第12話 調べものと女の嫉妬

 翌日夕方。リンは丁度学校から帰って来たユーギを呼び止めた。まだ夕食には早いため、食堂にいる人はまばらだ。二人はそこで向かい合った。

「ユーギ、俺に何か言いたいことがあるって聞いたけど?」

「あっ、そうなんです。克臣さんに聞いたんですか?」

「ああ。晶穂についてわかったことがあるって?」

「そうなんです」

 これを見てください。そう言ってユーギが広げたのは、紙の束だ。束と言っても十枚未満。表紙となる場所には、『後天性吸血鬼の子の体質について』と書かれている。

 ぱらぱらとめくり、リンはユーギを見た。

「これ、ユーギが全部調べたのか? 図書館で?」

「はい。……ぼくは克臣さんやジェイスさんのように戦闘力が高いわけじゃないので、宿題やるついでって感じなんですけど。リドアスの図書館で見つけた文献に書いてあったことを写してみたんです」

 銀の華は自前の図書館を持っている。本館から庭を通って行った先にある建物だ。館長は老年の男性が務め、この図書館にない書物はないという話である。

 リンは再び報告書をめくる。今度は一枚ずつ丁寧に読み込む。ユーギの字は決して綺麗とは言い難いが、丁寧に書かれているため読みやすい。

 報告書には後天性吸血鬼の生まれる理由から、その子どもが生まれる確率はかなり低いということ、髪が灰色になることなどが書かれている。そしてその血はある種の媚薬となり得、魔力を持つ吸血鬼に好まれる、と。そして悪用すれば、吸血鬼を殺す麻薬にもなり得る力があるのだと。

「……なるほどな。まじかよって言いたくなるわ」

 だから、狩人は晶穂を狙って捕えた。血を採取し、リンたち吸血鬼を殺すために。

 リンの中で、言い表せない怒りが煮えたぎる。吸血鬼を全滅させるために、十八年前の生き残りである晶穂を利用しようという狩人の魂胆に、吐き気すら覚える。

「そんなこと、させるわけにはいかない、な。晶穂にも話を聞かないと」

「はい。ぼくも、手伝います」

「ありがとう」

 リンはユーギの頭をわしゃわしゃと撫でた。それから晶穂のもとへ行くために、廊下に出た。

 晶穂は自室にいた。ノックを受けて「どうぞ」と応じれば、顔を覗かせたのはリンだ。

「えっ、どうしたんですか?」

「ちょっと聞きたいことがあったんだ」

 入っていいか 、と問われ、晶穂は首肯する。椅子を薦めて自分も座った。

「それで、聞きたいことって?」

「ああ……。そういや、お前らしい部屋だな」

「――っ、ありがとうございます?」

 昨日から荷物を運びこみ、ようやく形ばかりだが自室という雰囲気が出た。部屋は最初に晶穂が泊まらせてもらった客間である。そこにもともとはなかった本棚や小物入れ、その他諸々の私物を配置した。

