平時

第39話 流行歌

「アレ放置して良いんですか」


 ようやくダムが起工してメウタウを迂回させるためのトンネルを掘り始めた頃、2中隊長から『ドーベック市警察局長』となったジェレミーと街を廻っていると、路地裏から流行歌が聞こえてきた。


「保安隊なんか入りたくなーい♪ 警察にも入りたくなーい♪ 俺は防警団にも入らない♪ 酒だけ飲んでいた~い♪」


 よくある民謡を替え歌にした、内容を容易に理解でき、歌詞に心から共感できる大衆流行歌だが、恐るべきことに酒場経由で保安隊旧保安部警察旧警保係の中にも浸透していた。(まぁ飯ラッパラッパ譜『喫食』の節に『レダおばさんの手作り ご飯の時間 もしも残したら 凌遅刑♪』とか歌詞付ける愉快な連中であることは間違いないのだが)

 戦闘ドーベック防衛戦を経て、保安部は『保安隊』に、警保係は『警察』に、それぞれ改名して予備役からなる地域防火・防犯組織は『防警団』とそれぞれ改称されていた。

 法的な地位云々は別として、『市議会がカタリナ商会に運営を委託している』という建前の下、それらは編成されていた。(もっと簡単な仕組みにしようと思えばできたが、手続き上の正義を果たそうとしたらこんなことになってしまった)


 なぜこんな歌が流行ったか?

 先の戦闘で、後遺症患者や戦死者が出た。それを見た不謹慎な市民が、歌い出した。まぁ大体そんなところだった。当然現役の中には眉を顰める者も居た。


「まぁ諸法に触れてるわけじゃ無いしな。『公安を紊乱する罪』にもならんだろ」

「とりあえず引っ張って……「やめんか」


 確かに制度上は、一旦逮捕してしまえば1ヶ月勾留して『嫌疑不十分』として不起訴扱いして釈放できる仕組みにはなっていたが、そういう運用は厳に慎まなければならないのは明白である。残念なことに、この街の司法関係はまだ『ラフ』だった。

 なぜ全世界の警察関係者は『こう』なってしまうのだろうか、警察の本質がそういうところにあるからだろうか、頭がクラクラした。


「何かで上書きできると良いんですけどね……」

「上書き、ねぇ」


 流行歌は『動画配信サービスでバズる』とか『人気コンテンツにくっついている』ことにより形成されると承知していたので、じゃあ今のインターネットが影も形も無い時代なら何になるのかなと記憶を漁って思考を巡らせる。


「あー……」

「どうしました?」

「俺この後技術屋シルビアん所行くわ」

「彼女のトコですか……よろしくお伝え下さい」



****



蓄音機レコード?」

「たぶん電話機の技術応用して作れるはずなんだよ」

「なるほど?」


 実務軍事上の喫緊かつ重大な要求としての有線電話機の開発は順調に進んでいた。つまるところ、スピーカーやらマイクロフォンやらは『一応』できている訳である。

 更に言えば、音が空気中を伝播する波だとか、それをどーこーして信号にするだとか、そういう基礎的原理も理解されている訳である。やったね。


「針に音波を伝播すると震えるだろ?」

「はい」

「音波を伝播させたまま、柔らかいモノに押し付けて滑らせると線上に傷が――音波の影響を受けた傷が出来るな?」

「はい」

「それを針でなぞると音波の影響を受けた傷に沿ってガタガタなるな?」

「はい」

「そういうことだ」

「そういうことですか」


 その後「一回再生したらもう使い物にならなくなるのでは」とか、「音が小さすぎるがコレは電気的に増幅するのか」とか、そういった技術的質問が出た後に、『まぁ資材が余ったら作ってみます』という回答が出てきた。


局長ジェレミーが欲しがってたよ」

「えっ」


 彼女の『このアホ上司こっちの都合も考えずに思いつきポイポイ投げやがって自分でやらんかいボケナス』というのが最大限表現されていた声が、途端に喜色を孕んだモノになった。


「すぐ作ります、可及的速やかに」


 後で他の職員から話を聞くと、暴漢だかに襲われそうになった所を昔助けてもらったことがあったらしい。「事件報告書(人身)」に残ってたかなと記憶を巡ったが、途中で意味がないことだと気付いてやめた。


