灯
第79話 ランプ
ついに飛んだぞ!
バリバリバリ、そんな風な爆音を高らかに奏でつつ、ソレは数百メートルをふわ、と飛んだ。
確かにソレは頼りなく、寧ろ柔らかな印象を与えるようなものだったが、エンジンに木製の骨と布張りの皮膚を持つソレは、確かに飛んだのだ。
ここから、エンジンの進歩に伴って全金属製、ジェット機、ステルス機……と進歩していくのだろう。恐るべき速度で、ドーベックの進歩の早さを鑑みれば、きっと十年もしないうちに。
もう、空は彼らのものだけでは無い。
殆ど唯一の懸案事項が消し飛んだ。天にも登る心地だった。
将来
帝国の航空戦術は、過度に保守的である。
見せてやろう。彼らが考えつかないような圧倒を。得意分野で。
思わずほくそ笑んでしまった。
航空観閲式をやっても良い。彼らのびっくりする顔が楽しみだ。
カタリナさんは『飛んだら教えてくれ』と設立記念式で言っていた。じゃあ、教えてやろう。
そんな風に満足を反芻して、飛ぶようにして彼女の執務室に赴く。
「おお、飛んだか」
「はい、飛びました」
胸を張って。正確には、いつも視線は正面に注目して背筋を伸ばし胸を張り、足先を60度に開き、膝を伸ばしきらず両手は自然に握るようにして立っていたから、どこぞの権威主義国家の観閲式のように、過剰な程に胸を張って。
「じゃあ、始めようか」
「……何を?」
「開放をだ。我々は、平野の外に出るぞ」
「え」
私は、飽くまでこの国を守ろうとする考えに固執していた。
それは現状変更勢力に対抗し続けていた
私にとって、武力行使は最後の手段である。
特に、確定した国境線、ないし境界線を武力によって侵すことは、私の良心から常に批判を浴びてきた。
「陛下、畏れ多くも申し上げますが――「柄じゃないな。いつものように話せ」
カタリナさんは、別にいつもと変わらない調子であった。
底に余裕がある。
「反対です」
「理由を聞かせて貰――否、何故私がこう思ったのかについて述べようかな」
「宜しければ」
彼女は立ち上がった。
「商会紙幣の価値を担保しているのは何だと思う?」
「……この平野の生産力。でしょうか?」
「正しいが要素が二コ不足している。まず一個、暴力」
机の前の方に出てきて、そして机に腰掛ける。正確に言うと、腰を引っ掛けるようにしていた。
「暴力、ですか」
「そう、君が持ち込んで洗練させた、暴力だ。リアムはコレが何か分かるか?」
ジャラ、とカタリナさんはが首から提げた青いモノを挙げる。私は正確にコレを形容する語彙を持たないが、兎に角、彼女がずっと首から提げている、たまに光り輝くソレ。
「分かりません。お父様の形見でしょうか?」
「コレはな、我が家の家宝だ。好機を捉える。そういう働きがある」
「好機を、捉える。ですか」
「そうだ」
意味が分からない。
「好機を捉えるには、何が必要だと思う」
「――能力に見合った機会を見出すこと、でしょうか」
「概ね正しい。だが、また要素が不足した」
胸元にソレを戻して、彼女は続ける。
「意志だ。意志。能力に機会が組み合わさっても、意志が無ければソレはただ過ぎ去っていく」
「仰る通りです」
自然に受け入れられる説明だ。
「コレの作動原理と効果は不明だ。単に運を良くするのか、或いは単にたまに青く輝くのか、不明だ」
「はぁ」
「だが賭場で気付いたんだ。コレは、意志決定を補佐する。そういう機能を持っている。光度は、持ち主の精神の興奮、緊張に比例して大きくなるように思う」
状況把握、決定、行動、修正の連続によってあらゆる知的主体は行動する。
だから、輝いたり暗くなったりしていたのか。なるほど。別に矛盾は無い説明だ。
「つまりコレが輝くとき、私は無意識に緊張し、或いは興奮している。使ったらいけない金でやるギャンブルが一番楽しいようにな」
「仰っていることの意味は分かりませんが、別に矛盾の無い説明であるように思います」
「で、気付いたんだ。コレの輝きが大きくなるような決定をしたとき、そのとき、私は好機を掴み続けてきた」
そんな理由で?
