第40話 警察

「本法案に賛成する諸君の起立を求めます」


 巨大浄水場と、同じく巨大な下水処理施設がそれぞれ着工した頃、市議会はそれまでの直接民主制から代議制へと変貌を遂げていた。これは、ひとえに市民社会の高度化と消費行動をはじめとする各種経済活動の活性化によって、ある立場、利益を代表して継続的な議論を行える者が必要とされたからである。

 この街の問題として、権威がカタリナ氏に由来し、権力が民意議会に由来するという『権威と権力の分離』が行われている一方、経済的支配は依然としてカタリナ氏が敷いており、当時のドーベックは言わば巨大なタコ部屋では無いのかという指摘が後世の研究家から為されている。しかし、金本位制だった当時に限定的な信用経済を導入し、一方で必要な投資は公共事業の変わりに逐次行っていた上に『夜警国家』は稼働させていたことから、『当時としては一番先進的かつ理想的な市民社会であった』と一般には結論される。


 しかし、そんな『理想』ですら、闇があった。


「起立少数であります。よって本案は、否決されました」



****



「いつになったら医療基準規制法が通るんだ!」


 その晩、リアムは珍しく激昂した。

 畜生、あのとき諸法成立時に通しておけば良かった。あの馬鹿どもが調子に乗りやがって! 委員会制を導入すべきだったのか? 大体そんなことを喚き散らした後、安っぽい椅子へ乱暴に身体を投げた。ギシ、と音が鳴る。


「民間療法やら慣用薬物やら何やらまで規制対象ですからね、反発は必至だと申したじゃ無いですか」

「学校法も、児童労働の禁止も通したじゃ無いか! なんで今さら強硬な反対意見が出るんだ!」

「普務も蒸留酒の規制案が出たときには反対して上程すらさせなかったじゃないですか」

「……」


 この街の平均的な学識は、その辺のケンタウロスよりも遥かに高い。

 これまで支配種から忌避されてきた、広大かつ肥沃な平野と莫大な資源は、識字新聞の読み方をはじめ、市民社会を機能させる上で必要となる様々やら自然科学、数学、体育その他の学修を許すほどにこの街に余裕を与えたのだ。一方でそれがそう長く続かないことも承知していた。


「このままじゃいつかは疫病が流行るし、もう鉱業地区ヘブンの方には薬物が侵入している。衛生行政上も、警察行政上も通さないと不味いんだよ」


 土地腐植が痩せ始めている、上下水道の普及が追いつかないという問題があったのだが、それはまだ何とかなる見込みがあった。土壌生物ササラダニを双眼実体顕微鏡で拾ってプレパラートへ押し込め、その組成から環境や土壌を分析評価アセスメントするのはもっと後世でやってくれるはずだし、今はまだ、痩せた土地の上に街を作れば経済上の・・・・採算は取れた。

 一番の問題は、『人』が腐り始めていることだった。あれに反対している議員、ないし彼が代表する集団は、既に薬物漬けになっているのかもしれない。

 それが多数派になる前に、大きな政府を、作るしか無かった。


「それでは、こうしたらどうでしょうか……」



****



「良いか、今からの活動は軍事作戦じゃ無くて飽くまで警察活動だからな、お前らが『法』を犯すなよ」


 旧第一戦闘団CT第二中隊2Co――つまりドーベック市警察は、議会と法廷の承認の下、史上はじめての大規模家宅捜索を行おうとしていた。

 リアム普務は、従来は従業員向けの福利厚生としていたモノを市民一般へ極めて安価に開放することを約束し、多数派を形成した。つまり、社会保障と『標準医療』をセットにした飴と鞭戦術を用いたのである。

 ついでに、選挙名簿と社会保障とを一致させるための市民番号制をも導入した。幸か不幸か、それがどういう意味合いを持つのかを理解できる程、政治学・政策学は成熟していなかった。


 ピッピッピッ、ピーッ!


