第10話 脱出と仲間

 はあ、はあ、はあ……

 晶穂あきほは凄い爆発音がする階下を見下ろしたい衝動を抑えつつ、ただ地上階へ向かって階段を駆け上がっていた。

 息を切らせ、肺が酸素を欲する。手すりに手をついて肩で息をした。それでも出口は遠く、晶穂は鉛のような足を叱咤して走り出した。幾つかの角を曲がった。研究室らしき部屋を何度も通り過ぎ、出口を捜す。

「どこ行きやがった、あの女!」

「……っ」

 その時、背後から怒声が聞こえてきた。どうやら晶穂を追って来たらしく、どんどんと近付いて来る。

「逃げ、なきゃ……」

 ここで捕まっては元も子もない。もしかしたら、美里みさとも襲ってくるかも知れない。彼女がアイナと名乗る狩人であるとわかった今、余計にここは敵の巣窟だ。

 ようやく玄関と思式扉を見つけた時、晶穂は背後から大きな手に肩を捕まれた。角張り骨太のそれは、見知った誰かのものではない。

「きゃ……」

 しかし。

 ガッ

 大きな手の持ち主は前方に弾き飛ばされ、代わりに別の手がバランスを崩した晶穂の体を支えた。

「大丈夫、か?」

「――っ」

 気遣い、晶穂の顔を覗き込んだのはリンだった。頬にかすり傷があるものの、その他に怪我はないように見える。どうやら彼は、壁にぶつかり倒れているあの男を背後から蹴り飛ばしたようだ。

 晶穂の返事を待たず、リンは彼女を抱え上げて外へと走り出した。

 外に出ると、東の空が白み始めている。ぼんやりとした視界の中、ここが森の一角だということは把握出来た。後ろからの怒声を振りきらんと、リンは晶穂を抱きかかえたまま翼を広げた。

 飛び続けてしばらくすると森が切れ、町が見えてくる。その入り口近くで地上に降り、二人は安堵の息をついた。

「ここまで来れば、大丈夫だろ……」

「はい……っ」

 晶穂は自分の状況を改めて見直し、一気に赤面した。街道を歩く人々の好奇の眼差しも感じる。

「は……離してください!」

「わっ、悪い」

 地面に足をつけた晶穂は、リンの顔を真面に見られなかった。しかし助けて貰ったお礼を言っていないと気付き、意を決して顔を上げる。するとリンもこちらを直視出来ずに目をさ迷わせていた。

