第73話 講習

 国 家 市 民 軍 法


 ドーベック国法典 第4巻(行政)318頁


(大量破壊兵器)

 第八十七条の二 第八十七条の規定により国家市民軍が保有する兵器のうち、大量破壊兵器については、第八十八条の規定により武力を行使する場合の他、これを使用してはならない。

2 前項の大量破壊兵器は、政令でこれを定める。

3 内閣総理大臣は、大量破壊兵器に関する情報であって、公になっていないもののうち、その漏えいが我が国の安全保障に著しい支障を与えるおそれがあるため、特に秘匿することが必要であると認めるものを秘密(秘密保護法第三条第一項)に指定するものとする。




――議会は、内閣総理大臣が上程した秘密保護法と国家市民軍法の改正案を賛成多数で可決しました。これにより……


「また仕事増えるのか!」


 放送朝のニュースを受け、執務室にまぁまぁなデカさと太さの声が響く。

 リアムは、大量破壊兵器と共に、それを適当に運用させるべく法を変えた。その威力を維持し、少なくとも、国内に対して使用させないために。


 その法改正の煽りをどこが受けるのか? ココ法執行機関である。

 木は枯れて落ち葉が街路に積もり、夜には外套が欲しくなるような季節になって尚、公安刑事は忙殺されていた。これに加えてまた仕事が増える。


「ようやく秘密保護法の改正入ったのね」

「もう覚えてられん。……最高刑は死刑か」

「良かったじゃん、ぶっ放せる警執法七条但書よ」


 公私の相棒である狐人とハーフリングとが改正法と仲良くニラメッコする中、リリリ、と電話が鳴る。

 ハーフリングの常装には狐人よりも1コ多い略章警察記念章が付いていて、その武勲を知らしめていたが、狐人の方は武勲の中身――得体の知れない敵の巨大生物兵器によじ登り、小銃で搭乗ハッチをしばき回して拘束対象者を拘束した――を知った時ブチギレた泣きながらというのは言うまでも無い。

 が、彼らの間にあった公私混同も今のところソレっきりだった。それを許す程、この街の法執行機関は暇では無かったのだ。


「はいケントリ検察官事務取扱以下略四室、はい、はい、了解」


 チン、そんな音を立てて受話器が置かれてから、狐人が黒板予定表を弄る。


「おい、その日非番じゃねぇか」


 一応、男の方が抵抗を試みた。


「大量破壊兵器の講習だってさ」


 女は一瞥もせず、非番日の1700~1900に予定を入れ、爾後手帳にソレを反映させる。


「俺、帰ってきてから二ヶ月休み無いんだけど」

「私は戦前からnヶ月だが」

 

 予約していた夕食をキャンセルしなきゃ。

 二人は同じタイミングで同じ思索を経て、同時に喘ぐようなため息をついた。




「気を付けぃ!」


 号令を受け、警察官らが一斉に立ち上がる。

 特に何の予行も無く、節度と気迫を以て、活発にそれは行われた。


「局長に対したぁいし、敬礼! 直れ!」

「ご苦労、休め着席


 暗幕が降ろされ、スライドが準備される。

 地域、警備、公安刑事、そういった荒事担当の幹部が一同に会しているから、今ここに榴弾が降ってきたら治安終わるな、そんな不真面目かつ不謹慎な妄想が一瞬よぎる。


「さて――諸君らの中にも、元々鉱山で働いていたという者も居ると思うが、今回の講習はその者に馴染み深い内容となると思う。まぁ、一応やっておこうというだけだから、気軽に聞いてくれ」


 局長ジェレミーの態度は、イマイチ要点を得なかった。

 しかしフレデリックは、一瞬思考した後、『ああ、有毒ガスか』と思い至る。ガス噴出があれば、構内の鉱員は窒息して死ぬ。大方ソレを兵器化したのが『大量破壊兵器』なんだろう。たぶん。

 尤も、フレデリックの推測は半分は当たっていたが、半分しか当たっていなかった。


「今回、市民軍は大量破壊兵器の研究開発と配備を開始したことは周知の事実だと思う。しかし、その実態については秘密とされた。だが、警察としては法執行、特に秘密保護法の執行及び、対大量破壊兵器防護――つまり、大量破壊兵器が犯罪に悪用された場合に対処する。そういう観点から、警察官はその実態を正確に把握する必要がある。よって、地域、警備、公安の各部に対し、臨時で講習を行う。じゃあ、お願い」


 あのバカップル、さっさと破局しねぇかな。

 壇上で親愛の情が籠もった視線を交わす局長らを見て、少しの呆れの籠もったざわめきが起こる。


「科学技術省のシルビアです。先日はありがとうございました。さて、時間も押しておりますので、早速講習を始めさせて頂きます」


 港湾暴動の日、暴徒に拉致監禁されてキモが据わったのか、彼女は記憶にあるよりも堂々としていた。


「今回内閣総理大臣により、イソプロピルメチルフルオロホスホネート、ないしメチルフルオロホスフィン酸イソプロピル、一般に『サリン』と呼ばれる化合物が大量破壊兵器に指定されました。サリンは有機リン系殺虫剤から派生した化合物であり、極めて高い毒性を持ちます。ここまでは皆様、政令・公開情報によってご存知かと思います」


 殺虫剤?

