事案発生

「ああ、いたいた! 長官、ここでしたか! 探しましたよ!」


 アップテンポの靴音を鳴らしながら、西田にしだはディゲルに駆け寄る。

 白い息を吹き掛けられたディゲルは、煙たそうに顔を歪めた。


「何だ、お前は。サボってないで、作業に戻れ」


「いえ、お届けものがありまして」


「お届けもの? 辞表や陳情書のたぐいなら受け取らんぞ」


「それが先程避難させた女の子が、長官と蘭東らんどうさんにこれを渡して欲しいと」


 西田は忙しく敬礼し、ポケットに手を入れる。

 そして小さなアメ玉を取り出し、涼璃すずりとディゲルに手渡した。


「……女の子? 女児?」


 魅惑的な単語に、四風よんぷうはピクリと眉を動かす。

 普通の人には、さっきまでと何も変わらないように見えるだろう。


 しかし、毎日毎日被害にっている涼璃は見逃さない。


 数秒前までゆるゆるだった眼差しが、完全に獣の目だ。


「女の子って、さっきハエに襲われてた子かな?」


「だろうよ。ったく、どうせならチョコをよこせばいいものを」


 ディゲルはアメを目の前に運び、しげしげと眺める。

 口調は愚痴ぐちそのものだが、表情はまんざらでもない。


「お母さんは一緒でしたか?」


「ええ、母親もお礼を言ってましたよ。それはもう、何度も」


 涼璃が質問すると、西田はにっこり笑う。


「それでは、私は作業に戻ります!」


 西田は再び敬礼し、ハキハキとディゲルに告げる。

 アメこそ渡されなかった彼だが、無邪気なお礼に元気をもらったのかも知れない。


「おう、さっさと戻れ」


 やたら鬱陶しそうに言い、ディゲルはしっしっと手を振る。

 許可を得た西田は、出口のほうに駆け出していった。


「……確かに、高坂こうさか先生は人間を否定するかも知れない」


 涼璃は目を閉じ、アメを握り締める。


 手の平に広がる感触は、小石のように冷たく固い。

 しかし胸の中には、ぽかぽかと暖かい感覚が満ちていく。


 ついさっきまで、まぶたの裏は真っ暗だった。


 でも今は、母親と手を繋いで、安らかに笑う女の子が浮かんでいる。


「それでも、私は人間を守るよ」


 涼璃は目を開き、まっすぐにディゲルと四風を見つめる。


 青臭い宣言を聞いたディゲルは、一瞬目を丸くする。

 だがすぐに咳払いし、居心地悪そうに髪を掻き回した。


「当たり前だ。連中が滅んだら、明治も森永もなくなっちまう。そうしたら、アポロもチョコボールも食えなくなってしまうからな」


 ディゲルは威勢よく立ち上がり、夜空の彼方を指す。

 極端に胸を突き出したポーズは、熱血体育教師のように暑苦しい。


「ほら、とっとと立て! DQNのケツを拭く仕事が、お前らを待ってるぞ!」


「やれやれ、どうせ拭くなら、女児の尻を拭きたいんやけどなあ」


 さりげなく警察が動きそうな発言をし、四風は大げさに肩を落とす。

 あまつさえ、物欲しそうに指をくわえ、涼璃の臀部でんぶに目を向けた。


 正直、今すぐ告訴したいが、見られただけでは犯罪は成立しない。


 触れられなきゃ訴えられないなんて、日本の裁判制度は不完全だ。

 せめて近隣の警察に訴え出て、事案を発生させておこう。


「せやけど、安心して歩けへん世の中になったら、イ○ンモールにも公園にも女児がぃへんようになってまう。そないなデストピア、ウチはゴメンや」


「よんにいみたいなのが存在してる時点で、安心して歩けないよ」


「心外やなあ。ウチみたいなのが毎日見守ってるからこそ、日本の女児は安全に登下校出来るんやで。出来るなら『保護』して、一日中見守りたいくらいやわ」


 供述の内容は支離滅裂だが、四風の顔は真剣そのものだ。

 そう言えば、涼璃は前に聞いたことがある。


 本物の犯罪者は、犯罪を犯罪と思っていない、と。


 四風が「保護」と呼ぶ行為も、法的には「連れ去り」と言う凶悪犯罪だ。

 彼等のような人種がいる限り、女児が防犯ブザーを捨てる日は来ない。


「小学生の名札が隠されるようになるわけだよ」


「そうそう、最近はやりにくくてアカンわ。一昔前はすぐお名前が分かったんやけど」


「ねぇ、よんにいって本当に逮捕されたことないの?」


 げんなりするのはもちろんだが、それ以上に苦言を呈したい。

 日本の警察は、正常ではない性癖に対して寛容過ぎるのではないだろうか。


「ないで。書類上は、な」


 さらっと言い、四風は得意げにピースする。


「……何かもう、どうでもよくなってきちゃった」


 涼璃は左右に頭を振り、気持ちを切り替える。

 これ以上、会話を続けても、吐き気と寒気が強くなるだけだ。


「……行こう」


 涼璃は椅子から立ち上がり、アメを口の中に入れる。

 回すように舌を動かすと、口中にリンゴの味が広がった。


                                        (終)

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JCファーブルの空想特撮昆虫記~クビキリバエ、時々セアカゴケグモ~ 烏田かあ @crow-show

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