第15話 ホライの悲劇
宿屋に泊まったあくる日、メンバーはそれぞれの目的のために出かけて行った。
ユーギはアルキと共に彼の故郷・ホライ村へと足を進めていた。森の中、人の作った道を歩く。時折、商人とすれ違う程度だ。二人っきりの道中、話は家族のことが中心に上りやすい。
「でもまさか、最初から家族に会いに行けるなんて思ってませんでした」
「そういえば、ユーギはリドアスに一人でいるのかい?」
「はい」
目を丸くするアルキに、ユーギは「でも」と付け加えた。
「独りじゃないです。ぼくの父は銀の華の遠方調査員です。ただ、遠くへ行っていることが多いので、滅多に顔を見ませんけど。母と妹が村にいます。ぼくだけが、父について銀の華に入ったんです」
テッカという名を知りませんか? そう尋ねられ、アルキは合点した。
テッカは凄腕の遠方調査員として組織内で名高いが、様々な場所を渡り歩いて情報を集めてくるのが仕事のため、滅多にリドアスで姿を見ることはない。旅好きなのだ、と以前克臣が笑っていた。「あのおっさん、何処で何してんだろうな」と。
「凄い親父さんだな。私の子どもたちと妻はアラストに暮らしてるよ。小さな商店を営んでいるんだ。銀の華は、仕事というより好きでやってるって感じだね」
「いいですね。ぼくの家族は村を選びました。その方が何かあった時に銀の華との関係を悟られず、言い訳が出来ると父が……。あ、あそこです!」
森を抜けた先、ユーギの指差す先に、集落が見えた。ユーギは目を輝かせたが、アルキは眉間にしわを寄せる。長年の勘が、すぐに村へ入るなと告げる。
走り出そうとしたユーギの襟首をつかみ、アルキは首を振った。そのまま脇へ逸れ、森の中へと入る。
「どうしたんですか?」
「いや。……しばらく様子を見たい。村に入るのはその後でもいいかい?」
「え?」
意味がわからず、ユーギは早く行こうと言い募ろうとした。しかしアルキの険しい表情に、口を噤まざるを得なかった。
同じ頃、サディアは一人でトースに入った。実は前日、キンが情報をくれた。
「サディア。夏に入る少し前から、数人の狩人が町で目撃されたの。トースは人間の方が多い町だし、懐柔されているとも限らないわ」
「わかった。明日にでも見てくるよ」
キンの疑念が本当でないことを願いながら、サディアは町に入った。人通りの多い道を避けるため、住宅の屋根に上る。こうして屋根伝いに行けば、上ばかり見て歩く人でもない限り、彼女の姿に気付く者はいないはずだ。
しばらく町の様子を観察していたサディアは、違和感を覚えた。行商でやって来るはずの商人が圧倒的に少ない。というか、いない。ソディールには人間以外にも獣人や吸血鬼中心の商団が幾つも存在し、種族を問わず何処ででも商いをする。
しかし見える市場に商人の姿はまばらで、そこそこ大きな町であるにも関わらず、大規模商団の姿がない。それでも偶然今日はいなかった、という可能性も捨てきれない。サディアは更に向こうの町へも足を延ばすことにした。
小高い山を越え、昼過ぎに着いた隣町で、サディアは居酒屋に入った。何時の時代も何処であっても、居酒屋には情報が集まる。思った通り、先客がいた。獣人の商団である。その中に見知った顔を見つけ、サディアは声をかけた。
「クオ、久し振り」
「サディアじゃねえか! 元気そうだな」
クオはサディアが幼い頃に近所に住んでいた犬人だ。白い耳と尻尾を揺らし、食事をしつつ、居酒屋にいながら麦茶を飲んでいる。子どもの頃はいつも明るく、周りを引っ張るガキ大将だった。
サディアは彼の隣に腰を下ろすと、小声でトースについて知っていることはないかと尋ねた。店内は昼過ぎということで客が多いが、誰に聞かれても良いという話題ではない。
「トース、か。あの町に、俺たちはしばらく入れないだろうな」
「入れない? どうして」
思わず声高になり、サディアは慌てて口を手で押さえる。