 白基調から一転、桜色や水色といった明るいパステルカラーが散りばめられている。犬や猫のぬいぐるみもかわいらしい。

 少し場が和んだところで、リンは本題を切り出した。

「さっきユーギが、後天性吸血鬼の子どもについて調べた報告書を読ませてくれた。そこには……晶穂の血が」

「吸血鬼を殺す薬になり得る、と聞きました」

「……あの研究所で、か」

「はい。……もともと吸血鬼が好む香りを発しているとも聞きました」

 リンの言葉に、晶穂は頷いた。ベッドに置いていた犬のぬいぐるみを抱き締める。黒丸の点目が絶妙に離れた犬の顔が愛らしい。それが、少し歪んだ。

「それで、怖くなりました。わたしの血が、先輩たちを苦しめるかもしれない。誰かの手に渡ったら、命を奪ってしまうかもしれないって」

「……そうか」

 リンは少し頭が冷えた。自分も狩人の仕打ちに憤っていたが、晶穂も同じように怯えていたのだ。

 晶穂の頭から髪を梳き、リンは「怖いよな」と呟いた。

「自分の意志の外で、何かが起こる。怖いに決まってる。……だから、そうならないように俺が護る」

「え……?」

 顔を上げた晶穂と、リンの視線が間近で交錯する。リンの真摯な瞳が、晶穂の揺れる瞳に映り込む。言葉を失う晶穂に、リンは言葉を続ける。

「言っただろう。狩人から身を守るには、銀の華にいた方が安全だと。だから、これからもここで、俺たちと共にいればいい。……何があっても、守り抜く」

「……ありがとう、ございます」

 ふわり、とリンの鼻腔を甘い香りがくすぐった。これが前にも感じた晶穂の中に流れる『吸血鬼に好まれる血』の匂いか、とリンは苦笑する。

 少し晶穂との距離を取り、リンは表情を改めた。

「……俺のやりたいことをしてるだけだ。エゴだと思われるかもしれんがな」

「だとしても、わたしに居場所を作ってもらいました。それで充分です」

 晶穂の微笑を見ながら、リンはふと考えた。、と。仲間と自分の命を守るためか? それもある。けれど、それだけではない気がする。まだ、よくわからないが。




 狩人の襲来はそれ以降なく、何週間もの時間が過ぎていった。

 リドアスでの生活に慣れ、晶穂はアラストにおける知り合いも増えてきた。ジースの妻・マラヤは会えば声をかけてくれ、五歳の娘・ライナは抱きついてくれる。

 犬人の唯文ただふみという高校生とも知り合った。彼はリンを真似て日本の高校に通っているのだそうだ。

 この日は日曜日。大学はお休みだ。晶穂はサラのもとを訪ねる約束をしている。アラスト中心部へ遊びに行こうと誘われたのだ。

 狩人の襲来を恐れ、学校とリドアス、そしてアルバイト先の往復だけで日々を過ごしてきた晶穂にとって、よい気分転換だ。

 コンコン、とサラの部屋の戸を叩く。

「あ、晶穂?」

「うん。……ごめん、早かった?」

「そんなことない。入って~」

 サラの許可を得て、晶穂はドアを開ける。その先にいたのは、サラだけではなかった。

「久し振りだね、晶穂ちゃん」

「……アレスの」

「エルハです。名乗ったのは初めてだね」

 ふわりと微笑んだのは、アレスにいた男性だった。肩まで伸びた黒髪と茶色の目、ほとんど外見は日本人と変わりない。だからこそ、日本へ行くことになったのだろう。

 エルハはカーペットの上に胡座をかいており、立ったままの晶穂を見上げた。

「アレスではごめんね」

「え……?」

「あの時、本当なら名乗ってもよかったんだ。でもあの女の子が本当に狩人かもいまいちわかってなかったし、無駄に不安がらせるのもどうかと思って名乗らなかった。……まさか、誘拐に発展するなんて思いもよらなかったよ」

 そう言って頭を下げられ、晶穂のの方が恐縮してしまった。

「あっ、謝らないでください! エルハさんのせいだなんて思ってませんし」

「……晶穂。この人、顔に似合わず何でも面白がる人だから。あの子と引き離さなかったのだって、その後の展開が面白そうだったから、とかの理由かも知れないよ?」

「失礼だなぁ、サラ。ふふっ、そんなことはないよ」

 否定しつつも、エルハは顔は悪戯好きな少年の笑みを浮かべている。

「ほらほら。僕はもう出勤するから、二人で遊びに行っておいでよ」

「またそうやってはぐらかす! ……まあいいよ、行ってきます。行こう、晶穂っ」

「え? あ……うん!」

 ぱたぱたと手を振るエルハに見送られ、二人は街へと繰り出した。

 アラストの中心街。休日ということもあり、街は活気に溢れ、人々がそれぞれの一日を楽しまんと行き交っていた。

「さっきは何かごめんね」

「謝られるようなことは何もないよ。それより、サラのオススメをまた教えてよ」

 サラに手を合わされ、晶穂は笑って言った。エルハが悪い人ではないことはわかったし、サラとの仲も良好だと感じられたから良いのだ。

「……うん。じゃあ地球のクレープみたいなやつ、食べに行こっ」

 それはサラが話してくれた惚気話のように甘く、フルーツと生クリームがたくさん入ったクレープだった。


 翌月曜日。晶穂は午後から講義だというリンより先に登校していた。何かあればすぐに連絡するよう言い含められているが、大学は人の目が多い。滅多に狩人も襲っては来ないだろう。

