ミッドナイト・グレイ

秋寺緋色(空衒ヒイロ)

    



「『――バーカ、バーカ、バーカッ!……〇ねっ!』っと、これでいいや」


 携帯端末をカーディガンのポケットにしまい、昂然こうぜんと夜空をふり仰ぐ。

 こんどは大声で――


「バ~~カッ!!」


 少し遠くで犬が吠える。


〈おねぇちゃんも言ってた…… 『由那ゆな、オンナの二十代は貴重なんだよ、大切にしな』――って。ホントだよ! アイツと無駄に過ごした何年かを、心底返して欲しいっ!!〉


 真冬。

 真夜中。

 そして由那は薄着――だった。


「はっくしっ!! うぶ~っ、ざむっ!」


 ささいな言い争いが本格的なケンカになってしまった結果だ。


「怒りにまかせて飛び出しちゃったからな~ 上着わすれた~」


 少し後悔し始めていた。あと先考えず寒空の下、飛び出したはいいが行くところがない。サイフの入ったバッグだって部屋に置いてきてしまった。


「さむい~ さむいな~ アイツ、上着もって追いかけてきてくんないかな~~!?」


 期待をこめて自分の来たほうを見やる。耳も澄ますが、物音も人の気配もない。


「あぁ~あ~ こないんだぁ~! 誰も――こない!――よねぇ、やっぱり……」


 打ちっぱなしのコンクリートでできた灰色の建造物を見上げた。

 そこには高架式のM駅がある。私鉄の郊外無人駅。駅の機能はすべて地上七、八メートル上空にあった。


 駅ホームの真下にある駐輪場の車除けに由那は腰掛けた。路線に平行して、真横に舗装道路が果てしなく寄り添っている。

 左、右――上り方向に下り方向、どちらに視線を投げても人っ子ひとりいない。

 静かだ。そして、さむい。


 ――と、うつむく街灯の光のなかで、ひらひら揺れ落ちるものを見た。


「ええ~っ!? ゆ、雪? ただでさえこんな極寒なのに、さらに雪? これは……死ぬ。死ぬわ! ひゃ~~っ!! き、今日を持ちましてぇ、わたくしぃ、篠崎ぃ――由那はぁ、若いミソラでぇ、死……に…… ――ん? 誰あれ……?」


 人影がこちらに歩いてくる。

 ひとり。

 背格好からすれば女。

 さらに近づいてくる。

 女――の子のようだ。

 小学四、五年生くらいのものか。

 半袖シャツにホットパンツ。軽装である。

 まさかの夏のいでたちだ。


〈ちょ、ちょっとぉ~!? 何、その格好っ!? さむくないのっ!? いまド真冬まふゆだよ? 雪降ってんだよっ!? 気ぃフレてんのっ!?〉


 だが、つぎの瞬間には別の可能性に思い至る。


〈いいや違う。そうじゃない! そうじゃないよ……たぶんこの子――〉


 女の子が立ちどまる。由那から距離をとって。

 こちらが話しかけるか迷っていると、


「こんばんは」


 彼女のほうから声をかけてきた。


「……こんばんは」


「夜中に女の人がひとり。あぶないよ」


〈それはこっちのセリフだよ――ん? あれっ!?〉


 カチカチと音がするので何だろうと見ると、女の子は杖――というか、登山ステッキみたいなものを手にしていた。さっきはこんなの持ってなかったのに。それに見たところ、足が悪いわけでもなさそうだけど――


