第5話 狩人の脅し
学食を早足で出た
「待ってください!」
すたすたすたすた。
一向にこちらを向く気配はない。
「
すたすたすたすた。
晶穂の呼び掛けが聞こえていないわけがないのだが、リンは無言で歩みを進めていく。心なしか、スピードが上がった。
晶穂は流石にむっとして、駆けながら改めて浮かんだ呼び名を叫ぼうとした。
「だんちょ……」
「その名をここで呼ぶな」
「むぐっ」
リンは突然振り返り、すぐ後ろにいて急停止した晶穂の口を手で塞いだ。そのまま抗議の意味を込めて晶穂が目で訴えると、リンは間近で彼女を睨んだ。
「……頼むからその名をここで呼ぶなよ?」
「……」
わかった、と頷くことで示し、晶穂はようやく開放された。
「全く、何なんですか……」
「何なんですかはお前だろう? 後ろから叫びやがって……。何の用だ?」
やはり聞こえていたらしい。それでいて無視を決め込んでいたということか。晶穂は眉をひそめたままで凛に突っ掛かった。
「……わたしをあんな所に連れて行っておいて、放っておくとは何事ですか?!」
「……ユーギたちがいただろう? それで事足りただろ」
「確かに良くしてもらいましたし、サラたちも紹介されました。……でも、先輩に聞きたいことだってたくさんあったんですよ?」
五月蝿そうに目をそらすリンに再び言ってやろうとした瞬間、晶穂の口は再び塞がれてしまった。
「黙れ」
「……!?」
リンが睨み付ける先を見た晶穂は、ブロック塀に背中を預ける背の高い男がいることに初めて気付いた。二人は言い合いをしている間に大学を出て、人通りの少ない裏道に入っていたようだ。
「……狩人か」
「久し振り。……いや、昨日会ったな、リン」
警戒を
「昨日」という単語を聞き、晶穂は思い出した。昨晩襲われた時、小柄な狩人にばかり目が行っていたが、この男もそのとなりにいたではないか。今もフードを目深に被っている。
「おや、そちらのお嬢さんも思い出したようだな」
「……っ、おい!」
男は晶穂に目を向けると、リンの制止を無視して彼女の目の前までやって来た。リンの手を外させ、間近で晶穂の瞳を覗き込んだ。晶穂は金縛りにあったかのように動けなくなった。リンが逃げろと言うのが、遠くに聞こえる。
「ふむ。……確かに、黒の中にわずかな青色の光。あの娘の見立ては間違いではなかったようだ」
「……あの娘?」
「わたしの部下でね。あなたが生き残りだと言い張るもので、半信半疑だったが。……ふふ、とんでもないものを見つけてくれたようだ」
男は晶穂の手を取ろうと、自分のそれを伸ばしてきた。怯えた顔で男を凝視する晶穂を見ても、男は微笑を絶やさない。目の前に手をかざされ、晶穂は頭の中に靄がかかったような感覚に陥った。
「怖がる必要はない。わたしたちはあなたを保護するだけですから」
「保護?」
「そう、保護です。こんな野蛮な吸血鬼のもとにいれば、あなたに、危険がつきまとう。私と共に来てくださるならば、身の安全は保障しましょう」
「身の安全、ねえ」
男の言葉に揺れた晶穂を正気付かせたのは、男に体よくあしらわれて蚊帳の外だったリンだ。男と晶穂の間に無理矢理入り込み、晶穂の肩を掴んで揺する。晶穂の目は光を失いぼおっとしている。彼女の心に、リンの言葉という矢じりが飛んだ。
「晶穂、思い出せ。お前の両親を殺したのはこいつらだ。……そんなやつらと一緒に行きたいのか?」
「ころ……あ……」
「正気に戻ったな」
晶穂の目じりから涙が一滴、頬を伝った。晶穂の瞳に光が戻ったことを確かめ、リンは安堵の息を漏らす。狩人は舌打ちをして二人を睨んだ。正しくは睨んだようだった。フードに隠れて見えない。
「やってくれたな、リン。次はないぞ」
「……」
すぐ傍にいたはずの狩人は、二人から離れ、体育館の屋根へと跳躍した。そしてリンの厳しい視線を余裕の顔で受け止め,姿をくらませた。
「……-い、早く帰ろうぜ」
「待てよ。すぐ行くから」
「……ちゃん、今日何処行く?」
何処からか、学生たちの喧騒が伝わって来た。狩人に会っていた間は全く聞こえてこなかった声だ。リンは舌打ちし、「結界張りやがった」と呟く。
「あの」
自分を置いて去ろうとするリンの背に、晶穂は声をかけた。「なんだよ」と胡乱げながらもこちらを振り返った青年に、晶穂は精いっぱいの笑顔を見せた。
「助けていただき、ありがとうございました」
「……別に。あの手口で一度、仲間を一人失っただけだ」
「え?」
言葉がよく聞き取れずに晶穂は聞き返したが、リンはそれには答えない。
リンがまた前へ歩き出そうとした時、後ろでドサッという何かが地面に落ちる音がした。面倒に思いながらもまた振り向くと、晶穂が座り込んでいるではないか。
「おい、そんなところで座ってたら汚れるぞ。さっさと家に帰れ」
「すみません。行こうとは思ったんですけど……。あれ? おかしいな……」
乾いた笑みを浮かべて立ち上がろうとするが、晶穂の体は言うことを聞かない。腰が抜けたのだろうと察し、リンはため息をついて彼女に手を差し出した。その細い手を取った時、それがわずかに震えているのが感じられ、リンは固辞する晶穂を黙って背中に乗せた。
「すみません、先輩。……自分で思ったより怖かったみたいです」
背中に顔を埋められ、リンは子供をあやすように体を軽く揺すった。
