ある8月31日のカップルの話

PPP

7:47

「え、嘘、やば、イタッ、有紀さんごめん、うわ」


騒がしい声で目を覚ますと、雄星がスマホを見ながら半ベソをかいていた。

趣味でやってる同人誌のイベント当日なのに寝坊したらしい。


「で、電話、電話」


「寝坊したの?」


「有紀さんごめん、うん、まだ8時前だから寝てて良いよ」


「うん」


「あ、もしもしにぎり?ごめん絶起。うん、マ。すみません。有紀さんの家からだから9時にはギリギリ着くと思う。申し訳ない、本当」


バタバタ準備する雄星を横目に、スマホでカーシェアに空きがあるかチェックして、身支度を整える。


「雄星、車取ってくるから下で待ってて」


「え!?うわ〜ありがとう有紀さん〜」


近くのカーシェアステーションで車に乗り込んでアパートに戻ると、身支度を終えた雄星が合掌しながら待っていた。

ご近所さんの目があるからやめてほしい。


「本当助かります有紀さんマジで女神」


「会場近くで降ろせばいい?」


「うん。でもちょっと離れたところで大丈夫」


運転変わろうかと言う雄星を助手席に乗せて、車を走らせる。

雄星はオーディオを操作して私の好きなアーティストをセットし、また電話をかけ始めた。


「もしもし?あ、女神が降臨なさったので8時半には着きそうです。本当申し訳ない。すみません。うん、先に設置始めといて。はい、よろしくお願いします。朝雛さんにも。はい」


「アサヒナさんって?」


電話を切った雄星に話し掛ける。


「今回売り子してくれるレイヤーさん。いや〜やらかした。1回しか会ったことないのに」


「女の人?可愛い?」


「うん、めめるんのコスプレめっちゃ似合ってて……あっ有紀さんには負けるけどね!?有紀さんのメイド服こそ至高だからね!?」


「興味本位で聞いただけだから人の黒歴史持ち出さないで」


騒ぐ雄星に無視して昨日買っておいたおにぎりを渡す。

女神だなんだのまた言い始めてるのでずっと無視しておいた。


会場が見えて来たところで車を停めて、雄星を下ろす。

雄星が何度もありがとうとごめんねを言いながら元気に会場へ向かうのを見届けて、本日の私のお仕事終わり。


せっかくなのでそのまま車でお台場の方へ向かう。

スッピンだったからトイレで軽く化粧して、他のお店が開くまでコーヒーショップで時間を潰してスマホを開くと、無事間に合ったらしい雄星からメッセージが届いていた。

今いるコーヒーショップで使えるドリンクチケットが添えられている。

微妙にタイミングが悪いのが雄星という男である。


久々に買い物に来たので夢中になっていて気づけば13時になっていた。

フードコートでうどんを食べながら、今日この後どうするかを考える。

雄星はイベントの後打ち上げがあるので、夜ご飯は1人だ。

そもそも同棲はしていない。

私の家の方が会場に近いので泊まっていただけである。


帰る前にウィンドウショッピングをしていると、気になってた映画が公開されていたので荷物を車に置いて同じ敷地内の映画館に向かう。


映画は昔雄星と見たラブストーリーのスピンオフで、今作では前作の主人公とライバルだった女の子にスポットが当てられている。


前作は主人公と1人の男性が恋に落ち、様々な困難を共に乗り越えて結ばれる話だった。

中盤で実は名家の嫡男だった男性の婚約者として登場するライバルは、男性のことは愛していないものの、家の為に手を引けと主人公達に迫る。

最終的に男性が家を捨てることになったとしても主人公と一緒にいたいと宣言したことで婚約は破棄され、ライバルは去って行く。


今作は、その婚約破棄のシーンから始まっていた。

前作で格好良く愛を宣言した男性は、彼女の視点だといい歳して恋愛にうつつを抜かした馬鹿男のように映っている。


『恋愛なんて冷めたら何も残らないわ。夫婦生活は共通の目的と努力さえあれば成立するものなのよ』


そんな考えのもとでお見合いを繰り返すものの、なかなか合う相手が見つからない。

そろそろ別の方法を考えるかと思っていたところで出会った見合い相手から、お互いの家の為に結婚して、恋愛は別でしようと持ち掛けられる。

彼女はそれを快諾して、仮初の夫婦生活を営むが、数年後、突然夫が離婚したいと言い出す。


好きな人が出来たと言う夫に「そんな一時の感情に振り回されて全てを捨てるなんて愚か者のすることだ」と吐き捨てて、彼女は家を飛び出した。

夫には離婚届を実家に送るようにとだけメールして、結婚式の会場にしたホテルや世間体の為に行った新婚旅行先などで思い出を振り返る。


その後話を聞きつけ友人の前で、彼女は初めてありのままの感情を口に出す。

婚約者も夫も、恋愛感情は無くても彼女にとっては戦友のような大事に思っていた。

経営者の両親の一人娘として生まれ、幼い頃から自分も家業を継ぐか起業して家の名をさらに発展させるよう言われて育った彼女には、共に歩んでくれるパートナーが必要だった。それを結婚という形で求めただけ。