 近づいてきて、由那のとなりの車避けに座った。

 ふたり並んで雪降る夜を眺める。

 路面には少し白いものが残りだしていた。


 しばらくのち、女の子はぶっきらぼうに訊いてきた。


「お姉ちゃん、真夜中の意味……知ってる?」

「意味? 真夜中の? 真夜中は真夜中でしょ? しんの夜中――夜中のなかの夜中。夜のキング的時間帯――みたいな?」


 女の子は首をふり、

「真夜中には『まよなか』って意味があるの――」

「――?」

「関係性を疑う時間。疑心暗鬼に陥る時間。話し合いには向かないとき――」


〈ふうん……真夜中が『迷う仲』……ね……駄洒落みたいだけど。たしかに、あたしもアイツのことを疑って、ケンカして飛び出してきちゃったし……〉


「そして――」「ところであなたの名前は?」「――もうひとつ……」


 交わす言葉が重なり、お互いどうぞどうぞと手を差し伸べ合う。


「私の名前はたまき。お姉ちゃんは?」

「あたしは由那。篠崎由那。よろしくね。ところで環ちゃん、さむくないの? そんなカッコで」

「ああ……うん……慣れてる。いつもこんな感じ」

「そうなんだ……」

 由那は確信した。


〈これは――ヤバいわね。この子は、環ちゃんはたぶん、この世のモノでは――〉


「当たり」

「えっ!?」

「当たりだよ、由那姉ちゃん」

「それって、どういう――?」


 環は答えずに車避けから立ち上がった。


「うえに――駅のホームに行こう?」


 由那を誘う。

 彼女は一緒に行きたくなかった。

 はっきり言って環は、幽霊だか妖怪だか――なんか、そういう類なんだと思う。普通の人間ではない。

 全速力で元いた部屋に戻って、平謝りして許しを請い、温かい寝床で何もかも忘れて眠りたかった。

 そうしたかった。だけど、そうはできなかった。

 ――この子が哀れだった。

 小さい女の子なのにまだ一度も笑顔を見せていない。

 自分がこのくらいの年には、大好きな服やアクセサリーの話をのべつまくなし、しかも笑顔たっぷりに話していたものだ。

 笑っていた。友だちと笑いさざめいていた。

 なのに……


 正直、怖い。

 相手にしててり殺されないだろうか?――みたいな怖さは、ある。

 あるけれど、無視はできなかった。

 

「いいよ」


 そう返事をすると、由那は駅の階段を二階へ――電車のホームがある上階へと、連れ立って環とあがってゆく。

 気づけば、持っていた登山ステッキが、今度は環の手から消えていた――


     ☆


 階段うえでは金属チェーンが掛けられていたが、くぐったり、またいだり、侵入は容易だ。

 ふたりは駅ホームへと歩み出た。

 上り方向と下り方向、両方向に目をやるが、遠くのほうは夜に同化している。

 何も見えない。

 ホーム自体も暗かった。先ほどまで、階下では斜めうえにあった外灯の明かり。その幾つかがフェンス越しに洩れ届くのと、人感センサーで明るくなった自販機前面の照明のみだ。

 近くのベンチにふたりですわる。


「さっきの話ね――」


 由那が訊いた。


「――真夜中が『迷う仲』って話のあと――環ちゃん、もうひとつ何か言おうとしてたよね?」


 環がうなずく。

「真夜中についてもうひとつ――真夜中はとっても魔物と遭遇しやすい――」

「――魔物っ!? 怖いな、もう! こんな暗がりで話すことじゃないよ~~っ!!」

「ごめんなさい……」

「あらら。いや、いいのよ。雪は降ってても、とりあえず声出してりゃ体はあたたかいし……それにあたし、こう見えて物知りなんだよ? そういうの『逢魔おうまとき』とかって言うんでしょ?」

「それは黄昏どき。それより今は魔物に遭いやすい……」

「そうなのっ!?」

丑三うしみどき――」

「あぁ~~っ、それそれっ!! それハイパーヤバいよっ!? 『草木も眠る丑三つ刻』……呪いのワラ人形じゃんっ!!」

「――午前二時から二時半。方角の鬼門と同じ。時間の鬼門も丑寅うしとらうし刻参こくまいりで人を呪ったり、心の中にも外の世界にも魔が這入はいりやすい時間――」

 由那は携帯端末を取り出してみる。

 時刻は二時十一分――

 デジタル数字が変わった。二時十二分――

 立派な丑三つ刻だ。


 不意に――

 遠くで明かりが見えた。

 ファンッ!