作動原理も発動理由も分からない、謎の道具がペカペカ光ったから。そんな理由で武力行使に踏み切るのか?
クラクラしてきた。こういうのを暗君と呼ぶのかもしれない。天才との評価は過大だったか?
「考えてたんだ。この平野の内外で何が違うのか。この平野の中が、何故こんなにも繁栄しているのか。野心と夢だよ。この国には人の数だけ、野心と夢があって、それを追求することが繁栄に繋がっている」
彼女は興奮したように歩き回り始めた。
「通貨の価値を担保している。つまり、皆がこの通貨に価値があると確信している最も大きな要素は、これなんだよ。野心と夢だ」
いまいちピンと来ない。
「信用創造の本質は、回収能力、つまり暴力では無い。それだけの価値を新たに生もうとする野心と夢――経済活動そのものなんだよ。私は、この平野のあらゆる経済活動の価値を自らに帰属させていることになる。」
彼女は、益々興奮して拳を振り回すようになってしまった。
「活発な経済活動を担保するのは、富裕した自由だ。だから、私は、政府は、コレを担保しなければならない」
「それがどうして、侵略しようという話になるのですか」
そこが肝要だ。
「今の帝国は、あまりにも、勿体ない。本来価値を生み出す筈の存在である国民を下僕、或いは切り分けるパイかソレ以下にしか思っていない」
「専制の闇。ということですか」
「それにな、パイとしての取扱はあまりにも非人道的だ。自然権に対する冒涜だ」
「異論はありませんが……」
「その上、我々は最早平野の中で富裕を享受するに足りるだけの食料生産を得ていない。外部からの輸入に頼っているが、君たちの見積ではいつ、『黒病』が拡散するか分からないんだろ?」
クロメウタウダニ害。正式にそう呼ぶことになった、難民を生む原因となった『カビ』は、慣用的に『黒病』と呼ばれるようになっていた。
「はい、平野内での拡散は食い止めていますが、帝国との『密約』上、平野外での殺虫剤散布は困難です。実地調査と試験散布の打診は拒否されました」
「話し合いになるような連中でも無い。堂々とやってやろうじゃ無いか」
「落ち着いて下さい」
彼女の胸元は光り輝き、服を透けて身体の線を視覚的に認めることを容易にしていた。
なるほど、
「このまま放置したら、『黒病』で民は飢え、帝国は崩壊する。ならば、我々の手で帝国を断頭し、せめて身体だけでも助けてやりたい」
「そして、帝国中に自由のもたらす恵沢を確保し、陛下の発行する貨幣を以て、帝国全ての経済活動をご自身に帰属させようと。そういうことですか」
「結局は回収能力で担保せんといかんからな」
野心とか、夢とか。
そういうフワフワして美しい言葉で表現すべきでは無い。
野望だ。これは。
「正義はある。諸君らも飛べるようになった。私は今が――民がまだ飢え切っていない、今が、取り掛かる好機だと確信する」
「ですが、能力が無いのです。好機とは機会に能力を行使して得られるモノだと説明されました。今の我々は、平野を守るので精一杯です」
「このまま放置したとしよう。帝国中の貴族がココの
「その時は市民として暖かく受け入れようと試み、それが果たされない場合には射殺しましょう」
「君も大概残虐だな」
防御ならば十二分に勝ち目はある。
「この平野に灯る自由の灯火を、ランプとして帝国中に広げよう。この考えは間違っていると考えるのか?」
「正しいと考えます。しかし、私はこの国が掲げる自由の灯火は、灯台のソレであると考えます。灯台から油を抜いてランプに注ぎ、万民へと分け与えるには時期尚早かと」
「結局、意思決定の問題になるか」
沈黙があって。そして、
「分かった。
憲 法
ドーベック国法典 第1巻(憲法)13頁
(最高機関)
第四十一条 国家議会は、国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である。
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