第41話 人権

「取り調べの前に、君の名前、生年月日、市民保険番号は?」

「フレデリック、分からない」

「えー……生年月日も?」

「分からないと言ってるだろ! 馬鹿にしやがって! 煮るなり焼くなり好きにしろ!」


 俺は暫くの間牢屋に入れられた後、『司法警察員面前録取』とやらを受けていた。   

 この街の警察官は、皆一様に上等な服と帽子を被り、腰からは武器をガラガラと吊るしていた。武士ケンタウロスと同じ階級なのか? とも思ったが、目の前の警察官からは武士特有の威張っている感じは無かった。寧ろどこか親しみを覚えるような間抜けな面をしていた。


「まぁまぁ落ち着けって……じゃあ今から、あなたが持っている権利の告知をするから、分からなかったら質問するように」

「権利? なんだそれ? なんの為にある?」

「えーと……」


 眼の前の獣人は、帽子を脱いでから困ったように耳の後ろを掻いてから、椅子から立ち上がって本棚を漁り、ふんだんに絵が用いられた本――絵本とかいうらしい――を取ってきた。


「ここにAという人が居て、Bという泥棒と間違われて捕まってしまった」

「ありがちな話だな」

「こういうときに、Aを拷問したりして無理やり自白――つまり『私が泥棒です』と言わされるようなことはあってはならない」

「そうなのか、ありがちな話だが」

「この街では出来るだけそういうのは無いようにしている。その仕組み上の担保として、君には権利がある」


 彼はペラペラと絵本を捲りながら、その後もおおよそ信じ難い内容について説明してくれたが、それを信用する程に間抜けでは無かった。


「ま、簡単に言うとあなたが必要以上に不利益な目に遭わないために、あなたに与えられた力……かな」

「へぇ……、言って良いのか? それ?」

「言わなきゃ分からんだろう。現に君は、知らなかった」


 とりあえず分かったような反応を返しておく。話を聞く限り、俺にとって有利にしかならなさそうだった。

 眼の前の警察官は、つらつらと何らかが書かれた机の銘板に指を添わせた。


「えー……あなたには黙秘権があります。これはあなたが言いたくないと思ったことを言わなくて良い、という権利です。次に、あなたの証言は法廷で証拠として用いられることがあります。法廷というのは、あなたが有罪か無罪か、そして有罪であった場合、どのような罰を与えるのかを決めるところです。最後に、あなたは私選或いは公選の弁護人による弁護を依頼することができます。弁護人というのは……


 正直、全く理解が出来なかったが、先程と同じように分かったように振る舞う。なぜだか、彼の、この街の態度が癪に触ったからだ。



****



「ハーフリング?」

「はい、現在取り調べ中ですが……」

「外来人か」

「そうみたいです」


 この街で市民一人一人が力を持ち始めた結果、『人権』やら『権利』やら『私有財産』やらの概念がムクムクと『実体が先行して』登場したこと、そしてそれに対して市議会と商会、それぞれの傘下組織が鋭敏に反応したことは必然であった。

 ここドーベックは元々「劣等種が勝手に、大穴の近くでやっている」港湾都市である。超が付くほど適当な爵領庁の統治は、カタリナ氏や幾つかのギルドに対して『徴税』の名を借りて行われていた徴税吏員のポケットマネーほくほく横領以外には及んでいなかった。(と現在は推定されている)

 嗅覚が鋭いカタリナ氏が拠点を置くだけの可能性をドーベックに見出したのは、元々この街が交易拠点として機能しており、『支配種族』とはまた別に『劣等種』が独自に営む(小さな)経済圏のハブとして稼働していたからである。先にフランシア家の侵攻があった際、これがストップして街が不景気になったという事実は、そうした事情の一側面によるものだったのだ。


 この街の先進的な経済が、法制その他を主導したことは先に述べたが、その結果として今までは存在しなかったような問題が顕在化した。即ち『常識が共有されていない』人々と、市民との間で摩擦が起こり始めたのである。端的に言えば、『人権』のことを全く無知であるか、或いは単に生存と腕力と解釈し、『私有財産』のことを単に土地及び有体物に対する占有と解釈する人々と、『人権』を手続き上の価値や法律能力その他様々の総体として理解し、『私有財産』を所有権の他、私法が定める債権や地上権その他の法人ないし自然人が持つ種々の権利に支配されているモノと理解するといった――正しく『頭が痛い』問題が生起したのだ。

 何故これまでそのような問題が存在しなかったのか? と言えば、これまで『劣等種』とされてきた人々・・に人権は無く、『支配種族』ではそれぞれの家制度がそれを代替してきたからである。後世の私法研究者からは、当時のウィンザー帝国には皇帝が上級貴族の相続問題を裁定する制度が(死んでいたにせよ)あったことを指摘し、それを国定私法のはしりとする説があるが、後に大陸に普及する近代法は、明らかにカタリナ商会普務リアムが思い出し、その後市街で磨かれたドーベック諸法が基盤となっていることは明らかであった。


 まぁそんなことは現場の警察官にとっては本当にどうでも良かった。

 しかし、取調室に「初等学校向け」の教育教材が備え付けられていた理由を誤無きように述べるためには、これらの背景を踏まえることを必要とするのだ。



****



「まぁ今回は店の人からも被害届も出てないし、明日の朝に釈放することになったから。しっかり頭冷やすんだぞ」

「おい、待ってくれよ、いきなり放り出すのか!?」


 これまた『ありがち』な話だった。

 保護を名目にした拘束は、48時間を超えてはならないし、簡易裁判所は彼に対する勾留を許可しなかった。

 だが、そんなことはフレデリック被保護者には関係の無いことだった。とりあえず衣食住を与えられたと思ったのに、もう放り出されるのか?

 実は外来人を受け入れるための制度は掲示板で説明されているのだが、殆どの外来人は文字が読めない。重大犯罪や行き倒れに発展する前にその手続に乗っけるのも警察の仕事だった。


「それは役所の人がやるから、その前に、ウチの長官からお前に話したいことがあるそうだ」

「え?」


 取調室とは打って変わって、質素だが座り心地の良い椅子に座らされる。

 諸種族が快適に座れるよう設計されたそれは、ハーフリングにとってはふんぞり返ってもなお余裕がある程には大きかった。

 ガチャ、と開いたドアから、金色の飾りを所々に付けた警察官が入ってくる。『偉い人』であることが本能的にわかった。しかし、その足取りは重厚というよりは軽率に近いものだった。


「やぁ、君がフレデリックか」

「……そうだ」

「飯はどうだった?」

「……美味かった」

「珍しいな、薄味で有名なんだが」


 『長官』は、こちらの緊張を解こうとしているのか、幾つかの冗談を飛ばしてきた。全部を適当に返していく。


「行くアテはあるのか?」

「無い。また盗みをはたらくしか無い」

「……一応予防拘禁はできることになっているが、今回は別の手段を提示してやろう」


 別の手段?


「お前、ウチで働くのスパイは興味無いか?」

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