 戦場では戦闘服が、街頭では常装がそれぞれ威力を発揮する。

 濃紺色の常装の上に白い弾帯を締め、制帽を被った彼らは、警棒と令状とをそれぞに持ち、分隊に分かれて事前に評定した『薬物窟』への令状を執行すべく、それぞれにドアを蹴破った。


 しかし、


「……やられたな」


 事前にあれやこれやと議会で騒ぎ、それが新聞に漏れたのがいけなかったのか、殆どの薬物窟は空っぽになっていた。ただ、咽るような甘い香りだけが残っていた。


「どうしましょう、中毒者の追跡を行えばおそらくモグリ先も発見可能ですが」

「うーん……」


 ジェレミーは悩んだ。

 そのような行為は、『警察執行法』にも規定されていないし、『訴訟法(刑事)』にも規定されていなかったからだ。

 警察執行法は飽くまで街頭執法活動を想定した質問や所持品検査、酔っ払いや精神錯乱者の保護、緊急時の武器使用についての法律だったし、訴訟法(刑事)は強制捜査の手段を制限している上、『適法に収集した証拠のみ、裁判で用いることができる』というなんで付いているのか分からない条項が付いていた。

 違法収集証拠排除法則とか言うらしいが、これでは悪人が野放しになってしまうのでは無いか、長官はそう危惧した。



****



「情報収集部?」

「はい、不利益処分とならない形での情報収集を専任とする部署です」

「なるほどなぁ」


 そう来たか。最初に湧いたのはそんな感想だった。

 この街の警察組織ドーベック市警察は、前世世界の警察に与えられていたよりも遥かに広範かつ強力な権限が与えられていたが、近代法を私が『思い出して』諸原則に基づく立法措置を重ねていくにつれ、段々と制限が加えられるようになっていった。

 まぁ昔は市民に『不利益処分』といったって大した財産も無かったし、そもそも寮で集団生活をしていたので家宅捜索もへったくれも無かったというのが実情だが、最低でも個室、初期の従業員は家まで持つようになってからは、そこへの立ち入りや所持品の押収などに制限を加える必要が出てきたというのが実情である。

 もっとも、私が先に思い出したのは『敵前逃亡命令不服従は死刑』を始めとする軍法だったので、おそらくまだまだ彼らは『好き勝手』やれるが。


 まだこの世界に於いては、プライバシー権は認められて――認知されてすらいない。戸建てと分譲住宅が増えたのは、生物的欲求としての当然の帰結だった。


「じゃあアレだな、公共の安全への脅威を警戒し、察知する……公安警察とでも呼ぶ存在を作りたいわけだな」

「ええ、それに、色々な人材を――警察官として不適格とされた者を含めて、入れたいと考えています」

「何故だ?」

「そっちのほうが情報収集がしやすそうですから」



****



「クソっ!」


 鉱山を逃げ出してドーベックに来て以降、あまり良いことは無かった。

 ハーフリングは、背が低い。俺はその中でも一段と背が低かった。


 イェンスにある『ドーベック』とかいう街に行けば、気の狂ったエルフが、誰にでも大盤振る舞いをしているらしいと聞いて、荷車に紛れ込んでこの街に来た。確かに、殆どの住民が清潔かつピシッとした服を着て、そこら中に食べ物が溢れ、おそらく魔法を応用したと思わしい様々なからくりが動いてはいたものの、『持たざるもの』そして『弱きもの』には厳しそうだった。なら仕事が欲しいと、そこら辺の人間を捕まえてツテが無いか聞いたが、『掲示板』と彼らが言う板の前に連れてこられて唖然とした。


 俺は、字なんて読めないのだ。


 僅かに持っていた砂金が、唯一の希望だったのだが、ついさっき酒場で賭けに負けてスッてしまった。誰かの財布を盗んでやろうともしたが、街頭には『警察官』と住民が呼ぶ、短槍で武装した兵隊が昼夜を問わず彷徨いていた。

 じゃあ残飯を漁るか、背に腹は代えられないと、街の外れで生ゴミを漁ろうとした。が、


「こんばんは、何をやっているの?」


 闇に慣れた視界を、オレンジ色の炎が覆った。二人の『警察官』だった。


「ここの店の人?」


 答えに窮した俺は屋根を伝って逃げようとした。しかし、結論から言うと雨樋に頭をぶつけて墜落した。暗順応を喪った視界では、正確な距離感を掴めなかったのだ。

 態度を豹変させた彼ら警察官は、後ろ手に縄をかけてから、こう言った。


「『保護』!」


 どこが!? そう鼻血を流しながら思ったのを鮮明に覚えている。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る