第17話 戦うの意味はひとつじゃない
次の日の早朝。リンは克臣とジェイス、ユーギの三人と共に旅支度で玄関ホールにいた。
旅支度とはいえ、軽装である。キャンプに行くような格好ではない。大きなリュックもない。アルジャで合流予定のサディアたちが必要分のみ調達してくれる手はずになっている。
これから北の大陸へ旅立つのだ。狩人を北から追い出すために。
「サラ、エルハさん、文里さん……晶穂。リドアスを頼みます」
「まっかせて、団長」
「ああ。何があっても、守り抜いてみせるよ」
「団長たちも気をつけて」
「……必ず、無事で」
四人がそれぞれ、北へ行くリンたちを激励する。
文里は、唯文の父親だ。実は武術の師範を務めるほどの腕前を持ち、正規メンバーではないが、銀の華に出入りする頼れるご仁である。
「いってきます」
一番年下のユーギが、緊張の面持ちでぺこりと頭を下げた。その頭を克臣がぐりぐりと撫で回し、ジェイスがたしなめる。ユーギも勢いよく頭を上げ、キッと克臣を見上げた。
「もうっ。毎度毎度何なんだよ! ぼくはおもちゃじゃ……」
「元気ならいい」
「……はあ」
ぽんぽん、と乱れた髪を整えるように撫でられ、ユーギはぽかんと口を開けた。「行くぞー」と踵を返す克臣の背を見つめていたユーギに、ジェイスが笑いかける。
「ふふっ。克臣は不器用だからね。あんな方法でしか、ユーギを元気付けられないんだよ」
「あの人は子どもみたいだけど、本当はとても周りを見てる人ですからね」
リンも同意する。
「そう、なんだ……」
納得し切れていない顔で首を傾げつつも、ユーギは三人の後を追った。
四人が玄関ホールから消える。アラストの駅から汽車に乗るのだ。
エルハと文里がいなくなった後も、晶穂は何となくそこに佇んでいた。
「行っちゃったねえ。……寂しい? 晶穂」
サラが晶穂の背後から抱きついてくる。晶穂は逡巡してから、素直に頷いた。
「えっ? ……うん、そうだね」
「随分と素直なことで」
「からかわないでよっ。サラに嘘言ってもバレるもん」
「あたしは猫人だからね~。あはっ。鼻も利くのよ」
ぐっと体重をかけられ、晶穂は足に力を入れる。重いよ、と文句を言うと、サラは軽い動きで離れてくれた。
「さっ、あたしたちは待つのが仕事。団長たちが安心して帰って来られる場所を守るよ!」
「うん」
サラに手を引かれて部屋に戻る前に、晶穂は一度玄関を振り返った。
(わたしは、わたしが出来ることをしよう)
昨晩のことを思い出し、晶穂は強く心に誓うのだった。
泣き疲れたユーギが眠った後、晶穂はそっと廊下に出た。食堂のキッチンでアイスの器などを洗い、所定の位置に戻す。
「目、冴えちゃったな……」
掛け時計を見れば、もう寝なくてはいけない時間帯。けれど、今戻っても寝られそうにない。晶穂は自室から薄いカーディガンを持ち出し、極力音をたてないようにして中庭に出た。
リドアスの中庭には、巨木がそびえ立つ。樹齢を知る者は誰もいない。大昔からこの地に生え、全てを見守り続けている。春になれば白い花を咲かせ、夏になれば青々とした葉を日の光の中に茂らせる。晶穂はまだ見たことはないが、きっと秋も紅葉が美しく、冬はその壮大な幹が存在感をこれでもかと見せつけるのだろう。
その木の下にはベンチがある。そこに座って空を見上げれば、夜というキャンバスに白い月がたった一つ置かれていた。
「流石に、夜中は肌寒いか……」
カーディガンのボタンを二つかけ、晶穂は息をついた。
ユーギの泣き顔を思い出す。故郷の仲間を傷つけられ、自分は何も出来ないという悔しさを全身で撒き散らしていた。それでも彼はもう一度、北の大陸へ行こうとしている。
小さな体に宿る強さが、晶穂を揺さぶった。
夜風が髪を揺らし、晶穂は顔にかかった一筋を指で払った。
(わたしは、何の力も持ってない。そんなわたしには、待つことしか出来ないの……?)
