第7話 誘拐

 アルバイト初日の翌日も更に翌日も。そして一週間が過ぎた。

 晶穂あきほは何事もなく過ぎる日々を楽しみつつも、サラやユーギに会えない日々に少し寂しさを感じていた。大学構内でリンを見かけることもここ最近はなく、ソディールとのつながりは完全に絶たれていた。

 そんな晶穂の気持ちを感じ取ったのか、ある日曜日、美里みさとが晶穂をショッピングに誘った。それは前日の夜、メッセージが晶穂のスマートフォンに届いた。

「とってもかわいい雑貨屋さんと美味しいパンケーキのお店を見つけたんだ! 一緒に行かない? 明日」

「行きたい! 雑貨もパンケーキも大好きだよ」

「よかった。じゃあ明日、十一時に駅前で待ち合わせね」

「わかった。楽しみにしてる!」

 アプリを閉じ、晶穂はスマートフォンを机の端に置く。月曜日には小テストがあるのだ。課題もまだ残っている。それらを今日中に片付けて、明日は思いきり遊びたい。

「……よし、終わり」

 ノートを閉じたのは、時計の針が夜の十一時をさした頃だった。何処かでフクロウが鳴いている。

 晶穂はベッドに寝転び、照明を落とした。

「楽しみだなあ、明日」

 カーテンの隙間から、外の様子が見える。街灯が明るくて星はあまり見えないが、月がこちらを見守っているように思えた。

 それを見ていたはずだが、晶穂の意識はいつの間にか夢の世界へと誘われた。




 日曜日は朝から快晴だ。夜遅くからは天気が崩れる予報だが、そこまで遅く帰宅するつもりはない。晶穂は傘を玄関に置いた。

 十一時十分前。晶穂は少し早かったかと思いながら、駅前広場の噴水の前にいた。周りには彼女と同じように待ち合わせをする人々の姿がある。恋人や友人、家族の楽しげな様子は、晶穂の心を温かくした。

「ごめん、待たせた?」

「時間ぴったりだよ。わたしがちょっと早く来てただけ」

 パンプスで息を切らせる美里は、手を膝について呼吸を整えた。

「さ、行こう」

 美里はトレードマークのツインテールに桜柄のシュシュをつけ、白いフリルのついたカーディガンを羽織り、藍色のワンピースを身に着けている。対して晶穂は長い髪をそのままにして薄い白のシャツにブラウンのカーディガン、薄橙の柄の入ったロングスカート姿だ。

 まず二人は街の中心に出てウィンドウショッピングを楽しんだ。気になった店に入り、また隣の店を覗く。晶穂にとっては初めての経験に近かった。施設暮らしであることもあり、なかなか誰かと遊びに行くというイベントに参加し辛かったのだ。

 幾つかの店を訪れた後、美里が一軒の店舗を指差した。

「ここ! このお店の雑貨、どれも可愛いんだよ」

 店の名は「アレス」。店内には確かに可愛らしい文房具類や雑貨、食器類が所狭しと並べられている。レジにはにこやかな女性が一人立ち、晶穂たちを迎えた。

 晶穂は大学で使おうと、リスが描かれたノートとシャープペンシルを手に取った。好きなデザインの文具は、日々の生活を明るくしてくれる。

「それ、可愛いね。私もそのシリーズ買おうかな」

 横から晶穂の手元を覗いた美里は、ひょいっとウサギのイラストが描かれたノートを取った。会計をするためにレジへ向かった美里を見送り、晶穂の視界は使いやすそうな黒のペンとノートを捉えた。

「それ、男性へのプレゼントに買っていかれるお客様も多いですよ」

「わっ」

 晶穂が振り向くと、さっきまで店内にいなかった物腰和らかな男性がいた。彼はアレスの店名が印刷されたエプロンを身に着けている。鮮やかな水色の生地に店名が白抜きにされたものだ。彼のにこやかな表情とふんわりとした雰囲気に合っている。