(このままここを出て人目に付く所に出たら、何を言われるかわからんな……)
「おい、晶穂。午後の講義は?」
「……今日は、ないです」
教授の都合により休講になったのだ。左右に緩く首を振った晶穂を見て、リンはこのままリドアスに戻る選択をした。しかしまずは人目につかないように道路へ出て、『扉』をつなげる場所を探さなくてはならない。
話し声が途切れた時を見計らって急ぎ足になったリンの背中から、震える声がした。
「……先輩、気付いてましたか? あの人、わたしを説得している時、手に短いナイフを持ってたんです。それをちらつかせながら、笑顔で。でも、目は一切笑っていなかった。獣みたいな。……親が殺されたのに、あいつらに。どんなことになるかもわからないのに」
晶穂の指に力が入る。少し肩にくいこむ指が痛い。だがリンは、何も言わない。
「わたし、『生き残り』だって。何も知らないのに。何も知ろうとしなかったのに。……何処かで逃げて、楽な方に行こうとしてました」
「……」
ぽつぽつと話し続ける晶穂を、リンは放っておいた。口を動かすことで先程感じた恐怖と自分への嫌悪を和らげようと、戦っているのだと察しがついたから。震える体が、そうだと如実に告げていた。
(……こいつ、こんなに華奢だったんだな)
抱き上げたのは二度目だ。しかし何かが違う気がする。
背中に受ける重さを感じながら、リンは名をつけられない感情が自分の中に芽生え始めていることを、何となく感じていた。
晶穂はまた、夢を見ていた。しかし、今までとは少し違った。
両親が消える直前、彼らの背後に人影が見えた。そして、両親が消えた後にも。
画面が血で塗りつぶされた気がした。
その人物は嗤い、年端もいかない晶穂に手を伸ばす。
「やめてっ……あれ?」
自分の声で目を覚ました晶穂は、自分が何処にいるのかわからなかった。自分の部屋でもないし、保健室でもない。全体が木の板で覆われた部屋。ベッドの傍には小さな机が置かれ、ランプが淡く照らしている。目を移すと、床には藍色のカーペットが敷かれていた。
見たことのある風景だ。けれど、何処かがわからない。
その時、部屋の戸が開いた。ティーカップを二つお盆に乗せて、青年が一人現れた。
「……なんだ、目を覚ましたのか」
「……リン先輩? じゃあ、ここは……」
「俺の部屋だ」
記憶を手繰る前に答えを言われ、晶穂は目を瞬かせた。確かに先日ここでリンから説明を受けた。少し考え、晶穂はここに来る前のことを思い出した。
「あ……わたし、狩人にもう一回会ったんですよね」
「……」
無言のリンからカップを受け取ると、そこには紅茶が入っていた。昨日ユーギが持ってきてくれたのも紅茶だった。香りからして、同じものらしい。
甘い果物の香りが口の中に広がり、晶穂の気持ちを落ち着かせてくれる。ベッドの隣にリンも腰かけ、紅茶を一口飲む。
しばしの静寂の後、それを破ったのはリンだった。
「全く。どれだけ俺に世話をかける気だ?」
「……すみません」
自覚がある晶穂は、しおらしく俯いた。昨夜に続いて二日連続でリンに窮地を救ってもらった。偶然その場に居合わせたとはいえ、申し訳なく思う気持ちは止まない。
再び黙ってしまった晶穂は、トントンと戸が叩かれる音を聞いて顔を上げた。
「こんにちは、団長。……あれ、何してるんです?」
入って来たのはサラだ。小首を傾げる彼女の視線を晶穂が追うと、リンが右手を空中に漂わせて静止していた。すぐに手を振って誤魔化したが、晶穂と目を合わせないようにしているように見えた。
「何でもない。……それで、用があって来たんだろう?」
「あ、そうでした。これを見てもらえます?」
サラに差し出された書類の束を受け取り、リンは紙をめくる。その目が文字を追い、サラは彼に向かって話し始める。
「大陸の北で、狩人の動きが活発化しているようなんです。調査員が知らせてくれたことによると、北では狩人に加担する人も増えているとか」
「……なるほど。この大陸には政府なんてものはない。俺たちでどうにか手を打たないとな」
「そうですね。狩人は自分たちに味方する者には相応の褒賞や地位を与えると噂されていますから、無理もありませんが」
どうやらサラは、見た目に反して情報調査活動などを得意としているようだ。その女子力たっぷりの見た目からは想像できない。
紅茶のカップを手にベッドの上で二人を見守っていた晶穂に、サラが笑顔を向けた。
「あたしの団長への用事はこれだけです。晶穂、連れて行ってもいいですか?」
「わ、わたし?」
「ああ。……無理はさせるなよ」
「りょーかいです」
リンの了承を得て、サラは困惑顔の晶穂を促し、リンの部屋を後にした。
戸が閉まり、二人の足音が遠ざかる。リンは無意識に息を吐き出した。先程項垂れる晶穂に伸ばした手を見つめ、頭を抱えたくなった。
「……何やってんだ、俺は」
窓の外では春を歌う鳥が鳴いている。爽やかな風が吹き抜け、開けた窓から入ったそれがリンの髪を揺らした。
考えていても仕方がない。リンはそちらに頭を使うことを放棄し、サラから受け取った報告書類に再び目を落とした。
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