第9話 美里の真名

 地下一階。どうやらもう一階分地下にあるようだが、リンはまずここを調べることにする。壁も床もドアも白い廊下を用心深くあるきながら、「第四特別研究室」を探す。

(第一吸血鬼研究室。こっちは第一獣人研究室か……。胸くそ悪いな、何部屋あるんだ)

 リンはそう心の中で呟くと、同時に顔をしかめた。

 狩人の科学研究所とはよく言ったものだ。この施設は狩人が己の目的達成のため、科学の分野で目的に近付くための研究をする場所らしい。その研究対象は、リンたち吸血鬼や獣人なのだ。

(俺たちだって人なのにな)

 ただ、少し違うところがあるだけで。

 ふと、リンは晶穂を思い出した。彼女はリンが吸血鬼だと知って、態度を変えただろうか? 否、確かに驚いてはいたが、それ以降吸血鬼だから獣人だからと差別するような目や物言いをした覚えはない。日本の別の誰かに自分の正体を教えたことはないため一概には言えないが、晶穂は珍しいパターンかもしれない。

 以前、克臣かつおみが教えてくれたことがある。ジェイスは実は、小学生の一時期地球で暮らしたことがある。その時とても仲の良かった友人に、「僕は魔力を持ってるんだ。でも、人であることに変わりはないよ」と伝えたことがあるという。ジェイスが地球で暮らしたことがあるという事実にまず驚かされたが、そんな感情は克臣の次の言葉で掻き消えた。

「そうしたら、そいつ何て言ったと思う? ……『気持ち悪っ。お前、俺たちとはもう関わんな』だとさ。相当ショックだったんだろうな、ジェイスは。それ以降、高校で俺と再会するまでは寡黙を通したらしい。俺は幼い頃にソディールの存在を知ったし、その時ジェイスとも会ったわけだが。……地球に暮らす人々にとって、魔力を持つとか吸血鬼とかは夢物語で、頭のおかしいやつだということになっちまうんだろうな」

 思わず目を伏せたリンに、「大丈夫、お前にもきっと見つかるさ」と言った克臣の顔が忘れられない。普段の彼からは想像出来ない程大人びていた。こんな風に自分を思ってくれる誰かに会いたい、そうリンは強く思ったものだ。

 そこまで思い出し、リンは首を振った。今はそんな感傷に浸っている暇はない。

 廊下の突き当たりまで来たが、目指す研究室はない。「空振りか」と踵を返した瞬間、前から殺気を感じた。

 ヒュン

 飛んで来た気配だけを感じ取って避けたリンのすぐ後ろの壁に、短く鋭いナイフが突き刺さった。真っ直ぐ前を見やると、研究所に似合わぬフレアスカートを穿いた小柄な少女が、こちらに次のナイフを構えて立っていた。

「お前……」

「よくここまで来たな、リン。いや、銀の華団長」

「言葉使い変わってんぞ」

 リンの前に現れたのは、学食で彼の前から逃げ出した女子大生。リンは名前を知らなかったが、彼女の日本での名は高崎美里たかさきみさと。大学での可愛らしい笑顔とは対照的な、不敵な笑みを浮かべている。

「そうか? ……改めて名乗ろう。私の真名はアイナ。アイナ・レーズ。狩人としてお前たちを抹殺する使命を帯びている」

「抹殺? 出来るとでも」

「それは、これから証明するさ」

 そう言うが早いか、二房の髪が宙を舞い、かかと落としがリンに振り下ろされた。リンは足が落ちてくる前に身を引いて避け、反撃に転ずる。

 杖を突き出して警戒したアイナが避けるのを確認し、跳んで彼女の頭上から拳を叩き込んだ。しかしそれも避けられ、空中でくるりと一回転して着地する。リンは杖に魔力を込めて放った。

「喰らえ!」

「くっ」

 光の弾は見事アイナの胸元にヒットし、彼女は一瞬息を詰まらせた。それを見逃さず、リンは第二弾を放った。

 それを目くらましにし、リンはアイナの横をすり抜ける。「待て」というアイナの叫ぶ声が聞こえたが、それに応えて立ち止まるわけにはいかない。

(悪いが、ここで殺されるわけにはいかないし、相手をしてやる暇もないんだよ!)