「お前らはまだつかんでなかったのか? トースは今、狩人がかなり入り込んでる。一か月くらい前だったと思うが、気付いた時には俺たち獣人や吸血鬼は入れなくなっていたぞ」
そもそも町付近には狩人がうろついているため、人間以外は近寄らないのだとか。
クオに焼き鳥を差し出され、サディアは素直にそれを口に入れた。濃い味のたれが絡んでおいしい。
「……道理で。でも、全然知らなかった。もともと、北の大陸に狩人が増えてるって情報だけを持って来たから。クオ、助かったよ」
「ああ。だからお前らも仕事をする時は十分気を付けろよ」
「わかった」
じゃあ、そろそろお暇する。そう言って立ち上がりかけたサディアを、何か思い出したクオが呼び止める。
「おい。お前の仲間でトースとアルジャ以外に行ってるやつはいないだろうな?」
「……二人、ホライに行ってるけど?」
首を傾げたサディアに、クオは表情を変えた。
「……それはまずい」
クオの次の言葉に、サディアは顔色を変えた。
日が傾きかけ、アルキはユーギと共にホライ村の全体が見渡せる高台へとやって来た。それまでは時間を潰すため、アルジャの町で他のメンバーと共に聞き込みをしていたのだ。その時班長のサディアは姿を見せなかったが、まだトースで調査を続けているのだろう。
聞き込みの結果、本拠地と見られている南の大陸に加え、北の大陸にも狩人が侵入し勢力拡大を図っていることがわかってきた。
アルキはメンバーにホライに戻ることを告げ、再びやって来たのだ。
闇が深くなりつつある。見下ろせば、大きな焚火が見えた。ユーギによると外敵への牽制もかねて、広場の中心に毎晩火を焚いているのだという。
「……別に、変わったところはないですけど?」
「怒るな怒るな。何もなければそれでいいんだから」
昼間に村へ入れなかったことを未だに怒っているユーギをなだめ、アルキの目はもう一度村の中心に向けられた。その隣に片膝をつき、ユーギも故郷を眺める。
その時だ。ユーギは村の様子に違和感を持った。
「ん……?」
目を凝らすと、焚火の近くに母親らしき女性と幼い娘が出てきた。広場を囲むように、村人が集まり見つめている様子もわかる。何をするのかと見つめていると、森側の暗がりから一組の男女が姿を現す。ユーギたちのいる場所からは遠すぎて詳細はわからないが、普段の夜とは違うと感じた。
(いつもは夜に焚火付近にいるのは、大人の男の人ばかりなのに。それも見張り役だけ。どうして? それに……)
あいつらは、誰だ。
ユーギには、男女に見覚えがなかった。男女とわかったのも、一人が長髪でもう一人のがたいがよかったからである。しかし前回村に帰ったのは、半年以上前のことだ。その間に村人が増えていても不思議はないが。
茶色のフード姿が火に照らされているが、全身はマントで隠れている。二人の表情は見えない。
「……何して」
「しっ」
アルキに睨まれ、ユーギは口を閉じた。それから黙して見守っていた二人の先で、事は起こった。
ドッ
「え……」
「やりやがったか」
二人がいる所まで、大きな音が響く。広場に集まり遠巻きにする村人たちからも、緊張した雰囲気が伝わる。
ああああああぁぁぁぁあぁ――
フードの片割れに殴り倒された子供が泣き叫ぶ。するともう一人も足蹴を食らわせようとしたが、母親が娘をかばった。それでも執拗で、一方的な攻めは続く。
「助けなきゃ……!」
崖を駆け下り村へ向かおうとしたユーギの腕を、アルキがつかんだ。
「離してください! あれは、ぼくの仲間です!」
「……行って、お前に何ができる? もとを絶たなければ、何度でも繰り返される。それに今行って助けたとして、次も私たちが助けられる保証はない。その時、より激しい折檻がないと、何故言える?」
「……くっ」
奥歯を噛み締め、ユーギは村を見下ろした。広場でも見せしめは終わったらしく、フードの二人は森に消えた。後に残ったのは、泣き叫ぶ子どもと傷ついた母親。彼女らの傍に、村人たちが集まり始めた。