 正門を抜け、構内へ入る。講義室のある建物の前に立った時だ。

「ちょっと、あなた。グレーの髪の」

 ドアの内側へ入ろうとした、丁度その時。後ろから誰かに呼び止められた。予習をしようと少し早い時間に来たためか、周りを見ても他に呼び止められそうな人はいない。

 そもそもグレーの髪、と言われれば自分以外にはほとんどいない。

「……わたし、ですか?」

「あんた以外の誰がいるのよ」

 酷く突き放した言い方をする。誰かと思い振り返れば、入学後に書店で出会った先輩女子大生ではないか。彼女ら二人に加え今日はもう一人いるが、その誰もが眉尻を上げていた。その真ん中に立つきつめの美女は、腕を組んだまま晶穂に詰め寄る。

「あなた、リンくんには興味ないって言ってたわよね?」

「へ……?」

「なのに、最近彼とあなたが一緒にいるところを見たって話をよく聞くのよ」

「私も聞いた。一緒に登校してたとか。見たファンの子が卒倒しかけたって」

「アタシも聞いたわ。……ねえ、どういうことなの?」

「え……えっと?」

 さっきまで、昨日の楽しい思い出が頭を占めていたのに、急に冷え込む。晶穂は、混乱する気持ちをどうにか整理しようと必死だった。

 しかし、相手はその隙も与えてはくれない。

「あなた……リンくんの、何?」

 甘く女性らしい香りが鼻腔に届く。と同時に、明らかな嫉妬心が晶穂の胸をえぐる。

「……えと」

 続けざまに問われ、晶穂は返答に窮してしまった。今まで大学構内をリンと長く一緒に歩いたことはない。ほとんどが正門に近付く前に離れて、各自入るといった感じだった。お互いを見つけても目で挨拶する程度が多く、話し込むこともない。それなのに、いつ何を見られてしまったのだろう。そして、それに焦りを覚える自分自身もわからずに、晶穂は余計混乱していた。

 視線を左右に彷徨わせる晶穂の態度に何を思ったのか、真ん中の美女は細い人差し指を晶穂に突き付けた。

「……わかった。これからは、あなたは私たちの敵よ! 絶対にリンくんは渡さないんだから!」

 そう言い放つと、左右の二人を従えて行ってしまった。ぽかんとそれを見送った晶穂は、そろそろと自分の周りを見る。正門の傍で繰り広げられた展開だが、おっかなびっくりこちらを見つめて晶穂と目を合わす前に顔を背ける者もいれば、我関せずと真っ直ぐ校舎に入って行く学生もいた。どちらにしろ、この出来事は瞬く間に学校全体に知れ渡りそうだ。

 晶穂は軽く息をつき、踵を返す。

(敵認定、か……)

 晶穂にとってみれば、身に覚えのない罪を擦り付けられるようなものだが、そんな誤解を生む機会を相手に与えてしまったらしいことも事実。何度ため息をついても仕方がないが、小さなものが幾度も零れる。リンがこの大学でアイドル的扱いを一部でされていることなど、以前から知っていたことだ。

 それよりなによりも、晶穂はこの出来事がリンの耳に入ることが怖かった。

「……わたし、何もしてないのにな」

「何か言ったか?」

「えっ!? いや、何でもないです……」

「そうか?」

 隣を歩いていたリンが首を傾げる。アルバイトを終えた晶穂は、迎えに来たリンと裏道を歩いている。

 リンには朝の出来事を話していない。話しても、女子の恨みは、絡み合った糸は簡単には解けないのだから。いつか知るのかもしれないが、それまでは黙っておきたかった。

 もうすぐソディールにつながる扉を開ける場所に出る。その時、リンが歩みを止めた。

「……まだ言ってなかったな、あれのこと」

「あれ?」

 あれとは何だろう。晶穂が首を傾げていると、リンがぼそりと言った。

「あのノートとペン、使いやすくて助かってる。……さんきゅ」

「……ッ」

 唐突な感謝の言葉。破壊力がおかしい。暗がりでしかも晶穂の顔を見ないものだから、表情はわからない。けれどその言葉に、晶穂はこそばゆい気持ちになった。照れ笑いを浮かべる。

「気に入ってもらえたなら……その、よかったです」

「……ああ」

 それきり、二人とも何も言わなかった。リンは目的地に着くと手をかざし、扉をつなげる。この戸の向こうはソディールだ。

 近くに寄り、リンの耳が赤いことがわかる。電灯のわずかな明かりが映し出す。自分の頬も熱を持って、晶穂は扉をくぐるよう促されても顔を上げられなかった。

 こうやって関係性は変化していくのかもしれない、と晶穂とリンは漠然と考えていた。

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