第8話 捜しもの
慣れないにおいが鼻をついた。
「ん……」
見覚えのない場所に困惑し、晶穂はどうしてこんな所にいるのか思い出そうと首をひねった。
「あっ……」
小さな呟きが漏れる。
晶穂は、
まず、外に出られるか確かめなくてはならない。晶穂がドアノブに触れようとした時、丁度外側からトントンと戸が叩かれた。警戒心から答えずにいると、戸が開けられた。
身構える晶穂の目の前に、一人の男が姿を見せた。
「おや、お目覚めですか」
「……あなたは誰ですか、そしてここは何処ですか? わたしは何故ここにいるんです?」
「一気に訊かれても答えられませんよ。一つ一つといきましょう」
男は白衣を身に付け、研究者のように見えた。歳は三十代だろうか。黒縁眼鏡の奥の目も髪も黒く、日本人のように見える。しかしソディールに関係する人物なら、もう判断はつかない。
男の切れ目がより細められ、口元には微笑が浮かんだ。
「まず私のことですが。私はこのソディール科学研究所職員、
晶穂は手の震えを知られないよう、きつく握り締める。気丈に安宿部をまっすぐ見つめた。
「……やっぱり、ここはソディール」
「ええ、あなたの住む日本ではありません。しかし、よくわかりましたね?」
「……狩人と思われる人たちに
「……なるほど」
晶穂に睨み付けられているにもかかわらず、安宿部と名乗った男は気分を害した様子もない。そのまま話を続ける。
「場所に関してはもう言いましたが、ここは科学研究所の客間だと思っていただけたら結構です。そして、あなたが何故ここに連れて来られたか、ということですが……」
安宿部は一旦言葉を切ると、構えを解かない晶穂に肩をすくめた。
「信用はされていないようですね。……まあ、仕方ないでしょう。では、先程言いかけた理由をお教えします。それは、我らの目的を果たすのに協力していただきたいからです」
「……目的?」
嫌な予感を頭によぎらせながら、晶穂は尋ねた。「ええ」と頷いた安宿部は、微笑を浮かべたままで言葉をつなげた。
「我々の目的は、仲間以外の吸血鬼と獣人という、卑しくも強大な魔力を持つ存在をこの世界から消し去ることです。そうすることで、初めてソディールの人々は安心して暮らしていける」
歌うように語られるのは、恐ろしい企て。晶穂は爪が肌に食い込むほどに手を握り締めた。
「……そんなこと、させない」
「おや、あなたは人間であるにもかかわらず、我らの考えに共感してはいただけないのですか?」
全く理解出来ない、不思議だという顔で首を傾げる安宿部に、晶穂は寒気を覚えた。自分たち純粋な人間以外は必要でない、と本気で考えていると直感したからだ。そんな偏った考え方をする人々にリンやサラ、ユーギ、ジェイスたちが消されるなんて、許せなかった。
(彼らにどんな罪があると? ……一方的な感情で、そんなこと、絶対にさせない)
晶穂の拒絶を感じ取り、安宿部は残念そうに笑った。
「あなたの血は、私たちの得難い資源だったというのに……残念です」
「血? ……何に使うんです? 血に、何があるというんですか?」
晶穂は、自分についてほとんど知らない。何処で生まれて、誰が親なのか。そんな出生について、そして自分の血がどんな力を持つのか……誰かが知っているなら、教えてほしい。それが、恐ろしい事実につながっていても。
「あなたの血を使い、吸血鬼を全滅させる薬を作るんですよ」
安宿部は口端を吊り上げた。得意げに説明を始める。
「あなたの血は、吸血鬼を惹き付ける匂いがするそうです。それが何故なのかはわかりませんが、あなたの近くで嗅いだ仲間がそうであると証言し、調べましたから確かです。その血を研究し工夫を重ねれば、反対に吸血鬼を殺すことも可能なのです。……あなたも、覚えはありませんか?」
「……っ!」
覚え、と言われて思い付くのは、リンが顔を近付けてきたことくらいだ。もしかしたら、その時に彼は匂いに気付いていたかもしれない。
それを横に置いても、悪寒が晶穂の体を駆け巡った。
自分の血が、リンたちを滅ぼすかもしれない。そのことも恐ろしかったが、自分の血を利用しようと企む人間が目の前にいるということが恐怖だった。
幸い晶穂の荷物は傍らの机に置かれているし、服もそのままだ。安宿部の隙を突けば、逃げられるかもしれない。
「逃げられるなんて、考えないことですよ?」
晶穂の目の動きから逃亡路を探す意思を感じ取ったのか、安宿部は彼女の視界を遮るように立った。
「私は部屋を出ますが、廊下には屈強な見張りが三人います。……か弱い女一人では、切り抜けられない」
「くっ……」
「本当に残念です。快く協力していただけないのなら、あなたから血を抜くだけです。はははっ」
安宿部は笑い声を上げながら、戸の方へと歩いて行く。晶穂はベッドの上から動くことが出来ない。安宿部の言葉に、体が硬直してしまったのだ。
「……ああ、そうだ。あなたは十八年前の生き残りでしたね。ついでにその清算もしてしまいましょうか」
「……それって」
晶穂を殺す、という意味ではないか。
晶穂が尋ねようとした瞬間、部屋の戸が閉まり、鍵のかかる音が嫌に響いた。
「……ここ、か」
目の前にそびえる建物の名は、「ソディール科学研究所」。無機質な外観の建物で、人の気配は少ない。しかしそれが、リンにとって安全安心であることは示していない。反対に、少数精鋭が控えていると思った方が無難だ。
リンは一つ息をつくと、手に持った杖を軽く振った。杖は彼の瞳と同じ紅色の石が頂かれている。地球で言うところの十字架に似た形状だ。それをリンの背丈を少し越えた長さにしたものが、彼の杖である。普段は小さくして通学用の鞄にキーホルダーとしてつけているのだか、今日は本来の大きさに戻していた。
研究所の裏手に回り、戸を探す。扉がつながった先にあったこの場所に晶穂が捕らえられているのは間違いないが、どうやって彼女のもとへ辿り着くかが問題だ。
「……あった、な」
少し歩くと、裏口らしき戸が見つかった。ここまで警備はいなかったが、中はわからない。
ドアノブに手を掛けると、鍵はかかっていない。誰かが晶穂を助けに来ることは想定内なのかもしれない。入った瞬間タコ殴りにされる可能性も捨てきれない。
「ま、強行突破すれば問題なしだな」
ニヤリと笑みを浮かべると、リンは戸を勢いよく開け放った。
日が地平線に沈もうとしている頃、玄関ホールにいたユーギは、扉をつなげてやって来た青年に駆け寄った。
「あれ?