幼い子どもの泣き叫ぶ声が、何よりも二人の心をえぐる。
「……許せない」
ユーギは静かに、一人呟いた。沸々と湧き上がる怒りは、歯がゆさをまとって暴れそうだ。そんな彼を見守り、アルキは言った。
「……あのフードのやつらは、狩人だ」
「狩人」
獣人や吸血鬼を目の敵にして、滅ぼそうと画策する狩人。これが偏見か何かはわからないが、ユーギにとって、狩人は敵以外の何者でもない。大切な仲間を傷つけた。
しかしこれを理由に狩人を駆逐したとして、それは敵と同じではないだろうか。いつか相対することがあるとして、それはきっと、今ではない。
ユーギは何処か冷静な自分を自覚しつつ、目を閉じた。暴れ狂う感情を、抑え込む。
「……ここで怒りに囚われたら、負けですよね」
「きみ、本当に十歳……?」
アルキは本当に驚いた。目の前の少年が、本当は姿を変えている年上ではないかと疑りたくなった。狩人のあの所業を見て、一度目を閉じるだけで冷静さを取り戻す十歳児など見たことがない。
「銀の華に入って長いですからね」
苦笑して身を翻したユーギは、アルキを振り返ることなく言った。
「帰りましょう。サディアさんたちが待ってます」
「ああ、そうだな。報告もしなければ」
アルキは一度だけ村を振り返った。傷ついた母子の周りにはたくさんの村人がいる。きっと怪我の治療をしたり、「大丈夫か」と声をかけたりしているのだろう。彼女ら母子は犬人のように見えたから、やはり狩人にとっては殲滅対象だ。
「ユー……」
前を歩く少年に声をかけようとして、アルキは思い留まった。
ユーギの背中に、深い悲しみと怒りの感情を感じ取ったからだ。やはり落ち着いたように見えても、本当は走り出したいほどの激情が胸を締め付けているに違いないのだ。これほどまでに大人にならなければならなかったユーギの過去に、アルキは思いを巡らせてみた。
「……想像もつかんな」
少し先に行ってしまったユーギに追いつこうと、アルキはその足を速めた。
「おい、ユーギをあそこへ行かせるのは酷だったんじゃないか?」
ユーギたちがリドアスを発った翌々日。会議を開いたリンに、克臣が言った。とんとんと書類の束を整えていたリンは、眉を寄せた。
「早いかな、とは思いましたよ。でも本人がやる気でしたし、克臣さんだって行かせろって言ったじゃないですか」
「それは、そうだが……」
「そうも言ってられなくなったんだよ、リン」
「ジェイス」
「ジェイスさん……」
入室と同時に戸を閉めたジェイスは、手にした無線機を軽く振った。
「さっき、サディアから定期連絡が入ったよ。……ユーギの故郷に、狩人が現れたらしい。そこで犬人の母子が暴行されてた、と」
「……それを、ユーギは?」
「高台から見てしまったそうだ」
「……ユーギ」
どれほどショックを受けただろうか。リンは今更ながらに行かせたことを後悔した。自分の故郷の仲間が傷つけられるところを見て、何を思ったのだろう。
歯を食いしばるリンの肩に手を置いて、ジェイスは言った。
「明日には帰って来る。全てはそれからだ」
「……はい」
克臣もユーギを心配しつつ、それでも今に頭を巡らせた。ここですぐにユーギのために出来ることなど、ないのだ。
「トースも狩人の手が入り込んでるそうだぜ。まあ、聞きかじっただけじゃ何の対策も立てられねえ。明日に向けて出来ることは、いつでも出立出来るようにしておくことだけだな」
「わかりました」
「あの子は、早くから家族と離れて暮らしてきた。必要以上に大人になってしまったのも、心配した方がいいだろう」
リンも頷き、三人は席に座った。そうして、何通りもの道筋について意見を出し合い、わかる範囲で進むべき方向性を選択していった。
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