協力捜査
「で、ここへは何をしに?」
「ああ、ムーンスパローを触りに来たんだが。……すまん、これは素直にお前がいないと無理だわ」
「そうでしょそうでしょ」
頼られるのは純粋に嬉しいが、正直虎牙にムーンスパローを使うのは私も無理だと思う。
準備も大変な上、操作だって覚束ないのだ。おまけに細かい字も読めないだろうし。
「よしよし。んじゃ、私も手伝うとしますか」
「むしろ全部頼む」
「重労働はしなさい」
「ちぇっ」
すぐに楽しようとする虎牙にツッコミを入れ、二人でムーンスパローを組み上げていく。
指示を出せば早いもので、装置はものの五分ほどで準備できた。虎牙、いつから頑張ってたんだろうな。
「ムーンスパローを使うってことは、また通信傍受を?」
「とりあえずはな。ただ、メインの目的は履歴の削除だ。もしもここが見つかったらまずいと思ってよ」
「ああ……そう言えば、今まで履歴は消してないものね」
そもそも意図的な盗聴まがいのことなんて、あれが初めてだったのだし、履歴を消そうなどという発想には至るはずもない。
「二人も殺されて、焦った貴獅が頻繁に外部と連絡を取ってる可能性をちょっと期待してるが、まあそんなに甘くはないだろうな。しかし、スマホでのやり取りを極力避けてたのは正解だった。結局、スマホはあいつに盗られちまったし、そんときにチャットの履歴も全部見られてたっぽいな」
「虎牙も、もうスマホを持ってないのね。私も早乙女さんの事件のとき、いつの間にか盗られちゃってて」
私のスマホを持ち去ったのは、貴獅さんではなく殺人事件の犯人なのだろうが。
まあ、貴獅さんイコール事件の犯人という構図もゼロとは言い切れないとして。
「仕方ねえさ。龍美も大方、犯人に後ろから殴られたりしたんだろう。WAWプログラムの計画書も持ち去られたのはかなりの痛手だったが……一応は、少しずつでも正体に迫れてると思う」
レッドアイのプログラムが起動し、画面に幾つものグラフが表示される。前回の設定は保存されていなかったので、受信する周波数帯はデフォルトのままだ。虎牙に言われるより前に、私は前回と同じ802Mhzの設定をしておく。
「ところで龍美。お前は早乙女に襲われかけたとき、空が赤く見えたんだよな?」
「そうだけど……って、どうして虎牙がそれを知ってるのよ?」
「八木さんに聞いたんだよ。お前の寝顔を見に行ったからな」
「は?」
いやいや、ちょっと待て。
そんなこと、八木さんは一言も話していなかったのだが。
もしかしてこいつ、私がほぼ丸一日寝ていたあのとき、観測所を訪ねてきていたのか。
それだけじゃなく、私が寝ているところを見ていったと……。
「ぷ、プライバシーの侵害よ!」
「うるせ。心配して見に来たら、ぐーすか寝てやがるんだ。観賞して帰らせてもらうくらいいいだろ」
「あーもう、言い方!」
心配して来てくれたのは嬉しい。でもやっぱり、そんな無防備なところを見ていかれた上にそれを今になって不意打ちのように言われるのは、非常に恥ずかしかった。
「はー、八木さんも言ってくれれば良かったのに」
「俺が言わなくていいって止めといたんだよ。こっちからまた改めようと思ってたんだ」
「なのに私、虎牙のことが気になって病院に行ったりしちゃったのよねー」
「まさかあっさり人目につく場所に行くとは予想外だったぜ……」
虎牙は呆れたように溜め息を吐く。とは言え、こいつの方も私がそれだけ心配したというのをちゃんと察してくれているようだが。
「明日にでもまた、観測所には行くつもりだった。お前のこともあるけど、八木さんに頼みたいことがあったんだよ」
「八木さんに?」
「そう、一緒についてきてもらえないかと思ってよ。鬼封じの池に」
「鬼封じの池って……」
私たちが一週間ほど前に探検した、隠世のような幻想の地。
