秘密基地で

 昼食をとってから、私と八木さんはそれぞれ観測所を出発する運びとなった。

 二人ともが家を空けてしまうと、仮に私が先に帰って来たときに中へ入れなくなるということで、八木さんは静脈認証システムに私をゲスト登録してくれた。これで私はいつでも観測所にお邪魔し放題だ。

 できればゲストと言わず、仁科龍美でずっと登録しておいてほしいところだが、贅沢は言うまい。

 山を下りたところで、私は西の、八木さんは南の道へ別れる。河野家も西に位置してはいるのだが、別行動した方が見つからずに動きやすいという配慮の上だ。

 互いの目的が果たされるよう祈りつつ、私たちは別々の道を進んでいく。

 空は明るい。雲はまだ晴れないが、明日には太陽が顔を覗かせるだろう。電波塔が稼働される日には、星空が見られるはずだ。

 だから、闇夜に浮かぶ月もまた、私たちを照らすことになる。ふと気になって以前検索してみたのだが、今年の八月二日は満月の夜らしい。

 ……満月の夜。何も無ければ綺麗な夜空だなと感じる程度だろうけれど、今回は。様々な不安が脳裡を過ってしまう。

 赤い満月の狂気。ルナティックにも通ずる鬼の伝承の一文。

 明後日の夜、人々が狂い果てるなどという悍ましいことが起きなければいいが。……流石にそこまでのことは起きそうもない、か。

 時刻は正午過ぎということもあって、普通に歩いていても人の姿は見かけない。不器用な手でも早めに昼食を作っておいたのは功を奏したかな。

 佐曽利家に到着し、私はトントンと入口の戸を叩く。しばらく時間差があって、佐曽利さんが出てきてくれた。


「ああ……君か」

「どうもです」


 私の事情を知り、虎牙を匿っている彼なので、玄関先で戸を開けたまま話すのは危ないからと、中へ入れてくれる。


「先日はすまなかったな。あいつも俺に多くは語らないが、病院に軟禁されていたことと、そこから助けられたことは話していた」

「まあ、正確には私が助けたんじゃないですけど、それはまあ。……今じゃ私も虎牙と同じ身です」

「君が犯人でないことは、虎牙と同様俺も信じている。……今日は、虎牙に会いに来たのだろう。ちょうどあいつは今、君たちの集まる基地とやらに向かったところだ。行ってやるといい」

「ありがとうございます。追っかけますね」


 犯人云々の話を持ち出すということは、多少なりとも私は早乙女さんの事件に関わっている者として街の人々に認知されているのだろう。姿を晦ましているのだし、怪しまれるのは致し方ない。

 それに実際、私も虎牙も深すぎるほど事件に関わっているのだ。眩暈のしそうな現実だった。


「人目にはつかんだろうが、気を付けてな」

「はい、じゃあまた!」


 ペコリとお辞儀をして、私は佐曽利家を辞去した。佐曽利さんは、事件前まではとっつきにくい人だったけれど、今回のことで少しは話しやすくなった感じがする。

 虎牙ともっと親しくなるなら、あの人とも話せるようにならないとなあ……なんて。

 雑念はすぐに振り払い、私は秘密基地への山道へと足を踏み入れる。よくよく考えれば、一人で秘密基地まで歩くのはこれが初めてかもしれない。

 バラバラになった私たち。玄人だけじゃなく、満雀ちゃんも最近は見ていないから心配だ。特に彼女は病弱だから、私たちの不在が悪影響を及ぼしていないか気がかりだ。

 虎牙は、残された二人のことをいくらか知っているだろうか。


「……ふう」


 雑草だらけの険しい道を越え、私は秘密基地の前まで辿り着く。蚊帳の一部が視界に入ったので、もうすぐそこだ。

 基地の全体が目に入ると、そこにはムーンスパローを組み立てるのに苦労している虎牙の姿があった。


「虎牙!」


 私が大きな声でその名を呼ぶと、虎牙は作業の手を止めこちらに振り返った。そして、一瞬だけ嬉しそうな表情をした後に、すぐさまむすっとした顔で取り繕った。

 素直じゃない奴だ。


「なんだ、龍美か。驚かせんなよ」

「心配したわよ、この」


 基地の中に入るなり、私は虎牙に軽く肘打ちをお見舞いする。不意打ちだったこともあり、これには虎牙も本当に驚いていた。


「無事で良かったわ。蟹田さんから、捕まったって聞いたから」

「ああ……不注意だった。まさか背後から殴られるとまでは思ってなかったからよ」

「だ、大丈夫なの?」

「ちょっとこぶになったくらいだ。……それより、お前の方が大変だったんだろ」


 当然のことだが、虎牙も事情は理解してくれているようだ。言われることは予想していたけれど、いざ口に出されてみると、何故だかそれだけで涙腺が潤んでしまった。


「あんたとお揃いになっちゃったわね」

「……すまねえな。危惧してた通り、巻き込んじまったわけだ」

「巻き込まれなかった方が恨んでたわよ。どうして言ってくれなかったんだって」

「はは、お前ならそうかもしれねえな」


 私だけじゃなく、きっと玄人だってそうだ。どうせなら全員一蓮托生がいいと、事情を知れば彼も訴えたことだろう。

 私の思考を察したのか、そこで虎牙はあくまで素っ気無い口振りで、玄人を巻き込まなかった理由を語る。

 そこには、彼の抱える過去の一端が垣間見えた。


「……昔のダチがよ。あいつに似てやがったんだ。そんでちょっとばかし、ムカついてよ。あいつを巻き込んで泣かれたくない、ただそれだけさ」

「……ふふ、なるほどね。虎牙らしいわ」


 表向きはつっけんどんでも、根は優しい彼のことだから、その子には優しく接していたんだろう。

 その最後がどういう結末だったかは、聞かないでおくけれど。

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