 警笛の音。

 線路を伝う振動。

 電車が走っている。

 こちらにやってくる。

 ヘッドライトが、ちらちら舞う雪を照らす。

 ブレーキを軋ませて、電車はホームに進入してきた。

 少しずつ速度を緩め、駅ホームの中ほどで停車する。

 車内灯とヘッドライトが煌々こうこうとホームを浮かびあがらせる。

 するどく空気が抜ける音。

 スライド式のドアが左右に開く。


「環ちゃん、電車――きたよ……?」

「だめっ!! 由那姉ちゃん下がってっ!!」


 ぼんやりと近づく由那の前に環が出た。背中で彼女をかばう。


「こいつは電車じゃないっ!! 『霊魂喰たまぐい』って魔物だよっ!!」


 環はいつの間にか登山ステッキを手にしていた。


     ☆


 なかなか乗車してこないのにれたのか、霊魂食いは姿を変えた。

 電車から本来の姿へ――

 巨大な口をした、両手に鉤爪をもつ魔物へと変じた。

 両足は無く、退化した下半身は地につかず、ふわふわと浮遊している。


 環が誘導し、ふたりは距離をとってゆく。


「駅にはいろんなものがやってくる――良いものも悪いものも」


「環ちゃん、あれはあたしたちをどうしようっていうの?」

「霊魂喰いは人の霊魂を喰う気満々――すべきことはひとつ。ヤラれるまえにヤる!」


「あなたの名前は『たまき』で、あの魔物は『霊魂喰たまぐい』――つまり、あの魔物はあなたを食べるために現れたってことなの?」

「『環』も『霊魂』もまわり、めぐり、循環するもの――でも私とあいつは完全に別モノ。くわしくはあとで説明する。由那姉ちゃんは――ひとまず、あの券売機の向こう、柱のカゲにでも隠れて!」


 霊魂喰いが飛びかかってきた!

 環は由那を逃がすに手一杯で、左肩あたりをざっくり引っ掻かれる。


「ぐっ……!!」


 半袖シャツが裂け、血に染まる。


「環ちゃん!?」

「平気! 由那姉ちゃんはそこを動かないで!」


 今度は霊魂喰いの動きを捉える気なのか、環は登山ステッキを構えた。

 何らかの力が込められているのだろう――ステッキはみるみるまばゆい光を放ちだす。


〈環ちゃん、死なないで! ――って、なんで環ちゃん、あんなのと戦ってるんだろ?〉


 霊魂喰いが雄叫びをあげる!

 鉤爪を振りかざし、環に襲いかかる!

 ステッキを構えた彼女とまさに交錯する刹那、霊魂喰いは軌道を急変させた!


「しまったっ!!」


 環が叫んだのと、由那の視界が全き暗闇に包まれたのは同時だった――


 がぷんっ……!


 由那は音とともに闇に呑まれた。


 だが――


 ブシュンッ!!


