第72話 大量破壊兵器
*****
ピロピロピロピロ! 奥羽山脈の地下、もう少しで当直も終わるというときにけたたましい警報音が鳴り響く。
省戦略防衛局への当直幕僚として勤務するのは今日で最後だというのに。幾らなんでもこんな日に訓練しなくても良いだろ、クソッ!
スタッフが其々のデスクに戻り、一応
「ミサイル警報、こちら小笠原。ミサイル警報、こちら小笠原。ミサイル警報の確度を検証中――――――――ミサイル警報、確度高し。ミサイル警報、確度高し。
頚椎に液体酸素を流し込まれたような錯覚に陥る。
もし
当直指揮官の
「これは訓練では無い」
早期警戒群から派出されてきた将校が、努めて無表情かつ無感情になるように、私と同じ結論を述べた。或いは忙殺されているのかもしれないが、少なくとも視界内の全員がプロであろうとしている。
「了解、これは訓練では無い。30の検知線上に弾道弾らしい目標を確認。推定着弾位置については計算中」
すぐ右に居る
始まるな。ヘッドセットの片耳をずらす。
今居るデスクには、左から
戦略軍大佐が正面の大モニターに映し出された
「現在我が国は
「国防省も同意します。補足意見として、戦争計画
「幕僚長も同意見です」
「両名の意見具申を採用する」
平時なら数時間は掛かるであろう合意形成が即座に為され、当直幕僚長と共に立ち上がって指揮所後方、指揮官の直後にある
当直指揮官は深くため息をついて、こめかみを揉んでいた。
「閣下、こちらが認証書類です」
この時代には珍しい、アナログな紙と赤いファイル。
国防省幕僚と当直幕僚長が同意しなければ取り出されることが無い、暗号表と
幾重の安全対策は、もし必要があったとき、迅速かつ確実に解除されなければならない。
カタカタカタカタ、開放時の状況を記録するための打刻音が響く中、スタッフへ書類が回される。
「えー……ステップ1、
「はい閣下」
「即応部隊宛、即応部隊宛。警鐘、警鐘、警鐘。
****
「――アム! リアム!」
「ああ、ロイス」
目の前にロイスが居た。
背中にベットリとへばり付く冷たい寝間着の感覚で、漸くアレが夢だったことに思い至る。
いや、夢では無い。アレはただの反駁だ。
「急にうーうー呻いてたから、ビックリしちゃった」
「大丈夫だよ、大丈夫」
「医者呼ぶ?」
「大丈夫だ」
「さっきから大丈夫しか言わないじゃん」
「身体は大丈夫なんだ。本当だよ」
そういや、戦略防衛局本部のコーヒーメーカーは美味かったな。
もう何年コーヒーを飲んでないのだろう。この世界にも探せばあるのだろうか。
……そんなことはどうでもいい。私は、この世界に大量破壊兵器をもたらしてしまった。一度は軍事上必要と割り切ったが、良心がそれを責め立てている。
立派な理念と無茶な実装。人倫の蹂躙を添えて、私はこの国に呪いを掛けてしまった。こんなおとぎ話があるか?
「泣かないで」
気付けば、私は上体を起こして顔を両手で覆い、その間からボロボロと涙を垂れ流していた。ロイスが背中を擦ってくれる。
もう取り返しがつかない。
確かに、私は条約を始めとする内外の情勢を見て、こんな不安定かつ無根拠な
だからと言って、大量破壊兵器の恐怖に立脚した
それが正しいのか? その中で、我々の子孫を生かしていくべきなのか?
今更になって、答えが出る筈の無い問いが渦巻く。
「……分からないけど、辛いことがあったんだね」
いつだか、ロイスが
「頑張ってたもんね」
ズビ、縋りつきながら鼻を啜る。
せめて、
「ロイス」
妻には、言っておこう。
電球が食卓とミルクから上がる湯気とを照らす。
「笑わないで聞いて欲しいんだけど、実はあの日――前世を思い出したんだ」
「前世?」
「そう、前の人生。別の世界の私」
「じゃあ、リアムは一回死んでるの?」
「そういうことになるね」
スス、と妻がミルクを啜る。
釣られて自分も啜る。同じタイミングでコップが食卓にコト、と置かれ、思わずフフ、と笑ってしまう。空気が緩んだ。
「死んだ後のことなんて、考えたこと無かったな」
どういう訳だか、この世界の『劣等種』には土着的宗教以外が無い。
だから『死後』の概念も無い。死んだらそこで終わり。そういう自然的認識だけがベースにある。これに対して社会と宗教がどうとか、この辺の細かい考察は後世の学者に任せよう。
「変なの」
「今まで私がやってきた仕事は――殆ど前の世界の知見に立脚したものなんだ」
「へぇ」
彼女は淡々と相槌を打つ。疑いや嘲笑、或いは発狂への懸念は無かった。
「奥さんは居たの?」
「……居なかった」
「そっか」
ここで『居た』と言っていたらどうなるのかという考察は、宗教と同じく脇に置いておこう。
嘘は付いていない。今私がロイスに向けているような情愛を向けた者は居なかったからだ。子と孫は居たが、彼ら彼女らは試験管から産まれている。
「さっきうなされてたのは――前の世界の嫌なことを思い出したの?」
「まぁ、そんな所なんだけど」
どう説明すべきか。
昨日、私はこの世界に大量破壊兵器を持ち込んだと。
それは確かに我々に力を与えるだろうが、許されるものなのかと、そして、前の世界のように、誰かが自制を喪った瞬間にとんでもない破壊が吹き荒れる下地になるのでは無いかと。
