第16話 年相応に

 翌夕方。リドアスに戻ったサディアは、真っ直ぐリンたちの前に行き、調査報告を行った。彼女と共に戻ってきたはずのユーギの姿が見えず、リンはサディアに尋ねた。

「あ~……。ショックが大きかったのか、自分の部屋に戻ると言って、行っちゃいました。引き留めた方がよかった?」

「いえ。先にサディアさんの用を済ませましょう。再び調査をお願いすることになりそうですし」

 リンはそう言うと、克臣とジェイスと共に、再びサディアの話に集中した。


 一方その頃、晶穂はユーギの部屋の前にいた。

 サディアと共に帰って来たユーギに声をかけたのだが、気付かなかったのか無視されてしまった。彼の暗い表情が気になってここまで追ってきたは良いものの、どうすべきか考えあぐねて五分ほど経過した。このままでは、手に持ったものが溶けてしまう。

「……よし」

 コンコンコン

「ユーギ……くん?」

 無言。反応がない。

 当たり前かもしれない。昨日、故郷が狩人に侵略されているところを目の当たりにしたと、リンから聞いている。しかも被害者はお母さんと幼い女の子というではないか。ユーギが何も出来なかったことを悔やみ、泣いているのではないかと思った。

 晶穂はドアノブを回してみた。回る。

「入るよ?」

 ゆっくりと戸を開け、中を覗き込んだ。

 十歳の少年ではあるが、ユーギには一人部屋が与えられている。リドアスに好き勝手出入りする子どもたちは家族と共に暮らしている場合がほとんどだが、何故かユーギはそうしていない。一応、実の父であるテッカが銀の華の遠方調査員であるから、保護者がいないわけではないのだが。自分に近いものを感じ、晶穂はユーギを支えたかった。

 少し戸を開けただけでは、室内の全容は見えなかった。少し暗いかな、と思う程度。首を傾げながら部屋に入り、晶穂は少し驚いた。

「……何してるの、ユーギくん」

「あ、晶穂さん。どうしたの?」

「それはこっちのセリフだよ……」

 照明器具を一つもつけず、ユーギはベッドの上に座って本を読んでいた。せめて補助照明くらいは、と晶穂はベッド横のランプのスイッチを入れる。ぼやっと室内が明るくなった。

 その明かりで、ユーギが呼んでいた本のタイトルが見える。『対狩人ノート』とあった。

「ユーギくん、それは?」

「くん、なくていいよ。……これは狩人対策の作戦とか、過去の戦闘記録とか集めたものなんだって。図書館にあったの借りてきたんだ」

「ユーギ……は、どうしてそれを?」

「……やつらに対抗する力が、ぼくにはないから」

 文に目を落としたまま、ユーギは続ける。

「リン団長やジェイスさん、克臣さんのように、戦闘力を磨いてきたわけじゃないし、特別頭がいいわけでもない。だけど、ぼくに出来るのは、まず知ることだから」

 ぺらり、と一枚ページをめくる。「えらいね」と晶穂は言った後、手に持っていた小さなクーラーボックスを開けた。甘い香りがして、ユーギが顔を上げた。

「それ、何?」

「ん~? アイスクリーム。ユーギに食べさせてあげようと思って持って来た。バニラとチョコと抹茶。どれが好き?」

「え……と、チョコ……」

「はい」

 カップに入ったチョコアイスを受け取り、ユーギの表情が少し明るくなった。本人は気付いていないだろうが、さっきまで眉間にしわを寄せていたのだ。

 スプーンですくって口に入れる。おいしそうに頬張る姿に、晶穂はほっと肩の力を抜いた。

「ごちそうさま。ありがと、晶穂さん」

「お粗末様でした。こちらこそ、食べてくれてありがとう」

「……これ、ナキにも食べさせてやりたいな」

「ナキ?」

「妹。村にいるんだ。……悔しいなぁ」

 カップとスプーンを晶穂に手渡しながら、ユーギは笑う。

「悔しいよ。ぼくの村、仲間が傷つけられてて。それを、見ていることしか出来なくて。それ以上がぼくのいない時に起こったら、助けられない。……でも次は違う。必ず、狩人を追っ払って、村を取り戻してみせるよ」

 早口で、まくし立てるように話すユーギ。それは止まらない。止めれば、溢れてしまいそうだから。

「だから、それまでは大丈夫。晶穂さん、ぼくは元気で――」

「元気じゃないよ!」

 ユーギの言葉を遮り、晶穂は言い切った。その語気の強さに、ユーギは大きな目を更に大きくして固まる。その小さな体を正面から抱き締め、晶穂は言う。

「ユーギ、部屋の明かりはつけてないし、リンさんたちのところにも来ない。それにこんな作戦集まで読んで……。一人じゃないんだから、あなたは、一人で抱え込まなくていいのッ」

