レッドアイ
「あの」
食器類の片付けを終わらせた私は、八木さんが使っているパソコンのモニタに目を向けながら呟く。
「八木さんが使ってるプログラムの中に、レッドアイってありましたよね」
「通信用プログラムだね。結構メジャーなソフトなんだけど……」
全て話し切らずとも、八木さんは私の言いたいことを理解してくれる。
「レッドアイという名称が気になったわけだね」
「ちょっとだけ。八木さんが昔使ってたパソコンをいただいたんで、私も一通りどんなものかは確認しましたけど……確か、ヘルプから見れる作者のコメントでは、某ミステリで出てくるOSの名称からとってるとか」
「どうもそうらしい。プログラム自体も八年くらい前からあるものだし、いくら名前が『レッドアイ』だからといって偶然だとは思うけれど」
彼の言う通り、名前だけでバイアスがかかってしまっているのは違いない。第一、レッドアイは他にもお酒の名称だったりするわけだし、珍しい名前ではないのだ。
しかし、八年前となると相当昔からあるプログラムのようだ。バージョンアップの履歴では、確かバージョン8くらいで開発終了になっていた気がする。
……あれ?
「八木さん、レッドアイの最新バージョンっていくつです?」
「8.02だよ。もう二年以上前に開発は終了しているかな」
「あっ……」
今更ながら思い出した。そう、レッドアイのバージョンは8.02だったのだ。それはタイトルバーの部分にも表示されていた。
8.02。どうしてその数字の羅列まで出てくるのか。
これもまた、偶然が重なっただけに過ぎないのか。
鬼封じの池で目撃した八〇二の数字。
ムーンスパローで通信を傍受した際の周波数、802Mhz……。
「この通信用プログラムって、広範に使われてますよね。この街でも、永射さんが病院でも使用するよう推奨したとか聞きましたし」
「へえ……永射さんが。まあ、彼も電波塔計画を進めていたわけだし、通信技術関係の知識は相応にあったんだろう。レッドアイは分かりやすいインターフェースになっているのと、単純に性能もいいから使われるのは不思議じゃない」
「性能がいいって言うのは?」
「容量が軽い割に多機能だったり、感度が良かったり。パソコン以外にも埋め込めるから、たとえばパソコン上でレッドアイを埋め込んだエアコンをオンオフできるとか、そういう使い方ができる。まだ認知度は低いけれど、インターネットオブシングス……つまり色んな物がネット通信によって制御できるという近未来的文化にうってつけのプログラムなんだよ」
やはり機械分野には強く、八木さんは一息にそこまでを語った。IoTという言葉は何となくテレビで聞いたことがあったけれど、確かにコメンテーターがそんなことを話していた気がする。
「じゃあ、病院の機械装置をパソコンで一括して管理できるとか、そういう感じになってるのかしら」
「そういう使い方をしているのだと思うよ。合理的なシステムだ」
聞く限りでは、やはりただの便利なプログラムとしか思えない。
鬼封じの池の八〇二とは別に考えた方がよさそうだ。
ただ、貴獅さんが使っていた周波数と、レッドアイのバージョンだけは繋げて考えてもいいかもしれない。混線しないというメリットと、語呂合わせという二つの意味で使ったのだと。
それが正解だとしたら、何とも肩透かしな符合だ。
「そんなに凄いプログラムなら、作った人はめちゃくちゃ儲けてるんでしょうねー」
「いや、それが驚くべきことに、このプログラムの作成者は未だに分かっていないんだよ」
「え?」
さらっと八木さんが放った衝撃の事実に、私はすっかり仰天してしまった。
作者不明のプログラムが、ここまで普及したというのか。
いや、しかしプログラムのヘルプに作者の名前も出ていたような気がする。
確か、M.Umanoというローマ字表記だったような。
「ヘルプに書かれた名前からは、作成者を特定できなくてね。似た名前のプログラマーなんかもいなかったようだし、レッドアイが世に出てから現在まで、まだ作成者は不明だ」
「へえ……これもこれで、とんでもない話ですね」
作成者が名乗り出たら、莫大な富を得られそうなものだけれど。
まあ、八年も経った今では遅すぎるだろうか。
「技術が進歩してきた今、匿名性なんてよっぽど巧妙に隠さなければ破られてしまうものだけど、この作者は相当賢い人物なんだろう。そして、相当のお人好しなんだろう」
レッドアイはフリーソフトだ。誰もが好き勝手に使うことができる。
不明の作者は自身の利益でなく、社会全体の発展を選んでくれたというわけだ。
「面白い話でした、ありがとうございます。こういうプログラムが、人々の暮らしを発展させていってくれるんでしょうね」
「それこそ、満生台の理念とも合致しているね。通信手段という意味では、満生塔もレッドアイのように便利さを与えてくれるよう祈るばかりだ」
八木さんがどこか寂しげな声でそう言うのに、私はただ頷くばかりだった。
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