第80話 灯台
「陛下がご入場されます。議員起立」
ワラワラと議員らが立ち上がって暫くして静粛がもたらされた後、普段はカーテンで覆われている議長席後ろの扉を警備兵が開いて『
「いいよ、省略。座って」
彼女は、儀式的な
本日、カタリナ・マリア・ヴァーグナー陛下のご臨席を仰ぎ、総会の開会を――みたいなことを本来は言うべきであるが、皆慣れているので特に何も言わなかった。
「議長より奏上申し上げます……
議長が『速歩行進』で玉座の前まで前進して『右向け右』『気を付け』をし、議員の総意の下、陛下からの発議を乞う旨の書類を読み上げる。
その実、議長(と委員会)が発議をゆるしているのだが、表面上は『乞う』という形にしなければならないという絶妙なアレコレがあるのだ。
「はい、じゃあ……始めようか」
いつものように、少々の気怠さが帯びた余裕を基調として、それでいて全てを見通すような軸が通っていて、それでいて果敢であった。
「旧イェンス家所領に対し、あらゆる手段による『人道的介入』の発動をするべき旨の決議案を提出する。
議員諸君らも知っての通り、現在我が国は自由貿易の恩恵を享受し、メウタウの恵みを以て腹と財布とを満たし、そして人々がこの国へ集う。そういう状況下にある。大変結構なことだ。
何故か? 今まで虐げられてきた諸君が、何故、そのような状況下で暮らせるのか?
私のおかげか? それとも、この奇跡的に整った環境のおかげか?
違う。断じて違う。
勿論、その貢献と方向付けに旧商会が多大なる役割を果たしたのは事実だろう。しかし、それとて諸君らの旺盛な好奇心と野心が無ければ全くの無力であったことは論を持たない。
商会貨幣として現在帝国内市場で広く流通している紙幣、つまり紙切れがある。それに価値があるのは何故か?
私がその価値を保障し、発行総量を調整しているから。そのような解釈もあるが、それは表面だ。枝葉だ。根本的なところでは違う。諸君らの意志。自由と豊かさを追求せんとする意志が、この紙切れの価値を保証しているのだ。
私には、通貨発行権がある。
つまり、諸君らのあらゆる経済活動。より良い明日を迎えんとするあらゆる努力の価値を適切に値付けし、そして私へと、国家へと帰属させる責任がある。
私は、諸君らを私の奴隷だとは思っていない。
私は、諸君らを私の血肉だとも思っていない。
私は、諸君らを私の子供だとも思っていない。
私は、諸君らを自由にして独立した存在だと思っている。
私は、諸君らからの自由意志に基づく信託を受けているから、今ここに立ち、貨幣を発行しているに過ぎない。いつでも廃位し、又は金庫に溜め込んだ金を以て旧来の貨幣制度に復帰しても構わない。尤も、その貨幣制度は最早諸君らの膨大する欲望に追いつくことは無いだろうが。
兎も角、私は議員諸君らと同じく、国家、ひいては市民の下僕に過ぎないのである。
しかし今、平野の外では――特に、爵領庁が崩壊した地域は、そうでは無い。
劣等種という言葉がある。私にとっては馬鹿馬鹿しいことこの上無いが、支配種に対義される言葉だ。しかしその支配種でさえ、自由市民という戯言を受けて、或いは何らかの爵位に封じられて尚、本質的に皇帝の奴隷である。
私は、彼らを開放したいと願う。
彼らを開放し、この温かい家へと迎え入れ、そして我が国の市民として自由にして奔放に、野心と夢を持ち、豊かさの中で明日をより良い日にせんと努力して欲しい。
専制の暗がりの中で灯る、自由の
知っての通り、この国は帝国から、若しくは外国から、『公国』と呼ばれている。
皇帝が私を公爵に封じたからだ。これは帝国内に於いて我々の権威を高めるのに大いに役立った。だが、今の我々に必要なのだろうか?
また、先の戦役の終わり、彼らは矛を収める代わりに、我々に密約というものを課した。
その中には、本来我々が得るべき正当な利益――つまり、旧イェンス家所領の分割への不参加というものがあった。当時の我々は、この不当な要求を飲まざるを得なかった。
知っての通り、私は囚われていたし、軍に余裕も無かった。
だが、今は違う。
そのことを、行動で以て示さなければならない。何よりも明確なメッセージを発出するのだ。
以上の正義を踏まえ、諸君らに問いたい。
我々は平野を出るべきであるか?
平野は広いように見えて、その実、我々は既に、太陽の恵みを使い尽くしている。
ダムや窒素固定を始めとする各種技術革新によって我々は今腹一杯食えているが、最早平野の中に耕されていない土地は無い。既に、我々は海運による食料輸入に豊かさを頼っている。
それに、いつ大穴が吹くかも分からない。
帝国が、或いはその他の勢力が。再び港を破壊したとき、我々と諸君らは飢えに苦しむことになる。喉元にナイフを突き立てられているようなものだ!
