Thirteenth Chapter...7/31
七月の終わり
理魚ちゃんの転落。
私のすぐ背後で起きたその悲劇が尾を引き、私は中々寝つくことが出来なかった。前日はほとんど死んだように長時間眠っていたし、それも影響しているのかもしれない。
病院の屋上から落ちていく彼女。植え込みに倒れ、四肢を投げ出す彼女。
私が直接見ていないシーンまでも脳が補完し、凄惨な場面をまぶたの裏で何度も繰り返した。
私ですらこの状態なのだ、玄人のショックは計り知れなかっただろう。偶然居合わせ彼女を追いかけた果てに、飛び降りという結末を見てしまったのだから。
「……おはよーございます」
昨日と同じく、八木さんのベッドを使わせてもらっていた私は、身支度を整えて部屋を出、八木さんに挨拶する。彼はこの日も早起きで、既に観測装置の前でモニタとにらめっこしていた。
「おはよう。……あまり眠れていなさそうだね」
「……もしかして、隈とかできてます?」
大丈夫だよ、と八木さんは答えてくれたが、隈はもう結構前から薄っすら浮かんでいるので諦め気味だ。
根本的な問題の解消。それが先決だった。
慣れない手つきで二人分の朝食を作り、八木さんと分け合ってのんびり食べる。部屋の窓から見える景色はほとんど緑色だったが、それでも雨雲が去り始めているのか、これまでより明るく感じられた。
「病院からは、あの後連絡とかないですよね?」
「ええ。不穏なことが続くし、何か変化があれば連絡がほしいとは伝えたけれど、まだ。通信のノイズも回復していないし、事態は一向に良化せず、というところだ」
「命に別状はないにしても、全員意識を失ってるってことですもんね……特に理魚ちゃんは心配だなあ」
一瞬見ただけでも、複数個所の骨折があるのは明らかだった。あんな小さな子が、どうしてあのような痛ましい転落に至ってしまったのか。それ以前の彼女の行動も含めて、謎が多すぎる。
「……私、理魚ちゃんのことをもっと詳しく知るべきなんじゃないかと思うんです。鬼の伝承のような赤い目に、今回の不可解な行動。加えて永射さんの事件のとき、玄人は鬼封じの池へ向かうきっかけになったのが、理魚ちゃんらしき人影を見たからと言ってるわけで……直接的にせよ間接的にせよ、あの子が一連の事件で何らかの鍵を握っているような気がするんですよ」
「私も、病院での一件は奇妙だと思う。元々精神疾患があるということだけれど、それだけで病院に忍び込んで、機械を弄って逃げるだなんて行動を突発的にするかと言われると、それはほとんど有り得ないレベルだろう」
ただふらふらと、明確な意思もなくあれだけのことをやってのけたというのは不自然に過ぎる。
そう、裏を返せばその行動には作為的なものを感じるのだ。
「理魚ちゃんの精神疾患につけこんで、たとえば誰かがこうすると楽しいよと唆したりして操り人形のように動かす……そんなことがあったりしますかね」
「あの子の判断能力が著しく低下しているというのなら……上手く誘導しさえすれば、そういうこともできたのかもしれない」
だが、それはあまりにも酷い話だ。僅か十四歳の、それも病弱な少女を唆し、人に危害を加えさせるだなんて。
それを事件の犯人が用意周到に行ったのだとしたら、そいつはどれほど冷酷で、そして狂気的なのか。
「理魚ちゃんは話せないでしょうし、ご両親から話を聞ければいいんですけど」
「そうだね……いくらなんでもご両親だって、今回のことはおかしいと感じているはずだ。共感してくれる人がいれば、色々と話してくれそうではある」
「私、河野家に行ってみます」
私はそう宣言したのだが、八木さんは緩々と首を振ってそれを止めた。
代わりに、
「いや、私が行くよ。龍美さんが行くのはリスクが高い。昨日のことだって、間一髪だったんだろうから」
「まー、そうですけどね。潜伏してるのって思った以上に大変だなあ……虎牙は上手くやれてるのかしら」
結局、秘密基地で彼と再会してからは一度も会えていない。スマホも紛失したし、気軽に連絡を取ることもできなくなってしまった。あいつは元々通信傍受を気にしていたから、気軽にはやり取りしなかっただろうけど。
「そうね……じゃあ、私は虎牙でも探そうかしら」
「ああ、まだ会えていないのだっけ」
「いる場所の見当はついてるんですけどねー」
佐曽利さんの家か、秘密基地のどちらか。恐らくは日中は基地にいて、日没後は自宅に戻っているとか、そういうサイクルなのだとは思うが。
「理魚ちゃんの方は任せました。私はとりあえず、虎牙のいそうな場所を回ってみます」
「了解。龍美さんは、あんまり南の方には行かないようにね」
「はーい」
誰かに見つかれば面倒なことになるだけだ。昨日の隠密行動はかなり精神的に疲れたし、なるべく二度とはやりたくない。
今日の方針が決まり、朝食も食べ終えると、私は片付けに、八木さんはパソコン操作に移った。
観測装置と連動させ、パソコンへデータ入力する作業があるらしい。外部との通信が断絶されていても、できる仕事だけは流石にこなすつもりのようだ。
「有線でも無線でも、ネットは使えないっぽいですか?」
「うん。内部の固定電話だけ使えるというのもおかしな話なんだ。詳細に仕組みを知っているわけじゃないけれど、電話なんて繋がるのなら内外は関係ないはずだからね」
「このクローズドサークルは、かなり周到に準備されたものってことですよね……」
「そのはずだ。これは穿った見方だけれど、土砂崩れが起きた道路もすぐには復旧しないと考えた方がいいかもしれない」
「……止めてるのは、貴獅さんなのかな」
「証拠がない以上、それは何とも言えないけれどね」
現状、この街を真にコントロールしているのは誰なのだろう。
そもそも私は、この街の歪な構造をほとんど何も知らないままでいる。
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