第82話 業火
リアムは、確かにカタリナ氏からは許された。
だが、彼女の政治的権能は、議会で意見を述べ、通貨を発行する他、議会ないし内閣の助言と承認を要したのである。
「リアム・ド・アシャル。国家市民軍元帥に任ずる」
つまるところ、たった今行われている『認証官任命式』に対してカタリナ氏は何の介入も出来なかったのだ。
「ま、まだ隠居には早いっちゅうことだな」
せめてもの抵抗か、平服のカタリナ氏は、任命書を読み上げて元帥階級章を手交した後、そう言って少し肩をすくめた。彼女の目の前には、明らかに顔色が悪い初代首相、現・元帥が居て、はは、と漏らすように笑った。
法律上、カタリナ氏の認証を要する認証官にあたるその職に任じられたリアムは、最初にその事実を知ったとき、自宅へと押しかけてきたアンソンに自動拳銃を示されていた。
机上に置かれたそれは薬室を開放され、弾倉を抜かれていたが、その場に居た二人ならば3秒もしない内に弾を呑ませ、本来の用法によってその
曰く、もし固辞するというなら、ソレで本官を撃てと。
或いは、その勇気が無いなら本官は今ココで自決する。
彼女は、リアムの一番弟子として、人に何らかを強要させるに際して何を踏まえるべきかをよく理解していた。
最もクリティカルな所に、我が身を省みず、最大の力を以て。
武人らしいと言えばその通りだが、切腹という文化が無いにも関わらず自力でそこに至ったことを思料すれば、彼女は切腹を発明したと言って良い。
リアムは敵前逃亡をした。
政治的に言えば、それは別に責めるべきことでは無い。
しかし、軍事的に言えば、敵前逃亡というのは激烈な非難が加えられて然るべきだ。
わざわざ六角が一章を割いて書いた程、『撤退』、『転進』、ないし『後退行動』と呼ばれる行動は、難易度が高い。それは猛々しく戦っていると敵に信じさせながら、一挙に整然と行われなければならないからだ。
リアムは、コレに失敗した。
結局、彼はまだ国家市民軍に存在していない階級である『大将』の一個上、何なら、彼の前世ですらお目に掛かったことの無い、法律上の存在。『
正確に言えば、元帥も当然、内閣総理大臣の
つまるところ、彼は権力を投げ出してまでやりたくなかった武力侵攻、その法律上の先鋒として働けと、国家から要請されたのである。歴史家から、
リアムを元帥に祭り上げるという目論見に成功した国家市民軍の中には、寧ろ安堵があった。
アンソンが首相になった後、その後任をどうするかという問題はかなり大きなものとして転がっていて、更に、侵攻をどう処置するか、どの部隊をどう使うか、物資の手配はどうするか、そもそも、何がどれぐらい必要か。
アンソンの後任というのは、そういったモノを決心できる存在で無ければならなかったからだ。付言すれば、リアムは第一次、第二次ドーベック平野防衛戦に於いて、最高指揮官としての職責をしっかりと果たし、それらの決心や修正・指導をしつつ、第二次ドーベック平野防衛戦に於いては首相としても務めるという端的に言って人間離れした実務能力を発揮したのだが、残念ながらアンソンは首相に就任した後、自分にはそれは無理だという冷徹な判断を下し、そして愛用の
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「かっこいいじゃん」
パーティーとか写真撮影とかが終わって、公用車で帰宅した後。
一議員、会派の長として、宣伝大臣時代よりは随分とマシな程度の――適度な多忙と自由、権力とを楽しむ
リアムは、撤退に際しての残置部隊として妻を置いたつもりだった。それは勿論、彼女に十分やる気があって、それに今後もし「戦闘参入」を再度しようとしたとき、妻が居ればその加入は容易ならしめられるだろうという期待からだった。
ロイスは確かに人気があったが、平野を超えたいという市民の声は拡声器から放たれる美声を凌駕したし、リアムの降板を不満とする者は決して少なくは無かった。
結果論的に言えば、解散総選挙でリアムは自ら灯台派を率いれば勝っていた。
歴史に『もし』は無い。
後世、『もし』リアムがこのとき再び政権を取っていればというIFが創作された。
現実から大きく変わった世界地図を付録としたそれは、その最後をそう結んでいる。
そんなことはつゆ知らず、リアムはロイスに愚痴を零す。
「幾らなんでも酷くないか?」
「しょうがないじゃ無い。選挙で負けちゃったんだもの。あなたが好きな『民意』よ」
「内閣総理大臣の裁量権濫用として裁判所に訴えてやろうかな」
「やめてあげなよ。アンソンさんだって忙しいんだから。あなたは良く知ってるでしょ?」
「訟務検事が代理人として出てくるだろうからアンソンは直接出てこないよ」
「あら。そうなのね、流石元帥閣下」
「その呼び方はやめてくれ」
カタリナ氏がよくやるように、昨日の昼、アンソンが座っていた来客用の椅子にへばり付く。
元帥章がクッションに押し出され、よくプレスされた常装がクシャ、とその威厳を喪う。
その傍にロイスが座ると、石鹸の香りがして、次いで柔らかな感覚が後頭部に満ちた。
「どうしてこうなったのかな」
「あなたが『逃げた』からじゃ無い? 後始末だって楽じゃ無いんだから」
動物的な交流の柔らかさと暖かさにも関わらず、人間的な――理性的な交流は冷たく、それでいて的確で実直であった。
派手な金色装飾が施された制帽がテーブル上に置かれ、切り揃えられた短髪が撫でつけられてブラシを撫でるような音が微かに鳴る。
元帥は、首から上の心地よさが頭の中にまで満ちることを祈ったが、暫く目を瞑ってもそうなることは無かった。
「なんで伝わらなかったんだろう」
「何が?」
「ドーベックは、後もうほんの少しで、完全に圧倒するような実力を持つことができるんだって」
「そりゃあね、あんた考えてみなよ。『別世界の記憶に従えば、こう』なんてのマイクから垂れ流せる訳無いじゃない」
「あ」
今更気付いたのか、そんな風にして愉快に笑う妻を見ながら、リアムは慄いた。
そうか、能力の有無の次元であると理解されなかったのか。
あまりに狭い世界だけを見ていた。大衆の意志が重要とか言いながら、大衆に理解されようとする努力をしていなかった。
なんて愚かなのだろうか。せめてカタリナ氏に言っておけば。そんな風な後悔が反駁して、触感に満ちる心地よさとのコントラストが一層強調される。
その一方で、リアムの脳内では高速で、どのように爵領庁を制圧しようかという思考がずっと走っていて、その結晶はもうすぐ出力されようとしていた。
結局、
或いは、このようにして結局、破壊と殺戮とに任ずることを以て、このようにも表現される。
自業自得、と。
その夜、リアムは隣で寝る妻にキスをして書き置きを残した後、国家市民軍総軍本部へと向かった。
やれと言うならやるしか無い。
そう覚悟を決めたリアムは、総軍に詰めていた当直将校を呼び出して、一言。
「
悪魔。
後世からもそう称される軍人は、その瞬間に於いては国家市民軍の全員から同様に称された。
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