思う間もなく、少し離れた繁みで小さくなっていたユーギが目を大きくして口を動かした。
おかあさん、と。
茶色の狼耳と大きめの瞳、確かにユーギに似ている。女性は息子の存在に気付くことなく水を汲み、そのまま村へと引き返していった。しばらくして誰も来ないと確認し、全員が息をつく。
追いかけたかっただろうに、ユーギはその場に留まっていた。リンは彼の傍に立ち、尋ねる。
「よかったのか?」
「……うん。ここに来て、改めて決意が固まったよ」
ユーギは村の姿を目に焼き付けるかのように見つめ、くるりと踵を返した。そちらには今にも沈もうとする太陽があって、眩しさに目を細める。
「ぼくに出来ることを、するよ。笑ってほしいから。出来ることで、戦う」
ユーギは気付かなかったようだが、リンは彼の母の腕に大きな傷があることを目にしていた。すでに血は止まってかさぶたになってはいたが、深いようだ。痛々しいその傷が、あの村の現状を示しているように思える。
リンはあえて、そのことをユーギには伝えない。これ以上心の傷を増やす必要はないし、いずれ傷痕に気付くだろう。
五人は改めて、北の大陸における狩人の本拠地を目指し、歩き始めた。
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