夫とは夫婦として触れ合うことはなかったけど、数年間それなりに楽しく過ごしていた。

仕事の終わる時間が重なれば連れ立って外食をしたり、読んだ本の感想を夜遅くまで話したり、気の合う友人とルームシェアをしているような感覚だった。

2人の間には、確かに絆が芽生えていると彼女は感じていた。


『恋愛なんて馬鹿な人がすることよ。私が誰かを好きになるなんて、映画の主役にでもならない限り有り得ないわ』


涙を溢す彼女の肩に、そっと手が置かれる。

振り返ると、数日ぶりに見る夫がいた。


『2人はもっと話し合うべきよ』


友人がそう言って席を立ち、夫がそこに座る。

彼は鞄の中から、離婚届と婚姻届を取り出す。

どちらも夫の欄だけが記入されていた。


戸惑う彼女をよそに、彼はぽつりぽつりと話し出す。

以前パーティーである女性を見掛けて一目惚れしたこと。

その10分後にその人に婚約者がいると知って失恋したこと。

数ヶ月後、あの女性が婚約破棄して見合いを始めたと聞いてすぐ申し込んだこと。

彼女が結婚を承諾するよう、嘘の条件を提示したこと。

結婚してから妻以外の女性とはプライベートで食事にも行っていないこと。

この数年間が自分にとっては夢のような生活で、自分の妻となった女性にますます惹かれていったこと。

一方で嘘の夫婦生活であることが、苦しくなってしまったこと。


『だから、やり直したいんだ。本当の夫婦として』


『私、貴方のこと好きなわけじゃないわ』


『わかってる。でも君の、最近のミステリー小説のわかりやす過ぎる犯人と使い回しのトリックがいかにくだらないかって話に夜通し付き合ってあげられる男なんて、僕くらいだろ』


