さいしょの晩餐

天の光は大分傾いている。


鉱山街の門をくぐったメエユーシュカとルジャンダルが探すのは、りんごのレリーフである。

ある程度の規模の街では、飲食物を扱う通りにはこのしるしが掲げられている。

それが目印だ、とルジャンダルにも伝えてある。


石や煉瓦組の建物は原型を留めている。大抵、扉は木製なので、どの家も風通しはよくなってしまっているのが異様だった。


多くの足音と話し声でにぎわっていたはずの通りは、耳を疑うほど静かで、なんだか恐ろしく思えてきた。


メエユーシュカはりんごのレリーフよりも先に井戸を見つけた。丸い竪穴に石で補強した一般的な井戸だ。

残念ながら桶とそれを吊す縄が消失していたので、すぐには使えそうになかった。


「縄がわりにできそうなものがあったら持ってこよう。桶の代わりは、鍋でいいだろう」

「うん」


井戸のあった通りから一つ隣の通りを覗くと、あった。りんごのレリーフである。

通りに面したかまどで道ゆく人に声をかけながら調理をし、カウンターで立ち食いをさせる鉱山労働者のための店が並んでいる。

店内の席に客を迎え入れて一揃いのコースを供するような高級飲食店も街のどこかにはあるだろうが、今はここで十分だ。


メエユーシュカは手近な店を見繕って言った。


「ルジャンダル、ここのかまどを使わせてもらおうと思う。荷物は向かいの建物に置かせてもらおう」

「うん」


念のためルジャンダルの大事なたまご、貴重な布であるメエユーシュカの商品が入った荷物たちを離れた場所に置く。そうしたら、いよいよ調理である。


……と、思ったけれど、初めて見る形のかまどだったので使い方を探ってみることにした。

おなかはぺったんこなので、はやく肉を食べたい気持ちは大きくなるばかりだけれど、火は怖い。


「ちょっと変わったかまどだな。ええと……ここから石炭を入れて、空気の調節口がここ、排煙口は……煙突になってるのか」

「なべかけるの、どこ?」

「……あれ? ないな」


ルジャンダルの言う通り、鍋をかけるところが見当たらないが、かまどの中に食材を入れて焼く構造にも見えない。

メエユーシュカは調理台の一角が鉄になっているのを見つけた。

隙間に手を入れて持ち上げてみると、その正体がわかった。


「いや、これは……この鉄板、下から火で熱されるようになってる。石炭はにおいがよくないから、食材が煙をあびないようになってるんだ。肉を焼くなら、この鉄板の上に乗せればいいわけだ」


