第81話 決定

「賛成者多数と認めます。よって本案は原案の通り可決しました」


 議会の半分強からの拍手を受け、陛下・・は片手を挙げてこれに応じた。

 普通、こういう重要議題で起立投票を採ることはあり得ない。だが、『陛下』の御前だ。ちまちま投票するのを彼女は好まないだろう。


「陛下、それでは」「ん」


 彼女が玉座から立ち上がると同時に、議員が一挙に立ち上がって、


「ドーベック国憲法第七条により、国家議会を解散する。」



 ばんざぁい! ばんざぁい! ばんざぁい!


 どういう訳だか、どこか懐かしみのある高揚感があった。



****



「えっ」


 書類仕事に立ち向かうべく、タイプライターをしばき倒していた手と、それに併せて鳴っていた軽快な音が止まり、一応流されていたラジオの音だけが室内に残る。


「おー、武力行使決議可決か」


 相勤が呑気にそう言ってから両手を頭の後ろで組み、ギイ、と事務椅子を鳴らす。

 狐人は、自分の見立てが間違っていたことと、また戦争をやるのか、しかも今度は侵攻側で、という衝撃とで暫くの間フリーズした。


「首相は辞任して出馬せず――ね、おっと、はい、検取四室、お疲れ様です。はい、はい、あー……ちょっと待って頂けます? おい、カルメン」


 彼女は、電話の呼出音に続いて鳴る自らを呼ぶ声を受けて漸く活動を再開した。


「ん?」

「俺ちょっと命令受領行ってくるから、帰ってこなかったらコレよろしく」


 隣の未決トレーからドサ、と紙の束が流れ出て、自分の机の上に滑り込む。

 活発な思考の渦中から抜け出せていない彼女は、ああ、と、代謝呼吸の余力で返事を返す。彼女の相棒は、電話に何らかを呼んでから駆け出していった。


 首相は――リアムは、独裁者のハズだ。否、独裁者だ。それは間違いない。

 にも関わらず、何故、こんなにも簡単に権力を放棄出来るのか?

 首相の地位を離れても、実権を握ったままで居られるという確信があるのか?


 彼にとって平和とは、民意を無視してでも得るべきものでは無いのか?


 そういう思案の末、その警察官はある結論に辿り着くことは無く、再びの平和をじっくり味わう時間すら無いという事実を確認して、途方に暮れ、次いで恐怖に慄いた。


 一方庁内には、活気と高揚、士気が満ちていた。


 ある者は雄弁に、僅か3ヶ月前の自身の活躍を語った。制服に輝く、階級章よりもよく磨かれた真鍮のそれを見せびらかしながら。

 或いは、弱腰の政府を、陛下が、そして議会が。正当な手続によって権力から蹴り落としたことに陶酔するような快感を感じている者も居た。そして、次の戦役でも敵をボコボコにしてやろうと。そういう風に意気投合した。


 幸いなことに、検察官事務取扱第四室は隔離されていたから、彼女が恐怖に慄いて僅かに震え、割れるような頭痛に苦しんでいることに誰一人として――否、命令下達を受けて、くすんだ勲章一回も磨いていないをバタつかせながら帰ってきた彼女の相棒の他は、気付くことは無かった。



****



「まま、お疲れ様でございました」


 頭取執務室に、二人が居た。

 一方は乾杯した後に深く腰掛けて姿勢を正し、一方は正装のまま来客用の椅子にひっついていた。


「この後はどうなるのかな」


「選挙を行って、その結果次第ですが――まぁ、私は出馬しませんから。次の首相への引き継ぎの後は暫くゆっくりさせて貰います」

「君の後任は誰になる?」

「個人的にはアンソンになるかなと。現役武官ですが、戦争をするなら彼女以上の適任者は居ないと考えます。その後、新内閣が宣戦の布告憲9Ⅳをした後に議会がこれを承認同条Ⅴし、国家市民軍法76の武力出動をする流れになるかと思います」


 棚の中にあった高い蒸留酒は飾りでは無かった。

 燻らせるようにグラスを回してから、チビ、と飲み込むと、焼けるような感じが舌、喉、腹へと下っていく。


「……ロベルトを考えていたんだが」

「彼は元薬物中毒者で犯罪者です。議席は取れないでしょう。それなら英雄を立てて、その指揮の下侵攻をすれば良いのです。ついでに言うと、そもそも彼に公民権はありません。最も、恩赦で復権をなさるというなら別ですが」