「――っ」

 この部屋は異様だ。おもちゃはほとんどないし、椅子と机とベッド、本棚くらいしか家具がない。

 ユーギが息をつめた。精一杯入れていたであろう力が、少しずつ抜けていく。

「……ぼく」

 声が滲む。十歳の少年が一人で背負える荷物は、そう多くはない。この荷物は重過ぎる。いや、誰であれ、たった独りで背負えるものではない。

 晶穂はユーギの背中をさすりながら、ゆっくりと話す。語り掛けるように。

「……一人で頑張り過ぎたら、疲れちゃうよ。わたしたちにも、少しわけてくれてもいいんじゃないかな」

「……俺も、そう思う」

「……え、団長? なんで……」

 顔を上げて、ユーギは驚きの声を上げた。戸口に背中を預け、リンがこちらを見つめている。その目元が、ふっと和らいだ。

「俺じゃ、不足か? ユーギ」

「そんなことっ」

「……俺たちに黙って、特攻作戦でも決行するつもりだったか? 時代錯誤も甚だしいぞ」

 言い募ろうとするユーギを制し、リンは言葉の強さとは反対に、痛みを堪えるような表情で言い放った。

 晶穂は無言で、もう一度ユーギを抱き締める。独りじゃない、と伝えたくて。

 彼女の思いが通じたのか、ユーギの体が震えた。

「……ぼく、悔しくて、悲しくて。一矢報いてやらなきゃって。仲間を、家族を助けなきゃ……」

「うん。ユーギはやろうとしてるんだよね。でも、リンさんたちだって、狩人と戦ってるよ? わたしにはみんなみたいな力はないけど、支えたいって思ってる」

 言葉を切り、晶穂は一呼吸置いた。

「……独りではできないことも、みんながいればできるんじゃないかな? わたしたちだって、ユーギの仲間だよ。ユーギがわたしに言ってくれたよね」

「俺は、ユーギを仲間だと思ってる。勿論、ジェイスさんも克臣さんも。年齢なんて関係ない。……一緒に、戦ってくれないか?」

「――ッ」

 リンの腕が、晶穂とユーギに触れる。二人を抱き締めるようにして、リンが腕を回していた。晶穂はドキリとしたが、ユーギの様子が変わり、うやむやになってしまった。

「う……うわあああぁぁぁぁぁあぁあぁっ」

 ユーギの涙が決壊した。その泣きようがあまりに子どもらしく、晶穂とリンはほっと顔を見合わせた。

「……泣き止むまでは、傍にいてやってくれ」

「はい」

 頷く晶穂にユーギを任せ、リンはユーギの部屋を後にした。


「やっと泣いたか」

「克臣さん。ジェイスさんも……」

「流石に心配だったからね」

 ユーギの部屋を出た直後、リンは二人が廊下に立っているのに出くわした。くすくすと笑いを漏らしながら、克臣がジェイスに言う。

「しっかし、デカい泣き声だな。ジェイス」

「あの子があんなに子どもらしく泣いたことなんて、今までなかったんじゃないかな?」

「そんだけ、親父の背中を追うのに必死だったんだろうよ。テッカさんは銀の華の中で、俺たちよりも古株だ。腕も確かだしな」

 リンでさえ、テッカに会ったのは数回程度。一か所に居続けるのは性に合わないと言って、滅多にリドアスに寄り付かない。

「さ、俺たちの方向性は定まったな。リン団長?」

「はい。……やられてばかりでは、いられませんから」

 ふっと口端を吊り上げたリンは、兄貴分二人と共に、もう一度部屋へと戻って行った。




 三日月がかろうじて夜の闇を照らしている。しかし人の心に存在するどろどろとした黒いものは、拭い去ることが出来ない。

「何っ。我らの動きをあちらが察知したというのか!?」

 アイナは一報を聞いて軽くのけぞり、次いで後ろにいたソイルの顔を見た。

 下っ端によれば、昨晩にアルジャを巡回していた時、銀の華のメンバーらしき集団を目撃したのだという。銀の華に特定の印はないが、人間の娘に従う獣人が数人いたというから、確かだろう。

 アイナは内心焦りを感じていた。アルジャもトースも北の大陸での狩人の拠点としての役割を果たすのに十分な規模がある。けれど今以上に勢力拡大を図るためには、北だけでなく南での活動も盛んにしなければならない。しかも、どちらも出来るだけ速やかに。密やかな侵略行為がこれほど早く敵に見つかったことに、驚きを隠せなかったのだ。

 そんな彼女の感情を見透かしたように、男は冷ややかな視線を送った。

「狼狽えるな。それでも狩人か」

「……申し訳ありません」

 静かに怒号され、アイナは項垂れた。ソイルは部下の様子には目もくれず、畏まる報告者に「他には?」と尋ねた。

「あとは、トース、ホライでも銀の華が目撃された由にございます」

「わかった。下がりなさい」

 再び、アイナとソイルの二人のみとなった。

 二人がいるのは、北で狩人の本拠点となったトース最奥に建つ神殿だ。ここは古くから、邪神とも伝わる一人の人物を捕らえ封印してきたと伝わる禁足地であった。一般人なら決して近付くことのない山の奥。何故、彼ら狩人は平気で足を踏み入れたのか。

「……アイナ。あのお方は気が長い方ではない。こちらも気を抜けぬ。わかっているね?」

「はい。……我々は、あのお方のため、この世界を手中に収めなければなりません」

「そう。それが、一番手っ取り早い」

 ソイルは乾いた笑みを浮かべ、あごに指をあてた。

「しかし、厄介なことになった。このままでは、あのリンたちがこちらに攻めてくるのは時間の問題。……こちらも精々手勢を増やして迎え撃つことにしよう。アイナ、通達を」

「はっ」

 一礼したアイナの細い背中が、大理石の壁の向こうに消える。ソイルは一歩、拝殿に近付いた。

 彼の瞳に黒く光が瞬いた。わずかに上がった口端が、普段から微笑みを絶やさない目元に凄みを与える。さて、とソイルは呟いた。

「やつを、呼ぼうか」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る