 嫌な予感に鳥肌が立つような感があったが、殆どの皮膚は常装の下に隠れていたから思わず手を擦った。点々を感じる。


「サリンは無色、無臭の液体であり、常温常圧下で容易に気化し、下方へ滞留します。吸入による致死量は1ミリグラムであり、神経を犯すことによって作用します。神経というのは、脳から発せられた信号を身体へ伝達する電話線のようなものです。えー……具体的な機序については省きまして……あっ、サリンは吸入だけで無く、皮膚から吸収された場合にも毒性を発揮しますから、気を付けて」


 えーっ。という声が上がることは無かったが、じゃあどうしようも無いじゃ無いかという感慨だけがある中、スライドが何枚かガチャガチャと一瞬間だけ投影され、『症状』と題されたスライドで止まる。


「少量のサリンに被曝した場合、まず目に症状が現れます。瞳孔が小さくなって視野が暗くなり、目が激しく霞みます。また、呼吸器や消化器系の症状として下痢、嘔吐、息苦しさ等が現れる場合があり、中等症の場合、全身作用として発汗や呼吸・歩行困難、意識混濁が生じます。重症の場合は意識不明、失禁、全身痙攣が生じ、或いは急速に呼吸が止まり死亡します」


 殺虫剤から派生したんだから、殺人剤と呼ぶべきか。

 本当に虫けらの如く殺しちまうんだな。科学の恐るべき成果と言うべきだろうか。


 そんなモノを武器として使う? 巻き込まれるんじゃないのか?


「ココからが皆さんにとって重要な点です。あっ、今までに述べた内容について取られたメモは破棄するか秘密として保管して下さいね」


 今更言われても。という声の代わりに、メモ帳を破る音がそこかしこで響く。

 幸い、フレデリックはパートナーと違って不真面目であったから、メモを取るようなことはしていなかった。


「これまでの説明でご理解頂けました通り、サリンが犯罪に使用され、或いは事故により漏洩した場合、広く甚大な被害が生じる可能性があります。警察・消防の皆様は、このような事態が発生した場合、状況を把握すると共に被災者を救助し、被曝地域を除染しなければなりません」


 道具がある以上、犯罪に使われる。

 ツルハシは人の頭をかち割るし、出刃包丁は腹をズタズタにする。

 こんなモノが使われる事態は想定すらしたく無いが、我々は『プロ』だ。我々しか想定・対処できない。


「市民軍に於いて、サリンは砲弾・爆弾の形で使用されます。これらの弾薬は赤色の弾体に黄緑の色帯で標示されます。なお、サリンの軍用通称は『きみどり剤』です。サリンは不安定であるため、軍用のサリンは使用直前に二液を混交するような構造になっています。これがそのまま使用されることも考えられますが、サリンを有機溶媒中に溶かし込むことにより、比較的簡便・安定に取り扱うことが出来ます。よって、あらゆる不審物に対してサリンの可能性を検討する必要があります。サリンの可能性が高い不審物に対しては『触るな、嗅ぐな、動かすな』の三点を必ず守り、防護装備が無い場合は風上に避難して下さい」


 気付いたときにはもう遅いんじゃ無いか。という言葉に代えて、しぶしぶメモを取り始める。

 触るな、嗅ぐな、動かすな。か、触らなくても、嗅がなくても、動かさなくても死にそうだが。


「サリンが使用されたと判断された場合、中心地を中心に半径2kmから市民を避難させ、小鳥を使用してその影響範囲を確定します、この際、特に風下に対する影響範囲が広くなることが想定されることから、風向きのブレから30度の扇状地域に対して調査サーベイを行います」


 局長が言ってたのはコレか。確かに炭鉱を彷彿とさせるが、その実は炭鉱よりずっと酷い。

 窒息では無くて、本当に毒として作用する、1ミリグラム吸ったら死ぬ気体を環境中にバラ撒く? 正気か?

 もしコレを考えついたのが講師シルビアだとしたら、ソレと交際してる局長は――という思索に一瞬陥りそうになったが、スライドが切り替わると同時に集中を向け直す。


「サリンは、メチルフルオロホスフィン酸イソプロピルと表現される通り、酸の一種です。アルカリ、つまり石鹸水ないし塩素系漂白剤を薄めたものによって分解することが可能です。地域への除染にあたっては、サリンは空気よりかなり重く、低地へ滞留することに留意して行って下さい。ヒトや物件に対しては、大量の水を流しかけることにより除染効果を見込むことができます」


 まぁ、実際に必要な場合はウチ科学技術省から人出しますが……と講師はボヤいた。その後、具体的な防護装備の使い方とか、数値の紹介とかが続いて、


「この度『大量破壊兵器』に指定されたサリンですが、所詮は薬品の一種です。対策が無ければ甚大な被害をもたらしますが、適切な対策・対処によって安全に取り扱うことができます。以上です」


 そりゃ研究室の中だけだろ。

 気付けば眉間にシワが寄っていたが、気を付けの号令を受けて身体が反射的に、活発に動く。

 これで終わりじゃない。この次は前駆物質規制やら何やらの講習だ。現実的に防護措置を取ることが出来るのかとか、第一臨場者は殆ど確実に死ぬんじゃないかとか、そういった疑問が無いわけでは無いが、それは、まぁ、きっと何とかしてくれるんだろう。


 現行法上、そして、警察行政法の原則比例原則上、少なくとも、警察が使うことは無い。もし内乱が起きても、軍は国内国民に対しては使用しない。


 そう寝床でカルメンから聞いて、フレデリックはどういう訳か少しだけホッとした。



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