「今日はゆっくり大学に行けるって言ってたから、そっちにまだいるんじゃないか?」
少年に問われた克臣は、会社帰りのスーツ姿でそう答えた。
克臣の会社は、都内に本社を持つ文具メーカーである。国内シェアはそこそこだと本人は言っているが、定かではない。仕事を終え、電車に乗るふりをしてリドアスへやって来ていた。
克臣の妻子は日本人だが、彼がソディールに関係する者であることは知らないとか。そもそもソディールという世界の存在自体、地球人の大半は一生知ることはないのだが。
求める回答を得られず、ユーギは目に見えて落胆した。克臣はそんな狼少年を慰めようと、その頭を軽く撫でた。
「なんだなんだ。そんなに落ち込むなって。もうすぐリンは戻って来るよ。……そもそも、何か報告したいことでもあったのか?」
「実は、晶穂さんについてちょっとわかったことがあったから……。でも火急ではないから」
「そっか。あの子についてはリンも気にしてるからな。帰って来たら、すぐ教えてやるといい」
「うん」
ユーギが克臣の悪戯っぽい笑みに頷いた時、廊下の向こうから焦った様子のサラが駆け寄ってきた。
ドッ
リンが蹴飛ばした男は、数メートル先で呻き声を上げた。彼の周りで構えていた男たちが、怖じけづいたのか半歩下がる。その分前に足を踏み出し、リンは不敵に笑った。
「さあ、晶穂の居場所を教えろ。さもないと、そこのやつと同じ目に逢うぜ?」
リンの背後には先程開けた裏口がある。案の定、室内に入った途端に襲われたわけだが、想定していたリンにとって、それは奇襲でも何でもなかった。
「うおおおおっ」
まだ若い青年に虚仮にされたのがよっぽど悔しかったのか、三十代前半と思われる屈強な一人がリンの背後に回り、襲いかかってきた。
「予測済みだ」
リンは焦らず杖を背後にかざして光の壁を創り出し、男を弾き飛ばした。ドオッと音を立てて床に沈んだ男を見下ろし、リンは鋭く問う。
「……教えろ。でないと命はない」
「…………わかった。言う通りにする」
どうやら今リンが弾き飛ばした男は、裏口で待機していた中では中心人物だったらしい。戦意を喪失した彼らは、すすんで晶穂の居場所を知っている限り教えてくれた。
「地下の第四特別研究室だ。それ以上は知らない」
「……わかった」
もう用はないと踵を返し、リンは地下への階段を探して歩き出した。その後ろ姿を追おうとした一人が、別の男に止められる。彼ら六人が再び束になってかかろうと、返り討ちに合うのが落ちだ。
そんな襲撃者たちの心情など知るよしもなく、リンは研究所の奥へと進んでいた。前から数人の研究員がやって来るのに気付き、物陰でやり過ごす。
彼らが気付かず去ってから立ち上がったのはいいが、リンは自分を見下ろした。
「……目立つか?」
リンはジーパンの上に黒の薄いシャツ、青いパーカーを羽織った自分に問いかけた。白衣の研究員だらけのこの場所で、一人の少女を探すには不都合かとも考えた。しかし、思い直す。
「別におもねるつもるもないしな。敵だし」
向かってくれば、片っ端から
どうして、こんなことになったのか。晶穂は閉じ込められた部屋で考えていた。
安宿部が去った後、力ずくでドアを開けようと試みたが失敗し、窓もはめ込み式で開けられなかった。椅子で叩き割ろうにも、強化ガラスなのかびくともしない。お手上げとなり、晶穂はベッドに腰かけた。
「……誰が、気付いて助けに来てくれる?」
親兄弟もなく、施設の先生たちは日本にいる。サラやユーギたちも、晶穂の窮地を知るよしもないだろう。
「……
晶穂は首を横に振った。彼こそあり得ない。二度助けてもらったが、どちらも偶然だ。ここ一週間程会っていないし、晶穂に関心などないだろう。
「……絶体絶命って、こういう時に使うのかもなぁ」
妙なところで納得し、そんな自分に苦笑が漏れる。
たった一人で、晶穂は息をついた。
「美里……。あの笑顔は嘘だったのかな」
どうせなら、美里が種明かしに来てくれればいいのに、と晶穂は呟いた。
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