 次の瞬間にはくらい闇のなかで一本の光が縦に走り、由那の体は解放されていた。


 空間が引き裂かれたあいだから環が見えた。


 由那には一瞬過ぎて分からなかったようだが、霊魂喰いは彼女を丸呑みにし、次の瞬間には環にステッキで一刀両断にされていたのだった。


 ――途端、


『銀河ステーション! 銀河ステーション!』


 駅構内にアナウンスの残響がはねっ返る。

 同時に警笛が鳴り響く。

 蒸気機関車の走行音も聞こえた。

 とても目を開けていられない、強烈な光に襲われた。

 それは巨大な、機関車の前照灯ヘッドライト

 さらに大きくなり、迫りくる。


 光にとりこまれゆく由那。

 さらに光芒があつまり、みなぎり、あふれ――


 世界すべてが白く発光した。


     ☆


 蒸気機関車の走行音。

 そして汽笛の音がした。


 由那は目を開けた――

 ぼんやり周りを見る。


 いつの間にやら列車内の座席に腰かけていた。


『本日は幻想第四次銀河鐵道ぎんがてつどうにご乗車いただき、誠にありがとうございます』


 アナウンスが流れた。


『只今より乗車券を拝見させていただきます。お手元近くにお出しくださいますよう、お願い申し上げます』


〈まいったな……切符? 車内販売で買えるのかな?――って、いやいや、そうじゃない! 何であたしこんなとこにいるの!? どういうこと!? 誰か説明してっ!!〉


 そのとき、車両進行方向と反対側の扉が開き、車掌が姿を現した。

 一礼し、


「乗車券を拝見いたします」


「――っ!?」


 顔をあげたとき、由那は息をのんだ。


 ――環だ。


 顔が環にそっくりだった――というか、環だ。

 大人びた雰囲気にはなっていた――が、環だ。


 だが一方で、全体から受けるイメージはすっかり違ってしまっている。

 表情は柔和で、豊かになっていた。

 背は伸び、大人の女性らしい、優美でふくよかな体のラインになっている。


〈環ちゃんが……成長してる……!? 大人の女の人になってるよ~っ!! 完ペキ別人だ~~っ!!〉


 なぜか心が高揚する。由那はもう一度環をみた。

 服装は彼女が着ていたものとは全然違っていた。

 飾り糸や刺繍がふんだんにあしらわれた白い車掌服。豪華で仕立てが良さそうだ。特別な日に着る、特別な服に違いない。

 車両中央の通路を歩きながら、まばらに座っている乗客たちの切符を確認してゆく。


「はい、結構です……ありがとうございます……拝見いたします……」


 切符を切る音が聞こえてくる。

 じきに由那のところまでやってきた。


「乗車券を拝見いたします」


 満面の笑みを浮かべる彼女。

 初めてみる環の笑顔に、少し心がとらわれる。

 視界に何かがあふれそうになった。

 思わず口をついてでる言葉――


「環ちゃんが、笑ってる……良かった……」


 それに環がするどく反応した。


「違います。私、環じゃありません。車掌さんです」


「いやいや、環ちゃんよね?」「環じゃありません!」


「でも、胸のネームにひらがなで『たまき』って書いてあるし……」

「……」

 慌ててネームを隠す環。


「……」

「……」


 由那は話題を変え、


「でもさー、切符を切るの――すごく大変なんじゃない? 右肩ケガしてたし……」

「いえいえ違います。左だったんで支障ありません――あっ!!」

「やっぱり……環ちゃん――」


「もういいです! それより、乗車券を拝見いたします」

「あー、それなんだけどさぁ……悪気はないのよ? 無賃乗車しようなんて気はこれっぽっちも――でもいつの間にかこんなとこにいるし――何?」


 弁解しようとする由那に、環は微笑みながら彼女のポケットを指さした。


「え? ここ? ポケット? いや、だから。ゴメン、ないのよ、乗車券――あれ? 何これ?」

 一応ポケットをさぐるフリの由那。だが思いがけず、何かが手に触れる。

 取り出してみると、それは四つ折りになった緑色の紙だった。

「何……これ? こんなの――」

 環は折りたたまれた、葉書大の紙をみて、


「拝見いたします」


 紙を由那から受け取り、しばらくながめ、


「たいへん結構です」


 切符切りで、カチンと紙のはじを切った。緑色の紙を由那に返す。

「あの、環ちゃん――」

 問いかけてくる由那に笑顔の一礼でこたえ、環はさっさと歩き去ってゆく。入ってきたのとは反対側の扉まで行き着くと振り返り、また一礼。次の車両へと向かう。

 由那は呆然と彼女を見送った。

 少しして仕方なくシートに腰を下ろす。

 蒸気機関車の音と振動が心地良い。


 無性に眠くなる。


 乗客たちの声がときおり耳に届いてくる――


「いま走っているのは『天の野原』。しばらく行くと『ノーザンクロス』があって、次の駅が――」


「三角標が綺麗なんだよねー」「そうそう」


     ☆


 由那がうとうと眠りこんでいると声がした。


 最初のひと声は聞こえなかったが、目を開けると環が立っている。

 