手をつかないように気をつけよう、とルジャンダルと言い合って、いよいよ肉を焼く段になった。


調理場の端に積まれた石炭の山から刺さったスコップを抜いて、すくった石炭をかまどに放り込む。加減はわからないが、最初は少なくしておこう。

そうして火打ち石で火を起こす。


「つかない」


もう一回。


「つかない」


……もう一回。


「へたっぴ」

「しょうがないだろ、火打ち石使うのも久しぶりなんだ。それに普通は枯葉とか燃えやすいのを使うし……」


言葉通り、メエユーシュカは火打ち石を使うのは久しぶりだった。それに調理場での料理など初めてだ。石炭を使うのも。

旅人のたしなみとして火打ち石こそ持ち歩いているが、火を使うことは可能な限り避けてきた。大切な毛を、万一にも焦がしたくなかったからだ。


「ルジャンダル、やってみる?」

「やる」


ルジャンダルの火起こしを見守る。自分で火を起こしていたと言うだけあって、火打ち石を使う手つきは手慣れている。

しかし、


「つかない」

「つかないでしょ! 私が下手なんじゃないんだよ、この石炭が火をつけにくいんだよ」

「むー」


それでも火はつけなければ、肉を焼くことができない。

想定外の難問にああでもない、こうでもないと言い合いながら取り組むのは、手元に食べ物がある安心感も手伝って、なんだか楽しかった。


「そうだ、肉の油の部分をちょっと炭かき棒につけて…………ダメか」

「やわらかそうなせきたんえらんできた」

「おお、よさそう。……うーん」


そんなことをしているうちに、どれが功を奏したのか分からないが、なんとか火をつけることができた。

天の光は地平に潜ってしまった。

真っ暗になる前に火を起こせたのは僥倖だ。


「じゃあ、お肉焼こうか。ルジャンダル、どこから食べたい?」

「これ」

「わかった。あ」


メエユーシュカが声を上げたのは、皿がないことに思い至ったからだ。

労働者向けの店で使っている食器は大抵木皿で、それは泥界化で消失してしまっているのだ。調理用のナイフやへらは残っていたので油断した。

まあ、近くの店を見て回れば皿らしい皿でなくとも焼き物か金属の容器の一つや二つは見つかるだろう。


「皿がないんだ。ルジャンダル、近くの店からお皿っぽいもの探してきて。きれいな鍋なんかでもいい」

「ん」


そう言えば調理を終えたあと手を洗う水の確保もしていないと思い立つ。

もう肉をナイフで切り始めてしまったので、べたべたする手であれやこれやと動き回らなければならないかも……。

急ぎすぎただろうか。でも、空腹なのだから仕方ない。


「……ん?」


ふと見ると、調理場の隅に並べられている調味料のガラス瓶にひとつだけ中身が残っているものがあった。

岩塩だ。


ありがたい発見だった。

味があるだけで嬉しいし、保存食に干し肉を作りたいと思っていた。

ここにあるひと瓶では流石に足りないが、他の店にも残っているか調べよう。


「もってきた」

「ありがとう」


ルジャンダルは思いのほかちゃんとした陶器の皿を二枚もってきた。

焼けた肉を皿に移していく様子を、ルジャンダルが目を輝かせて見ている。


「これくらいにしておこう」

「ん」


メエユーシュカは両の蹄を合わせた広さほどの肉をとり、ルジャンダルには両掌を合わせた分ほどの肉を盛って渡す。

運ぶのに使った鍋には焼かれていない肉がまだまだ山のように残っているし、置いてきてしまった分も合わせると相当な量の食料を手仕入れることができたのだと、今更ながらに実感する。


「ごめん、ルジャンダル、水の入ったかめかなにかを見なかった? 手を洗いたいんだ」

「あっちで見た!さん?くらい先の、こっちがわのところ」

「ありがとう。先に食べてていいよ」


メエユーシュカは駆けながら言った。

辺りは暗く、空は紫から黒に変わろうとしている。急がないと本当に星明かりだけになってしまう。

そう言えば、ルジャンダルの『おとうと』はあの朝以来、強い光は放っていない。近くで見るとぼんやりと光ってはいるのだが、鞄で容易に遮られる程度だ。


「戻ったよ、ルジャンダル」

「ん、たべよ」


かまどから漏れる弱い光が照らす輪郭を頼りにそろりそろりと歩いて調理場に入る。

ルジャンダルは皿を両手で持って座っていた。


「あれ、まだ食べてないのか」

「ん」

「待っていてくれたのか。ありがとう」

「……ん」


自分の皿と食器代わりの金属の串、それから岩塩の小瓶をとって、ルジャンダルの隣に座る。


「では、いただこうか。……牛よ、ありがとう」

「うし、ありがとう」


ほぼ三日ぶりの食事だ。それが普段では到底手が出ない牛の肉だとは、なんという巡り合わせだろう。

一切れを口に運ぶ。何も味付けがないにしては、なかなかの味だ。

火はちゃんと通っている。ビセイぶつたちはほとんどいないのだから、生でも食べられると言えば食べられるのだろうが、メエユーシュカもルジャンダルも肉は焼いた方がおいしいから焼くべきだ、ということで合意がとれている。


