たまごと竜人

「おとうとにさわるな」


——その声に振り向くと、人がいた。

鱗の者のなかでも、強い力、長い寿命、魔法の素質を兼ね備えた種族である竜人。

背丈はメエユーシュカよりも頭ふたつ分ほど低い。一般的な竜人よりも大分小さいことと、声からしても、子供だろう。


「すまなかった、きみのものとは知らずに」

「おとうとだ」


竜人の子はメエユーシュカとたまごの間に割って入り、たまごを守るように立った。

警戒されるのは仕方ない。外界から隔絶された里の子供が、一瞬にして変貌を遂げた世界で、見たこともない種族の大人を信用することなどそうできまい。


メエユーシュカは害意の無いことを示すのが先決だと思った。

竜人の子とたまごから距離を取って座り、話しかける。


「私は羊人のメエユーシュカ。泥界化が起こってどうしようかと思ったけど、人に会えて嬉しい」

「……」

「きみの名前は?」

「ルジャンダル」


ルジャンダルと名乗った竜人の子は、裸だった。

当然のことだ。綿も麻も、毛皮の衣類も全て消失しているのだから、残された人々は裸で過ごさなければならない。

風が吹くたびに背を丸めて、手で胴を抱くようにしている。

寒がっているのだ。

花の季節に差し掛かったこの日にあっても、厳しい風は吹く。


「ルジャンダル、寒くないか? 私の布を分けてあげる。私が消えなかったからか、私の毛からつくった布も消えなかったみたいだ」


背負った荷物を下ろして、商品の布の中からルジャンダルの体型に丁度良さそうなものを見繕う。


ルジャンダルは遠巻きにながら、広げられたメエユーシュカの荷物に興味を示したようだ。


羊人の毛織物は素肌にはちくちくするという人もいるが、蛇人や竜人のような鱗の者からそういった感想を聞いたことはないから、多分大丈夫だろう。


生憎と、あらかじめ服の形に仕立てられた商品は持っていなかったが、布と紐を使って形を整えると、存外しっかりと服に見える。

丈は少々長く見えるが、ゆるい方が調整が効いて良いだろう。背丈が伸びることもあるだろうし。


「どうかな?」

「ん……。ありがとう」


服を眺めて、手の甲で触り心地を確かめて、ルジャンダルはどうやら少し警戒を緩めた。


ルジャンダルの体は、青白いうろこに混じって、ところどころに黒曜のような光沢の黒い鱗の列がある。

その黒い鱗は、中から透けて見えるように、時折金色の魔力のきらめきを放つのだ。

竜人の中でも希少な稲妻竜人がこういった特徴を持っていると聞いたことがある。本物を見るのは初めてだ。

稲妻竜人はいっとき、災いを呼ぶとされ迫害を受けたことがある。メエユーシュカにとっては生まれるずっと前の出来事だが、長命な竜人にとっては忘れ難い記憶だろう。隠れるように樹海の中に集落を作っているのも合点がいく。