「長旅は退屈でしょう? お気をまぎらわせるために、幻灯げんとうなどいかがでしょう?」


「ゲントウ?」


「はい。幻灯映写機のことです。最新の技術で座席の横窓に映してさしあげられるのです。それはそれは好評なのですよ? いかがですか?」


 眠らずに見られる自信はなかったが、せっかくすすめてくれるものを無下に断る理由も見あたらない。


「……じゃあ、お願いしようかな……」

「承知いたしました」


 彼女は立ち去った。

 だが、しばらくしても横の窓には何も映らない。

 つかのまの覚醒がみるみる力を失ってゆく――ひどく眠い。


〈こりゃダメだ。始まる前に眠っちゃうよ……〉


 夢うつつの境界線をたやすく越えてしまいそうになる由那。そのとき――


『はじまりです』


 声がした。


〈環ちゃんの声だ……〉


 横窓に見えていた景色が、暗くなって消える。窓が映写用のスクリーンに変わったみたいだ。画面が数度明滅し、カウントダウンが始まった。


 5、4、3、2、1……


     ★


「るっさいなぁ~~っ!! オレが誰と連絡取り合おうが、放っとけよ!」

「そうはいかないわ! さ来月にはあたしたち結婚するんだよ!? いいわけないじゃん!」


「だからさ。もう! 何度言わせんだよ!? 仕事場の――」

「仕事場の女の人と、そんなうれしそうにメッセージのやりとりって、する!?」


「するさ! 現にオレがそうだよっ!!」

「ああ、もうっ!! うるさいうるさいうるさいっ!! もういいよっ!!」


「こんな夜おそくにどこいくんだ!?」

「アンタのいないところ、だよっ!!」


     ★


「バカバカバカバカ……バカッ!!」


 言いながら部屋を飛び出してきた由那。

 道路の真ん中――

 そこに、ふたつの光る眼が迫る。


「えっ……?」


 気づいたときには凄まじい勢いで撥ね飛ばされていた。

 M駅のコンクリート壁に体が叩きつけられた。

 大量の血を流し、痕を引きずりつつ、彼女の体はずり落ちてゆく――


     ★


「――よろしくね。ところで環ちゃん、さむくないの? そんなカッコして」

「……うん。いま夏だし」

「何言ってんの? いま真冬だよ!?」

「……そうだね……そういえば……冬かも。でも、大丈夫。私、いつも薄着だし」

「そうなんだ……」


〈これは――ヤバいわね。この子は、環ちゃんはたぶん、この世のモノでは――〉


「お姉ちゃん、いま、あたしをバケモノかなんかだって思った?」

「えっ!? いや、そんなこと――」

「思ったんだね……?」

「……」

「……」


「うえに――駅のホームに行こう?」


     ★


 霊魂喰いが飛びかかってきた!

 環は由那を逃がすに手一杯で、左肩あたりをざっくり引っ掻かれる。


「ぐっ……!!」


 半袖シャツが裂け、血に染まる。


 恐怖で逃げだす由那。

 追いかける霊魂喰い。

 由那がうしろから切り裂かれる!


「由那姉ちゃんっ!?」


 消えゆく由那の姿。


「まただ……散らばった霊魂が集まるまで……またしばらくかかる……これで何度目だろう……?」


 ガックリうなだれる環。


「また……助けられなかった……」


     ★


「由那、オマエ、何で死んだんだよ!? どうしてオレを信じてくれなかったんだ――!?」


 供えるための花束をキツく握りしめたまま、由那が激突した灰色の壁の前で這いつくばる男。

 くちびるを震わせ、何度も何度もこぶしでコンクリート床を殴りつける。


     ★


「由那……あたしさ…… 姉ちゃんはもっともっと、もっともっと――アンタと一緒に生きたかっ……」


 うつむいたまま、いつまでも献花を手に泣きくれる姉。


     ☆


「――いかがでしたか、幻灯は?」


 何も見えない。


 環の声だけが聞こえている。


「ねぇ……?」

「はい」


「あたしがいま見たものは本当のこと?」

「はい。すべて実際にあったことです」


「思いあたるフシもある。見てるうちにおぼろげに思い出したことも……」

「……」


「じゃあ、あたしは……納得できるように努力するしかない……のかな……?」

「……」


「環ちゃん……」

「はい」


「あたし、アイツにひとこと、あやまりたかったな……」

「大丈夫。あっという間です。また会えますよ」

「……」

「それに、ひとりぼっちじゃありません。昔、大好きだったお祖父様やお祖母さまだって待っていらっしゃいます」

「そう……なの……」


 環の気配が遠のいていく。


 声がした。


 心に直接語りかけてくる、さらに丁寧な響きだった――




 あたしの名は環


 誰でもあって誰でもない存在


 あなたの知っている人に似ているかも知れない


 あなたの知らない人に似ているのかも知れない


 ただ


 あなたが本来あるべきカタチに


 あなたが本来いるべきセカイへ


 のもとへ


 あなたをかえします



『次は終着駅サウザンクロス! サウザンクロス! どなた様もお忘れ物の無きよう、ご降車願います』


 アナウンスが聞こえた。


「ここで降りるの……?」


 この先に「」があります


 どんな存在も分け隔てなく、死後にかえることができる、生命の源です


「……ありがとう、環ちゃん……」


 不意に由那の視界に、光で浮かぶ環が現れる――


 由那が最期に見たのは「車掌」から「小学生」の姿に戻った彼女だった。

 子供らしい笑顔でこちらを見ていた。


「ありがとう」


     ☆


 真夜中が、夜が終わろうとしている――


 軽い靴音がした。


 M駅のホームに環が降り立っている。

 空を見上げている。


 ふぃいいいいいぃんっ……!


 遥かな空の高みで澄んだ汽笛が聞こえた。


 それを合図に雪がやむ。

 カエルの混成合唱が聞こえてきた。


 冬から夏へ――季節が変わる。


 駅も本来の姿を取り戻したのだった。




〈了〉

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ミッドナイト・グレイ 秋寺緋色(空衒ヒイロ) @yasunisiyama9999

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