「……氷山ひやま先輩。助けに来てくださって、あの……ありがとうございました」

「いや……」

「えと……」

「……」

「……」

 言葉が続かない。

 何とか沈黙を破ろうと言葉を考えていた晶穂は、肩からさげた鞄の中にあるものを思い出した。かさりと音をたてる袋の中身を確認する。大丈夫、無事だ。

「あの、せんぱ……」

「いた。団長と晶穂!」

 晶穂の小さな声は、明るく響く少女の声にかき消された。声の方を向くと、遠くからサラと克臣かつおみが走ってくるのが見える。

 リンと晶穂の前までやって来て荒い息を吐く二人に、リンは「どうし……たんですか?」と目を丸くした。サラが答える。

「……はぁ。実は調査員の一人から、晶穂が狩人に拐われたかもしれないと、聞いて。その行く先と思われる狩人の研究所を捜し当てたんです……それでこの町に来て」

「二人を見つけたって訳だな」

 息を弾ませるサラの後を引き取り、克臣がそう締めて笑った。

「そう、なんです。……ふう。もう、心配したんだよっ、晶穂!」

「わあっ!? ご、ごめんね、サラ」

 突然抱きつかれ、晶穂はびっくりした。けれどサラの体が小刻みに震えていることに気付き、大人しくされるがままになる。

 克臣も何か言いたげにリンを見つめていたが、一つ息を吐くと弟分の髪をわしゃわしゃと撫で回した。

「ちょっ……」

「ふん、心配かけやがって……。よし。二人の無事は確認出来たし、ジェイスもユーギも首を長くして待ってるだろうよ」

「……はい。リドアスに戻りましょう」

 克臣に応じ、リンは一歩踏み出した。町中を通り抜け、少し山道を登れば、彼らの帰る場所・リドアスまではもう少しだ。


 朝が来た。四人がリドアスの門をくぐると、小さな影がこちらへ転がるように駆けて来る。それは見る間に大きくなり、リンの懐に飛び込んだ。

「お帰りなさい、団長。みんなも!」

「お帰り、みんな。……全く。ユーギが落ち着かなくて困ってたんだ」

「ただいま帰りました。……すみません、ご心配おかけしました。ちょっと手間取りました」

 満面の笑みを浮かべるユーギの後ろで一方の眉を下げるジェイスに、リンは素直に詫びた。ジェイスも本気で叱る気はなく、ユーギの頭を撫でていた。

 不意にジェイスは晶穂に近付く。そして目を丸くする晶穂の頬を両手で挟むと、安堵の息を漏らした。

「……よかった。あなたも怪我はないようだ」

「はい。……皆さん、お騒がせしてすみませんでした」

 晶穂はいたたまれなくなり、その場で深く頭を下げた。虚を突かれた五人は言葉を失いかけたが、目を合わせて吹き出し、その笑い声は徐々に大きくなっていく。

 まさか笑われるとは思わず、混乱した晶穂は「え、え……」とみんなを見回す。そんな彼女に、サラが笑いすぎて涙目になった目元を拭って言った。

「もう、今更なにを言ってるの? 晶穂はあたしたちの仲間なんだから、助けるのは当然でしょ?