「プレゼント、ですか……」

 晶穂は一時思案し、それらも手に取った。

 いつの間にか十二時を過ぎ、二人は美里オススメのパンケーキ店に向かった。昼時ということもあり少し待ったが、席に案内される。

「ここは、本場のハワイ風パンケーキが有名で、おいしいんだよ。パンケーキも大きすぎないから、女子でも全部食べられちゃうって人気なんだ」

 メニューを広げ、美里と晶穂はそれぞれ生クリームたっぷりのパンケーキを注文する。それが来るまでの間、二人はおしゃべりに興じた。

「ほんとだ、甘くて……でも甘すぎなくておいしい!」

「でしょ?」

 美里は歓声を上げる晶穂の様子を満足げに見て、微笑んだ。自分もパンケーキにフォークを入れ、クリームを乗せて頬張る。二人はしばし無言で食べることに集中した。

 大半を口に入れ、運ばれてきた紅茶を一口飲んだ美里が笑う。

「よかった。何か最近、晶穂元気なかったから。ちょっとは元気になった?」

「心配させちゃってたか、ごめんね。何かあったってわけじゃないんだけど……」

 美里に話せないのは心苦しかったが、ソディールや狩人のことなどを話したところで簡単に信じてもらえるとは思えなかった。晶穂ですら、あれは夢だったのではないかと疑いたくなるというのに。

「ふーん。……話しづらいならいいよ」

 私も困るし。

「何か言った?」

 美里は偶にぼそりと独り言を言うことがある。それが重要かそうでないかは、判別をつけることは出来ない。

 晶穂の問いに、美里は何でもないと首を横に振った。

「さ、そろそろ出よっか」

「そうだね」

 二人は店を後にし、再び街の喧騒の中に繰り出した。


 日が西に傾き始める頃。晶穂と美里は駅前のファッションビルに入り、洋服や小物を見ていた。その時、美里の鞄から電子音が響いた。

 プルルルルッ プルルルッ

「ごめん。誰だろ……」

「気にしないで。この辺りにいるから」

「ありがと。ちょっと店の外に出てくる」

 美里がスマートフォンを耳にあてて店外に出るのを見送り、晶穂は再び夏物衣服を見ていた。まだ五月にもなっていないが、半袖や丈の短いボトムスがたくさん並んでいる。再び店の外を見ると、美里はまだ話し込んでいた。

 美里はフリルなどのついた洋服が好きらしい。この店を選んだのも彼女だが、可愛らしいものが多いために完全に美里の趣味だとわかる。今日の服もふわふわとした印象のコーディネートだ。

「これもかわいいな……」

 淡い水色のワンピースを手に取り、晶穂は苦笑した。晶穂も可愛らしいものは好きだが、好きと似合うは違う。ハンガーを戻して店内に目を向けた時だった。

 突然、晶穂は取り囲まれた。

「な、何!?」

「……」

 黒いビジネススーツを着た四人の男たちは、晶穂の誰何すいかに全く反応しない。助けを求めようと美里を探したが、先程までいた場所に彼女の姿はない。

「嘘……。さっきまでいたのに!」

 焦りを募らせる晶穂の頭の中に、最悪の推測がひらめいた。それは彼女自身が望まないもの。しかしもみ消すことを何かが拒んだ。

(まさか、美里は狩人の一員……?)

 そんな馬鹿なと思う。けれど、このタイミングで姿が消えるのはおかしい。彼女が狩人だとすれば、以前晶穂の過去を詳しく聞いてきたことも納得がいく。また、リンに興味を持ったのも、それが一つの理由かもしれない。

 けれど、判断材料は少なかった。

「いやっ。離して!」

 両側から腕を拘束され、晶穂が脚をばたつかせても男たちは全く動じない。スポーツも何もやっていない女子大学生が、大の男に腕力で勝てるわけがない。

 彼らはこういうことに慣れているのだろう。他の店舗にも人はいるはずなのだが、誰も気づいていないようだ。それとも、リンが以前言ったように結界が張られているのか。

 晶穂は男の一人に布で口を塞がれ、薬を嗅がされて気を失った。力なく倒れる晶穂を担ぎ、男たちはその場を去った。人通りの多い表の通路ではなく裏の避難用階段を使うあたり、手慣れていた。