「日本でいうところの、上弦の月ってやつだな」
「リンさん……」
声がした方を見れば、リンが扉を閉める所だった。
「よう」
「こんばんは」
当たり障りのない挨拶しか浮かばない。晶穂は内心苦笑した。
リンは晶穂の隣に空間を空けて座った。その小さな子ども一人分の距離が、何故だか切ない。
「ユーギは眠ったのか?」
「はい。流石に泣き疲れたらしくて」
「そうだな……。あいつは、頑張り過ぎだ」
寝るまで傍にいてくれてありがとう。そう言われ、晶穂は小さく首を横に振った。
「わたしに出来るのは、それだけですから」
「それが、ユーギを安心して泣かせ、眠らせたんだ」
俺も同じだ、とリンは呟く。
「誰かが待っていてくれる。誰かのために戦える。だから、俺は何処にでも行ける。行って、戦うことが出来るんだ。……お前だって、戦ってるだろ?」
「わたしが?」
目を丸くする晶穂に、リンは頷く。
「腕っ節だけが、人と刃を交えることだけが、戦うってことじゃない。……お前は、晶穂は狩人の脅しに屈せず、自分の血を守った。そして自分の過去を知ろうしているし、異世界であるこのソディールで仲間を作った。その強い意志は、誰もが持てるものじゃない」
「わたしもみんなと、リンさんと一緒に戦っている。そう、思ってもいいんですか?」
月を見上げて、リンは小さく笑った。
「……少なくとも、そのお蔭で俺は動ける」
ぼそりと聞こえるか聞こえないかの声で呟かれた言葉は、静かな夜の空気を震わせ、確かに晶穂の耳の届いた。
晶穂がはっとリンの横顔を見れば、目元に朱が走っている。不思議なもので、リンの一言が、晶穂の心を和らげた。
「ありがとう……ございます」
「うん……」
照れ隠しなのか何なのか、リンは月を見たまま視線を晶穂と交えようとはしない。晶穂の顔を見ないまま、リンはベンチから立ち上がった。寝るぞ、と言いながら。
「……明日、といってももう今日か。朝には俺とジェイスさん、克臣さん、ユーギは出る。……必ず、戻るから」
「はい」
二人は廊下で別れ、それぞれが自室で瞼を閉じた。
そして朝、リンは北へと旅立った。
明るい日に照らされているはずなのに、その場所だけは暗くよどんでいる気がした。木立のせいではない。そこにいる人物のまとう空気がそうさせるのだろう。
赤と黒が入り混じる瞳の色は、その眼光の鋭さと相まって独自の雰囲気を作り出す。日を反射して輝くはずの白髪は、何故か暗く見えた。
「よく来てくれたね、ハキ」
「……ソイルさんに呼ばれたら、来ないわけにはいかないでしょう」
町にある大きな公民館の裏で、男は両手を腰に据えた。ソイルはただ微笑む。
ハキは狩人の中では珍しく、一匹狼で仕事をしてきた青年だ。上の命令を素直に実行することはまずない。やり過ぎることがほとんどだが、なかなかの信頼を勝ち得ている不思議な男である。
「再び、きみの力を借りなくてはいけない事態が生じたんだ。知ってるかい?」
「リンの野郎、ですか? 懲りずにオレらの邪魔をし続けてるとは聞いてましたけど。オレはしばらく南にいたんで」
「そうだね。……実は、彼らがこの北へやって来るという情報がある。その相手を頼みたい」
短い白髪の青年は、赤黒い目を細めた。危険な気配が増幅される。
そんなハキに、ソイルは一枚の紙を手渡した。そこに書かれているのは、彼が予想したリンたちの動き。そして、ある場所を示していた。
「これは予定表。彼らはきっと、ここに来る」
「承知」
ソイルから紙を奪い取り、ハキは一瞬で姿を消した。誰もいなくなったその場所で、ソイルはほくそ笑んだ。
汽車に揺られたリンたち四人がアルジャ近くの駅に到着したのは、昼過ぎだった。
その直前の車内で、ユーギは疑問を口に出した。
「そういえば、克臣さんは奥さんになんて言ってるの?」
「え?」
「だから、奥さんにはソディールのことも銀の華のことも言ってないんでしょ? 今回だって何日かかるかわかんないのに……。愛想つかされるよ?」
「お前に心配されるとは思ってなかったよ……」
