自分一人の毛で作れ
結局、牛の肉を全て切って干すまでに三日かかった。今は、泥界化から九日目の朝。
一日中肉と向き合う仕事を三日間ずーっと行っていたので、体の普段とは違う部位がぎしぎし言っている気がする。
けれど、その間を調理場で過ごしたおかげで、二人はじっくり煮込んで骨の髄がとけた牛のスープをたっぷり味わうことができた。
今も別の部位の骨を追加で放り込んで、火にかけ続けている。
「スープおいしいね」
「うん、おいしい」
このほど牛を初めて食べたというルジャンダルは、この牛のスープを大層喜んでいる。
メエユーシュカとしては、美味しいことは美味しいが、そろそろ牛以外の味が恋しくなってくる。
はやく旅立ち、別の食べ物——ルジャンダルにも食べられる植物だといい——を見つけたいものだ。
「ほしたおにく、たべてみてもいい?」
「ちょっとだけなら」
ルジャンダルが肉の小片を摘んで口に入れる。
もごもご、もぐもぐ、もごもご。よく噛んでいる。
最初に切って干した肉はほどよく水分が抜けてきているが、最後に処理した肉はこれからさらに3日は乾かしたい。
雨が降る気配がないことは喜ばしかった。
そろそろ干し肉を収納して運ぶ方法も考えなければ。
……ごっくん。
やっと飲み込んだルジャンダルが一言。
「かたい」
「そうなんだよ」
メエユーシュカは頷いて言った。
「本来はそこから焼いたりスープにいれるなりして食べるものだから」
石炭のあるこの街では火が使えたが、道中は燃やせるものがないから、暖かい、柔らかい食事は望めない。
ルジャンダルはもう一欠片肉を持ってきて、スープの皿に入れてかき混ぜている。
ぱくり。おいしー! よかったね。
「スープ、もっていけない?」
熱がなくても、スープに浸せばいくらかマシかもしれない。
「うーん……煮詰めて濃くして、その辺に転がってる酒のびんにでも入れていこうか。飲むときに水で薄めればいい」
「わあい」
「温かくはできないからね?」
「うん」
びんを探してくるね! とおもてに出て行ったルジャンダルを横目に、メエユーシュカはゆっくりと自分の皿にある肉——干し肉には向かない、脂たっぷりの部分を焼いた朝食を食べた。
温かくて柔らかい食事ともあと数日でお別れだ。
さて、朝食を終え食器を片付けたら今日のお仕事、街の探索の続きである。
街の指導者が住んでいたであろう、大きなお屋敷を中心とする富裕層の居住区がまだ残っているのだ。
ルジャンダルは『おとうと』を背負って、メエユーシュカは見つけた荷を包めるようマントだけ持って出発した。
途中、ルジャンダルが声をあげた。
「めえ、あながある」
「地下室かな?」
中を覗いてみる。明かりは当然、ない。
そろりそろりと階段を下りるが、思いのほか深く、入口からの光もほとんどなくなってしまった。
「何も見えないな……」
すると、ルジャンダルが隣でなにやらごそごそしている。
かばんを開いているのだ、と分かったのは、『おとうと』のたまごが放つ淡い光が漏れてきたからだ。
「大事にしてる割に明かり代わりにはするのか……」
「ひかってるのは、ずっとだし」
「まあ、そうだな……」
ルジャンダルがたまごを持ったまま先に歩きたくないと言うので、メエユーシュカが微かな光をたよりに壁伝いに歩いて先の様子を伺う。
「さむいね」
ひんやりとした空気が鼻をくすぐる。
メエユーシュカは毛に覆われているからまだ寒いとは感じないが、ルジャンダルは毛がないので少し寒そうにしている。
壁は土だ。足下も、階段には石が敷かれていたが、降りきると踏み固められた土になった。
からんと、何かが足に当たった。
金属か。輪っか状になっているようだ。
「たるのたがかな。ということは、ここは酒の貯蔵庫だろうか」
「ひむろとちがうの?」
「酒の保管場所は氷室よりはあたたかいんだ。それにしてはここは寒い気がするから、もっと潜ったら氷室があったりしてもおかしくないけど……」
「もっとさむいの!?」
「よくできた氷室だと、冬の夜の外くらい寒い」
「やだー」
「やめとこうか。氷室があったからって食べ物が見つかるってわけじゃないし、ここまで暗いとやっぱり危ないからね」
「ん」
再びメエユーシュカが先導して登り、ほどほどに外の光が届く場所まで戻ると、ルジャンダルは背中にたまごを背負い直した。
「さむかった……」
鱗の者は寒さが苦手である。強い種族として知られる竜人も、例外ではない。
ルジャンダルがメエユーシュカに心を許してくれているのも、そんな鱗の者の弱点である寒さに抗する服を与えたのが大きな理由だったのだろう、と今更ながら思う。
再びお屋敷の方向へ歩き出す。
道中の話題は、ルジャンダルの『おとうと』のことだ。光を放つ、ふしぎなたまご。ルジャンダルはそれを、『おとうと』と呼ぶ。