そういう葛藤と、複雑とが私を苛んでいるのだと。
整理されていない、思い当たるだけの言葉がボロボロと出てきた。
妻と同時にホットミルクを啜りつつ。たまに出る質問に答えながら。
「落ち着いた?」
「……うん」
「そぉねぇ……」
あの日、奥羽山脈の地下で見たように、彼女はこめかみを揉んだ。
「妻としては、黙って聞いてあげたい。でも、宣伝大臣として、私見を述べて良い?」
「勿論」
彼女は姿勢を正し、息を深く吸い込む。
「今のドーベックは弱い。実際的に、帝国に対して力の均衡は成立していない。力の均衡は、我々の存在をより安定的にする。ならば、我々は力を得なければならない」
それは演説のようであった。
耳から、すう、と入ってくる。
「でも、リアムは良心の呵責に悩んでいる。それはこの世界に今まで無かった、あまりに大きな、残虐な力を持ち込んでしまったから。この世界において力を得る手段として、それを持ち込んで良いのか。そういうことでしょ」
黙って頷く。もうホットミルクは無い。
「あなたは重要な前提を忘れている。それは、あなたは既にもっと大きいもの――理想を、この国の国是をこの世界に持ち込んでいるということ。勿論私達は、それを素晴らしいものだと思ってる。少なくとも、建国宣言は全会一致で採択されてる」
カップを見つめる。
「……何を今更悩んでいるの?」
予想外に冷たい声を受け、驚いて視線を上げると、スッ、と刺すものがあった。
「知ってるよね? あなたが持ち込んだ理想で何人死んでるのか。この世界から退出させられたのか。インフレとデフレの波で、ドーベックの外がどうなってるのか。なんでドーベックの人口が増え続けているのか。その『大量破壊兵器』なんかよりもよっぽど残酷で莫大なものを持ち込んでると思わない?」
知っている。知っているとも。
数字として表現される程には大規模な影響が出ていることを把握していない訳が無い。
「大量破壊兵器だって、勝手に意思を持って暴れ出すようなモノじゃ無くて、道具なんでしょ? 能力なんでしょ?」
「ああ、そうだ、勿論、そうだとも」
慎重な検討は経ず、呻くような言葉が漏れる。
「能力の行使と保持とは別。能力が無ければ、その行使について悩むことすらできない。そうでしょ?」
捕食者に射止められた獲物のように、或いは、銃を向けられて静止を命ぜられているように。彼女の通った鼻筋と大きな瞳から目が離せなくなる。
「今更、ドーベックは理想を、国是を降ろせない。絶え間ない競争の中に子孫を生き永らえさせることが正しいか? 正しいか正しくないかでは無い。
「……」
「あなたが言う事にも一理ある。このまま科学が進んで、自然を理解して、それを破壊に用いて、私達自身を殺戮し尽くすのでは無いかというあなたの懸念は……経験に立脚したソレは正しいと思う。でも、私達がやらなくても、誰かがそのうちやる。だから、あなたの決断は何も間違っていない」
詭弁だ。誰かがそのうちやるという理由で、私個人の所業を正当化することは出来ない。
だが、そもそもこの問題に対して完璧など無い。
「リアム、私の大好きな、優しくて強い、カッコいい、首相閣下。私は、あなたの力を不法で残虐な、単なる暴力だと思ったことは無い」
我らは、平和を切望する。
我らは、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努める。
我らは、全世界の万民に対して、この宣言で確認した自然の権利を保障すべく立ち上がる。
我らは、技術を発展させ、地面を耕し、国家の名誉にかけ、この崇高な理想と目的とを達成する。
「正義無き力は暴力だけど、力なき正義は無力。少なくとも私達は、あの日のように無力になってはいけない。せめて、帝国と拮抗しなければならない。条約だってそう。現実的にはあの条件を飲まざるを得ない。それは私達に十分な力が無いから」
気付けば、私はカップを強く握っていた。
その上から、
「あなたは一人のリーダーに
優しさに強さが加わって、熱を感じる程に其々の顔が近づく。
彼女の手は少しだけ震えていた。彼女も分かっているのだろう。大量破壊兵器という存在を正当化する理由など、詭弁以外の何物にもなり得ないと。だから私が苦しんでいるのだと。
――私は、私達は、あなただけに功罪を背負わせない。それは皆で背負うだから。あなたが知っている力の使い方、作り方。この世界の私達にも教えて欲しい。授けて欲しい。再び私達が蹂躙されないために。私達が、現実を理想へと漸進させるために」
あの日、シクシクと泣いていた少女は、大人になっていた。
リアムの苦しみを少しでも緩和しようと、共有しようとしてくれた。その事実が彼にとって慰みになるのか、或いは妻にさえ苦しみを背負わせたという事実。それが更に彼を苦しめたのか。今夜のことは二人の記憶を除いて一切の記録に残らなかったから、歴史家すらその答えを持たない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます