生活の中心が牛の死体だった
「では、私が前から引っ張るからルジャンダルは後ろから押してくれ」
翌朝、朝食を済ませると、早速牛の肉運びにかかった。
荷物は水だけにして、できるだけ身軽に。今日中に運び切りたい。
けれど、ルジャンダルはまた『おとうと』を背負っていくという。よほど目を離したくないとみえる。
牧場跡への道行きは順調だった。ただ、少し日差しが強い。これからもっと暖かくなる時期だ。水の補給が課題である。
街道を進むならば、所々に宿場があるはず。井戸か川もそこにあるだろうから、なんとかなると思いたかった。
牧場跡につくと、牛の死体は一昨日ルジャンダルが途中まで解体したままの姿だった。
「うし、そのままだね」
「そのままだね。やはり近くに肉食の獣はいないみたいだ」
「もっと切るね」
「お願いするよ」
ルジャンダルの鞄と脱いだ服を預かって、肉を解体する様子を見る。
小さな身体に対して、大した手際に力である。
聞き分けも良い。言葉遣いと動きから幼子とばかり思っていたが、ルジャンダルの実年齢が自分より上という可能性もあるのか。竜人の成長速度はよく知らないけれど。
「できたよ! 全部切った!」
それでもやはり、ぴょんこぴょんこと跳ね回る様子を見ると、心は幼子のものとしか思えない。
「こっちの持っていって、あっちのはつぎのときに持っていこうね!」
「ありがとう、切ってくれた分を荷車にのせておくから、ルジャンダルは体を洗ってきてくれ」
「うん」
ルジャンダルがきれいに切り分けた肉——といっても、メエユーシュカには両手で腰を入れて持ち上げなければ動かせないほどの塊である——を荷車に乗ていく。これだけ重ければ、多少凸凹の道でも転げ落ちることはなかろうが、やはりこの重さ自体が旅の障害だ。
干し加工でうまく軽くなってくれればいいのだが。
鉱山街へ戻ってきたのは、天の光が頂点に達する頃である。
運んできた肉を手近な料理屋の調理場に運び込んで並べると、調理台いっぱいに置いてちょうど収まった。
牛の肉はまだ半分残っている。
牛一頭分の肉というのは、外で見たときのイメージよりもすごいものだなあとメエユーシュカは思った。大収穫である。
荷車の使い心地についても、わかったことがある。今の荷車では、前から引っ張って、後ろから押すやり方では一人あたりの力を減らすことはどうやら難しい。
ただ、大きさからして二人で押すのは難しいし、如何ともし難いところだ。
荷を入れる箱か固定手段も欲しい。載せたものは、やはりでこぼこの場所を進むと弾みで落ちそうになることがあるのだ。それを防ぐためにも、荷車の前後でわかれたいところなのだが。
収穫はまだあった。
ルジャンダルが里から持ってきた銀の砂時計のことだ。
試しに使ってみたところ、砂が落ち切るまでの時間が長すぎて何に使えるのかわからなかったのだが、朝、天の光が顔を出してから三回砂が落ち切るとおおよそ天の光が頂点に達する頃になるらしいのだ。
実のところ、その説明は以前聞いていた。
しかし、「一日の時間を分けるのに使う、六回砂が落ち切るまでを昼間の活動できる時間と定めて、その回数で仕事の量を計るのだ」、というようなルジャンダルの説明はメエユーシュカには理解できなかったのだ。
今日、出発する時に時計を返して、牛の肉を荷車に積んだあとに返して、街に到着するすこし前に砂が落ち切ったので、牛の肉を運んでくる仕事は砂が二回落ち切るだけの時間がかかった、ということになる。
もう一度行っても、だいたい同じ時間になるだろう。
仕事の量を計るとは、そういうことなのだ、と、メエユーシュカはやっと理解した。
それにしても、首にさげて歩いても落ちる時間が狂わないとは大した魔法の品だなあ……。
と、いうことをルジャンダルに話すと、なにを当たり前のことを、というような顔で見られた。
文化の溝である。
ただ——どちらかと言えば羊人の時間感覚が独特なのだ。
個人主義な羊人たちは大抵一人旅で、自分の好きなように商品を編み、好きな時に好きなところへ行って売る。
そこにスケジュールというものが必要になることは、ほぼ無い。
大体の羊人は、朝か夕かと、一日と、自分の毛がちょうどいい長さになるまでの期間と、四つの季と、一年、くらいの時間感覚で生活している。
「めえの里には鐘がないの?」
ある程度都会、と言える街に定住している人なら、毎日決まった時間にならされる鐘を聞いて生活しているから、時間感覚も相応のものになる。と、そういう話を、たどたどしい言葉ながらも熱をこめてルジャンダルは説明してくれたのだった。
「里には鐘とか時計はなかったよ。ルジャンダルの里にも鐘はなかったと思うけど」
「だから砂時計があるんだよ」