克臣は嘆息し、ガシガシと頭をかいた。「痛い所を突かれたな」と笑うジェイスを横目で睨む。
「何日か出張で地方に行くと言い訳してる。実際営業だから出張はよくあるし。……本当は、早めに言っておいた方がよかったんだろうけどな」
「彼女はわたしのことを知ってるしね。高校の同級生だったから」
「そうなんですか?」
「……ジェイス、リンまで興味示しちまったじゃねえか。それくらいでやめてくれ」
「はいはい」
旗色が悪くなった、と克臣が降参する。その時、彼を助けるかのように到着を知らせるベルが鳴り響いた。
「ほら、行くぞ。この話はもう終わりだ」
リュックを背負い、克臣はいの一番にプラットホームへ降りてしまった。
彼に続いて汽車を降りたリンたちの前に、サディアが姿を見せた。
「お待ちしてましたよ、団長たち。宿へ案内します」
「頼みます」
他の班員は宿に待機しているという。五人はアルジャへ向かう大通りで横道に入り、目的地を目指した。
「サディアさん、町の様子はどうですか?」
リンは前を速足で歩く一つ年上の少女に尋ねた。サディアは振り返らず、歩みのスピードも緩めずに口を開く。
「見た目は今までと変わらない。だけど、住民の不安感は相当なもの。アルジャはまだいい方で……トースやホライは更に酷い。狩人による暴力でけが人が多く出ています。……ユーギとアルキさんの情報を自分でも確認したので、間違いはないかと」
「……そうですか」
リンのすぐ後ろを歩くユーギの反応はない。彼の後ろについているジェイスが見ると、少年の拳は強く握り締められていた。
しばらく歩くと、宿として使わせてもらっている『宿屋きん』の暖簾が見えた。治安が悪くなった結果、宿泊客は激減しているという。
「今日もうちら以外は誰もいない。叔母さんには悪いけど、都合がいいよ」
キンもラナクもリンたちを歓迎し、大部屋に通してくれた。その名は『大河』。
畳の敷かれた大部屋に、アルキ・リクト・センが車座になって五人を迎えた。サクは一人で偵察に出ているらしい。
五人が加わり、リクトが手を挙げて発言権を求めた。
「団長。サディアからも報告済みだろうけど、この北の大陸は狩人の勢力範囲となりつつあるよ。北は南に比べ、おれたちみたいな獣人と吸血鬼、人間が分け隔てなく住んでいた中立地域。この地域で人間だけの力が大きくなるなんて、ソディール全体のバランスにも影響しかねない。まずは早急に、やつらをやつらの本拠地である南に追い返さないと」
「そうですね。……狩人の潜伏先の目星はついてますか?」
「それは今、サクが最終確認に……お、帰って来た」
ダダダダダッと走る足音を響かせて駆け込んできた青年は、リンたちを見て目を瞬かせた。
「遅くなりましたっ。……あれ、団長たち。今日だっけ?」
「今朝そう言ったじゃない。で、わかった?」
サディアの催促に、サクは大きくうなずいた。
「ああ。狩人の北の拠点は、トースだ。しかも、山奥の神殿」
「神殿? あそこ、そんなものあったっけ」
「――あっ」
首を傾げるサディアの向かいで、ジェイスが声を上げた。
「うおっ。……びっくりした。どうしたんだよ、ジェイス?」
「克臣、思い出せ。トースの神殿に封じられているものを!」
「んー。あそこは昔から禁足地だって聞いたことが……あ」
「思い出したか」
何か思い当たった克臣が、顔色を変えた。「リン、やばいぞ」と弟分の顔を見る。
「何がやばいんです?」
「リン、トースの神殿に狩人を近付けてはいけなかった。あそこは、やばいもんが封じられてる」
克臣の慌てように、リンは胸騒ぎを覚えた。そしてその不安は、克臣のあとを引き取ったジェイスによって、現実のものとなる。
「……神、だよ。リン」
「神?」
何の神かを聞いた七人は、黙った。ある者は天井を仰ぎ、ある者は畳を見下ろした。
「……マジかよ」
リンの呟きが、全員の心中を示していた。
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