「なか……ま…………?」

「そうだよ、晶穂さん。みんな心配してただけなんだから。……ね、団長?」

「あ……ああ」

 ユーギの無邪気な問いかけに不器用に答え、リンはふいっと顔を背けた。克臣とジェイスもサラとユーギに同意するように頷く。

「みんな、とっくに仲間だと思ってたんだけどな」

 そう言って、克臣は笑った。

「……」

 信じられない思いで、晶穂は自分を見守る人々を見回した。そのどれもが柔らかな笑みを浮かべている。晶穂にとって、初めての感情だった。

「わたし、ここにいて良いんですか……?」

 涙が自然と溢れ出す。女々しいとは思いつつも、止められない。両手で顔を覆う晶穂の体を、サラが優しく抱き締めた。「当たり前でしょ」と呟きながら。

「……お前は狩人に狙われている。その身を守るためにも、ここにいるのが一番だろ」

 ぼそりと言葉に出してから、リンは慌てて口に手をやった。後悔しているのか苦々しい顔つきになり、隣で小突く克臣に目もくれずにリンはリドアスへ入って行ってしまった。

「ふふっ。……だってさ」

 リンが消えた方向を横目で見たサラは、晶穂に笑いかけた。ユーギも克臣も、ジェイスも微笑む。

「ようこそ、『銀の華』へ!」

 晶穂は涙の滲む目を上げて、ふわりと笑みを浮かべた。




 ピピピピッ

「……朝?」

 スマートフォンに設定された目覚まし時計が、目を覚ます時を告げた。眩しい朝日に顔をしかめつつ、晶穂は時計のスイッチを切った。

 体を起こすと、薄黄色のカーテンの隙間から漏れる光が、良い予感を起こさせる。

 コンコンッ

 サラが用意してくれた服にぼんやりと着替え終わった頃、部屋のドアが叩かれた。「どうぞ」と返事をすると、勢い良く開く。

「おはよ~、晶穂。よく眠れた? 昨日遅かったもんね」

「おはよう、サラ。お蔭様で」

 挨拶代わりのバグを受け取り、晶穂はサラと共に食堂へとやって来た。

 昨日リドアスに世話になると決まった晶穂は、早速食堂に来ていた面々に紹介された。

「みんな、三咲晶穂ちゃんです。日本にある、団長と同じ大学に通う子で、事情があって狩人に狙われてます。だから、ここで一緒に暮らすことになりました!」

「よ、宜しくお願いします!」

 サラの紹介を受け、晶穂は深々と頭を下げた。

「……」

 彼女の受け入れて貰えるかという不安は、次の瞬間には大きな拍手という形で裏切られた。

「よろしく~!」

「可愛い子じゃねぇか」

「仲間が増えたんだねぇ」

「頑張れよ!」

「……!!」

 ワッという歓声に包まれ、頭を上げた晶穂は目を白黒させた。見回せば、様々な肌の色や耳を生やした人々がこちらを見て笑っている。

 晶穂は、小学校入学時のことを思い出した。

 水ノ樹学園の外の学校に進学した晶穂は自己紹介の際、自分が施設で暮らしていることを言わなかった。言わなくても良いだろうと思った。けれどそれは間違いだったかもしれないと、数週間後のクラスメートの言葉で気付く。

「あきほちゃんちって、フツウじゃないんだって?」

 その言葉は、教室を凍り付かせた。噂が噂を呼び、いつしか晶穂は独りになっていた。それに気付いた担任が説明してくれたが、後の祭り。その後晶穂は中学受験し、水ノ樹学園系列の学校に進んだ。

 そんな過去からは想像も出来ないこの歓迎ぶりは、夢ではないかと思えてくる。

 どう捉えたら良いのかわからない晶穂の耳に、サラが笑いを含んだ声をかけた。

「大丈夫。みんな、何かしら経験してきた人ばかりだから」

「う、うん……」

 見れば、食堂の端にリンたちの姿もあった。彼と目が合った瞬間、微笑まれる。見たこともないようなその柔らかな表情が、晶穂の胸を締め付けた。

「……?」

「どうしたの、晶穂?」

「あ、ううん。何でもないよ」

 胸元をさすり首を傾げた晶穂だったが、サラに背中を押されて食事を取り席に着いた。

 そこで何人かの自己紹介を受け、晶穂は彼らの話を笑いながら聞く。その楽しい時間が、晶穂の冷たくなった心を少しずつ溶かしていく。

 晶穂が皆に受け入れられたのを確かめ、リンは席を立った。食事はとっくの昔に終わっていたが、晶穂とサラを気に掛けて留まっていたのだ。

「お前、優しい顔するようになったな」

「……? そうですか?」

 一緒に朝御飯を食べていた克臣が漏らした言葉に、リンは疑問形で返した。

「ああ。昔は表情筋死んでんじゃないかって思うくらい無表情だったのに……。あの子のお蔭か?」

「……っ。知りませんよ、そんなこと」

 わずかに頬を赤らめ、リンは「先に行きます」と食堂を出て行った。

 くくくっと笑う克臣に、ジェイスが呆れ声でいさめる。

「克臣、あんまりリンをからかうな」

「いいじゃねぇか。あいつがあんなに必死になる姿なんて、見たことなかっただろ?」

「……確かに。良いきっかけになったようだね」

 目を細め、ジェイスは食堂の出入口に目をやった。

「ただ、今回は大怪我せずに済んだ。だが次はそうもいかないだろう?」

「そうだ。その辺はあいつもわかってる。……今朝方帰って来た後、二人で釘刺しただろ?」

 ジェイスと克臣は晶穂を救出して帰宅したリンを褒めた後、叱ったのだ。どんなに気が逸ったとしても、独りで敵陣に乗り込むな、と。リンが晶穂を大切に思うように、自分たちもリンと晶穂を大切に思っているのだ、と。

 リンは「ごめんなさい」と素直に謝った後、

「でも、俺は別にあいつのことをどうこう思ってるわけじゃないです」

 と素直ではない釈明をしていたが。

「あいつもまだ子どもだな」

「ふふっ。克臣に言われたくはないだろうね」

 兄貴分二人は、そんなことを言い合って笑った。

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