そこで私たちは、積み重なる歴史の闇中に忘れられた廃墟を見つけ、期待と不安を綯交ぜにしながら奥へ奥へと調べていき……一体の白骨と対峙することになったのだ。
謎深き場所。しかし、とは言っても今回の事件とは関わりのなさそうなあの廃墟を、虎牙は何故八木さんを伴って探索したいと思ったのだろう。
「情報は多い方がいいからよ。未だによく分かってない『八〇二』を最初に見つけたのもあそこだ。一応、博識な大人を連れて調べに行きたいってこった」
「まあそりゃ、虎牙は博識とは程遠いものね」
「うるせ。こういうことじゃ俺もお前も五十歩百歩だ」
虎牙のくせに諺を使ってくるとは。……などとふざけたことを考えるのはよして。
仮に八〇二の起源が判明し、それが事件の中で現れたものと共通性を見出せるものであれば。曖昧模糊とした構図に、僅かばかりでも光明が差す可能性はある。
「とりあえず、電波の受信は始めたわよ。後はしばらく待って傍受できるかどうかね。お昼時は過ぎちゃってるから、タイミングは良くないかもしれないけど」
「つっても、病院は今開店休業状態だからな。多分もうそろそろ、本当に閉めるんじゃねえか。年寄りたちのデモに悪戯騒ぎに、色々大変だしよ」
「蟹田さん……まだ目が覚めないのかしら」
「あいつのことは心配しなくても大丈夫だろ。命に別状無しってのは牛牧さんから聞いてるし」
虎牙が軽々しく大丈夫と口にするからには、きっと信頼に足る何かがあるのだろう。外見に反して彼は適当なことなんてそうそう口にしない。そういう性格なので、私も彼の言葉を信じることにした。
しかし、虎牙は蟹田さんのことをあいつ呼ばわりするくらいの仲のようだ。
「……赤目、か」
「虎牙、何か気付いたことでもあるの?」
「いや、ネットで調べて出てくる程度のことしか分かんねえよ。ただ、河野理魚のことが気になってるのは確かだ」
「あの子のことなら私も気になったわ。蟹田さんに危害を加えた張本人なわけだしね。だから今日、八木さんに頼んで河野家に行ってもらってるのよ」
「そうなのか? んじゃあ、明日八木さんに会ったら聞いとくか」
赤目の原因までが判明するわけではなさそうだが、理魚ちゃんの過去と現在を知ることが、何らかの手掛かりにはなるはずだ。
私もそれを取っ掛かりとして、推理を進めていければいいのだが。
「ああ……それともう一つ。もうだいぶ前なんだが、龍美の発案で道標の碑の数を調べたことがあったよな?」
「ん? そうね、私の部屋に当時書き込んだ地図はあるわ」
「そいつを使えねえかと思ってよ」
それは想定外の提案だったので、私は少し首を傾げつつ、
「必要なの?」
「大体は数え終えてたはずだよな。これは正直重要ってわけでもねえんだが、碑の数が幾つあるのかもハッキリさせておきてえんだ」
「……なるほど」
どうやら虎牙の思考は今、八〇二という数字が中心に据えられているようだ。
道標の碑が八〇二個あるのでは、という疑念は私も抱いていた。それが意味するところまでは分かる由もないが、虎牙が調べるというのならその答えを待とう。
……しかし、地図か。
「地図は私の部屋にしまったままだからねー……」
「バレるのが怖いってわけか。俺が取ってくるけどな」
「それは絶対やめて」
こいつ、乙女の部屋に入ることに抵抗はないのか。
目的があるとはいえ、そこは普通遠慮するでしょうが。
「虎牙が数えていくつもり?」
「まあな。あの頃はこっち側に立ち入ることなんてなかったし、山中の碑だけは一つも数えられてなかったんだっけか」
「そうだったはずよ。大半は街の中にあるって言っても、残りを数えるのは結構大変な感じがするわ」
虎牙は、廃墟の再調査を検討している。それがどれくらいの時間を要するものかは分からないが、碑を数える作業と両方を行うのは重労働だろう。
「私もしばらく大っぴらに街は歩けないし……どうせだったらこっちで調べておこうか?」