 翌日、リンの姿は大学構内にあった。

 ここ一週間ほど対狩人の作戦会議や調査員の帰還・報告などが立て続けにあり、身動きが取れなかったのだ。勿論大学の講義を受けに来てはいたが、終わればすぐにリドアスへ戻っていた。だから晶穂と顔を合わせる機会がなかった。

 サラから晶穂がアルバイトに出ていることなどは報告を受けて様子を見に行こうかと思っていたが、忙殺されていたのだ。

 今日はそんな日々からようやく解放された、数少ない日である。

「あれは……」

 昼休みに一人で学食を訪れたリンは、初めて晶穂と出会った時に彼女の隣にいた女子学生を見つけた。話しかければ他の女子たちと同じように、自分のファンだと騒ぐ危険性がないではなかった。リンは勿論、自分が日本人離れした容姿のために女子に騒がれていることは知っていた。それを喜んではいなかったが。

 今日は構内で晶穂を見かけなかった。理由もなく欠席する性格でもなさそうなため、友人であろう彼女に聞こうと思ったのだ。

「あ、リン先輩!」

 彼女の目が光った気がした。リンは先手を打って早口で尋ねた。

「ちょっと悪いな。あんたがいつも一緒にいる女子、今日はいないのか?」

「晶穂ですか? う~ん、今日は見てないです」

「……そうか」

「っていうか、先輩は晶穂がいいんですか? 妬けちゃうなあ」

「そういうわけではないが……」

 むくれる少女に慌てて反論したリンだったが、彼女の目に違和感を覚えた。

(……嗤ってる?)

 しかしその違和感は一瞬で霧散した。にこにことこちらを見る視線は、普段時折感じるファンだという女子のものとあまり変わらない。リンは軽く息をつき、その場を去ろうと手を軽く挙げた。

「わかった、邪魔したな」

「いえいえ。……晶穂、無事だと良いですね」

「……?」

 意味深に微笑む少女を不審に思いながらも、リンはその場を後にしようとした。しかしその時、彼の脳裏に以前見た光景がよみがえった。

 晶穂が狩人二人に進路を塞がれた時、そこにいた小柄な女の狩人。今目の前の少女の声は、あの時の狩人に似てはいないか。

「お前……狩人か?」

「……そう思います?」

 少女の目の光が変わる。目つきがそれまでの彼女のものではない。リンがそう思った瞬間、ガタリと立ち上がった少女は、鞄をつかむと風のように走り去った。

「待て!」

 リンも彼女の後を追い、外へつながる階段を駆け上がる。その様子を、ほかの学生たちが呆然と見送った。

 構内を抜け、校門に出る。横断歩道の信号も無視して、少女は走り続けた。

(何だ、あいつ。……速い!)

 吸血鬼である自分より速い。リンは更に加速した。

 しかし一つ道を曲がった時、少女の姿は消えていた。リンは舌打ちすると、その場で魔力の流れを感じ取った。

「……くそ。強制的に扉をつなげたか」

 ソディールと日本をつなぐ扉を創るためには、相応の量の魔力が必要だ。美里のようにもともと何もない空間から扉を創って開けるというのは、相当上位の力ということになる。

 立ち尽くしていても仕方がない。リンは近くに会ったマンションの扉を『扉』に変える。あの狩人を追わなければならない。

「あのバカ。どうしてこうも巻き込まれるんだ……」

 出会って間もないはずの少女に向かって、リンは毒ついた。

 リンは扉に触れ、目を閉じた。

 ――必ず、晶穂のもとへつながれ。

 そう願いながら、リンの姿は扉の向こうへと消えた。

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