「なるほど……? でも、それじゃあどうしてルジャンダルは街には鐘があるって知ってるんだ?」
その問いにルジャンダルはすこし首を傾げて、
「しってることは、しってる」
とだけ言った。
「めえもいろんなことをしってる」
「まあ、どこで覚えたのかわからないような知識もあるよな。私など、そんなのばかりだよ」
さて、休憩を終えると、あと半分の肉を運ぶ作業である。
運ぶのに掛かる時間は砂時計があと二回落ち切るまでだから、天の光が落ちるまでに済むはずだ。
使えるかは分からないが、牛の皮も持っていくことにした。動物の皮はなめさないと、腐るかすごく硬くなってしまうと聞いたことがある。革のようにはできなくとも、乾燥させて硬くなるなら、使いようはあるかもしれない。金属より重くはなるまいし。
今度はメエユーシュカが後ろから荷車を押して、ルジャンダルが前で鎖を引っ張るようにしたが、やはり力の分散はうまくいかないようだった。
運搬は予定した通りに進んだ。
先に肉を運び込んだ調理場の、隣の店の調理場に肉をならべて一息つく。
「よしっ、肉は持ってこられたな」
「おなかすいた」
「じゃ、夕食にしようか。明日はこの肉をたくさん処理して干せるように、がんばろう」
「うん!」
相変わらず肉……と内臓を焼いて塩を振るだけの食事だったが、よく働いたあとに食べるのはいいものだった。
ルジャンダルのほっぺがもちもちと上下する様も、荒涼な世界にあって稀なる幸せな光景だ。
この子にもっと沢山の味を教えてやるためにも、肉以外の食べ物も、はやく、できれば安定して入手する手段を見つけたい。
翌日。
巨大な肉の塊を目の前にして、どうしたものかと思案する。
幸いにして肉はどこも悪くなっていない、と思う。
泥界化でビセイぶつたちが消失しているせいかもしれないし、最初にルジャンダルがさばいた時に、傷みやすい部分を優先して持ってきたのもよかったかもしれない。
岩塩はあらかじめ町中の料理屋や民家から拝借してきている。
「今日は干し肉を作ろう」
「うん! ほしにく、はじめて」
「そうなのか。……私も作るのは初めてだな」
「どうするの?」
「肉を小さく切って、岩塩をすり込んで、風通しのいいところで乾かすんだ」
カビも消失しているはずだから、多少は風通しのよくないところに置いてもさほど危険はなかろうが、できるだけ早く仕上げて旅立ちたいところだ。
ルジャンダルも早く干し肉を作りたいらしく、うずうずしているのが見て取れる。
「つめで切っていい?」
「いいよ。じゃあ、ルジャンダルがいっぱい肉を切って、私が塩することにしようか」
「きる!」
「まって、切る前に乾かす方法を確認しないと」
「う?」
「針金の籠の工房があっただろ? あそこから目の細かい籠を借りてきて、その中に肉を並べて干そう」
「かごもってくるね」
「あーっ、まって! 一緒に行こう。たっくさん籠が並ぶことになるから、どこに置いておくか相談しよう」
「きめるのいっぱいあるね……」
ルジャンダルはしょんぼりしている。はやく体を動かしたいようだ。
メエユーシュカは、やる気があるのは良いことだね、と微笑んだ。
「でも、作業の順番は大事だよ。私の毛を布にするのも、それはもういろんな手順をふむんだ。そうしないと毛の質が落ちるからね」
「ふええー」
今回は干し肉を大量に作ることになる。最初は乾き具合の確認や、適切な塩の量の様子を見ながら作りたい都合、あまり作業場から離れたところで干すのは好ましくない。
かといって、作業場をかごで占領されても困るし、先に干しはじめた順番はわかるようにしておきたい。
「どれくらい塩をつければいいのかも分からないんだよな……」
作業の順番は籠をとりに行きながら考えることにした。
また荷車の出番だ。
「ほしにく、ほしにく〜」
「あ、スープもつくろうか」
「スープ? もうたべたよ」
前回のスープは、肉を短時間茹でて、塩味をつけただけのものだ。一般に言う牛のスープ……牛の骨のだしをとったものとは違いすぎる。
「いや、牛の骨をず〜っと煮込んで、骨の髄が溶けるまで続けるとすごく美味しいスープになるんだって」
おいしい、とルジャンダルが聞いて目を輝かせる。美食は強い。
料理屋の通りの端まで来て、一度振り返る。
ほとんどの店は立ち食い用のカウンターを備えており、軒も一応はある。
切って塩をすりこむだけと作業なら、どこの調理場でも問題ない。
スープは鍋をかけられる調理場で煮込んでおいて、たまに石炭とスープの様子を見ればいいだろう。
処理した肉をこのカウンターの端から順番に置いていき、適宜調理場を移動すれば、乾燥具合を把握するのが楽だろう。そうしよう。
工房通りの籠工房で使えそうな籠を荷車に積んで、拠点に戻る。