最初に会ったときより、ずいぶん信頼関係ができたし、ルジャンダルも口数が増えたように思う。
今ならなにか話してくれるかもしれない。
「ルジャンダルのおとうとはさ、そのうち、そこから出てくるの?」
「たぶん」
「たぶんかあ。うーん……でも竜人もたまごから生まれてくるんじゃないんだよね?」
「うん……あかちゃんは、あしのあいだからでてくるってきいた」
「この子がどこからきたのか、里の大人に聞いた?」
「ううん。いつのまにかもってきた。えっとね、里でもっとも若いものがまもるようにって言った」
初耳の情報だが、ますますわけがわからない。
「ルジャンダルは、それで納得したのか? 急におとうとだ、って言われて」
「う? うー……」
ルジャンダルは言い淀んだ。
「へんだねって、けいがいってた」
かの稲妻竜人の里では、両親と子供、というような小さな世帯関係はなく、里全体が家族のような生活をしていたらしい。
『けい』というのは、歳の近い隣人を指していう言葉だという。
「でも、おとうとができるのはうれしいから、まもってた」
なるほど、里で最も若いのがルジャンダルであるなら、子供が生まれてくる過程を見たことはないし、自分よりも小さな子が誕生するというのはうれしいことに思えただろう。
「その、けいがへんだって言った理由は、ルジャンダル知ってる?」
「おとなたち集まってなにかしている、けど、おしえてくれないから、だって」
「ルジャンダルから見てもそうだった?」
「うん」
里の大人たちはもういない。本当に起こったことを知るのは難しいだろう。
「おとうと、無事にうまれてくるといいな」
「うん」
願うのはこれからの幸せばかりだ。
「鉄の門だ、開くのかな」
一番大きな屋敷にやってくると、まず目につくのは鉄の門だった。
こういった門は内側に閂があるものだが、それが閉まっていたら一苦労だ。門を壊すなり、塀を乗り越えるなりしなければならない。
手で押してみると、やはり開かない。
「塀の周りを回って、他に入れそうなところを探そう」
「なかったら?」
「乗り越えられそうなところから、私たちのどっちかが中に入って、門を開けよう」
「わかった!」
ぐるりと回っていくと、通用門らしきものがある。
しかも幸運なことに、それは開いていた。
通用門から伸びている細い道の先を見やったメエユーシュカは、思わず声をあげた。
「ポンプ式の井戸じゃないか!」
「ぽんぽん?」
不思議そうに見上げてくるルジャンダルを手招きして、井戸の前に立つ。
「手押しポンプはね、ここを上げ下げすると水が出てくるんだ」
「やっていい?」
「いいよ」
ルジャンダルが元気よくレバーを動かす。
ぎぃぎぃと金属のこすれる音は威勢がいいが、水はなかなか出てこない。
メエユーシュカは首を傾げた。内部で何か部品が消えているとか?
ルジャンダルが飽きてきて、上下させる速さが落ちてきたころ、ぴちゃりと水音がした。水流は瞬く間に勢いを増し、二人の足元に大きな水たまりを作った。
「でた!」
「こういう道具なんだ。はあ、街中にもこれ付けといてくれれば……」
ここ数日の水汲みでは頑張って鎖を探して汲み桶を作り、いちいち重い鎖を手繰って水を汲んでいたというのに。
とは言っても、拠点にしている店のある区画からはかなりの距離があるから、ポンプ式の井戸が見つかったからとて使えるわけではない。
手押しポンプ自体は各地で昔から知られたものだ。ただ、このくらいの精度の機械だと、列石都市に収蔵されている設計図と、その設計通りに部品を作って組み上げられる職人が必要だ。かなりの高級品になる。
だから富裕層の住むこの区画にしかなかったのだろう。
「さて、お屋敷の中を見せてもらおうか」
「うん」
連れ立ってお屋敷の入り口に向かう。立派な扉が付いていたであろう場所は、やっぱり風のよい通り道になっていた。
「やっぱり何もないな」
部屋の中に残っているのは、ランプやインク壺、手鏡のよう日用品がいくつか。また、ベッドや机の一部に使われていた金具が落ちているくらいだ。
ほとんどがそうした部屋たちだ。
それでも、手分けしてくまなく見て回る。
メエユーシュカは、ある部屋で住人が身につけていたのであろう眼鏡と、望遠鏡を見つけた。
眼鏡はメエユーシュカには必要ないし、仮に目が悪かったとしても、このフレームはメエユーシュカの耳にはかけられそうになかった。ルジャンダルでも同じだろう。
望遠鏡の方は使えそうだった。筒がなくなっておりフレームだけだが、遠くがよくみえるようになるというのは、使い道がありそうだった。
例えば、高台に登って、そこからあたり一帯の様子を伺うのだ。
荒地の中に立ち残っている木があればわかるだろうし、街の存在も確認しやすい。
これは借りていこう。
廊下に出ると、ルジャンダルがぴょんぴょんとよってきた。
「なにか見つけたかい?」
「めえ、来て」
「うん」