「じゃあ、よろしく頼むよ」


 しかし技術上の問題は山積していたようで、工業的に量産するならば原盤はメッキした方が良いとか云々の話ができるようになるまでの間に、ダムは基盤工事に入っていた。



****



「ロイスー?」

「なぁに」

「なんか歌ってみて?」

「は?」


 コンクリートの調達手配が思ったよりもスムーズにいき、部屋ロッキングチェアでくつろいでいるとき、私はまた思いつきを他人に投げてしまった。

 そしたら思ったよりも低くて太い声が返ってきた。


ネリウスでよく歌ってなかったっけ」

「……最近は歌ってないケド」


 暫くして、恥ずかしげなハミングが、独特の陽気さと少しの哀愁を込めたハミングが流れてきた。


 遥かなる我が家 道のり遠く

 さらばふるさと 愛しの故郷

 新しいふるさと 新たな家!

 道のりは長く遠い

 心はここに


 あとで知ったことだが、一番の歌詞はこんなのらしい。

 夜だったので遠慮がちだったが、どうやら別の「歌」があるみたいだ。

 十分に流行歌になるポテンシャルがあった。というか、個人的に彼女の歌が好きだった。


「来週の昼、どこか空いてる?」

「開けるけど、何? どこか遊びに行くの?」

「いや、ソレ歌ってもらおうと思ってね」

「……なぜ?」


 当日、「保安隊楽団」と歌手「ロイス・ドーン・ソルニア」により初めてレコード原盤の『レコーディング』が行われた。

 問題は、この歌の2番、3番がふるさとや共同体では無く、恋人に向けられているという『ありがちな流行歌』の要素を含んでいたことだ。


 愛するあなた 心は遠く

 こんなに近くに 永く居るのに

 あなたは私を 見つめもしない!

 道のりは長く遠い

 心はここに


 ……まぁ大体こんな感じである。

 ジト、という彼女ロイスの視線を収録後に受けたことは多分一生忘れない。いや、やましいことは無いのだが、そういえば最近忙しくて構えなかったな、と思い返す。帰りに軽食屋でパイをご馳走した。機嫌は一時的に直った。



****



 嬉しいことに、『流行歌』はロイスの歌声によって上書きされた。主要な酒場や軽食屋なんかに(バカでかい電池と共に)貸与された再生機は、あちこちでロイスの歌声や行進曲なんかを流していた。

 それ自体は大変良いことであるし、影の目的も達成されて万々歳なのだが、それと同時に『普務は歌手と幼馴染で、あの歌って……』という噂が立った。この噂については警察上直ちに影響が無いので、『ドーベック市警察局長』は左の口角を大きく釣り上げて笑った後、肩を大きくすくめただけだった。こいつ品位保持義務違反でクビにできねぇかな。

 暫くの後、カタリナさんから「こんなに近くに 永く居るのに~♪」と見たことがないジトジトした笑顔で報告中に謡われる始末だったし、自分でも気付いたら起案中に鼻歌を歌っていた。それぐらい流行った。


 ロイスが私に想いを寄せてくれている『かもしれない』のは理解していし、私も相応にロイスを想ってはいたが、私のそれは飽くまで友人に向ける親愛であって男女のものでは無いと承知していた。しかし。各所で「あの」ロイスだと分かると男どもが寄ってくるのは正直モヤッとするものがあった。


 こっちの方に夢中で――楽しくて――ダム含め商会関連の仕事は殆ど惰性でやっているような状態に陥るのは、初めてだった。


 これを独占欲ないし恋心と呼ぶのか、個人戦闘員としての危機察知なのかは分からないが、ダムの基礎工事が終わる頃には行く先々でロイスが大人気になっていることを知ることになった。


 歌と心の力とは恐ろしいものだ。今まで積極的に使ってなかったのが馬鹿みたいだった。


 この懸案に対して一定の解決を見た頃、ダムの本体である堤体は、分厚いコンクリート製の、莫大なエネルギーを貯蔵する化け物工学上の奇跡は、立ち上がろうとしていた。



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