「おいしい」

「よかった」


ルジャンダルがにこにこと肉を頬張る様を見ると、満たされた感覚がある。

食べ物を分け合う相手がいてよかった。と、そう思うのだ。


「ルジャンダル、岩塩あるよ」

「がんえん?」

「塩」

「しおかける」

「はい。出しすぎないようにね」

「ん」

「私は向こうで寝る場所をつくっておくよ。食べ終わったら来なさい」


メエユーシュカは自分の分を食べ終えると、寝床の準備をすることにした。

今日も絨毯を敷いて、マントを毛布がわりにする。

昨日と違うのは、屋根があることだ。

メエユーシュカにとっては野宿は慣れたものだが、この状況にいたっては、屋根があるというだけでなんだか安心感がある。


お腹が久しぶりの食べ物に戸惑いながらもはたらき始める感覚がした。

そう言えば、お腹の中には悪さをしないビセイぶつが住んでいて、食べたものの消化を助けることもあるのだったか。

そのビセイぶつたちも泥界化で消えているとしたら、食べたものを消化する能力が落ちていることにはなるまいか。

もしこのせいで、草を見つけてもお腹いっぱい食べられないということになったら悲しいな……なんてとりとめのないことを考えていると、小さな竜人が隣に滑り込んできた。


「食べ終わったかい」

「ん」

「今日は食べ物が手に入ってよかったね」

「うん。うし、おいしかった」


食用に育てられた肉牛など、普通に暮らしている分には滅多に食べられないものだ。本当に、思わぬ幸運があったものだ。

……あの牛がこの世界で最後の牛だったかもしれない、という考えは胸の底に仕舞っておいた。


「あの牛の肉でしばらくは保つだろうけど、もっと先のことも考えないとね」

「もっとおいしいのたべたい」


メエユーシュカは食べ物以外の話をするつもりだったが、ルジャンダルはどうやら別の食べ物を所望している。

きっかけが泥界化とはいえ、里からはじめて出て、食べたことのないおいしい肉を得ることができたとなれば、ほかの外の世界のすてきな食べ物にも思いを膨らませてしまうのは無理からぬことだ。

メエユーシュカはその話に乗ることにした。


「そうだね。なにがいいかな」

「小麦粉のおかし、たべたい」

「おや。どんなのだろう」


小麦粉の、といっても、たくさんの菓子がある。

ルジャンダルがどれほど菓子を知っているかわからなかったので、どんな小麦粉の菓子か尋ねてみたところ、どうやらルジャンダルが言っているのは、メエユーシュカが道中話して聞かせた列石都市の話で食べた甘い焼き菓子のことらしい。

ルジャンダルは列石都市の話の間、あまり反応を示さなかったので、興味がないのかと思っていたメエユーシュカは意外に思った。

けれど、菓子を作るのを目標にするというのはいい考えだ。

小麦を手に入れて生産し、多くの人を養える食料自給力を得ることは文明再生の第一歩とも言える。


「じゃあ、お菓子を作れるようになるのを目指して、がんばろう」

「うん。どうするとつくれる?」

「まずは小麦を見つけないとな。小麦は世界中でいっぱい栽培されてるから、一株くらいは残ってるだろう」

「うん」

「あと、たまごだな。鳥が生き残ってるといいな」

「うん」

「それから、砂糖かな。砂糖はどうやって作るか知らないんだ。これは列石都市へ行って調べる必要があるな」

「うん」


今は夢物語でも、二人であれやこれやと想像するのは楽しかった。

ひとしきり話して、ルジャンダルの滑舌が悪くなってきた。メエユーシュカは眠くなってきたのだと判断して、毛布がわりのマントをルジャンダルの首まで引っ張り上げた。


「あしたは忙しくなる。もう寝よう」


すると、ルジャンダルが何事か言ってメエユーシュカの服の裾を掴んだ。

そうして服を掴むのは、昨晩も、その前の晩もあったことだ。幼い子供が眠りを恐れてそうするのは不思議なことではない。

けれど今日は、少しだけ様子が違う。


「……めえ」

「うん?」


メエユーシュカが聞き返すと、ルジャンダルは同じ言葉を繰り返す。


「……めえ」


これはもしかして。


「私の名前を呼んでくれたのかい?」

「……うん」

「そうかあ。……そうか。うれしいな」

「めえ、うれしい?」

「うれしいよ。ルジャンダルは、人の名前を呼ばない文化で育ったと思ってたから、呼んでもらえなくても仕方ないなって思ってたけど」


ルジャンダルははにかんで言った。


「うん……里のひとはなまえよばない」

「でも呼んでくれたってことは、何か考えがあったのかい」


その問いに、ルジャンダルはすこし頭をひねっていたが、ふさわしい言葉が見つからないといった雰囲気で言った。


「……わかんない」

「そっか。いや、いいんだ。やっぱりちょっと寂しかったからさ、自分の名前を呼んでくれるひとがいるって、すごくうれしいな。ありがとう、ルジャンダル」

「でも……」

「うん?」

「なまえ、ぜんぶいえない」


ルジャンダルは恥ずかしそうに目を伏せた。……暗くてよく見えないが多分そう。

合点がいった。ルジャンダルは『めえ』しか憶えていなかったのだ。

だって、メエユーシュカがしっかりと自分の名前を言ったのは、最初に名乗った時以来ではないか。無理もないことだ。


「私の名前はメエユーシュカだよ」

「めえゆーしゅか」

「でもメエって呼んでくれても構わない。友人もそう呼ぶしね」


そう言ってしまってから、メエユーシュカは少し切なくなった。古い友人に会える見込みはない。

ルジャンダルはもにゃもにゃと口を動かして、教えられた名前を覚えようと唱えていたようだったけれど、やがて小さく、しかしはっきりとメエユーシュカに向かって言った。


「おやすみ、めえ」

「ああ。おやすみ、ルジャンダル」

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