ルジャンダルに手を引かれて入った部屋は、床が白かった。
いいや、白いのは床ではない。絨毯だ。
「ひつじびとの、じゅうたん!」
「ほんとうだ。これは間違いなく羊人の絨毯だな」
「めえのなかま、いるかな?」
ルジャンダルはどうやら、この絨毯を作った羊人に会えることを期待している。
しかしメエユーシュカの目には、残念ながら、それは難しそうに見えた。
「かなり古いものだ。何代もこの屋敷と一緒に、大切にされてきたみたいだ」
「羊人いないの?」
「いないと思っていい。羊人の毛の絨毯は丈夫だから、大切に手入れされれば二百年でも三百年でも保つものなんだ。これも、そういうビンテージだよ」
「いないのかー」
ルジャンダルはしょんぼりしている。その頭を撫でて、「いいものを見つけてくれてありがとう」と言った。
これはまたいかにも立派な羊人の絨毯だ。高値がついたことだろうし、まだまだ使えそうだ。一人の羊人の情熱の塊なのだ。
そこでメエユーシュカは、故郷での教えを思い出した。
「商品は自分一人の毛で作れって、きつく言われるんだ」
「なんで?」
「それが不思議だった。でもこの状況を見ればわかるさ。泥界化した世界には布がない。草の布は、繊維の植物が多少残ってたとしても布としての形は残らない。羊人同士でも混ぜた毛で織ったら、どちらかが残されても布として残らない」
メエユーシュカも自分の毛だけで作った絨毯やマントに大いに助けられている。
あの教えは、泥界化を識る者が伝えたのだ。
「この絨毯、もったいないけれど、荷を包んで固定するのに使わせてもらおう」
周りの家も見て回ったが、蓋つきの瓶をいくつか回収した以外には他に収穫はなかったので、二人は望遠鏡と絨毯を抱えて、肉を干している最中の拠点に戻った。
持ってきた絨毯を針金で荷車に縫い付け、上に荷物を乗せる。それを四方から絨毯で包んで、端を何かで止められれば、乗せた荷が簡単にくずれることはなくなる。
「木の椅子の残骸があったな、あれでフックを作ろう」
「どんなの?」
メエユーシュカが考えているのは、荷物が増えても減っても程よく包んで固定できる仕組みだ。
最初は地面に炭かき棒で絵を描いて説明し、次は木片にナイフで形を刻んで見せる。
そうすると、ルジャンダルはできるよ!と木片を削り始めた。
さすがに手間のかかる作業である。肉が乾くのを待つ間の仕事がこれになった。
ルジャンダルはメエユーシュカが頼んだ通りに木を削って、フックを作ってくれた。メエユーシュカは、それを絨毯に取り付ける。絨毯の織り目を見極めて、うまく自前の糸を通して固定する。
「普段はこっちのフックをこう掛ける。荷物が増えたら、こっちをこう」
「すごいねえ」
メエユーシュカが考えたフックの構造は、思いのほかうまく働きそうだった。
そうした荷車の改造の仕事の他にも、二人は道具を作ろうとした。
ルジャンダルは、木を削った屑と牛のあぶらをまとめて着火剤を作った。
ちょっとばっちいように思えるが、ただの石炭に火打ち石で直接火をつけようとするよりは、どうやらマシな感じになる。手近な缶に入れて荷の中に忍ばせた。
メエユーシュカは、なくなってしまった象牙の櫛のかわりに、木片を削って櫛を作ろうとした。羊人はどんな時にも毛の手入れを大事にする。
メエユーシュカの毛も、そろそろ切って糸にすることを考えてもよいほどの長さになっていた。毛先を痛めたり、汚したりして使えなくするのはしのびない。羊人の毛は、泥界化の起こったこの世界では格別に貴重な、防寒具になる素材なのである。それを失うわけにはいかなかった。
この櫛と、ルジャンダルの協力を得て一応は使えそうなものになった。
牛の骨のスープは煮詰めて瓶に入れ、これも荷車に乗せた。
ぶつかっては困る荷物の間は、メエユーシュカの商品の布で緩衝する。
牛の皮はすっかり硬くなってしまった。
荷の雨除けとしてかぶせることにして、紐で荷車に繋ぐ。
……
そうした準備をしているうちに、三日が過ぎて、いよいよ肉の水分も抜け切った頃である。
料理屋通りで見つけた最も大きい鍋に牛の干し肉をまとめてぎゅうっと押し込んで、なんとか蓋をする。
食べてしまった分もあるし、骨は持っていかないが、ようやく荷包におさまる嵩になってくれた。
重さは、運んできた時の半分ほどになっているようだ。これならば押して歩くことも、一応はできる。
この街でできることは、ここまでだ。
明日はここを発つ。
「牛を見つけて、街で見つけたものを使って荷車を作って……そして十二日目の朝、この街を発つ。……列石都市に着いたら、石柱にそう刻むんだ。私たちの旅路を」
行き先は列石都市、きっと世界中の残されたる人々が目指すであろうそこへ、二人は向かう。
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