「嫌だったら答えなくてよいのだけど。……他の人は残っていない?」

「いない」


ルジャンダルは意外にあっさりと答えた。

ただ、たまごにしか見えないものを『おとうと』と呼ぶあたりは気になる。

胎生で、雑食で、二足歩行であること。それが『人』の条件だからだ。

『おとうと』の存在も、似た発音の言葉をメエユーシュカが聞き取れていないだけかもしれないし、何か重要なこの里の文化なのかもしれない。

今は踏み込まずにいることにした。


「そうか……私は食べ物と他の残された人達を探しに行きたいんだ。山の方の街に向かおうと思っている。一緒に行かないかい?」

「いく」

「よかった。よろしく頼むよ」

「うん」


旅立ちの準備はすぐに始まった。

ルジャンダルは真っ先に「おとうとを連れて行く」と主張したので、メエユーシュカはこれまた商品の布を使って、たまごを入れて提げたり背負ったりできる鞄を作って与えた。

すると、手の甲でぺたぺたと感触を確かめたのち、鞄の出来に納得したようで、ほんの少し口角を上げて「ありがとう」と言った。

強靭で聡明と謳われる竜人とは言え一人残された幼子、どう接したものかと戸惑いのあったメエユーシュカに、その言葉と笑みは勇気を与えたのだった。

生き延びよう。この子のために。決意を固めたメエユーシュカは、目下の最重要課題である食料……は蔵の様子を見るに期待出来ないので、水について訊くことにした。


「この里に井戸はある? ここまで来る間には見なかったのだけど」

「ない。いずみは近くにある」

「なるほど。この里では、いつもそこで水を汲んでるんだね?」

「うん。みずくみにいく? 容器いる?」

「そうだね。私は水筒を三本持っているけど、二人で三本は少ないかもしれない。水筒になりそうな容器を持っているなら使いたい」


水筒にするなら蓋のできる容器がいいね、と伝えると、「もってない。けど、里のなかにあるかも」とのことだ。

ルジャンダルは言葉は少なく語彙も少ない印象だが、思考力はしっかりしているらしく、水筒を探して、他にも里の道具で役に立つものを持って行こう、と言い出した。

全くの部外者が里に残されたものを漁るのは少し気が咎めるが、この状況では致し方ない。


「これは何? 使える?」

メエユーシュカが先程も見た術具らしきものを渡してみると、ルジャンダルは渋い顔をして、「火をつける道具。つかえない……」と言った。


「魔法の道具で合ってる?」

「うん」

「私は魔法は使えないからな……ルジャンダルは、例えば練習したら使えるようになる見込みはあるのかな?」

「わからない。魔力を使うなって言われた」

「親に?」

「うん」

「理由はわかる?」

「ううん」

「そっか。術具は、今の所は使い道はなさそうだね」

「うん……」


術具の話は切り上げて別のものを探しに立とうとしたメエユーシュカだったが、渡した術具を見つめるルジャンダルの表情がやけに真剣に見えて、声を掛けた。


「魔法、使えるようになりたい?」

「うん」

「持って行って練習するというのはどうだろう」

「あごの鱗が四回とれるまで、魔力を使うなって、やくそくした」

「ああ、そういう約束があるんだ。……あごの鱗っていうのは?」

「四回とれたら大人」

「なるほど。風習とかおきてには大体何か理由があるんだろうし、従った方がいいね」

「ん……」


寂しげに術具を見ていたルジャンダルが、急に面をあげて言った。


「しまっておく」


里の中には当然、ルジャンダルが住んでいた家もあるはずで、そこには思い出の品が残っているかもしれない。

前の劫の記憶を留めることも、残された者の役目の一つだとメエユーシュカは思った。反対する理由はなかった。


「わかった。手伝うよ」


正直に言って、術具以外に目立つもの、役に立ちそうなものはあまり見つからなかった。

樹海の中に隠れ、孤立した里である。生活の道具の大半は木か動物の革で作られている。

蔵の甕も中身がないことをすぐに確認できたのは、木の蓋がなくなっていたからだ。


ルジャンダルが拾い集めたものを、元々蔵の中に置かれていた甕の中に入れて、大きさの違う甕を上から乗せ、さらに石を乗せて封をする。

決して立派なものではないし、湿気による劣化を防げるかは未知数だ。

それでもルジャンダルは満足したらしく、メエユーシュカに礼を言って、『役に立ちそうなもの』として集めてきたものを披露した。


鉄の鍋。普通の鍋だ。持ち歩くべきかどうかは少し迷う。

銀細工の砂時計。驚くほど精巧だ。本体はガラスのように見えるが、ルジャンダル曰く、今より小さい時に壊そうとしたが出来なかった、とのこと。中の砂が様々な色にキラキラしていて、手に取りたくなる気持ちは少し分かる。古い劫の遺物かもしれない。

裁縫針の入った缶。メエユーシュカも裁縫道具は持ち歩いているが、中には骨や象牙でできたがあった。それらの針は失ってしまったので、使わせてもらえればありがたい。

焼き物の容器。針金の持ち手がついていて、ふたがコップがわりになる。火にもかけられるらしい。

火打石。火の術具があるのに必要なのかと思ったが、どうやらこれらは元々ルジャンダルの持ち物で、湯を沸かして飲む時に使っていたという。

火打石はメエユーシュカも一揃い持っている。予備として持っていくのは良いだろう。ただ、火をつけやすい枯葉などがないこの状況では使えるかどうか分からない。


「この容器はいいね。水筒として使おう」

メエユーシュカは自分が持ってきたガラスの水筒を一本渡した。

「これで二本ずつだね」

「ん……ありがとう」


「それで、これは何?」


そして今メエユーシュカの目の前にあるのは、陶器で出来ているらしい小さなパーツが、針金で繋がれたものである。


「つめカバー」

「つめカバー?」


メエユーシュカが訊き返すと、ルジャンダルは目を丸くした。「知らないの?」とでも言いたげだ。

その『つめカバー』というものが何に使われるのかは、使う様子を見ればすぐにわかった。

竜人の爪は鋭く硬い。無闇にものを傷つけないよう、握った拳や手の甲で行う動作が多い。美しく鋭い爪を維持することもまた、竜人の誉れである。

そんな竜人たちが、どうしても指先を使いたい時に使うのがつめカバーというわけである。


羊人はつめというものに馴染みがない。手も足も蹄である。

ルジャンダルの目の前で手を振ってそれを主張すると、納得したように「ふーん」と言った。


「じゃあ……それはルジャンダルが持っていて、必要な時に使えばいいな。もしひもで繋いだり補強が必要だったら教えてくれ」

「うん」


「そっちに持ってるのは何?」

「なんもない」


なんもないはずはない。ルジャンダルは指の間に小さなものを挟んで持っていた。


「取り上げたりしないから」

「これ」


二つ、青と白の陶器のボタンだった。穴がふたつ空いている。

何かの役に立つとは思えないが、それはルジャンダルも分かっていることだろう。

両親の服に付いていたか何かで、お守りがわりに持っていたいという気持ちはよくわかる。


「あとで服に付けてあげる」


ルジャンダルがぴょこりと顔をあげて喜びを示した。


「鍋はどうしたものか……」

「いらない?」

「街までたどり着けば、どこでも確実に手に入るだろうものだからね。それにしてはちょっとかさばる」


ルジャンダルはしばし鍋を見つめたあと、それをひっくり返して自分の頭にかぶせて見せた。

頭の脇からうねった角の生えたメエユーシュカにはとても思いつかないことだ。

ルジャンダルにも額に小さな角が生えているが、引っかかってはいない。大きさはぴったりだ。視界が遮られることもないだろう。


「おお……いい考えかも。あたまが重くなかったら、それで行ってもいいんじゃないかな」

「ん。みずくみにいく」

「うん。案内してくれ」


いつも使っているという泉にはすぐに着いた。

そこは泥界化が起こったことなど知らないかのように、清らかな水を出し続けている。

持っていた水筒四つを水で満たし、メエユーシュカはついでに顔を洗わせてもらった。


「忘れないうちにボタンつけておこうか」

「ん」

「脱がなくていいからじっとしていてくれ」

「ん」


合わせに紐を使って結ぶことで留めていた部分を少し調整して、片方をループに、もう片方にボタンを固定する。

自慢の毛糸だから簡単に切れはしないだろうけれど、万一にもボタンが落ちないように念入りに。


「完成!」

「ありがとう」


ルジャンダルはつめカバーを付けた指先でボタンの留め外しを一通り確認すると、たまごの収められた鞄を背負い直して言った。


「もう出発できる」

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