『……そうね、そうかも。貴方が夕食にパンケーキが食べたいなんて言い出しても文句を言わない女性も、私くらいだしね』


彼女はテーブルの上の紙二枚を手に取って、丁寧に破った。


『無駄に戸籍にバツ印をつけるのは嫌よ。区役所まで行くのも面倒だし』


店を出て、2人は帰路に着く。

夫は妻に、寒くない?と手を差し出す。

彼女は彼の手を取って「恋愛映画の主役にでもなった気分だわ」と呟いた。


◼️


映画館を出ると17時過ぎだけど、まだ外は明るい。

スマホを見ると仕事のメールがいくつかと、雄星から着信が来ていた。

一応折り返すけど、案の定出ない。

車に戻ってメールの返信をしていると、雄星からまた着信が来た。


「もしもし有紀さん?今朝はありがとう。無事終わりました」


「そう、お疲れ様。どうしたの?」


「あのさ、可能であれば車で迎えに来ていただきたいなと思ってるんだけど、どうでしょうか……」


「暇してるから良いよ。何かあったの?」


「本当?ありがとう〜!差し入れ貰ったんだけど、大きいのとかもあって電車じゃ持ち帰れそうになくてさ」


「なるほど。打ち上げあるんだよね?私お台場にいるから時間大丈夫なら今から取りに行くことも出来るよ」


「えっ、そうなの?ちょっと待ってて」


雄星の声が遠くなって、別の人と話してるっぽい音が聞こえる。

その間にカーナビを操作して、道順を確認しておく。

道も混んでなさそうだし会場までなら5分で着きそうだ。


「もしもし有紀さん?あのさ、良かったら打ち上げ来ない?」


「え?」


「お金出すし、帰りは俺が運転するしさ。他のサークルの人達もいるけど、有紀さんが知ってる人も多いから、どう?」


「いや、私いてもしょうがないでしょ。ドリンクチケットくれたから別に良いよ」


「でも打ち上げの店、ご飯もお酒も美味しいとこだよ。オタクばっかだけどさ、みんな有紀さんと話すの好きだし、おいでって他の人達も言ってるし。明日も休みでしょ?ね?」


珍しく誘いがしつこいのでわかったと返事をして、メッセージで送ってもらった住所まで車を走らせる。

近くの駐車場に車を停めて電話をすると、すぐに道路に雄星が出て来た。


汗をかいて着替えたのか、朝とは違うシャツを着ている。


「有紀さん朝ぶり。ワガママ言ってごめんね」


「私は良いけど、他の人達も本当に良いの?」


「良いの良いの。有紀さんは俺達のオアシスだから」


自分の彼女をオアシスとは一体。


打ち上げ会場の店は小洒落たバーで、昼は軽食も出す喫茶店らしい。

中にいたメンバーは10人くらいいて、雄星の言う通り、大半は面識のある雄星の趣味友達だった。


「有紀さん何飲む?」


「オレンジジュース」


「俺運転するからお酒飲みなよ」


「雄星の運転下手だからヤダ」


「え!?」


店員さんにオレンジジュースを注文し、近くに座っている他の人に挨拶する。

みんな和やかに話してくれて、迷惑じゃなかったんだとホッとする。


中でも、にぎりさんことおにぎりマンさん(もちろんペンネーム)とは何度も面識があって、今日も雄星と一緒にイベントに参加していた。


「今日は冴木さんがMVPなんでどんどん注文してください」


「マッキンくん、寝坊したんだっけ?」


マッキンくんことマッキントッシュは雄星のペンネームだ。

何でそれにしたのかは知らない。


「そう。8時近くなっても連絡無いから嫌な予感するな〜って思ってたら、電話来て絶起したって言い出して。マジで東京湾沈めてやるとこだったわ」


「本当に申し訳ございませんでした」


「朝雛さんは不機嫌になっちゃって全然設置手伝ってくれないし、冴木さんいなかったら終わってたわ」


「その話して大丈夫なん?」


「あ、うん。有紀さんそういうので気分悪くしない人だから」


アサヒナさんは確か、売り子と呼ばれるお手伝いさんだったはずだ。


「何かあったんですか?」


「朝雛さんって言う、今日俺らの手伝いしてくれたレイヤーさんが、完全にマッキンくん狙いだったみたいなんですよね。彼女に送ってもらうから間に合いそうだって伝えたらそっからずーっと不機嫌で」


「まぁマッキンくん、イケメンだって話題だからな」


「そうなの?」


「え、いや、描いてる本の内容の割に普通だからそう思われてるだけ、だと、思う」


雄星は見せてくれないけど、使いもしない大人のおもちゃを彼の部屋で見つけたこともあるから、たぶんまぁ、そういうのを描いてるんだろうとは思う。

幸い、私はそういうことに関しては寛容だ。

自分に求められてるわけじゃないし。


「売り子としての仕事はちゃんとしてくれたし、俺は別に良いけどね。打ち上げのキャンセル料は払われませんでしたけど」


「あぁ、だから私呼ばれたんだ」


「え!?いや違う違う。いや、席空いたってのもあるけど、今日色々と助けてもらったお礼の一環としてだから」


「マッキンくん必死じゃん」


「やめて有紀さんマッキンくんって呼ばないで。ごめん、本当にそんなつもりじゃないんだって」


◼️


「有紀さん今日は本当ありがとうね」


打ち上げが終わって車で帰っていると、雄星が今日何度目かわからないお礼を言う。

ありがとうとごめんねは雄星の口癖だ。


「良いよ。久々に外食出来たし」


「今度は2人で行こ。お酒も美味しかったよ」


「うん、じゃあ電車でね」


「え、俺の運転本当に下手なの?」


練習するかぁと雄星が呟く。


「あ、そういえば今日アレ見たよ。前見た映画のスピンオフのやつ」


「あー、ライバル役が主人公のやつ?面白かった?」


「うん。前作とは雰囲気全然違くて、でも良い話だった。ライバル役の女優さん凄い美人になってたし」


「前の時はザ・悪役って感じだったもんね。同じ女優なのにそんな変わるんだ」


「ネタバレしていい?」


「どうぞ」


「映画の中で、主人公が前作の婚約者とか今作で結婚した相手を戦友みたいに思ってるって言うんだけど」


「うん」


「私達も戦友になれると思う?」


聞いてすぐに何だか恥ずかしくなって、遊星の方が見れなくなった。


「恋は冷めたら終わりだけど、戦友みたいな絆が別にあればその後も一緒にいられるんじゃないかって、映画の中では言ってたんだよね」


「……どうかなぁ。俺、有紀さんを好きになる前の自分がどうしてたか覚えてないからなぁ」


雄星が何やら恥ずかしいことを言い出したので余計に顔が見れない。

いや、脇見運転ダメだから、見なくて良いんだけど。


「有紀さんのこと10年くらい好きだからなぁ」


「2年間空白あるでしょ」


「それは有紀さんともう会えないと思ってた期間じゃん。他に好きな子出来なかったし」


「重くない?」


「今気づいたの?」


雄星をチラッとだけ見ると、何故か機嫌良さそうに微笑んでる。


「戦友になれるかとか、恋が冷めるかとかはわかんないけど、俺有紀さんと別れるつもりサラサラ無いからね」


「別に私も無いですけど」


「本当?有紀さん今日の話聞いて実は怒ってたりしない?」


「どの話?」


「売り子さんが俺を狙ってるって話」


気にしてたのか。

ここは嫉妬してたと伝えた方が可愛い彼女なのかもしれないけど、私は優しいのでありのままを伝えてあげることにした。


「むしろ雄星が他の女の子に狙われるくらい良い男って思われたことに対してちょっと喜んでる」


「それはなんか複雑だな……」


「だって付き合いたてはあんなモサモサ頭でどこで買ってんのかわかんない服着てた人が、今じゃエロ漫画描いてても女の子寄ってくるんでしょ?凄くない?」


「え、俺の本読んだの?」


「読んでないけど想像は出来る。てか本当にエロ漫画なんだ」


「ウゥッ」


頭を抱える雄星を横目に、私は質問に対する彼の回答に気分が良くなってることに気がついた。


何の利害も発生しないのに一緒にいたいなと思うのだから、恋愛とはやっぱり馬鹿な人がする事なんだと思う。

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