それに、難民が生じた原因。『黒病』がいつ、猛威を振るうか分からない。
これに対処する方法を我々は知っている。だが、平野の外にコレをもたらすことを帝国政府は拒否した。
また、いまいち、我々の実力は理解されていないように思う。
我々がその気になれば、恐るべき実力を以て、それを貫徹することができると理解されていないのだ。
このような実際と、先に述べた我々の正義を鑑みれば、私はこの国が平野を出るに足りる大義名分を得ていると確信する。
これから反対意見を首相に述べて貰う。よく考えて欲しい。以上だ」
「リアム・ド・アシャル君」
「只今陛下より
一点目、我が軍は――国家市民軍は、侵攻するに足りる十分な実力を持っていません。
陛下は人道的介入と仰られました。しかし、その実、実力による現状変更。対外的武力行使であり、そのためには我が国を防衛して尚有り余る実力が必要であります。無論、政治的正義、人道主義、建国宣言の理想に立てば、我々は今すぐにでも『開放』に取り掛かるべきです。
しかし、例えば国家市民軍航空軍は漸く試験用飛行機が実用化した程度であって、空の脅威から、ワイバーンから我が国を守り、或いは敵の頭上を侵すだけの能力を持っていません。
見積上、6コ飛行隊。つまり120機の作戦用航空機が侵攻のために必要であると参謀本部は考えております。
地上軍は未だに四コ基本作戦単位制に向けた編成・錬成中であり、全方位に対して防護しつつ、侵攻作戦を実施するのは未だに困難であります。
更に、我々2万の精鋭を、今投入したとしても、平野外で彼らが思う存分戦うに足りるだけの足腰を、兵站機能を、今我々は持っていないのです。
意志は兎も角、十分な能力が無いのです。まず議員諸君にはこの点をご理解頂きたい。
二点目、対外的武力行使は、帝国政府を徒に刺激しかねません。
今、我々と彼らとの間に平和条約を締結するべく、外交部は交渉を積み重ねています。
共同宣言に於いて、我々と彼らとの間には多数の約束事が交わされました。その中には公開されていないものも当然含まれます。
我々は、これを誠実に守るべきです。
如何に彼らが正義に反し、そして我々が正義であったとしても、国際的な約束を守るという評判は、我々の地位と存在感を高め、そして権威を与えます。
その価値は我々の子孫代々に渡って輝くでしょう。
現時点に於ける対外的武力行使は、この価値を毀損せざるを得ません。先程陛下が仰られた大義名分は、確かに国内的に、平野の内外を知る諸君らを納得させるに足りるだけの説得力を持っていると言って良いでしょう。しかし、子孫代々に渡ってもたらされる筈の恵沢を、今を生きる我々が、他の選択肢が許される状況下で奪って良いのでしょうか?
まだ、焦る必要はありません。
我々は、敵の血の上にテーブルを置きました。そのテーブルが破壊され、或いは相手が立ち上がるまで、再び我々が血を流す危険を侵す必要は無いのです。
三点目、我々は侵略者に陥るべきではありません。
我々は飽くまで自由と正義の灯台として、ここに立ち続けるべきなのです。
わざわざ荒れ狂う海に自ら赴かずとも、我々がここに立っているというその事実だけであっても、遠くない将来、我々が自ら手を下さずとも、我々は第一人者としての名誉を得るでしょう。
力による一方的な現状変更は、如何なる正義があろうとも、それを受ける側にとっては、そして客観的には、侵略としての誹りを免れ得ることができません。
我が国がその誹りを受けることに、私は猛烈な違和感と嫌悪感を感じます。
そして、我々に対して手を出したならば、確実な死が、破滅が訪れるような。そういった実力の整備まで、あと一歩というところまで来ています。ご存知の通り、大量破壊兵器と呼ばれる兵器がそれです。これを以てすれば、我々は灯台の火を灯し続けるだけで、その恵沢を、我々の貨幣を、紙幣を、帝国中へ、そして世界中へと波及させることが出来るでしょう。そこに銃剣は必須ではありません。
しかし、そう遠くない未来、我々は、実力を行使せざるを得ないような状況に直面し、或いは攻撃を受けることがあるかもしれません。そのとき、我々に選択肢は無い筈です。そのとき初めて、我々は無慈悲に振る舞うべきなのです。それまでの間、我々は飽くまで暖かく、そして強く。灯台を輝かせようではありませんか!
私を弱腰と謗る者も居るかもしれません。
灯台の下に集うか、ランプを其々持つか。
この二者択一に陥る必要はありません。余裕を以て、どちらも行えば良いのです。
しかし、現時点に於ける対外武力行使は、灯台から油を抜き、ランプに注ぐようなものになりかねません。
確かに、手元は明るくなるでしょう。ですが、ランプによって遠くを見通し、或いは遠くから我々を見、航路を示せはしないのです。
武力行使は、必要なとき、躊躇なく行われなけれればなりません。それは確かです。
しかしそれは最後の手段であると、私は確信します。
我々にはまだ、選択肢があります。
最後に、国家市民軍への指揮については私、内閣総理大臣の専権事項です。
憲法第九条第二項は、『我が国の平和と独立並びに国及び市民の安全と人権を守るため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国家市民軍を保持する』と規定しています。
議会は、国権の最高機関です。しかし、私は行政、そして軍の長、最高指揮官として、無謀な戦いに兵を、国を投じる訳にはいきません。
仮に議会が本発議を可決した場合、議会を解散し、内閣は総辞職します。
議員諸君におかれましては、内閣不信任決議を準備される必要はございません。
議員諸君の良識と慎重とに期待し、以上で意見を終わります」
議長席右の内閣総理大臣席に戻って、首相は深いため息を付いて、こめかみを揉んだ。
「それでは採決に移ります。旧イェンス家所領に対し人道的介入をするべき旨の決議案に、賛成する諸君の起立を求めます――
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