満月の夜、ふたりの兵士と

山原がや

そして世界は終わりを迎える

深い密林から空を仰ぎ見れば、満月が暗闇の中に浮いていた。

聞こえてくるのは風が木々を揺らす音。時々、鳥の声。


冷たい岩に身を寄せていると、隣から唐突に声が上がった。

「昔さ、地球に飛来する隕石を止めるために宇宙に行くっていう映画があったよね」

隣の人影をみる。

うっすら唇の端を挙げ、まっすぐ密林の向こうを見つめ銃を構えていた。

こちらを見る気配はない。

少し間をおいて、俺はゆっくり口を開いた。

「……確か世界最終戦争って言う意味のタイトルがついたやつだろ?」

「へぇ、あのタイトルはそういう意味なんだ。知らなかった」

奴は、今にも笑い声をあげそうな表情をする。

「その映画がどうした」

「自分、あの映画見たことないんだよね」

「は?」

「結構話題だったじゃん、あの映画。

それをオチまでバカ丁寧に説明してくれた友だちがいてさ。

そのオチ聞いて絶対に見ないって決めたんだ」

「なぜだ?」

俺の疑問に、奴は初めて瞳をこちらに向けた。

鋭い鷹のような眼だ。

体が反射的に強張る。まるで狙われた鼠のような感覚になる。

奴はすぐに俺から目をそらし、薄い笑みを浮かべる。

「その映画では、何十億人の命と数人の命を天秤にかけた時、

宇宙に行く数人の命のほうが軽かったわけ。それでみんなが助かって、

命を亡くした人は英雄として崇められる。

『この人がいなければ私たちはみんな死んでいたんだよ。感謝しなければ』ってね」

「そうだな」

「ばかじゃねーのって思わないか?

たった一人の犠牲で済んでよかったねって、

みんなが死ななくて良かったねって。本当にそう思うか?

地球で何もできずにじっとしていた人間は笑って、

自分たちが無事だったことを喜んで、犠牲者を『英雄』と呼ぶ。

それは違うだろう。

英雄なんかじゃない。犠牲者だ。

何かを、誰かを犠牲にしなきゃ守れない世界なんて、守る価値があったのか?

犠牲者が出て喜ぶようなそんな世界、滅べばいいんだ」

奴は淡々と言葉を紡いでいた。

表情もさっきと変わらず、どこか笑っているように見える。

しかしそれが、躊躇なく発した「滅べばいい」という辛辣な言葉とはかみ合わずに、どこか異様に思えた。

「世界が滅べばいいだなんて……

知ってはいたが、だいぶ過激な思想だな、お前は。

俺はテロリストと一緒にいるのかと錯覚してしまうぞ」

「テロリスト。なるほど、確かにテロリストだ」

俺の正直な感想に、奴はこらえきれずに噴き出した。

こんな場所で、こんな状況で、

こんな話をして笑うのはこいつくらいだと俺は思った。

「あんたはどう思う?」

「俺か。……俺はその映画を映画館まで観に行ったくちだ」

「へぇ、それじゃ、映画館で大号泣しちゃったとか?」

「いや。内容はうろ覚えだが、あの映画を見た後の感想は覚えている。

……何かの犠牲なしでは世界は成り立たないということだ」

話をしながら、片手に抱えた無機質な鉄の塊がやけに重く感じた。

俺はそれを構え直しながら、言葉をつづける。

「一方が生きるためにはどこかで誰かが死ぬということ。

一方が平和であるならどこかで戦争が起きているということ。

自分が生きると言うことは誰かが死ぬということ。

人間は常にそうやって存在してきたんだろう。普通に生活してれば意識しないし、気付きもしない。なんなら今もこうなってようやく理解できた気がするな。

人は常に何かの犠牲の上に生きているということを」

そうして息をついて、初めて自分がいつもより饒舌になっていたことに気付いた。

しばらくの沈黙の後、奴が口を開く。

「犠牲なしには人は生きられない、ね。

あんたらしいや。つまりこういうことでしょ?」

そう言って、その鋭い鷹のような瞳をまた、俺に向けた。

「誰かが戦争に行かなければならない。兵士になれば厳しい訓練と血まみれの戦場と孤独な死が待っている。

なら、自分が犠牲になろう」

口調は変わらず淡々としているのに、なぜかその目は怒っているように感じる。

なぜだろう。なぜ奴は怒っているのだろう。

「あんたが今ここにいて銃を構えている理由は、そういうわけだ」

奴はまた森の奥へと視線を戻す。俺はすこし考えて、自嘲するようにこたえた。

「・・・まぁそうだな。つまり俺は英雄志願者で、自殺志願者でもあるというわけだ。で、英雄が嫌いなお前はどんな理由でここにいる?」

「英雄は嫌いじゃないよ。ただ、命を無駄にするやつが嫌いなんだ。だから自分はここにいる」

ふと息をもらし笑いながら言葉を続ける。

「これ以上無駄に命が失われないように、ここにいる」

そこで奴は、銃口を構え直し密林の向こうへと向けた。

「ある意味、あんたと一緒さ。自分も英雄志願者なわけ。だけど、あんたの考えてる英雄とは違う。自分は、」

奴はその独特な構えを崩さず、言う。

「誰かが犠牲になって誰かが生きる世界を、ぶっ壊してやるんだ」

「……壊すなど……テロリストと一緒だ」

「テロリストと英雄なんて、善と悪と同じくらい紙一重だ。そうだろ?

誰かが犠牲にならなきゃならない世界なんて、自分は嫌だ。だから誰も犠牲にならない、命を無駄にすることのない世界を作りたい。

この世で命だけが唯一、平等であるはずだから。

犠牲になって良い命なんて、存在しないんだから」

その時の奴の顔を、俺はうまく見れなかったような気がする。ただ、ちらりと見えた口元からは、笑っているのがわかった。

奴が語るのは理想論だし、あまりに今の現実とかけ離れている。

俺たちは、敵だらけの場所で銃を構えて、同じように戦地に送り込まれた兵士という名の犠牲者たちを、狩るためにここにいるのだ。

だが、それは奴の信念でもあった。

世界を変えてやるという、変えられるという、信念。


俺はその時、確信した。

こいつは近い将来、確かに、自分の信念に則った行動をするだろう。誰に何を言われようと、自分が正しいと思った世界を作ろうとするだろう。傲慢な思い込みであるはずの奴の信念が、果たされるかはわからない。むしろ無謀とすら言える。

それでも、こいつは世界を変えようとする。なにか、とんでもないことをしでかす。その時、自分はどうするのだろうか。

「それでも結局、何が正しいかなんて、正解はないんだけどね」

奴はひとり言のようにつぶやく。

俺はただ、銃の向こうを睨み続けた。

ふと、俺たちはこのまま、こうしてずっと反対方向ばかりを見続けるのではないかと思った。背中あわせに、その視線が交わることなく。

奴の信じる道と、俺の信じる道は、まったくの反対方向で。

そのまま、それぞれの道を行くのだろうと。


森の中は相変わらず静かだ。満月だけがこの夜のすべてを見ていた。



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満月の夜、ふたりの兵士と 山原がや @gayagaya

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