 リンは更に地下へと進むため、階段を数段飛ばしで駆け下りた。最後の五段は一気に跳び下りる。小さな音を立てるだけで着地し、リンは自身を階段横のダストボックスの陰に隠して地下二階を見回した。いつアイナが追って来るかわからない。迅速に動かなければならなかった。

 しん、と静まり返った空間には、四つの戸が廊下の両側に配されている。それぞれのドアの前には、逞しい体躯の男たちが三人ずつ立っているのが見えた。リンが階段を降りる音を耳で拾った一人が、仲間に見張りを任せて警戒しながら階段に近付いて来る。

 ダストボックスの前を通り過ぎ、男は階段を下から見上げた。

「……おかしいな。誰も下りなかったのか?」

 首を傾げて持ち場に戻ろうとした時、男の後頭部に重いものが叩きつけられた。ふっと意識が遠のいた男が仰向けに倒れる際、視界の真ん中に一人の青年の影を見た気がした。

 ドオッという大きな音を聞きつけた見張りが、何人も階段下まで走って来る。そこには見知らぬ青年がいた。

「お前、何者だ!?」

「お前らの敵だよ」

 涼しい顔で言ってのけると、リンは杖の先を正面の男の鼻っ柱に突き落とした。

「うわあああああぁぁ」

 血を噴き出す鼻を押さえて悶絶する仲間を置き、二人が同時に左右に別れた。狭い廊下では十分な距離を取れず、大人数には不利な場である。その代わり、単独であるリンには有利に働く。

 リンは杖を縮め、攻撃手段を拳と蹴りに切り替えた。杖を魔力の玉で包み、空中に放り投げる。これで落下時間を遅らせる。玉が手の中に戻るまでに終わらせると決めた。

 左右の二人が襲って来るタイミングを見計らい、両手の拳を彼らの顔に叩き込む。次いで、杖の行方に目を奪われた六人を近い順に脚だけで伸す。腹と胸、後頭部に足技を決められた彼らは、壁や床に飛ばされて伸びてしまった。

(あと三人)

 初めに見たドアは四つ。そのどれかが『第四特別研究室』であるはずだ。晶穂を救い出すためにも、見張りは全て倒しておきたい。

 リンは跳び上がると、おののいて動けずにいる二人に回し蹴りを見舞い、瞬時に仲間を呼ぼうと階段へ走りかけた最後の一人を追った。

「……!」

 振り向きざま悲鳴を上げられる前に、リンは無言で男を踊り場に叩きつけた。援軍を警戒して上を見たが、誰かがこちらへやって来る気配はない。

 リンは杖が落ちてくる場所に戻り、手のひらでそれを受け止めた。玉が飛散し、消える。

 廊下を見渡すと、階段を含めて十二人の巨漢が呻き声を上げていた。数人は気絶しているようで、ぴくりともしない。

 リンはその間を縫って進み、一つ目のドアの前に立った。そこのラベルには『第一特別研究室』とある。覗き窓から中を見ると、二人の研究員が実験に精を出していた。どうやら各戸は遮音性に優れているらしく、廊下の騒ぎに気付いて出てくる者はいないようだ。何の研究をしているのかはわからないが、どうせ吸血鬼や獣人対策の麻薬でも作っているのだろう。気分は悪いが、そちらを気にしている暇はない。

「何処だ、晶穂……」

 リンは更に奥へと進み、『第四特別研究室』を発見した。ドアノブを回そうとしたが、やはり鍵がかかっている。眉間にしわを寄せ、彼は呟いた。

「……蹴破れるか?」

 リンは助走をつけ、思いきり扉に蹴りを放った。


 どれだけの時間が経っただろうか。一日が経ったことだけはわかる。

 晶穂は室内で時計を探したが見付からなかった。時間感覚を奪い、精神的に消耗させるのが目的か。そうでなくとも味方がいないこの場所に、彼女にとって多大なストレスを与えられていた。

 晶穂の様子を見るためなのか、時折の覗き窓に人の目を見た。晶穂がそれを睨みつけると、相手は無表情で何処かへ行ってしまう。部屋全体が防音壁のようで、廊下にいるはずの見張りの立てる音も話し声も聞こえない。

「……どうしたらいい?」

 安宿部あすかべたちの要求を呑み、自分の血を提供するか? そうすれば晶穂は殺されるだろう。ならば、壁に穴でも開けて逃走を試みようか? だが叩いた時、壁の厚さと硬さを感じたし、穴を掘る道具もない。八方塞がりだ。

 何時間もの時間が経った。もう外は夜である。疲労困憊していても、晶穂の目は冴えていた。

 その時、にわかに外が騒がしくなったように感じた。明瞭な音が聞こえるわけではないが、晶穂は一縷の望みを持って、ドアにしがみつくように窓を覗いた。

 しかし、長い廊下の先に巨体の男たちが集まっているのがかろうじて見えるだけだ。

 見るのを諦め、晶穂はベッドに腰を下ろした。膝を抱えて顔を埋める。

「誰か……リン先輩……」

 思わず呟いた時、晶穂のいる部屋の戸が小さな音を立てた。

「だ、誰?」

 この研究所の人間ならば、わざわざ音を立てる必要はない。鍵を使えば済む話だ。それでは、誰だろうか。晶穂は身を固くした。

 その時。

 ドッ……バンッ

「いたっ、晶穂!」

「え……先輩!?」

 蹴りで強引にドアを開けたらしいリンが、晶穂を見つけてほっと安堵の笑みを浮かべた。驚き立ち上がったものの彼の表情を見た瞬間、晶穂は身体から力が抜けるのを感じた。

(……ああ。わたしはこの人を待っていたんだ)

 頬を伝うものを気にも留めずに、晶穂はその場に座り込んだ。そんな彼女の前に片膝をついたリンは、怪我のないことを確かめてその手を引いた。

「晶穂、まだだ。迎えに来た、帰るぞ」

「は、はい」

 自分を叱咤し、晶穂はリンの手を借りて立ち上がった。リンは彼女の手を引き、金具が外れたドアを通り抜けて走り出そうと振り向いた。

「……簡単に逃がすとでも思ったか?」

 二人がはっと顔を上げると、ドアの外にアイナが立っていた。呆然と、晶穂が彼女の仮の名を呼ぶ。

「美里……」

「残念だが、私は高崎美里ではない。アイナ、と呼ぶことだ」

 彼女の戦意とフレアスカートはちぐはぐに思える。晶穂はアイナと名乗った少女の顔を、信じられないという顔で見つめている。アイナはそれを正面から受け止めて微笑んだ。

「晶穂、あなたとの友だちごっこはとても楽しかった。でも、諦めることだね」

「……」

「アイナ、相手に考える隙を与えてはいけないね」

「……ソイル様」

 すっと背筋を伸ばしたアイナの後ろから現れたのは、リンと晶穂の二人の前に以前姿を見せた狩人と同じ声を持つ男だった。彼は礼の形をとると、にこりと微笑む。

「また会ったね、二人とも。けれど我が部下の言う通り、このまま帰すとでも思っているのかな?」

「……ここに来るまでの間に、軽く十人以上を伸してきたつもりだったがな」

 リンの呟きを聞き、晶穂は耳を疑った。対して狩人の二人は驚く様子もない。

「それはそれは。……だがまだまだ残っているものでね。私たちが用意したこのメインを食してもらわねば」

「……ぬかせ」

 リンがソイルの更に後ろを見やると、先程の見張りの数以上の男たちが待ち構えていた。ちっと舌打ちをすると、リンは晶穂の手を引き、自分に引き寄せた。そして彼女の耳に囁く。

「晶穂、走れるな?」

「――ッ。は、はい」

「俺が突破口を開く。合図と共に全力で走れ。俺もすぐに追う」

「……はい」

 リンの息を耳に受けて真っ赤になりながらも首肯した晶穂を離し、リンは杖を元の大きさに戻した。ソイルとアイナは、男たちにリンたちの相手を任せて高みの見物を決め込んだ。

 男たちが雪崩れ込んだその時、リンが大声を張り上げた。

「どけえええええぇっ!」

 リンが杖をかざすと、その頂きから真っ白な光が放たれた。眩しさに目がくらみ、その場にいた誰もが一瞬動きを止める。その一瞬を突き、リンは晶穂の背を押す言葉を放った。

「走れ!」

「はい!」

 晶穂は鉄砲玉のように力いっぱい走り出した。部屋の戸を抜け、廊下をひた走る。彼女を捉えようと一歩後を追う男たちの手をかいくぐる。

 その後ろを更に追っていたリンは、杖に最大限の力を込めた。気の風が渦巻き、男たちが振り向く。

「……行かせねえ。吹っ飛ばしてやる」

 にやりと危険な笑みを浮かべると、リンは魔力をぶっ放した。





 

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