「なるほど、分かった」


 珍しく、カタリナ氏はクイ、クイ、と酒を飲み込んでいた。窓の外には雪を認めることができて、パチパチという暖炉の音が執務室を満たしている。

 秘書官が気を利かせて用意してくれた軽いツマミに手を伸ばすついでと言った感じで、彼女は語りかけてきた。


「なぁ、リアム」

「何でしょう」

「何故軍を使って私を拘禁しなかったんだ? 君なら――君なら、意志の貫徹は容易かった筈だ」


 安酒を呑む時のように、キュ、とグラスを空ける。


「そりゃあ、手続と国権、市民に敬意を払っているからです」

「ふん」

「私は大変に嬉しいのですよ?」


 我々の演説は、安全保障委員会と本会議での議論を経た後に行われたものであった。

 だからもう結果は見えていたのだ。


「私は――私は、この世界にこういう国を作ろうとしてきたのです。もうその目的は達しました。後は皆に託したいと思います」

「引退にはまだ早いと思うが」

「暫くゆっくりしたら、大学でも作ろうかと」

「大学、か」

「ええ、言わば国そのものである人。それを教育訓練する究極の学校として、勿論、国防大とはまた別の組織として」

「その時は投資させてくれ」

「はは、低金利でお願いしますよ」


 この国が今後大きくなりたいと言うならば、大量の官僚が必要となる。それは中央も、地方もだ。しかし、今の教育訓練は、確かにプロフェッショナルを養成するには適切だが、ジェネラリストを養成するには不向きだ。


 この世界の人々は、とても賢い。


 私は、まだ、彼らの知恵を活かしきれていないし、伝えきってもいない。


「ロイスちゃんにもよろしく言っといてくれ。世話になった」

「ま、次の首相が決まるまでは私が首相ですから。それまでの間頑張らせて頂きます」

「ああ、しっかりな」

「では、私はコレで。妻が待っていますので」


 リアムは、自らの手がキレイなままであることと、『陛下』からゆるされたこととに若干の喜びと感じ、そして、重責と激務から開放されることに対して、浮遊感にも似た喜びと安寧とを感じていた。




 当時、ドーベックに政党というものは無く、どちらかと言うと各業界団体や地域の代表が出てくるような感じの、相当ふんわりとしたものだった。それに、今まで明確に議会を二分するようなことはそれまで無かった。

 その後行われた総選挙で、武力行使には反対し、内向きの成熟を目指す、いわゆる『灯台派』と、武力行使も含む積極的な対外進出により、国家を大きく物理的にし、そして万民を救おうとする『角灯ランプ派』とが構成された。


 灯台派の代表は前首相の妻にして前宣伝大臣のロイス、角灯派の代表は前戦役の英雄アンソンが其々就いた。

 そのどちらに対しても強力な影響力を持つ筈のリアムは、家庭に於いてロイスを癒やす他、一切の介入をしなかった。


 ロイスは奮戦した。宣伝大臣としての才覚を振るい、ネガティブキャンペーンは封印して、それでも、「子供らに顔向け出来る国家へ」のスローガンを掲げて。

 アンソンは知っていた。この平野は、あまりにも狭いことを。そして、平野から出なければ、子供らが生存することは出来ぬと。そして、自然を学び、利用することによって、まだまだ恐るべき力を行使することが出来ると。


 其々が其々の正義を掲げる、政党政治の時代が始まったのだ。


 有権者は、ギリギリの均衡の末、アンソンを――角灯ランプ派を、より説得的なものとして選択した。


 リアムが望んだように、権力移譲は平和的にして滞り無く行われ、ドーベック国初代首相、ないし、アシャルリアム・ド・アシャル政権の物語は終わった。


 彼は最後に、意見対立を対話と投票によって決着・・し、それに従うという模範を見せたという点に於いて、それまで行ってきた開発独裁的施策にも関わらず、国父、ないし民主主義そのものの父と後世から評価される。同時に、政治家としては向いていなかったのでは無いか? という仮説が他の理由と共に相当有力に提唱される程、彼はその能力と強権、そして人脈にも関わらず、あっさりと権力を放棄した。


 後世、色々な仮説が唱えられた。


 院政を敷くためだとか。平野外侵攻を実は指示していたとか。国家市民軍参謀本部に『現実的』な見積を作らせていたこと等から、建前上だけでも自身が侵略者との誹りを受けないように『逃げようとした』のでは無いかとか。


 彼は真実を――彼が前世の記憶と知恵とを携えてこの国と文明を作り、その威力と成果を知っていたという、重要な真実補助線を妻の他には語らなかったし、妻もまた同じであったから、後世からの批判や論評はいずれも的外れなものとなるのは仕方がない。


 それ同様に、リアムは自身が思ったよりも早く、権力を捨てた応報を受けた。

 それは事態を把握したときにひっくり返って途方に暮れ、どうしようどうしようという反駁があった後に、当時の権力者第二代首相が辿り着いた解決策――彼女が、予め決心していた施策であった。


 つまり、リアムは、リアム自身が作ったシステム国家から許された訳では決して無かったのだ。



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