肉を置いてある調理場の一方に戻ってきたところで、メエユーシュカがそうだ、と声をあげた。
「干し肉にするのは油が少ない方がいいんだった」
「そうなの?」
「たぶん。白い油のところが多い肉は、先に食べてしまおう」
「うん」
「あと、こっちに鍋をかけて……と」
ルジャンダルが切ってくれた牛の骨を洗って鍋に入れ、火にかける。
時々様子を見て、火が消えていないか、水が減りすぎていないかを確認しながら骨の髄が溶けるまで煮ればいいはずだ。どれくらい煮込むものなのかわからないが……。
ルジャンダルは、肉から脂肪の少ない部分を見繕ってきたものを、早速細かく切っては鍋に放り込んでいる。
メエユーシュカはその鍋がいっぱいになると別の鍋と交換して、預かった鍋の肉に塩を擦り込んでいく。
無心の作業である。今はかまどに火はないし、大して負荷の大きい運動でもないが、ずっと続けていると暑くなってくる。
塩を擦り込んだ肉は、少し置いたらかごにひろげて並べ、おもてのカウンターに置いていく。
「どうかな、ルジャンダル、肉を切る作業、続けられそう?」
「うん。ぜんぶきるのは、できるよ」
「やってる間、何かお話でもしようか」
「わあい」
「何のお話がいいかな」
ルジャンダルの聞きたいことはある? と問うと、こう返ってきた。
「おかねのはなしをして」
「お金?」
「里にはおかねがなかったけど、おかねがあるのは知ってる」
「うん」
「でも、おかねがどんなものか知らない」
「そうか。そうだな……では何から話そうか」
貨幣ならメエユーシュカもいくらか持ち歩いている。今は塩を擦り込んだ肉をかごに並べながらなので、実物を見せることはできないが、ポケットの中には金貨や銀貨がいくつか入っているはずだ。
「あとで見せてあげるね」
「うん!」
「金貨は一番たかい、銀貨が二番めにたかい、銅貨は三番め、っていうのは知ってる?」
「しってる! きんかは光ってて、ぎんかはしろくて、どうかはあかいんでしょ」
「言うほど赤くないけどな、銅貨」
「そうなの?」
「まあ、見たらわかるよ。そうだ、私の一番大きい絨毯は金貨五十枚くらいで売るつもりだったんだ」
毎夜寝るときに地べたに敷いてしまっているが、本来はすごい高級品なのである。……と言うと、ルジャンダルが満面の笑みで「じゅうたんもめえもふかふか! だいすき!」と返す。金の価値が失われた今では、この笑顔の方が嬉しいかな、と思った。
「きんかってどれくらいかえるの?」
「うーん……何でたとえたらいいかな……」
メエユーシュカが顔を上げると、向かいの店が目に入った。
思い立って視線を走らせると、あった。
石の壁には提供する食事と、価格を硬貨を抽象化した絵であらわしたレリーフ。言わばメニューである。
「あれを見て」
「なーに?」
「お店のメニューだね。お肉をはさんだパンと、銅貨の絵が描いてある」
「あれどうかなの?」
そう言われると極端に抽象化された円の絵は銅貨には見えない気もしてくるが、周りの様子からして銅貨で間違いないだろう。
「この店では銅貨二つでサンドイッチが買えるよっていう絵だ」
「うん」
「大抵、一日に朝と夜の二回食事をするよな」
「うん」
「あの店で朝と夜に食事をしたら、銅貨四つ払う。これで一日の食事代だ」
「うん」
「十日だったら銅貨を四十枚、銀貨四枚分だな」
「ふむふむ」
「おおよそ……二十五日ぶんの食事が金貨一枚でまかなえる。金貨十枚だと、二百五十日だ。家賃や他の生活費は考えないこととした場合の話だけど……」
「やちんて何?」
「え、そこは知らないのか」
「でんせつにやちんなんてでてこないよ」
それもそうだ。戦に勝利して金銀財宝を得る物語はあっても、家賃の収受なんてみみっちい話が語り継がれることはない。
「別の人が持ってる家を、決まった期間使わせてもらうかわりに払うお金が家賃だ。私は払ったことないんだけど」
メエユーシュカは旅しながら商品を作り、売って歩く羊人商人であるから、故郷以外に長く滞在することはない。
「めえってもしかして、へんなひと?」
「ええ……一番多い暮らし方の……畑を耕してるみたいな人たちと比べたら珍しいかもしれないけど、私みたいな羊人はいっぱいいたんだ」
故郷の里のことを思い起こす。
羊人だけの山奥の里で、木造の家や道具ばかりだったから、今は石垣と風呂釜くらいしか残っていないだろう。
それでも、いつか訪れたいな、とメエユーシュカは思った。
「ふーん。じゃあ、めえはへんなひとじゃない……」
「そうだよ!」
空が赤くなる頃になっても、肉を処理する仕事は終わらなかったし、おしゃべりも続いた。
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