「お、マジか。もし数えてくれるなら助かるんだが」
精力的に捜査を行なっている虎牙よりは、まだ私の方が余裕はあるはず。
こういうときにこいつを支えてあげないと、女房役とは言えないだろう。
「オッケー。それじゃ、数えた後で地図と一緒に報告するわ。明日は難しいかもだから、明後日にまたここへ集まる?」
「……八月二日か。ギリギリだが、しゃあねえな。分かった、それで頼む」
「決まりね」
ギリギリというの恐らく、電波塔の稼働日と同じだからに違いない。私もそうだが、虎牙もその日がいわゆるエックスデーだと考えているのだ。
ただ、そのエックスデーに何が起きるのかまではまるで判然としないのだが。
調査の取り決めをしてから大体二十分ほど。私たちはモニタの動きを注視しながらぽつりぽつりと言葉を交わしたのだが、結局この日は波形に変化が現れることはなかった。貴獅さんが通信を行う時間なんてごく僅かだろうし、前回通信を傍受できたのが、やはり奇跡なくらいだったのだ。
収穫はなさそうだと見切りをつけ、私はムーンスパローの受信機能をオフにする。ノイズで微妙に上下へ触れていた線は、そこで一気に平坦になった。
「後は使用履歴を削除するだけだな」
「あ。そうだった」
いけない、いけない。虎牙との話に集中して、そちらのことを忘れていた。私はツールタブのオプションから、履歴の削除を選択してこれまでの履歴を全てクリアする。
「後で玄人が来たりしたら、ビックリするでしょうね」
「ある意味それで、俺らが無事だって理解してくれるかもしれねえな」
希望的観測ではあるけれど。そうなってくれたら、玄人の不安も少しは和らぐかもしれない。
「池に行くときに覗きに来てみっかな。それでちょうど玄人がいたら面白いが」
「ふふ、運命ってやつねー」
「それは気色悪い」
言いながら、虎牙は嫌そうに首を振った。まあ、本心でどう思っているかはさておき。
パソコンの電源も落とし、私たちは分担してムーンスパローを片付ける。ついでにこの前までの雨で倒れていた椅子や、枝葉の付いたテントを出来る限りで綺麗にしておいた。
「……さて、そんじゃやることもやったし。今日のところはこれで解散とするかね。俺はまた別の場所に行く予定だが、龍美は?」
「私は観測所に戻るわ。そろそろ八木さんも帰ってるかもしれないし」
河野家へ事情聴取に向かった八木さん。
あの子の家は確か街の南西にあったから、観測所からはかなり遠いところに位置しているけれど、首尾はどうだろう。
まあ、料理の準備を始めながら帰りを待つのも悪くはない。
……なんて虎牙に言ったら、こいつはちょっとくらい嫉妬してくれるのかしら。
「はいよ。八木さんに鬼封じの池の件、伝えといてくれよ。そんで答えは夜に電話でくれたらいい。通信妨害されてるみてえだが、街の内部なら繋がるっぽいしな」
「やっぱりあれ、妨害なんだ?」
「そうとしか考えられねえって話さ。あと、道標の碑が取りに行けそうにねえならそれも教えてくれ。俺が取りに行くからよ」
「それは絶対嫌ですー」
夜であれば私でもバレずに取りにいけるはずだ。
とにかく虎牙を部屋に上げることだけは阻止したかった。
「散らかってても気にしねえんだがな。ま、そう言うからには地図は頼んだぜ」
「はいはい。次会うまでにデリカシーを覚えておきなさい」
「はは、そりゃ無理だな」
全部察した上で言ってる気がするのがなお悪いところだ。本当、今後の付き合いが心配になる。
「そんじゃな」
「はーい。またね」
あえて別れの言葉は軽く。
またすぐ会えるはずだと、私たちは離れていく。
遠のいていく虎牙の後ろ姿を静かに見つめながら。
私も私にできることを精一杯やろうと、決意を新たにするのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます